浜田省吾

2008年6月20日 (金)

SHOGO's Words No.23 「紫陽花のうた」

 ポチです。
 昨日から、九州北部が大雨になっています。
 この時期の雨は、昔から多くない雨量の雨が長く続くということになっているそうです。「五月雨(さみだれ)」という言葉はここからきているということを昨日TVで知って、「なるほど」と感心してしまいました。ところが、通常、梅雨の最後の時期におこる短時間の集中豪雨が、この時期に降るというのは地球温暖化の影響だと専門家の方が言われていました。
 今日は、山口県も100ミリをこえる雨が降るということで、陰鬱な気分になっています。



 さて、久々に、浜田省吾です。
 なぜ、こんなに浜田省吾カテゴリーが書けなかったかというと、以前、「SHOGO's Word」で「いつかもうすぐ」を取り上げた時、ぱっくすさんという方からコメントをいただいて、

趣旨はわかりますが、歌詞の掲載は浜田省吾さんの著作権を侵害しています

 と指摘されたことです。
 歌詞の掲載が著作権を侵害しているなどと思ってもみなかったので、ちょっとショックをうけました。いろいろ調べてみましたが、やっぱり、ご指摘のとおりのようです。「引用なら許される」ということらしいですが、「引用」とはどの範囲なのかなど様々な見解はあるようなのですが、全文掲載そのものは問題があるようです。

 で、浜田さんの歌詞の紹介をメインの動機の一つにしている「A PLACE IN THE SUN」としては、ホントに行き詰ってしまいます。

 何かいい方法はないのか?

 とあれこれ考えました。
 それで、とりあえず、歌詞の掲載されているページのリンクとそのページのキャプチャー画像の貼り付けという方法をとってみることにしました。

 これで、著作権はどうなんでしょうか?
 よくわかりません。


 で、どの曲かというと、今の季節にふさわしく「紫陽花のうた」です。
 1996年11月にリリースされた20枚目のアルバム「青空の扉」に収められた曲です。その後、2003年9月に発売されたアルバム「初秋」にも収録されました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾 「♪紫陽花のうた」です。


紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽
紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

3_2

 ということで、久々の浜田省吾でした。
 それでは、また。






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2008年2月 7日 (木)

岩国の闘いに思いを馳せて--SHOGO's Words No.22 「いつかもうすぐ」

 ポチです。
 寒い日が続いていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。


 先日、岩国市在住のHitoming♪さんから次のようなコメントをいただきました。

岩国にあった反戦喫茶「ほびっと」のウエイトレスのことを歌った「いつかもうすぐ」という曲、きいたことないのできいてみたいです。わたりさんにもちらっとメールで提案したことあるんですが、「ほびっと」を一日だけでも再現(復活)させてみたら面白いでしょうに。夢のような話ですが、こっそり浜田さんにも来て頂いてですね♪ 「ほびっと」が解体されずに現存していたら、これはものすごい文化的(歴史的)価値のあるものになっていたのではないでしょうか。とっても残念です。

 Hitoming♪さんには、「次のSHOGO's Wordsは『いつかもうすぐ』にしますよ」とコメントを返したのはいいのですが、市長選挙も始まるし、体調もよくないし、仕事も山積みだしで、なかなかリクエストにお応えできませんでした。
 なんとか岩国市長選挙が終わるまでにはとあせっていましたが、もう今日しかないと思い、早起きして書いています。


 ということで、今日は、岩国市長選の大激戦に思いを馳せながら、浜田さんの「いつかもうすぐ」という歌を紹介します。


 1979年12月に出された5枚目のアルバム「君が人生のとき・・・」に収録された曲です。
 浜田さんの歌にはめずらしく、他の人の作曲です。
 作曲は、イアン・タイソンという人で、原曲はイアン&シルビアというグループが歌った「Someday Soon」という曲です。
 浜田さんは、ジュディ・コリンズが歌ったバージョンのこの曲が好きで、あるインタビューでは、「エンドレステープに録音して聞いていた」と話しているほどです。それで、自分で歌いたくて日本の詞を自分でつけたそうです。
 浜田さんがDJをやっていた番組では、この曲について次のように話しています。

 「ふとしたきっかけ、車の中でこの曲を聴いて、ずっと何という曲だろうと捜し続けてやっと誰の曲かわかって、レコードを捜しまくって、買って、一日に20回くらい聴いて、英語で歌詞を覚えて、それでも飽きたらず、自分で日本語の歌詞をつけて、ステージでも唄っている歌で、21の男の子がコロラドからやってきて、自分を・・・女の娘が歌う歌なんだけど・・・自分をカリフォルニアに連れてってくれ、一緒にいこう、パパやママが反対するけど・・・っていう、可愛い歌なんです」
 

 調べてみたら、最近のツアーでは、「ON THE ROAD 2006-2007」の昨年11月の横須賀芸術劇場でのコンサートで、浜田さんはこの歌を歌ったようです。
 最近のコンサートで、この歌はあまり聴かないと思うのですが、やはり、横須賀といえば米軍基地。同じ米軍基地のある岩国を歌ったこの歌を取り上げたのでしょう。
 そのときのコンサートで、浜田さんは概ね次のように話したそうです。

 「大学時代(神奈川大学)、横須賀に遊びに来たことがあります。予備校生の時は、岩国の米軍基地のそばに住んでいたから、横須賀は馴染みのある場所です。当時は、ベトナム戦争が終る少し前くらいで、岩国はすさんでいました。アメリカの若者は、当時はまだ徴兵制で、無理やり戦場に行かされていたんです。だから岩国には、脱走する若い兵隊もいて、そんな兵隊さんたちを匿ってくれるカフェがあったんです。そのカフェに知り合いの女の子が働いていました。俺が18歳で、その女の子が17歳でした。反戦デモにもいっしょに参加していました」

 そして、この曲を弾き語りで歌ったそうです。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾で、「いつかもうすぐ」です。



           いつかもうすぐ

Shogo18あの娘は
  米軍キャンプの傍にある
小さな店で働いてた
僕らは約束した
  この町出ようねと
いつか もうすぐ

あの頃は 僕はまだ18で
望めば すべてが叶うと信じてた
あの娘の あれた手を見る度 呟いた
いつか もうすぐ

どうして 僕を待ってくれなかったの
こうして 今 迎えに来たのに

あの娘は青い目の若い兵隊と
五月に行っちまった カリフォルニア
今でも この町で 一人呟いてる
いつか もうすぐ






 さあ、岩国市長選の投票日まで、今日を入れてもあと3日。
 今日から2日間、休みを取りました。
 これから、岩国に行きます。

 もし可能なら、現地の様子をまたお伝えします。
 では、また。




 

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2008年1月22日 (火)

「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」井原さんへの応援歌--SHOGO's Words No.21 「家路」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりました。
 今日は冷たい雨も降りました。
 仕事に追われ、私の体調もすぐれません。みなさん、お元気でしょうか?


 さて、岩国は市長選挙の投票日まで20日を切りました。
 激しい選挙戦がたたかわれているようです。
 カギは、「市民騙し」の手法に徹する移転容認派が流す事実とはかけ離れた宣伝を打ち破れるのかどうかにかかっていると思います。

 私自身、これまで、何ができるのかと悩んでいました。
 そんな時、前回の記事に、現地でがんばっておられるわたしよりひろさんから次のようなコメントをいただきました。

ポチさまお世話になります。
今晩の井原のミニ集会で『移転容認派の「騙し」の戦術』
の内容からお話しさせていただきました。
無断借用ですが、井原前市長の応援弁士として頑張ってきましたので、どうかお許しを…

 きっと、わたりさんは、ご自分のお考えをお話しされたのであり、私の記事の内容と少しばかり共通点があっただけなのだとは思います。それでも、そんな風に言われると「自分も少しは岩国市長選挙のたたかいに参加している」という実感がわいてきます。
 わたりさん、ありがとうございました。



 さて、今年になって、「浜田省吾カテゴリー」を一つも書いていないことに気がつきました。しかし、岩国市長選挙も大詰めです。そこで、井原さんの応援歌として、浜田さんの歌を紹介することにしました。



 もちろん、井原さんには、彼を支える多くの仲間がいます。
 しかし、彼は、一人で国と対峙し、議会では容認派と対決しなければなりません。
 道標もない道に一人たたずんでいるかのような耐え難い孤独を感じられることもあるのではないでしょうか。引き裂かれるような思いをされることもあるかもしれません。
 これまで支えてくれた人が去っていったこともあるでしょう。
 そして、市民の安全と暮らしを一身に背負い、疲れ切っておられるかもしれません。
 だけど、井原さんには、それがどんなに困難でも、どんなに遠い道のりでも、たどり着いてほしいのです。「自らの知恵と勇気でまちを切り拓」く岩国、「民主主義と自治」が守られた明日の岩国に(括弧内は井原さんの「訴え」より)。

 そんな激励の思いを込め、1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でおこなわれた彼の野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」の時の、浜田さんの言葉とともに、私の大好きなこの歌詞と歌を井原さんに贈ります。

 浜田省吾「家路」です。


 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
    (「A PLACE IN THE SUN・海ノ中道」でのMCより)




       「家路」

Shogo17_2青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を
    導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの
      やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ
      迷いの中さまよう


そして孤独なエゴは 愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

Shogo16_2どんなに遠くても
    たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ

青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ








 

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2007年12月31日 (月)

2007年のお別れに--SHOGO's Words No.20「ラストダンス」

 ポチです。
 いよいよ2007年も最後の一日です。
 昨日に引き続いて、今日も寒い一日になっています。北陸のほうは大雪だと伝えられています。ここ宇部市でも、朝、少しだけ雪が降っていました。



 今年は、大激動の年でした。参院選での自民党の大敗北や岩国での艦載機移転を許さない市民のたたかいなどなど・・・・。
 来年は、解散・総選挙があると言われています。そして、そして、2月には岩国市長選挙です。今年以上の大激動の年になるのではないかと予感させます。
 そして、本当に道理も正義もないめちゃくちゃなことがまかり通るような日本が終わりを告げる転機の年になった、あとで振り返って、そう言われるような一年にしたいものだと思います。




 一年の最後をどう締めくくるか悩んだのですが、やはり私らしく、浜田省吾でいきたいと思います。
 浜田さんが、コンサートの最後にうたう歌です。
 「ON THE ROAD 2006-2007」の時は、2度にわたるアンコールの最後がこの歌でした。「ON THE ROAD 2005」はアリーナツアー(1万人から2万人のコンサート)で2会場に行きました。広島グリーンアリーナの最後の曲は「MIDNIGHT BLUE TRAIN」でしたが、大阪城ホールの時はこの曲でした。1万人以上の大合唱でした。

 1977年にリリースされた2枚目のアルバム「LOVE TRAIN」に収録された曲です。そして、06年に出された27枚目のアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.2」の最後の曲です。
 「vol.1」も含めて、このベスト盤の他のすべての曲がスタジオ録音であるのに対して、この曲だけがライブ音源です。「ON THE ROAD 2005 My First Love」のツアー最終日、12月11日のさいたまスーパーアリーナでの公演を音源にしています。もちろん、アンコールの最後の曲、つまり、「ON THE ROAD 2005」の最後の曲でした。
 これを聞くと、大阪城ホールで生で聞いた浜田さんの歌声と集まった1万人の歌声が蘇ります。


 それでは、今年最後の「SHOGO's Words」。
 「ラストダンス」です。



        「ラストダンス」

Shogo13_2
キャンドル揺れる 横顔
グラスに落とす 
    かすかな ため息
二人で 靴が すりへる程
歩いた この都会 
      今夜は寂しそう

もう一度 踊っておくれ
          このままで
もう一度 口づけおくれ
          このままで

「もう一度 やり直せたら・・・」
馬鹿だぜ そんな話は
          もう止めよう
僕が 僕である限り
何度 やっても 同じことの繰り返し

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで

ライトに浮かぶ ふたつの影
悲しげな眼差し 苦しげな あえぎ声
言葉は もう何も 伝えない
寒い程の 寂しさも むなしさも

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで



         



 それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。




 

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2007年12月24日 (月)

SHOGO's Words No.19「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりましたが、みなさん、お変わりありませんでしょうか?
 今年もあと8日。今年も一年短かったなあ・・・・。


 今、午前5時です。クラシコが終わりました。
 バルサ 0-1 レアル・マドリー
 ・・・ガッカリ。
 まったくバルサらしくない試合でした。


 気を取り直して・・・・。
 
 ということで、今夜はクリスマスイブです。
 と言っても、私にはなんの変哲もないただの月曜日。振り替え休日であろうがなんであろうが関係ありません。まもなく仕事に出発します。
 カミさんが生協にケーキを頼んでいましたから、今夜はカミさんと子どもたちはクリスマスケーキを食べるのかもしれませんが、これも私には関係ありません。どうも甘いものが苦手で、ケーキだとか饅頭だとかは、見ただけで鳥肌がたって気分が悪くなります。
 でも、まあしかし、クリスマスイブなのだからして、それなりの更新をしておきます。

 浜田さんからクリスマスカードが届きました。

Card

 もちろん、私が浜田さんと個人的に親しくて、カードを送っていただいたということではありません。浜田さんのメールマガジンに登録しておけば、誰にでも自動的に送ってきてくれるものです。
 浜田さんのファンのブログには、今日はいっせいにこの写真が登場することでしょう。

 で、やはり今日の歌は、これしかないでしょう。
 浜田さんの13枚目のアルバム「CLUB SURF & SNOW BOUND」(87年6月)の1曲。その後、15枚目のアルバム「Wested Tears」(89年9月)にアレンジを変えて収められました。また、最新のアルバム「The Best of SHOGO HAMADA Vol.2」(06年8月)にも収められています。

 クリスマスソングというと、山下達郎の「クリスマス・イブ」が有名ですね。今年はスズキ自動車のCMで流れています。
 山下さんの歌も好きで、CDも持っていますが、浜田さんのこの歌も捨てがたいと思っているのですが・・・。

 ちなみに、私は、オリジナルより、「Wested Tears」に収録されたアレンジの方がお気に入りです(浜田さんのファンのブログなどを見ると、逆の意見のほうが多いようです)。
 で、今日は「Wested Tears」の方の曲をリンクしておきました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」です。

   

 MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ

あの娘乗せた翼 Shogo8
夜空へ消えてく

空港の駐車場 
もう人影もない
“行くな”と引き止めれば 
今頃二人
高速を都心へと 
走っていたはず

失くしたものが あまりに
大きすぎて 痛みを
感じることさえも 
出来ないままさ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

妹と暮らすつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きてゆけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ

形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会の灯りが遠ざかる

降り出した みぞれまじりの
雨が雪に変わってゆく
誰も皆 愛する人の
待つ場所へと 帰ってゆく

ポケットの中 あの娘に贈ろうとした Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない 何ひとつ




 それでは、すてきなクリスマスイブの夜をお過ごしください。



 

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2007年12月13日 (木)

祝!ブログ開設1周年

 ポチです。
 橋下さんのその後、マスゾエさんのトンデモ発言など、ウソみたいなホントの話が巷を騒がしていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。
 

 という問題は、後日書くことにします。というのも、今日は、このブログを始めてちょうど1年目の記念日なのです。

 「ブログと言うものがあるそうな」と聞いて、なんのことかよくわからずに、「まあ、とにかくやってみるべ」と始めたのが去年の12月13日です。
 最初のうちは、何を書いていいかわからず、無駄に紙面(?)を汚しているだけという感じでした(今もたいして変わらんけど)。
 当時から超有名だったきっこさんのブログを読んで、ああ、こんなふうに書くもんなんだと一人合点したりしていました。


 この1年に、今日のも含めて、120本の記事を書きました。仕事に追われて、ブログにまったく近づけない時期も何度かありましたが、平均するとほぼ3日に1つという割合なので、けっこうがんばったのかな、とも思います。

 自分で書くだけでなく、他の方のブログにも頻繁にお伺いするようになりました。温かい気持ちにさせていただけるブログ、鋭い問題提起をして考えさせていただけるブログ、読んでいて楽しくなるブログ。
 こうした多くの方々との交流もはじまりました。
 私は、自分がブログを開設していることを、友人・知人、家族にも話していません。この1年間に、多くのコメントやトラックバックをいただきましたが、すべて、このブログを通じての新しい友人のみなさんたちです。
 自分で書くこと以上に、こうしたみなさんとの交流がブログの楽しみなのだなあとあらためて実感しています。
 これからもよろしくお願いします。


 さて、なぜ、ブログのタイトルを「A PLACE IN THE SUN」としかたというと、浜田省吾のことを書きたいけど、それだけではなく、自分の考えていることや身の回りにある問題や日本の社会や政治の腹立たしいことについても書きたいから、「浜田省吾」と露骨にわかるタイトルにはしたくなかったのです。
 それで、「浜田省吾好き」の人にはわかるけど、そうではない人には普通の言葉であるようなタイトルにしたいと思いました。
 そして、この「A PLACE IN THE SUN」という曲の歌詞が、私が書こうとしていること、浜田省吾であったり、日常生活のことであったり、そして社会の矛盾であったりがすべて包括されているような気がしたのです。
 さらに、なにより、この曲は、社会の矛盾を乗り越え、一生懸命生きている多くの人への「応援歌」です。そう考えたときに、ブログタイトルを「A PLACE IN THE SUN」に決めました。


 浜田省吾と「A PLACE IN THE SUN」について少し書きます。
 これまでにも書いたことがありますが、浜田省吾の「Hello Rock and Roll City」という曲の歌詞の中に、こういう一節があります。

  「TICKET TO RIDE」、初めて買ったレコード
  「A PLACE IN THE SUN」、初めて歌ったRhythm and Blues


 「TICKET TO RIDE」というのは、もちろん、ビートルズのナンバーです。そして、「A PLACE IN THE SUN」は、スティービー・ワンダーが歌ってヒットした名曲です。
 本当に、浜田が初めて買ったレコードが「TICKET TO RIDE」で、初めて歌ったR&Bが「A PLACE IN THE SUN」だったのかどうかは知りませんが、そう歌うからには、かなりお気に入りの曲で、影響を受けた曲であることだけは確かだと思います。


 そして、浜田は、初めての野外コンサートに「A PLACE IN THE SUN」と名づけます。1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でそれはおこなわれました。おりしも、台風が接近し、鹿児島県は暴風雨圏内に入っていたそうです。

 その時の、浜田のMCを紹介します。

 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
                      (「Complete Shogo Hamada」より)


Shogo11
「A PLACE IN THE SUN“海ノ中道”」(83年8月)のコンサート風景です

 その後、「A PLACE IN THE SUN」と名づけられたコンサートは、84年4月29日の横浜スタジアム、88年8月20日の渚園(静岡県の浜名湖畔)の2度おこなわれます。
 その後も何度か浜田は野外コンサートをおこないますが、「A PLACE IN THE SUN」というタイトルはつけられていません。

 そして、1996年に出された19枚目のアルバム「ROAD OUT "TRACKS"」の1曲目でこの曲を歌っています。
 また、先日終了したコンサートツアー「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n'Roll」のオープニング曲も「A PLACE IN THE SUN」でした。


 それでは、「A PLACE IN THE SUN」の素晴らしい歌詞をどうぞ。




      A PLACE IN THE SUN

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on

Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run

There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

  太陽のあたる場所

一本の長くて孤独な川のように
僕は夢に向かって走りつづけている
立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように
僕は自由を求めて手を伸ばし続けている
もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように
僕は重荷にうんざりしている
でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように
生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ
ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって太陽のあたる場所はかならずあるから
そいつは誰にでも希望がある場所で
僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ
そうさ、太陽のあたる場所はかならずある
命がつきてしまう前に
太陽のあたる場所を見付けよう


 一周年を記念して、デザインを変えてみました。
 今までの写真は、出来合いのものを利用していたのですが、今回は、自分で撮った写真です。宇部市のお隣の山陽小野田市にある竜王山の山頂で撮りました。

 

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2007年11月28日 (水)

「ON THE ROAD 2006-2007」が終わって--SHOGO's Words No.18「路地裏の少年」

 ポチです。
 年末、年度末に向けて、仕事の増え方はさらに加速してきています。
 その忙しさを振り切って、母親の体調不良をダシにして、仕事をさぼり、先日、山口市で開かれた中村哲さんの講演会に行ってきました。そのすさまじい仕事振りと、そんなことは微塵も感じさせない素朴な風体に心底感動してきました。
 で、その報告を書いている時間は今日はないので、後日、書くことにします。


 で、今日のテーマは、浜田省吾です。
 昨日、山形県の酒田市でのコンサートがおこなわれ、「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n Roll」ツアーが終了しました。
 2006年9月15日、千葉から始まったこのツアーは、2006年に20会場28ステージ、2007年春には23会場35ステージ、2007年秋には14会場20ステージ、合計83回のコンサートがおこなわれました。

Middle_1196171711
 酒田でのコンサート終了後、まだ会場を出る準備はできていないけれど、「出待ち」をするファンに、浜田さんは、「外で待っている方に長く待たせるのは良くないよね」と、出てきて最後の挨拶をしたそうです。
 「今日は寒いし、ずっと待っていると風邪を引いてしまうので、ここでお別れにしましょう。本当にありがとう!おやすみ!」
(写真と文章は、ツアー公式ブログからお借りしました)



 浜田省吾は、「もっともチケットのとりにくい歌手の一人」だと言われています。半端じゃない数のコンサートをおこないますが、すべての会場は常にソールドアウト。
 一般発売に至っては、「午前10時から電話受付開始」などとなっていますが、10時ジャストからかけ始めても電話は話し中ばかり、30分後につながったと思ったら、「完売しました」。私は、一度、この一般発売に挑戦して以降、先行予約の抽選に外れたら、あきらめることにしました。
 今回のツアーも、私は、大阪から西の会場のコンサートほとんどすべてに先行予約を申し込みましたが、当たったのは、2006年10月の山口県周南市のコンサートだけ。あとはすべてはずれてしまいました。
 とくに、今回は、「ホールツアー」(2000人から3000人程度のホールばかりでのコンサート)だったので、とくにとりにくかったのだと思います。「ON THE ROAD 2005」は、「アリーナツアー」(1万人から2万人以上入るアリーナばかりでのコンサート)でしたが、大阪城ホールと広島グリーンアリーナの2会場で浜田さんのステージを満喫しました。

 マスコミにほとんど露出しないで、なぜこれだけの集客力をもつことができるのでしょうか。
 私もそうですが、ファンが一過性じゃない、ということは大きいと思います。ほんどのファンは浜田さんの歌を本当に好きなんじゃないかな。もちろん、メロディも彼の声も重要な要素ですが、やはり、彼の歌の歌詞です。
 前にも書いたのですが、彼のコンサートやレコーディングでサキソフォンを吹いている古村敏比古さんが、浜田さんの歌詞のことを話しています。以前、書いたときはうろ覚えだったのですが、サイトを見つけましたので紹介します。

http://www.moment.gr.jp/42/interview.html


 該当の部分を引用しておきます。


4243_furumura_still_1 古村:うん。それで、(中村)雅俊さんのツアーを首になって、ぼーっとしてるところに、浜田さんの話が来て、それが82年の終わりぐらいだったかな。

T:最初はどういう感じのアプローチだったんですか。

古村:いや、うーんと、(竹内)まりやさんのところで舞台監督やってた人が、浜田さんの舞台監督で。今もやってるんだけど、その人の紹介で、サックスのさし、「バンドはあるから、サックスだけちょっとセッションで来てくれない?」みたいな感じで。それがすごいんですよ、あの当時で倉敷と広島と島根、全部2デイズ。「えっ? なんでそんなところで2日も出来るの」って。お客さんもがんがん入って、ロックやって盛り上がってるから、「何でこんなに入ってるの、何?」ってびっくりしつつ、楽しんでやって。「ばっちりじゃん!」みたいな話で、それから翌年もやるようになるんですね。

T:じゃあ、その数日間が、浜田さんとの初めてのツアー?

古村:それもリハも何もなしで、テイクだけ送ってきて。「何?これ」って。

T:全曲?数曲?

古村:ううん。何曲か、5,6曲だったと思うけど、1ステージで。

T:最初、浜田さんとライブやってみた印象って、どんな感じだったんですか?

古村:面白かったし、っていうか、びっくりだよね。ロックやってこんなに客入るんだっていうかさ、僕は洋楽志向だったから、聞いてないですから、「歌詞って大事なんだ」って。音がかっこよきゃいいじゃんぐらいなところでいたんだけど、「そうなんだ、ちゃんと歌詞を聞かせると客はついてくるんだ」みたいな。



 浜田さんの歌には、世の中に反発したり、社会の矛盾の中で苦悩する若者や高校生の気持ちを描いたものがたくさんあります。「反抗期」「独立記念日」「マイホームタウン」などがその代表作でしょう。
 自分の気持ちにピタッとくるのです。
 というか、モヤモヤして自分でも自分の気持ちもよくわからなかったのですが、浜田さんの歌を聞いて、なるほど、自分の思いはそうだったんだって気づかされる。そんな感じでした。

 今日、紹介する歌もその一曲です。
 私が一番最初に聞いた浜田省吾の曲で、浜田省吾にのめりこむことになった曲です。

 頭を殴りつけられたような衝撃を受けました。「こんな歌があるんだ」「こんな歌手がいるんだ」という新鮮な驚きでした。

 1976年4月に出された、浜田省吾のソロになって初めてのアルバム「生まれたところを遠く離れて」の1曲目に収録された曲です。
 コンサートでも必ず歌われる曲です。ソロデビュー30周年ということで、「ON THE ROAD 2006-2007」では(といっても、さっきも言ったように2007年のコンサートには行けませんでしたから知りませんが)、30年前の雰囲気そのままに、生ギターだけで浜田は歌いました。

 「路地裏の少年」です。


          路地裏の少年

Shogo7 真夜中の校舎の白い壁に
訣別の詩 刻み込んだ
朝焼けのホームに
あいつの顔 探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き 机の上
ハーモニカ ポケットに少しの小銭
さよならの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ16
遠い空を憧れていた路地裏で

アルバイト 電車で横浜まで帰る頃は午前0時
古ぼけたフォークギター
窓にもたれ 覚えたての「風に吹かれて」
狭い部屋で仲間と夢描いた
いつかは この国 目を覚ますと
裏切りの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ18
肩すぼめて待ち続けた路地裏で

赤茶けた工場の高い壁に
倒れかけた帰り道
家を出て初めて故郷の母に
“元気です”と書いた手紙
恋に落ちて戸惑う熱の中で
いつしか二人で過ごす夜毎に
やさしさの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ21
細い肩を抱きしめてた路地裏で

口づさめば悲しい歌ばかり
届かぬ想いに胸を痛めて
今日もまた呼ぶ声に応えては
訳もなく砕かれて手のひらから落ちて
今は おれ22
初めて知る 行き止まりの路地裏で



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2007年10月 8日 (月)

アフガン報復戦争開始の日に――SHOGO's Words No.17「A NEW STYLE WAR」

 ポチです。
 なんとなく疲れてしまって、PCに向かう気力が起きませんでした(仕事では毎日向かっているのですが)。更新することはもちろん、他の方のブログにお邪魔することもほとんどありませんでした。
 まだ、気力が充実してきたというわけでもないのですが、とにかく更新してみることにします。


 ノリックが死んだ・・・・。
 交通ルールを無視してUターンしたトラックに巻き込まれて・・・。
 18才で全日本ロードレースにデビュー。いきなり史上最年少チャンピオンに。2年後から、ワールドグランプリ500ccにフル参戦。WGPでは通算3勝、表彰台17回。
 ショックだ・・・・。
 阿部典史、享年32歳。心からご冥福をお祈りします。



 さて、気を取り直して本題を。
 6年前の今日、米軍がアフガニスタンへの報復戦争を開始しました。9・11からほぼ1ヶ月後でした。そして、その1ヵ月後には、「テロ特措法」なる法律が成立、自衛隊がインド洋に派兵されました。
 今年に入ってからだけでも、アフガンの民間人の被害者は1000人をこえると言われています。日本の自衛隊の補給艦から給油を受けた艦船から飛び立った米軍機がアフガンの地を空爆し、無差別殺人を繰り広げています。


 そして、6年後の日本では、この報復戦争を憲法を踏みにじって支援してきた「法律」をめぐって論争がおこなわれています。
 自民党の福田さんは「日本が国際社会に果たすべき責任」と言われ、民主党の小沢さんは「国連決議があれば武力行使も」と言われているようです。
 どちらの言葉も、まったく現実感がなく、空疎です。アフガンでどれだけの罪もない人が苦しんでいるのか、ということをこの人たちは考えないのでしょうか。その苦しみを与えることに手を貸している国の総理大臣と野党第一党の党首としての発言の重みはなく、胸の痛みを感じさせるところはまったくありません。
 福田さん、小沢さん、あなた方の手はアフガンの人たちが流す血にまみれているのです。その自覚をこそ、もつべきです。外国がどう思おうが、国連がどんな決議を出そうが関係ありません。人々の死に手を下している(間接的ではあっても)ことを前提にしたあなた方の言葉を聞いてみたい。
 


 ということで、「A NEW STYLE WAR」です。
 1986年9月にリリースされたアルバム「J.BOY」の1曲目に収められた曲。衝撃の一曲でした。
 『ロッキング・オン・ジャパン』という雑誌の87年1月号で、アルバム「J.BOY」についての浜田省吾のインタビューが掲載されています。そこで、浜田はこの曲について、次のように話しました。

「日本は平和だし、世界も今は、ほら、ソ連とアメリカも一時の緊張感ってなくなってきてるでしょう? だけど、これからの戦場っていうのは国境で区切られる戦場ではなくてね、いきなり東京の丸の内のビルが爆破されるかもしれないし、病原菌や自然破壊やそういったことが新しい戦場になるわけで、ある意味では今まで以上に平和な時代ではないんじゃないかなって。あまりシリアスにならないように、書いたつもりですけどね」

 十分にシリアス、そして、時代を先取りしたリアルな曲です。

 浜田省吾、「A NEW STYLE WAR」。
 それではどうぞ。


      

             A NEW STYLE WAR 

地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR


飽食の北を支えてる

飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつか A NEW STYLE WAR

Shogo9_2

貧困は差別へと 怒りは暴力へと
受け入れるか 立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所はない
It's A NEW STYLE WAR

ひび割れた原子力
雨に溶け 風に乗って
受け止めるか 立ち止まるか
どこへも隠れる場所はない
It's A NEW STYLE
It's A NEW STYLE WAR

愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR




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2007年9月19日 (水)

SHOGO's Words No.16 「初秋」(2回目)

 ポチです。
 朝晩は本当に「秋」っていう感じがするのですが、昼間はどうみても「夏」です。今日も暑い一日でした。
 職場でも、話題になっていたのですが、「今年は秋がなくて、夏から一気に冬になってしまうんじゃないか」などと同僚がいっていました。



 そうすると困ったことがおきます。
 「SHOGO's Words」の16番目は、2度目の「初秋」にしようと決めていて、時期を見計らっていたのですが、その機会を逃してしまうことになるからです。

 そこで、まあ、昼間は暑くても、初秋は初秋だ、と割り切って、浜田省吾カテゴリーにいくことにします。


 ということで、「初秋」です。
 1990年6月に発売された18枚目のアルバム「その永遠の一秒に」の収録された曲で、2003年9月に出された24枚目のバラード集のアルバム「初秋」にアレンジを変えて収められました。

  アルバム「初秋」には、「死」や「別れ」を歌った曲がたくさん収められていて、この「初秋」もその一曲です。しかし、アルバムのテーマは、「死」や「別れ」ではない、と浜田は言います。
 アルバム「初秋」が発表された時のファンクラブの会報誌「Road&Sky」でのインタビューで浜田はこう話しています。

「最愛の人を愛する喜びの一方で、同時に切なさや痛みがあるじゃないですか。それはいったいなんだろうと考えると、『この喜びは永遠には続かないんだ』という思いなんじゃないかと。どんなに美しい瞬間も、どんな愛も永遠には続かないんだということを、みんなやっぱり知っている。だからこそ、その瞬間に感動するんだろうと思うんです。誰かを愛するということはそういうことだと思うんですね。だから、今回のアルバムのテーマは、“死”や“別れ”ではなくて、何十億という人がいるなかで偶然出会って、恋人になったり親子になったり夫婦になったりするということ。そしてそれは永遠に続かないということ。だから大切なんだということ。それがテーマなのかなと思います」


 「初秋」という曲は、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争をきっかけに、冬の旧ユーゴスラビアをイメージしてつくったと言われています。
 切なく、ひたすら切なく、本当に、この曲を聴くと、浜田省吾の詞の世界に入り込んでしまう自分を感じます。

 ツアーパンフに、こんな一文が載っていました。

「この曲(「初秋」)など典型だが、浜田の音楽は、音のついた文学詩心を歌心が奏でる“浜田文学”だともいえた。自分にとって曲を書くことは詞を書くことなのだ、と彼は明言する」


 それでは、浜田省吾の「音のついた文学」「詩心を歌心が奏でる“浜田文学”」をどうぞ。
 「初秋」です。


            初秋

Shogo10_2 戦火に倒れた恋人抱きしめて
泣き崩れる男映す TVニュース

誰かを愛したら
その喜びと同じ重さの哀しみも 
手にするのか

永遠の別れがいつか来ることに
人は皆 気付いているから
君と出逢って こんなにせつない
胸の奥が苦しい程

ふれあい いたわり
陽ざしの中で
短い時を共に過ごしたい

いつか君を見送る時が来たなら
笑顔で別れを告げよう
君が僕を見送る時は
この歌を思い出して

どんなに二人で過ごした人生が
幸せに満ちてたか

愛してる いつまでも
傍にいても 離れていても いつでも

僕の名を呼ぶ声も
僕の手にふれるぬくもりも
はかなくて 愛しい

約束も 誓いの言葉も 何もいらない
君がそこにいるだけで



 曲↓は、アルバム「初秋」に収録されたリアレンジされた「初秋」です。

   

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2007年9月 3日 (月)

SHOGO's Words No.15 「夏の終り」

 ポチです。
 この数日、風邪を引いて体調不良です。今日も仕事を休んでいます。
 え? だったら、ブログの更新なんかせずに寝てろって? 
 そのとおりです。でも、少しだけ。



 9月になりました。
 昼間はまだ暑い日が続きますが、朝晩は、秋の風の匂いがしてきてビックリします。

 ということで、ほぼ一ヶ月ぶりの浜田省吾カテゴリー。その15番目は、「夏の終り」です。


 この曲は、最新アルバム「THE BEST OF SHOGO HAMADA vol.1」にも収録されていますが、もともとは、1990年6月に発売された彼の16枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」に収められていた曲です。

 1990年といえば、バブルが絶頂期をこえ、崩壊に向かい始めた時期です。このアルバムの中に収録されている「詩人の鐘」という曲では、「♪銀行と土地ブローカーに生涯を捧げる悪夢のようなこの国」とバブルの狂乱ぶりを歌っています。

 そして、バブル崩壊の大変な時代を予感したのか、このアルバムのテーマを浜田省吾は「救済」だと言います。
 アルバムタイトルの「誰がために鐘は鳴る」というのは、ご存知のようにヘミングウェイの小説のタイトルですが、この言葉は、ジョン・ダンというイギリスの詩人の詩の一節をヘミングウェイが引用したものだそうで、浜田省吾は、ヘミングウェイの小説ではなく、ジョン・ダンの詩に触発されて、このアルバムタイトルをつけたようです。アルバムに入っているブックレット(?)のなかに、ジョン・ダンの詩の一節が掲載されています。

誰も孤島ではなく
誰も自分ひとりで全てではない
ひとはみな大陸のひとかけら
本土のひとかけら
そのひと握りの土を波が来て洗えば
洗われただけの欧州の土は失われ
さながら岬が失われ
君の友人や君自身の土地が失われる
人の死もこれと同じで
自らが欠けてゆく
何故なら私もまた人類の一部だから
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
それは君のために鳴るなればと
(ジョン・ダン「死にのぞんでの祈り」、浜田省吾訳)


 浜田省吾が90年7月から始まるツアーを前にして話していた言葉がツアーパンフに載っていましたので紹介しておきます。

「90年代というのは、自分を自分で救ってやらねばならなくなる時代だと思うんです。自分で自分に祈りを捧げるというか。その祈りの部分が今後の日本に住む我々にとって大事なんじゃないかと。何か予言めいていますけどね」

 そして、90年代の10年間が「失われた10年」と呼ばれるようになったのはご存知の通りです。


 前置きが長くなりました。
 そのアルバムの最後に収められている曲「夏の終り」です。
 それでは、どうぞ。


夏の終り

Shogo8_2 サンディエゴフリーウェイを
        南に走ってる
国境線越えたら
      砂埃舞うメキシコ
夏の終りの
     乾いた風が窓から
おれの口笛吹き飛ばす
フロントガラスに
テキーラサンライズ
もう誰の心も
  引き裂くことなんてない
この車もギターも
     売り払い海辺の町
潮風と波の音を枕にひとり暮らそう

ギター抱き締めて眠ったあの頃
貧しさと憧れの中 夢見たR&R(ロックンロール) STAR
キャンパスを中退(ドロップアウト)して長い旅に出た
果てしなく続く“ON THE ROAD”
流星のような
幾千もの夜
愛してくれた人 打ちのめす程傷つけた
汚れた悲しいメロディー 身を切るように繰り返す
拍手とスポットライトと報われぬ涙の影で

もう誰の心も引き裂くことなんてない
手に入れたものみんな失ったって構わない
残されたわずかな時間 静かにひとり暮らそう

潮風と波の音を枕にひとり暮らそう






 浜田さんの今年のツアーも大詰めを迎えています。
 西日本の会場のコンサートすべてに先行予約の申し込みをしましたが、すべてはずれ。残されたのは、11月12、13日の広島厚生年金会館だけとなりました。今年はなんとなくだめなような気がするポチでした。
 では、また。

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2007年8月 6日 (月)

一瞬の閃光に――SHOGO's Word No.14「愛の世代の前に」

 ポチです。
 今朝、職場に来ると、関連会社の社長さんのお父さんが亡くなったという連絡。そろそろ危ないのでは、と言われていはいたのですが・・・。
 明日は、また葬儀です・・・。



 さて、今日は、広島に原爆が投下されて62年目の8月6日です。
 久間さん曰く、「しょうがなかった」日です。

 私と「ヒロシマ」の関係は、3日のブログで書いたとおりです。幸い、母はこの10日で80歳の誕生日を迎えますが、今も元気です。きっとあの日、少なからぬ放射能をあびたのでしょうが・・・。

 浜田省吾さんのお父さんも、警察官として、被爆者救護のために、焼け野原の広島市に入り、二次被爆されました。

 なぜ「愛の世代の前に」なのか?
 浜田さん自身がアルバム解説のなかで話しておられる言葉を紹介しておきます。

「“ラブ・ジェネレイション”という言葉が’60年代に流行りましたよね。あの頃はすごくヒッピー的なイメージとしてラブ・アンド・ピースの世代だと言っていたんだけど、ぼくは、そうじゃない、愛の世代というのは、もっともっとあとの世代なんだと思ったんです。1945年に原爆が投下されて、核融合というのが地球というもろい生命体の中に持ち込まれたわけでしょう。それまでの何億年とその後のわずか30年というのは、全く違う世代だなと思ったんです。それまでの戦争というのは、どんな戦争にしてもせいぜい知れてるわけだし、地球の生命体とかそれ自体や人類のヒューマン・レースにはなんの影響も持たないものだけど、1945年以降の世代というのは、一瞬にして全人類がいなくなってしまうという、とてつもない大きな危機感と虚無感に左右されてると思うんです。そういうものがこの地球上から消えない限り、本当のラブ・ジェネレイションとは言えないよね、というそんな気持ちでタイトルをつけたんです」

 1981年9月に発売された7枚目のアルバム「愛の世代の前に」の1曲目に収められたタイトルチューンです。

      愛の世代の前に

Shogo5 愛の世代の前の暴風の中
すりかえられた脆い夢など
崩れ落ちてく

ルーレットは回り続けてる
テーブルに積まれた
切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを
信じて 賭けを続ける

愛の世代の前の
一瞬の閃光(ひかり)に
すりかえられた
脆い希望(ゆめ)など
崩れ落ちてく

憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに
何故 気づかないのか

ミラー・ボールは回り続けてる
幾つもの孤独な腕に抱かれ
俺もまた慰安の中で
むなしく踊り続ける

愛の世代の前の暴風の中
すりかえられた脆い幻想(ゆめ)など
崩れ落ちてく

愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い夢など
崩れ落ちる
愛の世代の前に


 核兵器などというものに人類がおびえて生きることのない世の中をめざして!

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2007年8月 3日 (金)

62年目の夏――SHOGO'S Words No.13「八月の歌」

 ポチです。
 通り過ぎました。
 え、何がって? もちろん、台風5号です。
 停電したらかなわないなあと思っていたのですが、このコースだと直撃かもなあと心配していたのですが、思ったよりたいしたことなかったです。




 さて、8月になりました。
 広島、長崎に原爆が投下されて62年目の8月です。

 私の母の実家は、広島県に隣接する岩国市です。
 母の弟は、1945年8月6日、学徒動員で作業に駆り出されていた広島市で亡くなりました。いまの原爆ドームがある場所の近くだったそうです。

 翌7日、18歳だった母は、父親とともに弟を探しに広島に行きました。
 しかし、弟をみつけることなどできるはずもありません。
 彼は、たぶん、一瞬のうちに消え去ってしまったことでしょう。
 焼け爛れて横たわる無数の遺体とうめき声・・・・・。
 そこで見た光景を母は絶対に忘れないと言います。


 浜田省吾、「八月の歌」
 12枚目のアルバム「J-BOY」に収められた1曲です。


    八月の歌

Shogo4_2 砂浜で戯れてる
焼けた肌の女の子達
おれは修理車を工場へ
運んで渋滞の中
テレビじゃ この国 
豊かだと悩んでる
だけど おれの暮らしは
何も変わらない

今日も Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
意味もなく年老いてく
報われず 裏切られ
何ひとつ誇りをもてないまま

八月になるたびに
“ヒロシマ”の名のもとに
平和を唱えるこの国
アジアに何を償ってきた
おれ達が組み立てた車が
アジアのどこかの街角で
焼かれるニュースを見た

今日も Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
子どもらの肩をうつ
飢えてく すさんでく
明日への希望など もてないまま

満たされぬ思い
からまわりの怒り
満たされぬ思い
この からまわりの怒り
八月の朝は ひどく悲しすぎる

No winner No loser ゴールなき闘いに
疲れて あきらめて やがて痛みも麻痺して
Mad love Desire 狂気が発火する
暑さのせいさ
暑さのせいさ

Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
意味もなく 年老いてく
報われず 裏切られ
何ひとつ誇りを もてないまま

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2007年6月13日 (水)

「A PLACE IN THE SUN」――開設半年の節目に

 ポチです。
 今日は、このブログをはじめて、ちょうど半年です。ブログをはじめたのが、去年の12月13日です。
 この半年で、74の文章を書き(この記事が75本目です)ました。仕事に追われたり、PCに向かう気力が出なかったりで、何度も長期休暇をしてしまいましたが、何とか半年間続きました。
 半年たった記念にデザインも一新してみました。




 始めた頃の記事を見てみると、思わず削除してしまいたくなるくらい恥ずかしい文章が並んでいます(最近のだってたいして変わりませんが、それでも少しはましになったのではないかと思っています)。まあ、自分の成長記録だと思って、さらしておきましょう。


 ということで、たかが半年ですが、一応「記念日」なので、原点に立ち返って、もう一度、このブログのタイトルをテーマにします。


 スティービー・ワンダーが歌った初期の名作。浜田さんは、1996年に出された19枚目のアルバム「ROAD OUT "TRACKS"」のなかで、60年代にスティービー・ワンダーが歌ったときとまったく同じアレンジでカヴァーしています。
 かつておこなった野外コンサートのタイトルを「A PLACE IN THE SUN」とするなど、彼のお気に入り(と思うのですが)のR&Bです。
 ちなみに、いまおこなっている彼のツアー「ON THE ROAD 2006-2007 "My First Love is Rock'n'Roll」の前半(2006年)のコンサートではオープニング曲でした(今年のコンサートには全部はずれで行けてないのでわかりません)。



 「太陽のあたる場所は必ずあるから、どんなに辛くても、そこに向かって歩いていこう!」
と呼びかけてくれる「人生への激励歌」です。
 「改憲」だとか、「貧困と格差」だとか、本当に曲がり角に来ている日本社会だけど、「太陽のあたる場所は必ずある」と信じてがんばっていこうと思います。




          A PLACE IN THE SUN

Shogo1_1Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun
Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Shogo2 Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun


太陽のあたる場所

一本の長くて孤独な川のように

僕は夢に向かって走りつづけている

立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように

僕は自由を求めて手を伸ばし続けている

もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように

僕は重荷にうんざりしている

でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように

生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ

ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって太陽のあたる場所はかならずあるから

そいつは誰にでも希望がある場所で

僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ

そうさ、太陽のあたる場所はかならずある

命がつきてしまう前に

太陽のあたる場所を見付けよう






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2007年5月31日 (木)

SHOGO's Words No.12 「I am a father」

 ポチです。
 昨日、ショッキングなことがおこりました。
 ほとんど完成していた更新が何の弾みか消え去って・・・。
 ・・・ガッカリ。そのまま寝てしまいました。


 ということで、気を取り直し、昨日書いたものを思い出しながら書きます。
 半月ぶりの浜田省吾カテゴリーです。
 これまでとりあげてきたのは、けっこう昔の曲ばかりなので、今回は新しい曲を取り上げることにします。
 2005年7月に出された25枚目のアルバム「MY FIRST LOVE」に収録された曲。昨年8月に出された26枚目の「THE BEST OF SHOGO HAMADA Vol.1」にも入っています。

 浜田さん自身にはお子さんはいません。コンサートの時にこう言われていました。「子どもがいないということで、自分の人生には欠けたところがあるんじゃないかと思った時期もある。でも、そうじゃなく、子どもたちはみんなの子どもなんだと思えるようになった(正確じゃありません。うろ覚えです)」。

 2005年のツアーの前に、公式サイトの中で、彼が日記を書いていました。コンサートの日を待ち遠しく思いながら読んでいました。その日記が2006年のツアーパンフに再掲されていました。この曲に関わる部分を紹介します。この曲を書いた彼の気持ちが少しはわかるかもしれません。


7月11日(月)
 7月9日の土曜日、FM東京の生番組を放送している「スペイン坂スタジオ」に、「I am a father」のイントロと間奏の英語の部分を歌ってくれた、“Justine”と“Sean Lisa”が遊びに来てくれた。彼女達はプロデューサーの鈴木さんの娘で、とっても可愛い14歳と11歳の女の子なんだ。
 「Work Out用にMD-MIXを作ってよ」と頼んだら、彼女達のお気に入りの最新サウンドで構成されたMD-MIXを、定期的に送ってくれるようになって、それを聴きながら走ったり、ストレッチをしたりしてるんだよね。
 “My Chemical Romance”なんて、もし彼女達に教えてもらわなかったら、聴かなかったと思うよ。
 鈴木さんにしても、新川君にしても、オレの周りの仕事仲間達は殆ど父親なんだよね。一緒に食事をしても、子どもの話になることが多くて、学校のことだったり、犯罪の話だったりする。
 オレ自身には子どもはいないんだけど、そんな仲間達、父親達のかわりに「I am a father」を書いた。
 例えばさ、家族でドライブに出掛けるとするじゃない、「オレは口下手で上手く言えないけど、こんな風に思ってるんだ・・・」ってな感じで、カーステレオでガーンと流して、一緒に歌ってくれたら嬉しいな。
  (後略)



 2006年のツアーの時のことです。この曲のイントロ(上の日記の“Justine”と“Sean Lisa”が歌っているところです)の最後の「♪yeah he is a father」というところで、浜田さんが、客席をスーッと指差したのです。会場にいるfatherたちに、「君達のための歌だぜ」って言うように。
 ゾクッときました。来ていたfatherたちみんながそう思ったのではないでしょうか。

 前置きが長くなりました。「I am a father」です。


      I am a father

He was so lonely in the days of youth
He never thought of fatherhood
But now his life is like a Merry-go-round
woh
yeah he is a father

額が床に付くくらい
頭を下げ 毎日働いてる
家族の 明日を案じて
子どもたちに 未来を託して
傷ついてる 暇なんかない 
前だけ見て進む

スーパーマンじゃない
ヒーローでもない
疲れ たどり着いた家
窓の明かり まるでダイアモンド
I am a father

TVニュース観るたびに
子どもたちが 巻き込まれた事件
ドアの外 すぐそこまで
近づいてること 感じて眠れない
嘆いてる 暇なんかない 
命がけで守る

チャンピオンじゃない
リーダーでもない
妻と今日一日を
無事に過ごせたことを 祈ってる
I am a f