ポチの考え

2007年6月23日 (土)

北星余市を離れ、ただの「元ヤンキー」になった「ヤンキー先生」

 ポチです。
 雨が降って、涼しい一日でした。夕方は雨があがり、太陽が出て、ちょっと蒸し暑さを感じましたが、日が暮れるとまた涼しい風が吹いています。
今年もまた猛暑なんでしょうネェ。



 さて、本題です。
 以前、「ヤンキー先生」こと、義家弘介氏のことを「失望した」って書きました(裏切られた思い――義家弘介氏のこと)。日本の教育を破壊と荒廃への導いているとしか思えない「教育再生会議」の一員として存在している彼の姿に愕然としたからです。

 でも、どこかで、一時の気の迷いであってほしいと思っていました。
 それが・・・・。
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 政府の教育再生会議委員で「ヤンキー先生」として知られる義家弘介氏(36)は23日、7月の参院選比例代表に自民党から出馬する意向を明らかにした。同党は25日にも同氏の公認を決定する。
 義家氏は23日、広島市で開かれた自民党の中川秀直幹事長の政治資金パーティーであいさつし、「参院選は教育再生のまさに(天下)分け目の戦いだ。若者たちのために自分の存在を懸けて戦う」と決意を示した。(6月23日「時事通信」)
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 以前、きっこさんが「義家は参院選に自民党から出る」って言っているのを「きっこの日記」で読んで、まさかなぁ・・・と思っていたのですが・・・・。


 これで、彼が、本当は何もわかっていない、ただの「元ヤンキー」だということが、今度こそよくわかりました。
 「若者たちのために」って言う彼の言葉ほど空虚なものはありません。若者たちが今の自民党の政治のなかでどれだけ苦しめられているのか、彼にはまったく理解できないのでしょうから・・・・。


 今回の立候補は、今回で引退されるあの大仁田厚さんの替わりだそうです。
 大仁田さんはこう言っておられます。
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 01年選挙では個人名で46万票を獲得したが、「タレント議員」としての迷いもあったようだ。「何百という選挙区に応援に行った。それがタレント議員の仕事みたいなもの。(テレビに映る)僕の映像は(審議が荒れた時)いつも委員長を守る場面ばかり。レスラーという偏見を打ち破ろうとしたが、自分の勉強不足を痛感することもあった」と語った。(「毎日」)
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 義家氏自身は「教育の専門家」として期待されていると思っているのかもしれません。しかし、自民党が義家氏に求めているのは、たぶん大仁田さんと同じものでしょう。


 すべては、彼の勘違いだと思います。
 北星余市というすばらしい器があり、それを支えてきたまわりの先生方がいたからこそ、彼はみんなから慕われる「ヤンキー先生」でいることができたのでしょう。
 しかし、彼は、北星余市からは何も学ばなかったし、そうである自分自身のこともよくわかっていなかったのだと思います。
 北星余市を離れた彼は、その時点で、ただの「元ヤンキー」になってしまった・・・「ヤンキー先生」という華々しい「肩書き」だけをもった・・・のでしょう。


 そういう意味では、かわいそうな気もします。
 前にも書きましたが、少し思い入れがあっただけに、まったく残念です・・・。


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(追記)
 この記事を書いたあと、一つ前の記事に「義家氏の立候補をどう思いますか?」っていうコメントを頂いていることを発見しました。
 そのコメントへの返事を書いていたら、なかなかいいできだったので、ここに追記しておきます。

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ルンバルンバさん
コメントありがとうございます。

 今日の記事を書いたあとにルンバルンバさんのコメントを発見しました。義家氏への私の思いはそちらを見てください。
 そこでも書いたのですが、彼には教育への信念があるようには思えません。彼は、北星余市とそれを支えている先生方からは何も学んでいないと思います。北星余市というすばらしい教育実践をしている学校とそのスタッフの方たちの力で「ヤンキー先生」という「名声」を得ただけなのではないでしょうか。
 もし、彼が北星余市で培った信念を今も貫こうとしているのなら、北星余市の先生方が教育再生会議の彼を支持しているということになると思いますが、とてもそうは思えません(すみません。思っているだけですが)。
 考えすぎかもしれませんが、彼は、最初から最後まで「教育者」ではなかったのではないでしょうか。北星余市が彼を「教育者」に見せていただけなのかもしれません。

 いずれもしても、

>アベの危険な信念の片棒担ぎをしようとしているだけのように思います。

 まったく同感です。

 なんか。さっき書いた記事より、このコメントの方がわかりやすいかなあ・・・。
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2007年6月22日 (金)

「意義あり」さんに答える(2)「危機管理」「その他」

 ポチです。
 参議院選挙が1週間延期になりました。
 なんとまあ、安倍さんのわがままなこと!
 公営掲示板や投票用紙など、すでにすすめていた準備がパーになっただとか、いろんな業者にも影響が出ているようです。うちの会社もその一つです。ドタバタする毎日が続いています。


 さて、昨日の続きで、「意義あり」さんに答えてみたいと思います。
 今日は、2つ目のテーマ「危機管理」と3つめのテーマ「その他」です。

 まず「危機管理」から。

 「意義あり」さんは、こう言います。

自衛隊がテロや暴動に発展するおそれが少しでもあれば、情報収集や調査活動をするのは当たり前でしょうが。
何か起きてからでは遅いのです。
これを危機管理というのです。

 そうなんです。そのとおり!
 それが自衛隊の論理なのです。
 だから、私も書いていたじゃないですか、間接侵略や内乱鎮圧の任務が自衛隊法に定めてあることを指して「なるほど法令の範囲内だ!」って。

 昨日は、「意義あり」さんのことを次のように書きました。

>意義ありさんは、ひょっとして自民党の代議士さんか、どこかの大企業の社長さんか、アメリカ大使館の方か、もしくは、それらに準ずる方でしょうか?

 今日は、これに次の人物評価を付け加えたいと思います。

 「意義あり」さんは、ひょっとして自衛隊の方か、もしくは防衛省の方ですか?

 というぐらい、まったく同じです(ホントに自衛隊の人だったりして・・・)。



 ところが、この論理の根拠は、非常に荒唐無稽で、だからこそ、民主主義を擁護する観点に立てば非常に危険な考え方なのだと思います。
 ここで、「民主主義を擁護する観点に立てば」というのが重要だと思います。そうじゃない観点に立てば、また別の考えもあるからです。

 そこで、「意義あり」さんにお聞きします。
 「テロや暴動に発展する恐れ」があると、(1)誰が(2)どういう基準で判断されるのでしょうか?
 最大の問題はここにあります。


 まず、「誰が」について考えてみましょう。
 今回の問題ではどうだったでしょう。
 久間防衛大臣の国会での答弁をみると、少なくとも、監視する団体を選んだり、その分類を決めるのは、どうやら自衛隊のようです。
 少なくとも、防衛大臣ではないことは確実です。

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 「参院外交防衛委員会で19日、自衛隊のイラク派遣に反対する市民運動などの情報を陸上自衛隊の情報保全隊が収集していた問題について、久間防衛相は「国会議員であっても、国民は平等に情報収集の対象になり得る」と述べた。増子輝彦氏(民主)の質問に答えた。
 増子氏は衆院議員時代に「イラク派遣は違憲であり、派遣に反対」と発言したことを、情報保全隊から『反自衛隊活動』と分類された。
 久間氏はこうした分類について「冷戦構造の中からやっているもので、ある意味で惰性だった。『反自衛隊』という分類は間違っている。分類の仕方について検討させている」と述べ、分類方法が誤りであったことを認めた。
 増子氏が「国会議員を監視しても構わないのか」と質問したのに対し、久間氏は『監視ではなく情報収集だ。(情報保全隊が)任務としてやっているので私自身が対象になっても構わない。国会議員もほかの人も同じだ』と答弁した」(asahi.com 6月19日)
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 防衛大臣が「私自身が(監視の)対象になっても構わない」と言っているわけですから、防衛大臣は監視対象を選んでいないということです。
 もちろん、久間さんが自分自身に監視すべき「反自衛隊」的な考えや行動があると自覚されているのなら、自分で指示して自分を監視させることもあり得るとは思いますが・・・・。

 つまり、「誰が」の答えは、「自衛隊が」ということです。


 次に、監視団体や個人を「どういう基準で」選ぶのか、ということです。
 「意義あり」さんは、いとも簡単に、今回、監視された団体や個人がテロや暴動を起こす可能性のある人たちだと言われているようですが、どうしてそうなるのでしょうか?
 「意義あり」さんは、今回、共産党が発表した資料を見られましたか?

 具体的に、今回、監視された団体や個人をいくつかひろってみましょう。

*プロレタリア作家・小林多喜二の生誕100年を記念して秋田市内で開かれた展示会
*熊本県で開催された「非戦・平和を願う仏教者ウォーク・イン」
*青森の陸上自衛隊駐屯地の前で、隊員にイラク派兵について質問し、青森市内で市民に賛否をたずねた朝日新聞の記者
*ヘリコプターの騒音がうるさくて「なんとかならないか」と苦情の電話をいれた基地周辺の住民
*山田洋次監督
*高校生のピースウォーク

 これらがどうして「テロや暴動」に発展する可能性があるといえるのでしょうか?

 常識的な頭脳の持ち主ならば、誰がどう考えても、その可能性はゼロでしょう。文字通り、荒唐無稽な話です。

 では、「どのような基準で」監視対象を選んでいるのでしょうか。どう考えても、その答えは、「自分たちが気に入らない相手」としか言いようがありません。



 シビリアンコントロールという原則があります。日本でも、憲法、関係法令は、この立場から定められています。
 元防衛施設庁長官の宝珠山昇という方が、2000年に(財)ディフェンスリサーチセンターにあてて答えた文章があります。
 次のように書かれています。

「『シビリアン・コントロール』は、一般的には、主権者がその保有する武力の管理・運用を自らの意思に従って行なうことを意味する。
 民主主義国家においては、軍隊に対して法治主義を(他の行政庁よりも)より厳正に適用することを強調・表明するものである。これは、軍隊の使用について、その原則を法律を通じて公開し、独裁的・専制的となることを防ぎ、内外の信頼関係を増進することが期待できるものであり、民主主義国家の属性であり、重要・不可欠である」


 この言によると、主権者の意志に従わせるのは、自衛隊が「独裁的・専制的になるのを防ぐ」ということ、逆に言うと、自衛隊が主権者の意志から離れて勝手気ままにするようになると「独裁的・専制的」になってしまう危険性があるということでしょう。
 これは、別に自民党政治や自衛隊に反対している人の言葉ではありません。政府の、防衛庁の幹部だった人がこう言っているのです。


 軍隊が、自分が気に入らない団体や個人を勝手気ままに選んで監視する。こんなことがまかりとおることを許したら、それこそ宝珠山さんの言われるように、「独裁的・専制的」を許し、日本という国が「民主主義国家の属性」を欠くことになってしまうことになるのではないでしょうか。


 これが「意義あり」さんの言われる「危機管理」の正体です。
 「危機管理」という都合のいい理由をつけて国民を監視する。こんなものは、「危機管理」どころか、民主主義への危機を飛躍的に増幅させるもの以外の何者でもないといっておきたいと思います。




 その他の問題にも簡潔に答えておきます。

自分達の意見が少数意見であることを、少しは認識したらいかがでしょうか?

 ・・・エ~ッと。「意義あり」さん、どうやって数えられましたか? エ、いや、どっちが少数でどっちが多数かをです。
 私は、数え方を知らないので、どっちが少数意見で、どっちが多数意見かなんてわかりません。ぜひ、教えてください。私も数えてみます。そうしたら「認識」できるかもしれません。
 ただ、思うのは、私の意見が仮に少数であったとしても、そう目くじら立てて「認識したらいかがでしょうか」って言うほど大きな差はないのではないかなあということです。

共産党は、自分達の主義主張に反する人たちの情報収集や調査活動をしていないと思っているのですか。

 残念ながら、共産党がどんなことをしているのか、私は存じません。
 ただ、思うのは、仮に、共産党が情報収集や調査活動をやっていたとしても、自衛隊がやるのと同列に述べることに意味があるとは思えません。
 自衛隊というのは、人間を殺傷できる強力な武器を持っている集団であり、しかも権力の一員です。情報収集能力という点でも集めた情報を活用する力という点でも強大なものです。


欠点しか見えないあなた達は、人のあら探しだけをしているのでしょうね。

 けっして、そんなことはありません。いい面があればきちんと評価するつもりです。でも、「あら」しかないんだから、なんとも仕方がありません。
 ん~ッと、ところで、「意義あり」さんの言い方だと、今回の自衛隊の監視活動などは「欠点」だし、「あら」だということになりませんかね?
 すみません。揚げ足取りでした。


戦後、敗戦国がここまで豊かに発展したのは、まさに奇跡的なことであり、もっと誇りに思ってよいのではないですか?

 奇跡的かどうかはともかく、戦後の荒廃の中から、今の日本社会をつくるためにがんばられた祖父母や父母たち先輩を心から誇りに思っています。
 しかし、今の日本の政治は、その誇りある先輩達を、邪魔者扱いして、苦しめています。


 一つだけ例を挙げます。後期高齢者医療制度です。
 この制度は、来年4月からスタートします。75歳以上の高齢者は、家族に扶養されている方を含めすべての後期高齢者が保険料の負担を求められ、大多数が「年金天引き」で保険料を徴収されるようになります。保険料額は、全国平均で月6000円。介護保険料とあわせると、多くの高齢者が、毎月1万円を「天引き」されることになります。しかも、その額は、年々引き上がっていくと言われています。
 いままで扶養で保険料のかからなかったお年寄りからも保険料を徴収する。これが高齢者の方への仕打ちと言わずして何というのでしょうか。
 「意義あり」さんが戦後の発展への誇りを口にされるのなら、それを担ってきた高齢者の方の尊厳を踏みにじる政治に怒りをもつべきです。「そんなに今の政治は悪いですか」などと言っていてはダメなのではないですか?


自分の国を卑下ばかりしないで、いいところも見てみましょう。

 う~ん。誤解されていると思うのですが、私は日本という国を卑下したり、日本人を卑下しているつもりは毛頭ありません。
 私は、今の政治が許せないと思っているだけです。その内容については、ここで書くとまた長くなってしまいますので、このブログの他のページなども見てください。



 以上、長々と書いてきましたが、一応、これで、「意義あり」さんへのお答えとしておきます。
 こんな長いの誰も読んでくれないだろうなあ・・・・。

 「意義あり」さん。
 これへの反論をまたいただいても構わないのですが、少し時間をあけていただくと嬉しいです。それでなくても仕事に追われてPCに向かう時間が減っているのに、これに時間を費やしてしまって、書きたいテーマがいっぱいあるのに書けないのです。


 ということで、何とか書き上げたポチでした。

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2007年6月21日 (木)

「意義あり」さんに答える(1)「家族を守る」

 ポチです。
 ついに、バルセロナは届かず、レアル・マドリードが優勝しました。ガッカリ・・・。
2007061800000005spnavipspoview000_1 ア、すみません。わかる人にしかわからない話でした。スペインサッカーのことです。
 最終戦がおこなわれた月曜日は、朝4時から起き出して、長男クンとテレビを観ていました。ちなみに、長男クンはレアルの応援です。
 途中までは、バルセロナ大量リード、レアルは負けていて、「奇跡の大逆転」ありか!って思っていたのですが・・・・。残念・・・・。

 シーズン中盤までは、バルセロナの圧勝。レアル・マドリードが優勝するなんて思いもよりませんでした。



 さて、今日は、私の2つの記事にいただいたコメントに答えてみようと思います。さて、うまくいきますかどうか。

 6月7日の「なるほど『法令の範囲内』だ!」という記事に対し、「意義あり」さんという方から、次のようなコメントを頂きました。


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あなた達に一言!
自分達の意見が少数意見であることを、少しは認識したらいかがでしょうか?
「野党はあんまり反応しないように思いますが違いますか?」・・・・そのとおり、常識のある野党はこんなことでは騒ぎません。
「国や軍隊(とは言わないのかもしれませんが)が国民を監視する、こんな国は絶対にごめんです。」・・・・自衛隊がテロや暴動に発展するおそれが少しでもあれば、情報収集や調査活動をするのは当たり前でしょうが。
同じような行為でも、監視という言葉を使うと、非常に悪い意味に取れます。
一時期、防犯カメラを悪意を持って「監視カメラ」と呼んでいたメディアもありましたが、今では、「監視」よりも「防犯」の価値が見直されてきているとおりです。
何か起きてからでは遅いのです。
これを危機管理というのです。
それとも共産党は、自分達の主義主張に反する人達の情報収集や調査活動をしていないと思っているのですか?
そんなことも知らずに、批判ばっかり。
そんなに、今の日本や政治が悪いですか?
欠点しか見えないあなた達は、人のあら探しだけをしているのでしょうね。
戦後、敗戦国がここまで豊かに発展したのは、まさに奇跡的なことであり、もっと誇りに思って良いのではないですか?
自分の国を卑下ばかりしないで、いいところも見てみましょう。
人間に対しても同じですよ。
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 それで、そのコメントに対して、私はこういうコメントを入れておきました。



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「意義あり」さん
コメントありがとうございます。
すみません。ご返事が遅くなっています。
新たにエントリーをたててお答えしたいと思っていますので、もうしばらくお待ちください。
それから、違ったらゴメンナサイ。
以前、義家氏の記事に対してコメントいただいた「匿名」さんと、もしかして同じ方ですか?
もし、そうでしたら、せっかく別エントリーを立ててご返事させていただいたものを見て頂いていないような気がします。
「学力と競争――『匿名』さんのコメントに応えて」という5月2日付の記事をご覧いただければ幸いです。
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 このコメントを入れたら、「意義あり」さんから、「学力と競争――『匿名』さんのコメントに応えて」の方の記事に次のようなコメントが寄せられました。

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「匿名」さんです。
私に対するコメントを読ませて頂きました。
私ごときの意見に、長々と、真剣に、コメントしていただき恐縮です。
真剣に考えていることは伝わりましたが、考え方の方向性が私には理解できませんでした。
改悪法?の16条「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」から
『つまり、「国家を唯一の価値の基準とし」「自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想」を教育の中に侵入させるためだと・・・・。』
という結論にたどり着くあたりは、あまりにも飛躍しすぎているのではないでしょうか。
一見、理論的に説明しているように見えますが、無理矢理「軍国主義に戻そうとしている。」という結論に持っていこうとしている・・・いや、持って行ってます。
改悪法なんて言っているのは、衰退著しい日教組と社民党くらいではないのですか?
あなたは、命を懸けて家族を守らないのですか。
国を守るということは、家族を守ることでもあるのですよ。
「命を懸けて国を守ること=軍国主義」ではないのですよ。
不正な侵略に対しては、命を懸けて国を守る、家族を守るのは当たり前のことと思うのですが・・・・あなた方は、このようにいうと、すぐに「戦前・戦中の軍国主義と同じだ!」ととるから困ったものです。
ポチさんは、ゴールデンを飼われているようですが、私もゴールデンを飼っています。
ゴールデンは、おおらかで、無邪気で、わんぱくで、お人好しで、人が大好きで、攻撃的でなく・・・・大好きです。
体が大きくて、じゃれはじめると手に負えないのが玉にキズですが・・・・。
たぶん、この意見には賛同してもらえるんじゃないかな。
そこで、牙を剥かないで、ちょっと視点を変えて、ゴールデンのような目で物事を見てみたらどうでしょう。
ポチさんは、心配症なのか、話が飛躍しすぎのような気がします。
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 ということです。



 さて、「意義あり」さん、エ~ッと、「匿名」さん・・・・・。
 どうでもいいですけど、この際、名前は統一していただくとやりやすいのですが・・・。ここでは、「意義あり」さんということでお呼びすることにします。


 意義ありさんのコメントで、心から同意できたのはコレ。

ゴールデンは、おおらかで、無邪気で、わんぱくで、お人好しで、人が大好きで、攻撃的でなく・・・・大好きです。
体が大きくて、じゃれはじめると手に負えないのが玉にキズですが・・・・。


 まったくそのとおりですね、意義ありさん。
 本当に、人間が大好きなんですね。我が家の癒し系存在です。
 そして、じゃれて飛び掛ってきて、押し倒されて、何度メガネをグチャグチャにされたことか・・・・。


 でも、これ以外は、同意するのはなかなか困難でした。
 それでは、一つ一つ考えていきましょう(順不同です)。

 まず、お答えしていく上で、テーマをいくつか決めたいと思います。
 1つは、「家族を守る」という問題です。
 2つめは、「危機管理」の問題
 3つめに、その他の問題
とします。



 今日は、とりあえず、1つめの点です。

 どうやら、意義ありさんに言わせれば、私は「家族を守ろうとしていない」存在ということになるようですが、とんでもありません。
 意義ありさんに負けずとも劣らず、私も「命がけで家族を守」りたいと強く思っています。

 ただ大きく異なるのは、家族を何からどう守るのか、という点です。

 意義ありさんの見解によると、家族を守るということの前提は、国を守るということで、それは「不正の侵略から国を守る」ということに集約されていくようです。
 この点で、2つのことを言わせてください。

 1つは、「家族を守る」ということは、そんな単純なものでしょうか?ということです。
 もし、仮に「不正の侵略」があれば、それと対決しなければならないことは当然だと思います。
 しかし、家族を守るということがイコール国を守るということで、それは不正な侵略に備えることだというのはあまりにも短絡な思考だと思うのですが・・・。
 いつ起こるかもしれない、起こらないかもしれない「不正の侵略」に備えるより以前に、今実際に起こっている家族を苦しめる問題への対処こそが、家族の一員として、夫として、父親として、そして息子として、私に求められています。
 長時間労働と低賃金のなかでどう家族を守っていくのか。そしてリストラへの恐怖。住民税の大幅増、社会保険料や介護保険料の増額。ギリギリの暮らしの中で、もし、私が病気にでもなったら、我が家は一発でアウトです。必死になって、家族を守るために、私は日々、たたかっています。

 この点では、意義ありさんの次の言葉が印象的です。

そんなに、今の日本や政治が悪いですか?

 意義ありさんは、ひょっとして自民党の代議士さんか、どこかの大企業の社長さんか、アメリカ大使館の方か、もしくは、それらに準ずる方でしょうか?
 そうであれば、これ以上、何かを言う必要もありません。しかし、そうでなく、いわゆる「庶民」と呼ばれる階層の方なのであれば、この言葉には、ただただ唖然とするばかりです。

 逆にお聞きします。今の日本の政治はいいですか?

 いろんな世論調査がおこなわれていますが、どの世論調査も内閣支持率は3割台。客観的に言って、自民党を支持されておられる方も含めて多くの国民は今の政治がいいとは思っていないことは確実でしょう。
 それには、やはり根拠があります。
 貧困と格差が日本社会を覆っています。それらは、自然現象ではありません。「構造改革」という名前で、新自由主義路線が日本社会に導入されてきた結果です。大企業は、リストラする自由を与えられ、低賃金でいつでもクビを切れる非正規雇用の若者を働かせる自由を手に入れ、そのうえさらに毎年毎年の企業減税の恩恵を受け、わが世の春を謳歌しています。
 そのしわ寄せを一身に受けているのが庶民です。働いても働いてもまともに生活できるだけの収入を得られず(いわゆるワーキングプアというヤツです)、ありとあらゆる高負担を強いられている現実は、間違いなく政治の責任です。

 もし、意義ありさんがいわゆる「庶民」と呼ばれる階層であって、それでも、今の政治の現実に何の矛盾も感じられないと言われるのであれば、あなたに家族を守ることなんかできるんだろうかと、率直に疑問をもってしまいます。

 意義ありさんは、「家族を守ること」イコール「国を守ること」とおっしゃいますが、家族を守るために「国(の悪政)とたたかわなければならない」こともある、いや、むしろその方が多いというのが私の意見です。

 ちなみに、それは、牙をむいているということではありません。むしろ、まるでドーベルマンのように(この例えはドーベルマンに申し訳ないかな)国民に牙をむいているのは政府の方です。私たちは、せいぜい鼠。「窮鼠猫を噛む」っていうところでしょうか。ゴールデンだって、本気で怒ったら牙を抜くでしょ。


 この点で、2つめに言いたいのは、「不正の侵略」から家族を守る道はどこにあるのか、という問題です。
 どうも、意義ありさんのコメントからうかがえるのは、「お国のために命をささげるようになる教育が必要だ」という西村議員さんの意見の賛同されているようです。
 その根拠になっているキーワードが「家族」です。つまり、「お国のために命を捧げることは家族を守ることにもなるんだ」ということでしょう。

 しかし、「お国のために命を捧げる」ことが本当に家族を守ることになるでしょうか?
 戦争は家族を不幸にしてきた、これが歴史の事実です。

 もちろん、「不正の侵略」が起こる可能性は否定できません。しかし、力に対し力をという発想がどういう事態になるのかは、イラクの現実がそれを如実に示しています。
 「泥沼」。・・・それ以外の言葉は見当たらないでしょう。多くの家族が犠牲になりました。イラクの人もアメリカの人も・・・。

 何が必要なのかといえば、軍事力や「お国のために命を捧げる教育」なんかではなく、「不正の侵略」をおこさせない外交の努力ではないでしょうか。
 世界は、大きく動いています。 いまや、世界の国々の大勢は、「外交こそが最大の安全保障」という考えに立っています。軍事力にものを言わせる安全保障が無力であるという認識が広がっているからです。
 ですから、世界の軍事同盟は今、解消ないしは空洞化の方向に大きくすすんでいます。アジアにあったSEATO(東南アジア条約機構)という軍事同盟はすでになくなりました。中南米にある米州相互援助条約(リオ条約)は脱退が相次いでいます。そして、ヨーロッパでは、あの北大西洋条約機構(NATO)でさえ、イラク戦争を機に機能をしなくなっていると言われているのです。
 日本の国の中にいるとなかなかわかりませんが、いまや、軍事力による「安全保障」という考えに固執している国は、世界でもアメリカと北朝鮮と日本くらいじゃないでしょうか。

 同時に、この点で、もう一言っとくと、「お国のために命を捧げよ」って言ったり、「集団的自衛権の行使を」と言ったりしているのは、「国を守る」ためや「家族を守る」ためだとは、とうてい思えません。
 じゃあ何のため?
 「アメリカのため」なんじゃないでしょうか。


 途中ですみません。次回に続きます。

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2007年3月 3日 (土)

国旗国歌への「敬意」について考えてみた

 ポチです。
 時間がなくて、なかなか更新できません。ちょっとの空き時間を利用し、いろんな方のブログを訪問し、コメントを書くことで紛らわしていました。
 今朝、何とか更新をと思って早起きしたのですが、つい他の方のブログをあちこち訪問してたら時間がなくなって、更新をあきらめました。
 いまは、入っていた仕事が思ったより早く終わったので、空き時間に急いで書いています。



 ということで本題です。
 最近、あちこちのブログで話題になっているのが、最高裁による「君が代」ピアノ伴奏職務命令は合憲との判決が出た問題です。様々なブログでいろんな立場から論じられて、コメントも多数入れられています。
 ある方のブログにこんな内容のコメントがありました。

「国旗国歌に敬意を示すのは万国共通の国民のマナーだ」

それからこんなのも・・・

「どこの国にも国旗や国歌があり、国があり国家が有る限りこれを、尊ぶのが当たり前だ。歌詞が気に入らないとか好き勝手に言い出したら国はなりたたない。自らの信念で国歌を歌いたくなければ学校を辞職をすればすむ。どこに行っても、すべての自由は与えられない」(要約してます)

 共通した面をもっているコメントだと思います。

 たぶん、超一般論から言えば、これらの意見は大筋では間違っていないのだと思います。国旗国歌に敬意を示せるし、尊べるのならそれに越したことはないという点で。

 そのうえで、これらのコメントに対して思うのは、3つくらいの点です。

 一つは、敬意を示せない「根拠」があるということです。
 さっきも書いたとおり、国旗国歌に敬意を示せるのならそれに越したことはありません。しかし、残念ながら、今の「日の丸」と「君が代」には、自分は敬意を示せないし、かなりの数(それを多いと見るのか少ないと見るのかは立場によって変わるでしょうが)の国民が敬意を表せずにいると思います。それは、根拠があるからです。

 「君が代」の歌詞のもとは、「古今和歌集」に「詠み人知らず」として収録されている古歌の一つだそうです。もともとは、自分の家の長老の長寿を祝った歌だったということです。
 それが、明治時代になって、「オッ、いいのが古今和歌集にあった。これを使おう」って言ったかどうかは知りませんが、いつのまにか「天皇の統治をたたえる歌」にされてしまったわけです。
 自分もそうですが、歌詞の意味もわからずに子どもたちは歌うものです。何かで読んだんですが、ある調査で、「『いわおとなりて』の意味は?」って聞いたら、かなりの人が「岩の音がうるさいという意味だ」と答えたそうです。ですから、なにげなく意味もわからず、「君が代は千代に八千代に」って歌うわけですが、それはつまり「天皇統治は永久であれ」という意味なわけですから、当然、いまの憲法の国民主権の原則とは相反することになります。
 そして、最大の問題は、この「君が代」、つまり「天皇統治」のために、日本が中国をはじめアジア諸国を侵略していったことです。
 もちろん、「あれは正義の戦争だった」という人もいます。その人は、この点には同意できないでしょう。でも、そういう人も、「あれは、侵略戦争だった」と思っている人がかなりいることは認めざるを得ないでしょう。で、そういう人は、やはり「君が代」には敬意は払えないのです。

 二つ目は、「敬意の押し付けはゴメンダ」ということです。
 「敬意」というのは、辞書を引くと「相手を尊敬する気持ち」とあります。つまり、自分の気持ちであり、自分の意思であり、自分の心の中の問題です。そして、自分がその相手に対して「敬意」を持つことができるとしたら、それは、その相手が、自分が「敬意」をもつにふさわしい人物だと思えたからに他なりません。
 「ウワ~、ヤなヤツ!」としかどうしても思えない人物なのに、その人物について、他者から「敬意を持つべきだ」などと言われても困ってしまいます。けっして、「敬意」をもつことを押し付けたからといって、尊敬を集める存在にはなりえないでしょう。「敬意」ということは、あくまでも「示す」側の意志であって、「示される」側の存在ではないということです。

 ですから、各国の学校現場での国旗国歌の扱いも、けっして「敬意」をおしつけるものにはなっていないようです。
◆アメリカ=連邦政府として公立学校での国旗掲揚、国歌斉唱などについていっさい関与していません。合衆国法典第36編第10章第174条「掲示の時と機会」の中に「授業の期間、学校に掲揚すべし」とありますが、罰則などの強制力はないそうです。
◆イギリス=国旗国歌にかんする法律はありません。ですから、政府には学校行事で国歌斉唱、国旗掲揚を指導する権限はありません。一般に入学式や卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱をおこなわないのではないかとも言われています。
◆カナダ=教育についての権限は州にあるため、連邦政府には学校での国旗国歌の扱いを指導する権限はないようです。
◆ドイツ=学校行事で国旗掲揚、国歌斉唱の義務はないそうです。ましてや、拒否して罰せられることもありません。
◆フランス=学校行事でも音楽の授業でも国歌を歌うことを強制することはなく、音楽教師の自由意思に任されているそうです。

 1942年、米国ウェストバージニア州で「バーネット事件」というのがおきました。
 州の教育委員会が、公立学校で生徒に国旗敬礼行事への参加を義務づける実施規則を決めたのです。違反者には退学処分を含む罰が加えられるというものでした。
 これにたいしバーネット家の子どもたちが宗教上の理由から敬礼行事に参加せず、罰を受けました。バーネットさんは、「個人の自由を侵すもの」として提訴しました。
 連邦最高裁は翌年、言論の自由を保障した合衆国憲法に、教育委員会の規則が違反しているとの判決を下しました。
 判決は、結論部分で次のようにのべています。
 「もし憲法の星座に恒星があるとすれば、地位の高低を問わずいかなる公務員も政治、民族主義、宗教その他の意見においてなにが正統であるかを規定したり、市民にみずからの信条を言葉や行動で告白するよう強制することはできないということである。
 星条旗に敬礼や忠誠を強制するという地方当局の行為は、憲法で定められた地方当局の権限の限度を超えており、あらゆる公的な統制から留保されるべき合衆国憲法修正第一条の目的である知性と精神の領域を侵している」

 そして、三つ目に、一点目と二点目の結論になるんですが、やはり守るべきは人権だということです。
 どこかの国の文部科学大臣に言わせると、人権っていうのはバターのようなものだそうですが、この思想、つまり、「人権というものは時の政府の思惑によって制限されるべきだ」という思想が、先に紹介したコメントの方たちの底辺にも流れているような気がするのです。
 問題は、天皇が好きか嫌いかでも、「君が代」や「日の丸」が好きか嫌いかということでもありません。社会的規範に反しない限り、自分の信条・信念に従って生きていく権利を人間はもっています。
 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」というブログの「これは成功なのでしょうか、失敗なのでしょうか?(君が代伴奏命令裁判の最高裁判決に思うこと)」という記事に寄せられた「耕太郎」さんという方のコメントに、こういうのがありました。(村野瀬さん、耕太郎さん、すみません。勝手に引用させていただきます。村野瀬さんには、あとで連絡を入れます)

 自分が音楽教師だったら、「君が代斉唱時に、それを妨げることなく静かに着席している自由が教員にも生徒にも認められている状況」でピアノ伴奏をすることと、そうではなくて、「君が代斉唱時に監視され、歌わない者も起立しない者も、たった一人たりとも居てはならないとされる状況」で伴奏をすることの間には大きな違いがあると思います。
 前者なら「君が代を斉唱したい人々の権利のために」伴奏することができても、後者ならその苦痛は、それこそ教員を辞めざるを得ないような、堪え難いものとなる。そんな感覚を持つ人もいると思います。
(もちろん、日の丸君が代そのものに反対する人も。)
 その意味では、上の藤田裁判官の意見は非常にもっともであると思います。
 私は日の丸・君が代に違和感を覚えずに育ってきたのですが、一切の例外を認めない東京都のやり方を知るにつれて(初めて知った時はかなりのショックでした、「憲法違反」の一言でお終いにならないことが不思議でならなかったです)、国旗国歌そのものに嫌悪感を抱くようになってしまいました。
 どんなに素晴らしい結婚相手でも、予め結婚することが親等によって決められていたならば、なかなか真に愛することができないのと同じことだと思っています。
 この問題は単に「日の丸君が代の強制に賛成か、反対か」というだけではなく、人間存在そのものに関わるような問題だと感じています。

(*「藤田裁判官」というのは、ピアノ伴奏強制裁判の際、5人の裁判官のうち、ただ一人強制に批判的意見をのべた裁判官です=ポチ)

 「なるほどな~」っと深く感動してしまいました。本当にそういうことだと思います。

 ということで、仕事を犠牲にして、久しぶりに真剣に書いてみたポチでした。

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