浜田省吾

2008年12月13日 (土)

開設2年目の記念の日に 「A PLACE IN THE SUN」

 ポチです。
 ここ山口県宇部市は、一時の寒さが和らぎ、日向に出るとホカホカとしていい気分です。
 北の方に行くと、そんな呑気なことは言ってはおられないのでしょうね。
 全国のみなさん。お変わりありませんでしょうか?
 
 
 さて、今日は、このブログを開設して、ちょうど2年目の記念日です。
 仕事に忙殺されて、更新できなかったことも何度かありました。
 最近では、気力がなえてしまって、更新しないだけでなく、2ヶ月近くもブログ界そのものから遠ざかってしまっていました。「ああ、このままブログともさよならかなあ」とその時は本当に思いました。
 なんとか気力を振り絞って、再開してからは、少し調子が出てきて、あきらめなくてよかったなあと思っています。
 
 毎日更新されておられる方は本当に尊敬します。しかも、そのなかには、長文なんだけどわかりやすい記事を書いておられる方も少なくありません。
 私は、文章を書くのがイマイチ得意ではないと言うか、ヘタクソなので、書くのにえらく時間がかかります。「ああでもない」「こうでもない」などと考え始めると筆がピタッと止まってしまって、なかなか先にすすめません。苦労のすえ書いた文章も、読み返してみると、わかりにくく、なおかつ「くどい」ものが多く、自分でも嫌になってしまいます。
 
 それでも、毎日、訪れていただく方がいらっしゃることは大変励みになります。それがあったからこそ2年間も続けることができたのだと思います。
 以前にも書きましたが、私がブログを開設していることを知っている人は、私のまわりには誰もいません。つまり、ここに訪れていただく方は、すべてブログを通じての友人ということになります。
 コメントやTBをいただいた方はもちろん、通過していっただけの方も含めて、本当にありがとうございました。
 そして、これからもよろしくお願いいたします。
 
 
 
 「A PLACE IN THE SUN」の由来やエピソード、それから歌詞については、半年の節目1周年の時の記事に書きましたので、ここでは割愛させていただきます。よろしかったら、過去の2つの記事を読んでみてください。
 
 今回紹介する動画は、浜田さんのコンサートツアー「ON THE ROAD 2006-2007」のオープニング部分です。このコンサートで浜田さんは、久しぶりにオープニングにこの曲をつかいました。

 それでは、ブログタイトルにさせてもらった曲をどうぞ。
 浜田省吾で「A PLACE IN THE SUN」です。
 







 

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2008年11月29日 (土)

長女の誕生日の日に――SHOGO's Words No.27「Happy Birthday Song」

 ポチです。
 いかがお過ごしでしょうか?
 今日のカテゴリーは、一応「浜田省吾」にしていますが、実は私の家族のことを書きます。少し長いエントリーになりますが、お付き合いください。

 11月29日、今日は長女の誕生日です。
 あの日は、本当に寒い一日で、当時住んでいた山口市にその年の初雪が降った日でした。
 仕事を抜け出し、バイクで病院に駆けつけたことを昨日のことのように思い出します。


 わが家では、癌が再発し、抗がん剤治療を受けていて、けっして体調がいいとはいえないカミさんに代わって、長女が家事一切を引き受けてがんばってくれています。
 その彼女のことを書きます。


 私の転勤で、長女は、山口県の田舎の無認可保育園から、いきなり東京の小学校に入学しました。さらに、世田谷区から足立区への転居に伴い、転校。そして、5年生の最後の3ヶ月と6年生の1年間は、またまた私の転勤で、宇部市の小学校に通いました。
 中学校進学時には、宇部市内の現在の家に転居したため、小学校時の友人のまったくいない中学校に入学。
 本当に親の都合で、かわいそうなことをしたと思っています。


 高校1年の夏休み明けから学校に行かなくなり、そして、学校をやめてしまいました。
 本人と話すと、部活の先輩が自分をにらむ、怖いというのです。一方、学校で先生の話を聞くと「そんなことはないと思う」とのことでした。


 それから、荒れた日々が続きました。
 部屋に閉じこもって出てこない。
 自傷行為を繰り返す。
 まだ小さかった妹や弟をいじめる・・・・・・・。


 そんな日々が1年くらい続いたでしょうか。ある日、私たち夫婦に対し、娘が何かをぶつけるように叫びました。

 「お母さんもお父さんも何もわかっていない!」と・・・。

 娘が東京時代の小学校4年生の時にいじめにあっていたことをそのとき初めて知りました。
 ある時など、跳び箱のなかに閉じ込められたりもしたそうです。
 私たち夫婦は、そんなことはまったく知りませんでした。
 私は、東京時代は、出張が多く、全国を飛び回っていました。カミさんは、看護婦をしながら、保育園に通う2人の妹や弟の世話に明け暮れていました。
 そんな私たちに気遣ったのでしょう。彼女は、いじめをうけていることなどおくびにも出しませんでした。
 しかし、それはずっと彼女の大きな心の傷になっていたのです。
 あとになって気づいたことですが、小学校時代のいじめ以降、彼女は、いつも人の目を気にし、ビクビクしながら生きてきたのだと思います。「部活の先輩がにらむ」ということも、その先輩にとっては普通に見ただけだったのかもしれません。しかし、彼女には、それが恐怖だったのです。



 そして、高校一年のときに私が投げかけた彼女への言葉。

 「お前はどんどん腐っていってるんじゃないのか?」


 仕事の忙しさを理由に、子どもたちの勉強などほとんどみたことのなかった私でしたが、それでも、カミさんに言われ、時々は勉強をみていました。
 当時の私の持論は、「数学は他の学問とは質的に違って大事。数学は論理学であり、ものを考える力を養う学問」というもので、異常に数学を重視していました。
 自分としては、随分丁寧に教えているつもりだったのですが、まじめに考えて数学にとりくもうとしない彼女に、私は切れてしまいました。
 そして、彼女に投げかけたのが先の言葉です。
 言い訳ですが、自分としては、彼女を激励するつもりだったのだと思います。
 でも、本当にひどい言葉です。思い出すたびにひどい自己嫌悪に陥ってしまいます。



 彼女は、叫びました。

 「お父さんの言葉で私がどれだけ傷ついたかわかるか!」

 恥ずかしながら、彼女にそう言われるまで、自分がその言葉をはいたことすら覚えていませんでした。
 激しいショックをうけました。
 自分がいかにダメな父親であるかを思い知らされました。



 その後もしばらく、自傷行為やものを壊したりということが続きました。
 そして、決断しました。
 カミさんと二人で、評判の医者がいるという岡山県の精神病院まで出かけ、相談しました。

 私たち夫婦が自分のことを真剣に考えてくれているということがわかったからでしょうか。それを境に彼女の私たちに対する攻撃的な態度も少しずつ変わってきたと思います。



 岡山の病院では、通院するにも入院するにもあまりにも遠いので、近くの病院を紹介しようということになって、福岡県の精神病院を紹介してもらいました(けっして近くはないのですが、山口県内にその病院が紹介できるような病院がなかったのです)。
 彼女に、そのことを説明し、「行ってみようよ」と話しました。彼女から、「行ってみる」との返事がもらえたときは、夫婦でホッとしました。



 福岡県の病院を受診した初日。
 比較的若い男性のドクターでした。なんとなく「うまくいきそうだ」と思った矢先でした。ドクターの一言に反応し、彼女は半狂乱になって病院から駆け出していってしまいました。
 それから約1年、時には嫌がる彼女を励ましながら、3週間に一度の割合で受診を続けました。最後の頃は、彼女もそのドクターを信頼していたような気がします。



 私は、仕事を1ヶ月間休職し、一日中、娘といっしょにすごしました。その後は、カミさんが休職しました。
 もちろん、私が彼女にしてやれることは何もありません。何か話してくれるわけでもありません。ただ、娘の傍にい続けることが大事だと思ったのです。



 病院を受診したある日、ドクターから、私たち夫婦に言われた言葉は衝撃的でした。

 「境界型の分裂症(今で言う統合失調症)だと思います。うつ病の場合は、今ではいい薬も出てますので、必ず治ると言えるのですが、分裂症はそうは言えません。快方に向かう場合もありますし、そうでない場合もあります。何とも言えません」

 帰りの車の中ではものを言う気力もありませんでした。



 その後、県内の病院に通うようになったのですが、そこもやめ、今は病院にはかかっていません。一応、薬がなくても過ごせるようになりました。

 何度か、バイトに行ったこともあるのですが、どれも人間関係のプレッシャーに押しつぶされて長くは続きませんでした。


 こんなこともありました。
 ある雨の日、彼女は、カミさんと買物に出かけていました。3時からバイトが入っていたのですが、彼女はその時間が過ぎるまですっかり忘れていたのです。彼女は半狂乱になり、カミさんが目を離した隙に、雨のなか、姿を消してしまいました。
 カミさんが必死になって探したのですがみつかりません。
 そうこうしているうちに、消防署から娘を保護しているとの連絡がありました。雨の中、路上に倒れているのを通りがかりの人がみつけて119番してくれたそうです。
 カミさんが駆けつけてみると、彼女は、恐怖に顔を引きつらせて、「家には帰らない」と言い、しばらくして落ち着くまで救急車の中で過ごしたそうです。
 仕事だったことに気付いた時点で、バイト先には体調が悪いので休むという連絡はしていたのですが、なかば無断でバイトを欠勤したことで、「みんなが自分をどう見るだろうか」という不安が彼女を襲っていたのではないでしょうか。それは、たぶん彼女にとっては、「恐怖」とも言えるものだったのでしょう。



 彼女は、日常生活に何の支障もありません。普段は、人間関係をつくるのが下手なだけの普通の若い女性です。
 「大学に行きたい」と独学で一生懸命勉強して大検を受検。一発で合格をした頑張り屋さんでもあります。
 しかし、何か、彼女の心を棘刺すものが生じた時、突如として精神的に不安定になります。
 それは、彼女の未来を左右する小さくない存在です。
 自らの責任で彼女をそうしてしまったことを、日常生活のなかで、ついつい忘れてしまう自分がいます。
 今日の彼女の誕生日に、この文章を書くことで、痛苦の反省を新たにし、一生、彼女を守っていくことを自らに誓おうと思います。



 「子どもは親を映す鏡だ」とよく言います。本当にそのとおりだと思います。
 自分の父親としてのダメさ加減にうんざりします。
 彼女が自らの身を犠牲にして、私を少しだけまともな父親にしてくれたのだと思います。
 ・・・・・・・・・・・・。
 計り知れない犠牲のうえにですが・・・・。



 今、母親を思い、「自分がお母さんを支えなければ」と、必死にがんばっている彼女に頭が下がる思いです。



 そんな彼女に、「誕生日おめでとう」の言葉とともに、この歌を贈ります。
 歌詞の前半部分は、わが家の実態とはかけ離れているのですが、後半部分の思いはそのままです。

 浜田省吾「Happy Birthday Song」です。


     Happy Birthday Song

Shogo30_2 パパとママにありがとう
二人の努力実って
今、君はここにいる
Happy birthday to you

ケーキの上にキャンドル
歳の数だけ灯して
祈ろう きみの幸せ
Happy biryhday to you

世界にひとつの尊い命
かけがえの無い人

明日は昨日よりも
もっといい日になるだろう
そう信じて生きていこう
Happy birthday to you




 動画は、浜田さんのコンサートツアー「ON THE ROAD 2005」、さいたまアリーナでのリハーサル風景です。
 なお、この歌はCDにもなっていない曲なので、歌詞紹介のサイトに載っていません。それで、今回はテキストで紹介します。すみません。著作権上問題があるというのは重々わかっているのですが・・・・。




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2008年8月15日 (金)

63回目の8月15日――SHOGO's Words No.26「RISING SUN(風の勲章)」

 ポチです。
 昨日は、湧き水を汲むために、大きなポリタンクを3つ積んで秋芳町に行きました。このあたりでは一番の水だと評判です。口コミで広がったのか、国道から車の離合もできない山道をかなり入ったところにある水汲み場なのですが、いつも3~4人の方がおられます。県外から来られる方もおられるようです。
 宇部市は灼熱の真夏だったのに、秋芳町内に入るとみるみる空は真っ暗に。そして、土砂降りの雨。前も見えないほどです。スピード狂の私も思わずアクセルを緩めてしまうほどです。
 秋芳町の北の端に近い水汲み場のあたりでは小降りになっていましたが、水を汲んで帰り出すとまた土砂降り。そして、秋芳町から宇部市に入る頃には、路面はまったく濡れておらず、また灼熱地獄に。
 ああ、これが最近各地でおこっている「局地的豪雨」ってヤツかと、そのすさまじさに驚いてしまいました。


 さて、今日は63回目の終戦記念日です。
 天皇制政府と軍部がすすめた領土拡張と他国支配のための侵略戦争は、2000万人ものアジアの人々の命を奪い、300万人をこえる日本国民の犠牲者を生みました。
 中学生だった私の叔父は、1945年8月6日、学徒動員で作業をしていた広島市で原爆の被害者となりました。
 日本軍国主義の侵略戦争と植民地支配によるすべての犠牲者の方々に心からのご冥福をお祈りします。

 去年の終戦記念日は、郷土の汚点である安倍晋三が首相でした。
 彼は、「戦後レジームからの脱却」と叫びました。彼の言う「戦後レジーム」とは、憲法で明記された国の基本――主権在民、恒久平和主義、基本的人権――に他なりません。それからの「脱却」とは、「二度と戦争をくりかえさない」という日本が世界に向けた公約を破棄するという宣言でした。
 事実、彼は、侵略戦争を「アジア解放の正義の戦争だった」と言い募り、海外派兵を「ためらわない」と豪語しました。
 その安倍首相も、昨年の参院選で国民から「ノー」の審判を突きつけられ、惨めな辞任劇を演ずる他ありませんでした。
 しかし、日本を、アメリカ言いなりに、海外で戦争をする国にしようとするたくらみが、それで終わったわけではありません。

 今日、8月15日が、日本国民が、日本がおこなった侵略戦争の実態を直視し、「二度と過ちは繰り返さない」という誓いの気持ちを新たにする日になることを心から希望します。


 浜田省吾の歌をどうぞ。
 1988年にリリースされた14枚目のアルバム「FATHER'S SON」に収められた曲です。

 浜田省吾、「RISING SUN(風の勲章)」です。


RISING SUN(風の勲章) 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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 今日は、早朝から、自分自身はやったこともないゴルフの受付業務に狩り出されることになっています。まもなく迎えがやってきます。
 夜は、同窓会による飲み会。

 それでは、また。
 ポチでした。

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2008年8月 9日 (土)

結婚記念日にカミさんに捧げる歌――SHOGO's Words No.25「星の指輪」

 ポチです。
 うだるような暑い日が続いています。
 みなさん、お元気でしょうか?
 私は絶不調です。
 月曜日に親知らずを抜きました。抜いたあとが数日間うずき、左の頬の腫れはいまだにおさまっていません。で、痛み止めと化膿止めの薬を飲むのですが、これが強力な薬で、痛いので多めに飲むと、頭がボ~ッとして、まったく仕事になりません。そして、薬が切れるとシクシクうずいて、これまた仕事になりません。やるべき仕事は遅れに遅れて、痛みが薄れたあとはたまっていた仕事の山に追われ続けています。
 ということで、大変な1週間でした。
 当然、ブログに向かう気力はまったくありませんでした。
 6日には、広島の原爆忌なので、また「八月のうた」でも取り上げようかと思っていたのですが、それもならず、予想通りZUNDEREさんにやられてしまいました。あ~、マミー♪さんにもやられていました。
 また、いただいたコメントへのお返事やTBのお返しもできていません。申し訳ありませんでした。


 さて、今日は8月9日です。
 「今日は何の日でしょう?」と聞くまでもなく、長崎に原爆が落とされた日です。
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 6日の追悼集会での広島市長の平和宣言も、今日の長崎市長の平和宣言も非常に感動的なものでした。それに比べて福田首相のあいさつは、何ともつまらないものでした。

 でも、私にとっては、今日はもう一つ意味のある日で、私とカミさんの結婚記念日です。

 カミさんは、2歳年上です。私が学生時代のサークル活動の中で知り合った大病院の看護婦さんでした。私が大学を卒業して1年後に結婚しました。

 実は、カミさんは、5年前に乳がんを患いました。手術後、順調に過ごしていたのですが、2年前に再発。骨に転移し、現在も治療を続けています。今は、放射治療が中心ですが、けっしていい方向に向かっているとは言いがたい状況です。
 骨の癌はたいへん痛いものだと聞きますので、本当は辛いのではないかと思うのですが、本人が非常に強い人なので、日ごろは彼女が病人であることをつい忘れてしまうほどです。また、看護婦だから「人の死」をけっこう見慣れているからなのでしょうか、「おばあちゃん(私の母)より私の方が早く死ぬだろうから」などと平気で言うので、こっちとしては何と答えていいものやらドギマギしてしまいます。

 2年前の浜田さんのツアー「ON THE ROAD 2006」の山口県周南市のコンサートには彼女といっしょに参加しました。コンサートの直前に放射線治療が始まり、彼女が行けるのかどうか不安でしたが、副作用もどこ吹く風で元気に参加してくれました。

 そのコンサートでも歌ってくれたこの歌を、カミさんに捧げます。
 1993年にリリースされた18枚目のアルバム「その永遠の一秒に~The moment of the moment~」に収録された曲です。


 それではどうぞ。浜田省吾、「星の指輪」です。



星の指輪 ~STAR RING~ 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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2008年7月28日 (月)

傷つけられる若者――SHOGO's Words No.24「独立記念日」

 ポチです。
 すみません。しばらくブログの世界から遠ざかっていました。
 先日の連休も含めて、仕事・仕事のオンパレード。しかも、暑くて夜は眠れず、とてもブログに近づく気にはなりませんでした。
 そのうえ、しばらくおさまっていた頭痛がぶり返してきて、どうにも我慢できずに病院に行ったら、血圧をはかられ、「下が120で上が170」と言われて少々ショックを受けています。医者からは「可能な限り早く精密検査に来るように」ときついお達しがありました。
 もらった薬を飲んでいると頭痛は治まってきたのですが、それだけでは終わりませんでした。続いて、今度は歯が痛くなったのです。これもどうにも我慢ができず、歯医者さんに行くと、奥の「親知らず」がいたずらをしていて、化膿しているそうです。これももらった薬を飲むと楽になるのですが、切れ掛かると激痛が襲ってきます。しかも、薬が効いている間は眠いの何の。とても仕事にはなりません。

 ということで、とてもブログに近寄ることはできませんでした。コメントをいただいた方、TBをいただいた方、ご返事が遅れてたいへん申し訳ありませんでした。取り急ぎ、ご返事いたします。


 さて、上記の理由でブログに近づけなかった間に、いろんなことが起こっています。いま、山口県は県知事選挙の最中なので、それも含めて、アレも書きたいコレも書きたいと、その時は思うのですが、思うだけで時は過ぎてしまいました。

 すでに「旧聞」になってしまいましたが、その中の一つに、最近、私の住む宇部市の名前が突如として新聞やTVに取り上げられた事件がありました。
 宇部市の中学2年生が愛知県でバスジャックをおこなったという例のあの事件です。
 この中学校は、私の住む中学校区の隣であり、私の実家は、この中学校と直線距離にして50メートルくらい。実家の母の話では、あちこちでご近所の人が集まっては話題になっていたそうです。
 それにしても、怪我人などがでなかったことは、事件の関係者にとっても、何より当の中学生にとっても、本当に幸いだったと思います。

 そして、その事件があっという間に過去のものになるかのように、次々と新たな事件がおこっています。
 女子中学生が父親を・・・。そして、33歳の男が22歳の女子学生を・・・。
 どうして、こんなことになるのでしょうか。
 秋葉原の事件も含めて、本当に異様な感じがします。社会全体が歪んでしまっているような、そんな感じです。

 もちろん、同じ境遇にあっても、事件を起こす若者とそうでない若者がいるわけで、問題をすべて社会の歪みに求めることはできないと思います。
 しかし、これらの事件を考える時、やはり今、多くの若者が置かれている状況と無関係とはとても思えません。

 私が高校生だった時代も、いろんなことにイラツキ、親をはじめ大人たちの理不尽な振る舞いにウツウツとした気分を持て余していました。しかし、私たちの時代は、そうした気分を発散させる仲間がいました。私が育ってきた環境とはまったく異なる環境の仲間からは多くのことを学びました。多くの仲間たちが自分よりずっと大きな存在に思えました。
 そして、私たちには未来がありました。たんに頭の中で描いた荒唐無稽の「夢」にしか過ぎませんでしたが、それでも「未来はきっと明るい」と思うことができました。

 しかし、今の若者たちはどうでしょうか?
 非正規雇用の蔓延で、モノのように使われ、いらなくなったら使い捨て。アパートを借りるほどの収入も得られず、ネットカフェ暮らし。5年後、10年後はおろか、明日の身すら不確実な暮らし。「あたたかい家庭を築きたい」どころか、結婚する展望すらみつけることはできません。
 学校でも、競争に追われ、卒業した先に展望は見えてきません。

 そして、そうした「先の見えない状態に置かれていること」そのものよりもっと深刻なのは、そうした状態に置かれていることについて、「それはお前が努力していないからだろう?」「お前の能力がないのだからしょうがないじゃないか!」という攻撃が若者を傷つけていることです。
 「そうか、こんなネットカフェ難民の暮らしをしなければならないのも、自分の努力が足りないからか」。そんな風に思い込まされれば、もう「先の見えない状態」から脱出する術はありません。あるのは自己嫌悪と自己否定だけです。
 そして、そして、多くの若者たちは孤独です。

 こんな今の若者に比べたら、きっと私の青年時代なんて牧歌的だったのかなあ、などと思ってしまいます。


 今、若者たちが置かれている状況は、けっして彼らの「自己責任」ではありません。
 彼らを傷つけている人たちはハッキリと存在します。
 一つは、人間としての尊厳を無視した働かせ方を強いている「金儲けのためなら何でもする」という大企業の論理。そして、もう一つは、それを許している政治悪でしょう。
 この政治を早く終わらせないと、この国は滅びてしまうのではないでしょうか。

 ということで、この歌を紹介します。
 1981年10月にリリースされた7枚目のアルバム「愛の世代の前に」に収録された曲です。
 この曲は、さっき言ったようなまだ牧歌的だった時代の若者の姿を描いたものなのかもしれないけれど、それでもこの世代の「イラツキ」をみごとに描いた曲だと思います。何にでも楯突いていた私自身の高校時代を思い起こし、心の底から共感できた曲の一つです。
 そして、最後のフレーズ

 サーチライトに照らし出され
 震えている俺が見えるかい?
 鈍く光るナイフ手にした

 浜田さんも当時、現在ほど、若者が社会から痛めつけられるようになるとは想像していなかったとは思うんだけど、それでも、この部分は何か象徴的だと思うのです。

 この曲について浜田さんが雑誌のインタビューに答えて、言っていることを紹介しておきます。

 「僕の行った高校というのは、丘の上にあるんですよね。そして、校舎が古くて暗い。で、窓の外がすごく明るかったっていう印象があるんです。向こうの方に山があって、青空がずっと続いていて。まだ高校生だから、街から出たことがないんですね。暗い教室に閉じ込められている感じ。それで、山の向こう空の彼方に行きたい、と。それがひとつと、もうひとつ、僕らが中学の頃からずっと問題になっていた、教科書の検定、改正の問題。たぶん歌詞で最初に出来たのは、『教科書から削る文字は 他にもあるぜ』っていうところだったと思う」
             (「Complete Shogo Hamada」より)

 さしづめ、今の若者たちは、「暗い教室に閉じ込められて」いて、しかも窓の外も真っ暗で、居場所もなければ行き場所もない、そんな感じなのでしょうか。

 それではどうぞ。
 浜田省吾、「独立記念日」です。

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独立記念日 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

Photo_2

 















































 



 そろそろ、薬が切れて、シクシク痛くなってきました。
 飯食って薬を飲むことにします。
 それでは、また。
 ポチでした。




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2008年6月20日 (金)

SHOGO's Words No.23 「紫陽花のうた」

 ポチです。
 昨日から、九州北部が大雨になっています。
 この時期の雨は、昔から多くない雨量の雨が長く続くということになっているそうです。「五月雨(さみだれ)」という言葉はここからきているということを昨日TVで知って、「なるほど」と感心してしまいました。ところが、通常、梅雨の最後の時期におこる短時間の集中豪雨が、この時期に降るというのは地球温暖化の影響だと専門家の方が言われていました。
 今日は、山口県も100ミリをこえる雨が降るということで、陰鬱な気分になっています。



 さて、久々に、浜田省吾です。
 なぜ、こんなに浜田省吾カテゴリーが書けなかったかというと、以前、「SHOGO's Word」で「いつかもうすぐ」を取り上げた時、ぱっくすさんという方からコメントをいただいて、

趣旨はわかりますが、歌詞の掲載は浜田省吾さんの著作権を侵害しています

 と指摘されたことです。
 歌詞の掲載が著作権を侵害しているなどと思ってもみなかったので、ちょっとショックをうけました。いろいろ調べてみましたが、やっぱり、ご指摘のとおりのようです。「引用なら許される」ということらしいですが、「引用」とはどの範囲なのかなど様々な見解はあるようなのですが、全文掲載そのものは問題があるようです。

 で、浜田さんの歌詞の紹介をメインの動機の一つにしている「A PLACE IN THE SUN」としては、ホントに行き詰ってしまいます。

 何かいい方法はないのか?

 とあれこれ考えました。
 それで、とりあえず、歌詞の掲載されているページのリンクとそのページのキャプチャー画像の貼り付けという方法をとってみることにしました。

 これで、著作権はどうなんでしょうか?
 よくわかりません。


 で、どの曲かというと、今の季節にふさわしく「紫陽花のうた」です。
 1996年11月にリリースされた20枚目のアルバム「青空の扉」に収められた曲です。その後、2003年9月に発売されたアルバム「初秋」にも収録されました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾 「♪紫陽花のうた」です。


紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽
紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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 ということで、久々の浜田省吾でした。
 それでは、また。






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2008年2月 7日 (木)

岩国の闘いに思いを馳せて--SHOGO's Words No.22 「いつかもうすぐ」

 ポチです。
 寒い日が続いていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。


 先日、岩国市在住のHitoming♪さんから次のようなコメントをいただきました。

岩国にあった反戦喫茶「ほびっと」のウエイトレスのことを歌った「いつかもうすぐ」という曲、きいたことないのできいてみたいです。わたりさんにもちらっとメールで提案したことあるんですが、「ほびっと」を一日だけでも再現(復活)させてみたら面白いでしょうに。夢のような話ですが、こっそり浜田さんにも来て頂いてですね♪ 「ほびっと」が解体されずに現存していたら、これはものすごい文化的(歴史的)価値のあるものになっていたのではないでしょうか。とっても残念です。

 Hitoming♪さんには、「次のSHOGO's Wordsは『いつかもうすぐ』にしますよ」とコメントを返したのはいいのですが、市長選挙も始まるし、体調もよくないし、仕事も山積みだしで、なかなかリクエストにお応えできませんでした。
 なんとか岩国市長選挙が終わるまでにはとあせっていましたが、もう今日しかないと思い、早起きして書いています。


 ということで、今日は、岩国市長選の大激戦に思いを馳せながら、浜田さんの「いつかもうすぐ」という歌を紹介します。


 1979年12月に出された5枚目のアルバム「君が人生のとき・・・」に収録された曲です。
 浜田さんの歌にはめずらしく、他の人の作曲です。
 作曲は、イアン・タイソンという人で、原曲はイアン&シルビアというグループが歌った「Someday Soon」という曲です。
 浜田さんは、ジュディ・コリンズが歌ったバージョンのこの曲が好きで、あるインタビューでは、「エンドレステープに録音して聞いていた」と話しているほどです。それで、自分で歌いたくて日本の詞を自分でつけたそうです。
 浜田さんがDJをやっていた番組では、この曲について次のように話しています。

 「ふとしたきっかけ、車の中でこの曲を聴いて、ずっと何という曲だろうと捜し続けてやっと誰の曲かわかって、レコードを捜しまくって、買って、一日に20回くらい聴いて、英語で歌詞を覚えて、それでも飽きたらず、自分で日本語の歌詞をつけて、ステージでも唄っている歌で、21の男の子がコロラドからやってきて、自分を・・・女の娘が歌う歌なんだけど・・・自分をカリフォルニアに連れてってくれ、一緒にいこう、パパやママが反対するけど・・・っていう、可愛い歌なんです」
 

 調べてみたら、最近のツアーでは、「ON THE ROAD 2006-2007」の昨年11月の横須賀芸術劇場でのコンサートで、浜田さんはこの歌を歌ったようです。
 最近のコンサートで、この歌はあまり聴かないと思うのですが、やはり、横須賀といえば米軍基地。同じ米軍基地のある岩国を歌ったこの歌を取り上げたのでしょう。
 そのときのコンサートで、浜田さんは概ね次のように話したそうです。

 「大学時代(神奈川大学)、横須賀に遊びに来たことがあります。予備校生の時は、岩国の米軍基地のそばに住んでいたから、横須賀は馴染みのある場所です。当時は、ベトナム戦争が終る少し前くらいで、岩国はすさんでいました。アメリカの若者は、当時はまだ徴兵制で、無理やり戦場に行かされていたんです。だから岩国には、脱走する若い兵隊もいて、そんな兵隊さんたちを匿ってくれるカフェがあったんです。そのカフェに知り合いの女の子が働いていました。俺が18歳で、その女の子が17歳でした。反戦デモにもいっしょに参加していました」

 そして、この曲を弾き語りで歌ったそうです。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾で、「いつかもうすぐ」です。



           いつかもうすぐ

Shogo18あの娘は
  米軍キャンプの傍にある
小さな店で働いてた
僕らは約束した
  この町出ようねと
いつか もうすぐ

あの頃は 僕はまだ18で
望めば すべてが叶うと信じてた
あの娘の あれた手を見る度 呟いた
いつか もうすぐ

どうして 僕を待ってくれなかったの
こうして 今 迎えに来たのに

あの娘は青い目の若い兵隊と
五月に行っちまった カリフォルニア
今でも この町で 一人呟いてる
いつか もうすぐ






 さあ、岩国市長選の投票日まで、今日を入れてもあと3日。
 今日から2日間、休みを取りました。
 これから、岩国に行きます。

 もし可能なら、現地の様子をまたお伝えします。
 では、また。




 

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2008年1月22日 (火)

「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」井原さんへの応援歌--SHOGO's Words No.21 「家路」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりました。
 今日は冷たい雨も降りました。
 仕事に追われ、私の体調もすぐれません。みなさん、お元気でしょうか?


 さて、岩国は市長選挙の投票日まで20日を切りました。
 激しい選挙戦がたたかわれているようです。
 カギは、「市民騙し」の手法に徹する移転容認派が流す事実とはかけ離れた宣伝を打ち破れるのかどうかにかかっていると思います。

 私自身、これまで、何ができるのかと悩んでいました。
 そんな時、前回の記事に、現地でがんばっておられるわたしよりひろさんから次のようなコメントをいただきました。

ポチさまお世話になります。
今晩の井原のミニ集会で『移転容認派の「騙し」の戦術』
の内容からお話しさせていただきました。
無断借用ですが、井原前市長の応援弁士として頑張ってきましたので、どうかお許しを…

 きっと、わたりさんは、ご自分のお考えをお話しされたのであり、私の記事の内容と少しばかり共通点があっただけなのだとは思います。それでも、そんな風に言われると「自分も少しは岩国市長選挙のたたかいに参加している」という実感がわいてきます。
 わたりさん、ありがとうございました。



 さて、今年になって、「浜田省吾カテゴリー」を一つも書いていないことに気がつきました。しかし、岩国市長選挙も大詰めです。そこで、井原さんの応援歌として、浜田さんの歌を紹介することにしました。



 もちろん、井原さんには、彼を支える多くの仲間がいます。
 しかし、彼は、一人で国と対峙し、議会では容認派と対決しなければなりません。
 道標もない道に一人たたずんでいるかのような耐え難い孤独を感じられることもあるのではないでしょうか。引き裂かれるような思いをされることもあるかもしれません。
 これまで支えてくれた人が去っていったこともあるでしょう。
 そして、市民の安全と暮らしを一身に背負い、疲れ切っておられるかもしれません。
 だけど、井原さんには、それがどんなに困難でも、どんなに遠い道のりでも、たどり着いてほしいのです。「自らの知恵と勇気でまちを切り拓」く岩国、「民主主義と自治」が守られた明日の岩国に(括弧内は井原さんの「訴え」より)。

 そんな激励の思いを込め、1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でおこなわれた彼の野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」の時の、浜田さんの言葉とともに、私の大好きなこの歌詞と歌を井原さんに贈ります。

 浜田省吾「家路」です。


 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
    (「A PLACE IN THE SUN・海ノ中道」でのMCより)




       「家路」

Shogo17_2青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を
    導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの
      やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ
      迷いの中さまよう


そして孤独なエゴは 愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

Shogo16_2どんなに遠くても
    たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ

青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ








 

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2007年12月31日 (月)

2007年のお別れに--SHOGO's Words No.20「ラストダンス」

 ポチです。
 いよいよ2007年も最後の一日です。
 昨日に引き続いて、今日も寒い一日になっています。北陸のほうは大雪だと伝えられています。ここ宇部市でも、朝、少しだけ雪が降っていました。



 今年は、大激動の年でした。参院選での自民党の大敗北や岩国での艦載機移転を許さない市民のたたかいなどなど・・・・。
 来年は、解散・総選挙があると言われています。そして、そして、2月には岩国市長選挙です。今年以上の大激動の年になるのではないかと予感させます。
 そして、本当に道理も正義もないめちゃくちゃなことがまかり通るような日本が終わりを告げる転機の年になった、あとで振り返って、そう言われるような一年にしたいものだと思います。




 一年の最後をどう締めくくるか悩んだのですが、やはり私らしく、浜田省吾でいきたいと思います。
 浜田さんが、コンサートの最後にうたう歌です。
 「ON THE ROAD 2006-2007」の時は、2度にわたるアンコールの最後がこの歌でした。「ON THE ROAD 2005」はアリーナツアー(1万人から2万人のコンサート)で2会場に行きました。広島グリーンアリーナの最後の曲は「MIDNIGHT BLUE TRAIN」でしたが、大阪城ホールの時はこの曲でした。1万人以上の大合唱でした。

 1977年にリリースされた2枚目のアルバム「LOVE TRAIN」に収録された曲です。そして、06年に出された27枚目のアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.2」の最後の曲です。
 「vol.1」も含めて、このベスト盤の他のすべての曲がスタジオ録音であるのに対して、この曲だけがライブ音源です。「ON THE ROAD 2005 My First Love」のツアー最終日、12月11日のさいたまスーパーアリーナでの公演を音源にしています。もちろん、アンコールの最後の曲、つまり、「ON THE ROAD 2005」の最後の曲でした。
 これを聞くと、大阪城ホールで生で聞いた浜田さんの歌声と集まった1万人の歌声が蘇ります。


 それでは、今年最後の「SHOGO's Words」。
 「ラストダンス」です。



        「ラストダンス」

Shogo13_2
キャンドル揺れる 横顔
グラスに落とす 
    かすかな ため息
二人で 靴が すりへる程
歩いた この都会 
      今夜は寂しそう

もう一度 踊っておくれ
          このままで
もう一度 口づけおくれ
          このままで

「もう一度 やり直せたら・・・」
馬鹿だぜ そんな話は
          もう止めよう
僕が 僕である限り
何度 やっても 同じことの繰り返し

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで

ライトに浮かぶ ふたつの影
悲しげな眼差し 苦しげな あえぎ声
言葉は もう何も 伝えない
寒い程の 寂しさも むなしさも

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで



         



 それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。




 

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2007年12月24日 (月)

SHOGO's Words No.19「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりましたが、みなさん、お変わりありませんでしょうか?
 今年もあと8日。今年も一年短かったなあ・・・・。


 今、午前5時です。クラシコが終わりました。
 バルサ 0-1 レアル・マドリー
 ・・・ガッカリ。
 まったくバルサらしくない試合でした。


 気を取り直して・・・・。
 
 ということで、今夜はクリスマスイブです。
 と言っても、私にはなんの変哲もないただの月曜日。振り替え休日であろうがなんであろうが関係ありません。まもなく仕事に出発します。
 カミさんが生協にケーキを頼んでいましたから、今夜はカミさんと子どもたちはクリスマスケーキを食べるのかもしれませんが、これも私には関係ありません。どうも甘いものが苦手で、ケーキだとか饅頭だとかは、見ただけで鳥肌がたって気分が悪くなります。
 でも、まあしかし、クリスマスイブなのだからして、それなりの更新をしておきます。

 浜田さんからクリスマスカードが届きました。

Card

 もちろん、私が浜田さんと個人的に親しくて、カードを送っていただいたということではありません。浜田さんのメールマガジンに登録しておけば、誰にでも自動的に送ってきてくれるものです。
 浜田さんのファンのブログには、今日はいっせいにこの写真が登場することでしょう。

 で、やはり今日の歌は、これしかないでしょう。
 浜田さんの13枚目のアルバム「CLUB SURF & SNOW BOUND」(87年6月)の1曲。その後、15枚目のアルバム「Wested Tears」(89年9月)にアレンジを変えて収められました。また、最新のアルバム「The Best of SHOGO HAMADA Vol.2」(06年8月)にも収められています。

 クリスマスソングというと、山下達郎の「クリスマス・イブ」が有名ですね。今年はスズキ自動車のCMで流れています。
 山下さんの歌も好きで、CDも持っていますが、浜田さんのこの歌も捨てがたいと思っているのですが・・・。

 ちなみに、私は、オリジナルより、「Wested Tears」に収録されたアレンジの方がお気に入りです(浜田さんのファンのブログなどを見ると、逆の意見のほうが多いようです)。
 で、今日は「Wested Tears」の方の曲をリンクしておきました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」です。

   

 MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ

あの娘乗せた翼 Shogo8
夜空へ消えてく

空港の駐車場 
もう人影もない
“行くな”と引き止めれば 
今頃二人
高速を都心へと 
走っていたはず

失くしたものが あまりに
大きすぎて 痛みを
感じることさえも 
出来ないままさ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

妹と暮らすつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きてゆけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ

形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会の灯りが遠ざかる

降り出した みぞれまじりの
雨が雪に変わってゆく
誰も皆 愛する人の
待つ場所へと 帰ってゆく

ポケットの中 あの娘に贈ろうとした Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない 何ひとつ




 それでは、すてきなクリスマスイブの夜をお過ごしください。



 

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