浜田省吾

2008年12月13日 (土)

開設2年目の記念の日に 「A PLACE IN THE SUN」

 ポチです。
 ここ山口県宇部市は、一時の寒さが和らぎ、日向に出るとホカホカとしていい気分です。
 北の方に行くと、そんな呑気なことは言ってはおられないのでしょうね。
 全国のみなさん。お変わりありませんでしょうか?
 
 
 さて、今日は、このブログを開設して、ちょうど2年目の記念日です。
 仕事に忙殺されて、更新できなかったことも何度かありました。
 最近では、気力がなえてしまって、更新しないだけでなく、2ヶ月近くもブログ界そのものから遠ざかってしまっていました。「ああ、このままブログともさよならかなあ」とその時は本当に思いました。
 なんとか気力を振り絞って、再開してからは、少し調子が出てきて、あきらめなくてよかったなあと思っています。
 
 毎日更新されておられる方は本当に尊敬します。しかも、そのなかには、長文なんだけどわかりやすい記事を書いておられる方も少なくありません。
 私は、文章を書くのがイマイチ得意ではないと言うか、ヘタクソなので、書くのにえらく時間がかかります。「ああでもない」「こうでもない」などと考え始めると筆がピタッと止まってしまって、なかなか先にすすめません。苦労のすえ書いた文章も、読み返してみると、わかりにくく、なおかつ「くどい」ものが多く、自分でも嫌になってしまいます。
 
 それでも、毎日、訪れていただく方がいらっしゃることは大変励みになります。それがあったからこそ2年間も続けることができたのだと思います。
 以前にも書きましたが、私がブログを開設していることを知っている人は、私のまわりには誰もいません。つまり、ここに訪れていただく方は、すべてブログを通じての友人ということになります。
 コメントやTBをいただいた方はもちろん、通過していっただけの方も含めて、本当にありがとうございました。
 そして、これからもよろしくお願いいたします。
 
 
 
 「A PLACE IN THE SUN」の由来やエピソード、それから歌詞については、半年の節目1周年の時の記事に書きましたので、ここでは割愛させていただきます。よろしかったら、過去の2つの記事を読んでみてください。
 
 今回紹介する動画は、浜田さんのコンサートツアー「ON THE ROAD 2006-2007」のオープニング部分です。このコンサートで浜田さんは、久しぶりにオープニングにこの曲をつかいました。

 それでは、ブログタイトルにさせてもらった曲をどうぞ。
 浜田省吾で「A PLACE IN THE SUN」です。
 







 

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2008年11月29日 (土)

長女の誕生日の日に――SHOGO's Words No.27「Happy Birthday Song」

 ポチです。
 いかがお過ごしでしょうか?
 今日のカテゴリーは、一応「浜田省吾」にしていますが、実は私の家族のことを書きます。少し長いエントリーになりますが、お付き合いください。

 11月29日、今日は長女の誕生日です。
 あの日は、本当に寒い一日で、当時住んでいた山口市にその年の初雪が降った日でした。
 仕事を抜け出し、バイクで病院に駆けつけたことを昨日のことのように思い出します。


 わが家では、癌が再発し、抗がん剤治療を受けていて、けっして体調がいいとはいえないカミさんに代わって、長女が家事一切を引き受けてがんばってくれています。
 その彼女のことを書きます。


 私の転勤で、長女は、山口県の田舎の無認可保育園から、いきなり東京の小学校に入学しました。さらに、世田谷区から足立区への転居に伴い、転校。そして、5年生の最後の3ヶ月と6年生の1年間は、またまた私の転勤で、宇部市の小学校に通いました。
 中学校進学時には、宇部市内の現在の家に転居したため、小学校時の友人のまったくいない中学校に入学。
 本当に親の都合で、かわいそうなことをしたと思っています。


 高校1年の夏休み明けから学校に行かなくなり、そして、学校をやめてしまいました。
 本人と話すと、部活の先輩が自分をにらむ、怖いというのです。一方、学校で先生の話を聞くと「そんなことはないと思う」とのことでした。


 それから、荒れた日々が続きました。
 部屋に閉じこもって出てこない。
 自傷行為を繰り返す。
 まだ小さかった妹や弟をいじめる・・・・・・・。


 そんな日々が1年くらい続いたでしょうか。ある日、私たち夫婦に対し、娘が何かをぶつけるように叫びました。

 「お母さんもお父さんも何もわかっていない!」と・・・。

 娘が東京時代の小学校4年生の時にいじめにあっていたことをそのとき初めて知りました。
 ある時など、跳び箱のなかに閉じ込められたりもしたそうです。
 私たち夫婦は、そんなことはまったく知りませんでした。
 私は、東京時代は、出張が多く、全国を飛び回っていました。カミさんは、看護婦をしながら、保育園に通う2人の妹や弟の世話に明け暮れていました。
 そんな私たちに気遣ったのでしょう。彼女は、いじめをうけていることなどおくびにも出しませんでした。
 しかし、それはずっと彼女の大きな心の傷になっていたのです。
 あとになって気づいたことですが、小学校時代のいじめ以降、彼女は、いつも人の目を気にし、ビクビクしながら生きてきたのだと思います。「部活の先輩がにらむ」ということも、その先輩にとっては普通に見ただけだったのかもしれません。しかし、彼女には、それが恐怖だったのです。



 そして、高校一年のときに私が投げかけた彼女への言葉。

 「お前はどんどん腐っていってるんじゃないのか?」


 仕事の忙しさを理由に、子どもたちの勉強などほとんどみたことのなかった私でしたが、それでも、カミさんに言われ、時々は勉強をみていました。
 当時の私の持論は、「数学は他の学問とは質的に違って大事。数学は論理学であり、ものを考える力を養う学問」というもので、異常に数学を重視していました。
 自分としては、随分丁寧に教えているつもりだったのですが、まじめに考えて数学にとりくもうとしない彼女に、私は切れてしまいました。
 そして、彼女に投げかけたのが先の言葉です。
 言い訳ですが、自分としては、彼女を激励するつもりだったのだと思います。
 でも、本当にひどい言葉です。思い出すたびにひどい自己嫌悪に陥ってしまいます。



 彼女は、叫びました。

 「お父さんの言葉で私がどれだけ傷ついたかわかるか!」

 恥ずかしながら、彼女にそう言われるまで、自分がその言葉をはいたことすら覚えていませんでした。
 激しいショックをうけました。
 自分がいかにダメな父親であるかを思い知らされました。



 その後もしばらく、自傷行為やものを壊したりということが続きました。
 そして、決断しました。
 カミさんと二人で、評判の医者がいるという岡山県の精神病院まで出かけ、相談しました。

 私たち夫婦が自分のことを真剣に考えてくれているということがわかったからでしょうか。それを境に彼女の私たちに対する攻撃的な態度も少しずつ変わってきたと思います。



 岡山の病院では、通院するにも入院するにもあまりにも遠いので、近くの病院を紹介しようということになって、福岡県の精神病院を紹介してもらいました(けっして近くはないのですが、山口県内にその病院が紹介できるような病院がなかったのです)。
 彼女に、そのことを説明し、「行ってみようよ」と話しました。彼女から、「行ってみる」との返事がもらえたときは、夫婦でホッとしました。



 福岡県の病院を受診した初日。
 比較的若い男性のドクターでした。なんとなく「うまくいきそうだ」と思った矢先でした。ドクターの一言に反応し、彼女は半狂乱になって病院から駆け出していってしまいました。
 それから約1年、時には嫌がる彼女を励ましながら、3週間に一度の割合で受診を続けました。最後の頃は、彼女もそのドクターを信頼していたような気がします。



 私は、仕事を1ヶ月間休職し、一日中、娘といっしょにすごしました。その後は、カミさんが休職しました。
 もちろん、私が彼女にしてやれることは何もありません。何か話してくれるわけでもありません。ただ、娘の傍にい続けることが大事だと思ったのです。



 病院を受診したある日、ドクターから、私たち夫婦に言われた言葉は衝撃的でした。

 「境界型の分裂症(今で言う統合失調症)だと思います。うつ病の場合は、今ではいい薬も出てますので、必ず治ると言えるのですが、分裂症はそうは言えません。快方に向かう場合もありますし、そうでない場合もあります。何とも言えません」

 帰りの車の中ではものを言う気力もありませんでした。



 その後、県内の病院に通うようになったのですが、そこもやめ、今は病院にはかかっていません。一応、薬がなくても過ごせるようになりました。

 何度か、バイトに行ったこともあるのですが、どれも人間関係のプレッシャーに押しつぶされて長くは続きませんでした。


 こんなこともありました。
 ある雨の日、彼女は、カミさんと買物に出かけていました。3時からバイトが入っていたのですが、彼女はその時間が過ぎるまですっかり忘れていたのです。彼女は半狂乱になり、カミさんが目を離した隙に、雨のなか、姿を消してしまいました。
 カミさんが必死になって探したのですがみつかりません。
 そうこうしているうちに、消防署から娘を保護しているとの連絡がありました。雨の中、路上に倒れているのを通りがかりの人がみつけて119番してくれたそうです。
 カミさんが駆けつけてみると、彼女は、恐怖に顔を引きつらせて、「家には帰らない」と言い、しばらくして落ち着くまで救急車の中で過ごしたそうです。
 仕事だったことに気付いた時点で、バイト先には体調が悪いので休むという連絡はしていたのですが、なかば無断でバイトを欠勤したことで、「みんなが自分をどう見るだろうか」という不安が彼女を襲っていたのではないでしょうか。それは、たぶん彼女にとっては、「恐怖」とも言えるものだったのでしょう。



 彼女は、日常生活に何の支障もありません。普段は、人間関係をつくるのが下手なだけの普通の若い女性です。
 「大学に行きたい」と独学で一生懸命勉強して大検を受検。一発で合格をした頑張り屋さんでもあります。
 しかし、何か、彼女の心を棘刺すものが生じた時、突如として精神的に不安定になります。
 それは、彼女の未来を左右する小さくない存在です。
 自らの責任で彼女をそうしてしまったことを、日常生活のなかで、ついつい忘れてしまう自分がいます。
 今日の彼女の誕生日に、この文章を書くことで、痛苦の反省を新たにし、一生、彼女を守っていくことを自らに誓おうと思います。



 「子どもは親を映す鏡だ」とよく言います。本当にそのとおりだと思います。
 自分の父親としてのダメさ加減にうんざりします。
 彼女が自らの身を犠牲にして、私を少しだけまともな父親にしてくれたのだと思います。
 ・・・・・・・・・・・・。
 計り知れない犠牲のうえにですが・・・・。



 今、母親を思い、「自分がお母さんを支えなければ」と、必死にがんばっている彼女に頭が下がる思いです。



 そんな彼女に、「誕生日おめでとう」の言葉とともに、この歌を贈ります。
 歌詞の前半部分は、わが家の実態とはかけ離れているのですが、後半部分の思いはそのままです。

 浜田省吾「Happy Birthday Song」です。


     Happy Birthday Song

Shogo30_2 パパとママにありがとう
二人の努力実って
今、君はここにいる
Happy birthday to you

ケーキの上にキャンドル
歳の数だけ灯して
祈ろう きみの幸せ
Happy biryhday to you

世界にひとつの尊い命
かけがえの無い人

明日は昨日よりも
もっといい日になるだろう
そう信じて生きていこう
Happy birthday to you




 動画は、浜田さんのコンサートツアー「ON THE ROAD 2005」、さいたまアリーナでのリハーサル風景です。
 なお、この歌はCDにもなっていない曲なので、歌詞紹介のサイトに載っていません。それで、今回はテキストで紹介します。すみません。著作権上問題があるというのは重々わかっているのですが・・・・。




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2008年8月15日 (金)

63回目の8月15日――SHOGO's Words No.26「RISING SUN(風の勲章)」

 ポチです。
 昨日は、湧き水を汲むために、大きなポリタンクを3つ積んで秋芳町に行きました。このあたりでは一番の水だと評判です。口コミで広がったのか、国道から車の離合もできない山道をかなり入ったところにある水汲み場なのですが、いつも3~4人の方がおられます。県外から来られる方もおられるようです。
 宇部市は灼熱の真夏だったのに、秋芳町内に入るとみるみる空は真っ暗に。そして、土砂降りの雨。前も見えないほどです。スピード狂の私も思わずアクセルを緩めてしまうほどです。
 秋芳町の北の端に近い水汲み場のあたりでは小降りになっていましたが、水を汲んで帰り出すとまた土砂降り。そして、秋芳町から宇部市に入る頃には、路面はまったく濡れておらず、また灼熱地獄に。
 ああ、これが最近各地でおこっている「局地的豪雨」ってヤツかと、そのすさまじさに驚いてしまいました。


 さて、今日は63回目の終戦記念日です。
 天皇制政府と軍部がすすめた領土拡張と他国支配のための侵略戦争は、2000万人ものアジアの人々の命を奪い、300万人をこえる日本国民の犠牲者を生みました。
 中学生だった私の叔父は、1945年8月6日、学徒動員で作業をしていた広島市で原爆の被害者となりました。
 日本軍国主義の侵略戦争と植民地支配によるすべての犠牲者の方々に心からのご冥福をお祈りします。

 去年の終戦記念日は、郷土の汚点である安倍晋三が首相でした。
 彼は、「戦後レジームからの脱却」と叫びました。彼の言う「戦後レジーム」とは、憲法で明記された国の基本――主権在民、恒久平和主義、基本的人権――に他なりません。それからの「脱却」とは、「二度と戦争をくりかえさない」という日本が世界に向けた公約を破棄するという宣言でした。
 事実、彼は、侵略戦争を「アジア解放の正義の戦争だった」と言い募り、海外派兵を「ためらわない」と豪語しました。
 その安倍首相も、昨年の参院選で国民から「ノー」の審判を突きつけられ、惨めな辞任劇を演ずる他ありませんでした。
 しかし、日本を、アメリカ言いなりに、海外で戦争をする国にしようとするたくらみが、それで終わったわけではありません。

 今日、8月15日が、日本国民が、日本がおこなった侵略戦争の実態を直視し、「二度と過ちは繰り返さない」という誓いの気持ちを新たにする日になることを心から希望します。


 浜田省吾の歌をどうぞ。
 1988年にリリースされた14枚目のアルバム「FATHER'S SON」に収められた曲です。

 浜田省吾、「RISING SUN(風の勲章)」です。


RISING SUN(風の勲章) 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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 今日は、早朝から、自分自身はやったこともないゴルフの受付業務に狩り出されることになっています。まもなく迎えがやってきます。
 夜は、同窓会による飲み会。

 それでは、また。
 ポチでした。

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2008年8月 9日 (土)

結婚記念日にカミさんに捧げる歌――SHOGO's Words No.25「星の指輪」

 ポチです。
 うだるような暑い日が続いています。
 みなさん、お元気でしょうか?
 私は絶不調です。
 月曜日に親知らずを抜きました。抜いたあとが数日間うずき、左の頬の腫れはいまだにおさまっていません。で、痛み止めと化膿止めの薬を飲むのですが、これが強力な薬で、痛いので多めに飲むと、頭がボ~ッとして、まったく仕事になりません。そして、薬が切れるとシクシクうずいて、これまた仕事になりません。やるべき仕事は遅れに遅れて、痛みが薄れたあとはたまっていた仕事の山に追われ続けています。
 ということで、大変な1週間でした。
 当然、ブログに向かう気力はまったくありませんでした。
 6日には、広島の原爆忌なので、また「八月のうた」でも取り上げようかと思っていたのですが、それもならず、予想通りZUNDEREさんにやられてしまいました。あ~、マミー♪さんにもやられていました。
 また、いただいたコメントへのお返事やTBのお返しもできていません。申し訳ありませんでした。


 さて、今日は8月9日です。
 「今日は何の日でしょう?」と聞くまでもなく、長崎に原爆が落とされた日です。
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 6日の追悼集会での広島市長の平和宣言も、今日の長崎市長の平和宣言も非常に感動的なものでした。それに比べて福田首相のあいさつは、何ともつまらないものでした。

 でも、私にとっては、今日はもう一つ意味のある日で、私とカミさんの結婚記念日です。

 カミさんは、2歳年上です。私が学生時代のサークル活動の中で知り合った大病院の看護婦さんでした。私が大学を卒業して1年後に結婚しました。

 実は、カミさんは、5年前に乳がんを患いました。手術後、順調に過ごしていたのですが、2年前に再発。骨に転移し、現在も治療を続けています。今は、放射治療が中心ですが、けっしていい方向に向かっているとは言いがたい状況です。
 骨の癌はたいへん痛いものだと聞きますので、本当は辛いのではないかと思うのですが、本人が非常に強い人なので、日ごろは彼女が病人であることをつい忘れてしまうほどです。また、看護婦だから「人の死」をけっこう見慣れているからなのでしょうか、「おばあちゃん(私の母)より私の方が早く死ぬだろうから」などと平気で言うので、こっちとしては何と答えていいものやらドギマギしてしまいます。

 2年前の浜田さんのツアー「ON THE ROAD 2006」の山口県周南市のコンサートには彼女といっしょに参加しました。コンサートの直前に放射線治療が始まり、彼女が行けるのかどうか不安でしたが、副作用もどこ吹く風で元気に参加してくれました。

 そのコンサートでも歌ってくれたこの歌を、カミさんに捧げます。
 1993年にリリースされた18枚目のアルバム「その永遠の一秒に~The moment of the moment~」に収録された曲です。


 それではどうぞ。浜田省吾、「星の指輪」です。



星の指輪 ~STAR RING~ 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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2008年7月28日 (月)

傷つけられる若者――SHOGO's Words No.24「独立記念日」

 ポチです。
 すみません。しばらくブログの世界から遠ざかっていました。
 先日の連休も含めて、仕事・仕事のオンパレード。しかも、暑くて夜は眠れず、とてもブログに近づく気にはなりませんでした。
 そのうえ、しばらくおさまっていた頭痛がぶり返してきて、どうにも我慢できずに病院に行ったら、血圧をはかられ、「下が120で上が170」と言われて少々ショックを受けています。医者からは「可能な限り早く精密検査に来るように」ときついお達しがありました。
 もらった薬を飲んでいると頭痛は治まってきたのですが、それだけでは終わりませんでした。続いて、今度は歯が痛くなったのです。これもどうにも我慢ができず、歯医者さんに行くと、奥の「親知らず」がいたずらをしていて、化膿しているそうです。これももらった薬を飲むと楽になるのですが、切れ掛かると激痛が襲ってきます。しかも、薬が効いている間は眠いの何の。とても仕事にはなりません。

 ということで、とてもブログに近寄ることはできませんでした。コメントをいただいた方、TBをいただいた方、ご返事が遅れてたいへん申し訳ありませんでした。取り急ぎ、ご返事いたします。


 さて、上記の理由でブログに近づけなかった間に、いろんなことが起こっています。いま、山口県は県知事選挙の最中なので、それも含めて、アレも書きたいコレも書きたいと、その時は思うのですが、思うだけで時は過ぎてしまいました。

 すでに「旧聞」になってしまいましたが、その中の一つに、最近、私の住む宇部市の名前が突如として新聞やTVに取り上げられた事件がありました。
 宇部市の中学2年生が愛知県でバスジャックをおこなったという例のあの事件です。
 この中学校は、私の住む中学校区の隣であり、私の実家は、この中学校と直線距離にして50メートルくらい。実家の母の話では、あちこちでご近所の人が集まっては話題になっていたそうです。
 それにしても、怪我人などがでなかったことは、事件の関係者にとっても、何より当の中学生にとっても、本当に幸いだったと思います。

 そして、その事件があっという間に過去のものになるかのように、次々と新たな事件がおこっています。
 女子中学生が父親を・・・。そして、33歳の男が22歳の女子学生を・・・。
 どうして、こんなことになるのでしょうか。
 秋葉原の事件も含めて、本当に異様な感じがします。社会全体が歪んでしまっているような、そんな感じです。

 もちろん、同じ境遇にあっても、事件を起こす若者とそうでない若者がいるわけで、問題をすべて社会の歪みに求めることはできないと思います。
 しかし、これらの事件を考える時、やはり今、多くの若者が置かれている状況と無関係とはとても思えません。

 私が高校生だった時代も、いろんなことにイラツキ、親をはじめ大人たちの理不尽な振る舞いにウツウツとした気分を持て余していました。しかし、私たちの時代は、そうした気分を発散させる仲間がいました。私が育ってきた環境とはまったく異なる環境の仲間からは多くのことを学びました。多くの仲間たちが自分よりずっと大きな存在に思えました。
 そして、私たちには未来がありました。たんに頭の中で描いた荒唐無稽の「夢」にしか過ぎませんでしたが、それでも「未来はきっと明るい」と思うことができました。

 しかし、今の若者たちはどうでしょうか?
 非正規雇用の蔓延で、モノのように使われ、いらなくなったら使い捨て。アパートを借りるほどの収入も得られず、ネットカフェ暮らし。5年後、10年後はおろか、明日の身すら不確実な暮らし。「あたたかい家庭を築きたい」どころか、結婚する展望すらみつけることはできません。
 学校でも、競争に追われ、卒業した先に展望は見えてきません。

 そして、そうした「先の見えない状態に置かれていること」そのものよりもっと深刻なのは、そうした状態に置かれていることについて、「それはお前が努力していないからだろう?」「お前の能力がないのだからしょうがないじゃないか!」という攻撃が若者を傷つけていることです。
 「そうか、こんなネットカフェ難民の暮らしをしなければならないのも、自分の努力が足りないからか」。そんな風に思い込まされれば、もう「先の見えない状態」から脱出する術はありません。あるのは自己嫌悪と自己否定だけです。
 そして、そして、多くの若者たちは孤独です。

 こんな今の若者に比べたら、きっと私の青年時代なんて牧歌的だったのかなあ、などと思ってしまいます。


 今、若者たちが置かれている状況は、けっして彼らの「自己責任」ではありません。
 彼らを傷つけている人たちはハッキリと存在します。
 一つは、人間としての尊厳を無視した働かせ方を強いている「金儲けのためなら何でもする」という大企業の論理。そして、もう一つは、それを許している政治悪でしょう。
 この政治を早く終わらせないと、この国は滅びてしまうのではないでしょうか。

 ということで、この歌を紹介します。
 1981年10月にリリースされた7枚目のアルバム「愛の世代の前に」に収録された曲です。
 この曲は、さっき言ったようなまだ牧歌的だった時代の若者の姿を描いたものなのかもしれないけれど、それでもこの世代の「イラツキ」をみごとに描いた曲だと思います。何にでも楯突いていた私自身の高校時代を思い起こし、心の底から共感できた曲の一つです。
 そして、最後のフレーズ

 サーチライトに照らし出され
 震えている俺が見えるかい?
 鈍く光るナイフ手にした

 浜田さんも当時、現在ほど、若者が社会から痛めつけられるようになるとは想像していなかったとは思うんだけど、それでも、この部分は何か象徴的だと思うのです。

 この曲について浜田さんが雑誌のインタビューに答えて、言っていることを紹介しておきます。

 「僕の行った高校というのは、丘の上にあるんですよね。そして、校舎が古くて暗い。で、窓の外がすごく明るかったっていう印象があるんです。向こうの方に山があって、青空がずっと続いていて。まだ高校生だから、街から出たことがないんですね。暗い教室に閉じ込められている感じ。それで、山の向こう空の彼方に行きたい、と。それがひとつと、もうひとつ、僕らが中学の頃からずっと問題になっていた、教科書の検定、改正の問題。たぶん歌詞で最初に出来たのは、『教科書から削る文字は 他にもあるぜ』っていうところだったと思う」
             (「Complete Shogo Hamada」より)

 さしづめ、今の若者たちは、「暗い教室に閉じ込められて」いて、しかも窓の外も真っ暗で、居場所もなければ行き場所もない、そんな感じなのでしょうか。

 それではどうぞ。
 浜田省吾、「独立記念日」です。

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独立記念日 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

Photo_2

 















































 



 そろそろ、薬が切れて、シクシク痛くなってきました。
 飯食って薬を飲むことにします。
 それでは、また。
 ポチでした。




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2008年6月20日 (金)

SHOGO's Words No.23 「紫陽花のうた」

 ポチです。
 昨日から、九州北部が大雨になっています。
 この時期の雨は、昔から多くない雨量の雨が長く続くということになっているそうです。「五月雨(さみだれ)」という言葉はここからきているということを昨日TVで知って、「なるほど」と感心してしまいました。ところが、通常、梅雨の最後の時期におこる短時間の集中豪雨が、この時期に降るというのは地球温暖化の影響だと専門家の方が言われていました。
 今日は、山口県も100ミリをこえる雨が降るということで、陰鬱な気分になっています。



 さて、久々に、浜田省吾です。
 なぜ、こんなに浜田省吾カテゴリーが書けなかったかというと、以前、「SHOGO's Word」で「いつかもうすぐ」を取り上げた時、ぱっくすさんという方からコメントをいただいて、

趣旨はわかりますが、歌詞の掲載は浜田省吾さんの著作権を侵害しています

 と指摘されたことです。
 歌詞の掲載が著作権を侵害しているなどと思ってもみなかったので、ちょっとショックをうけました。いろいろ調べてみましたが、やっぱり、ご指摘のとおりのようです。「引用なら許される」ということらしいですが、「引用」とはどの範囲なのかなど様々な見解はあるようなのですが、全文掲載そのものは問題があるようです。

 で、浜田さんの歌詞の紹介をメインの動機の一つにしている「A PLACE IN THE SUN」としては、ホントに行き詰ってしまいます。

 何かいい方法はないのか?

 とあれこれ考えました。
 それで、とりあえず、歌詞の掲載されているページのリンクとそのページのキャプチャー画像の貼り付けという方法をとってみることにしました。

 これで、著作権はどうなんでしょうか?
 よくわかりません。


 で、どの曲かというと、今の季節にふさわしく「紫陽花のうた」です。
 1996年11月にリリースされた20枚目のアルバム「青空の扉」に収められた曲です。その後、2003年9月に発売されたアルバム「初秋」にも収録されました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾 「♪紫陽花のうた」です。


紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽
紫陽花のうた 浜田省吾 歌詞情報 - goo 音楽

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 ということで、久々の浜田省吾でした。
 それでは、また。






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2008年2月 7日 (木)

岩国の闘いに思いを馳せて--SHOGO's Words No.22 「いつかもうすぐ」

 ポチです。
 寒い日が続いていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。


 先日、岩国市在住のHitoming♪さんから次のようなコメントをいただきました。

岩国にあった反戦喫茶「ほびっと」のウエイトレスのことを歌った「いつかもうすぐ」という曲、きいたことないのできいてみたいです。わたりさんにもちらっとメールで提案したことあるんですが、「ほびっと」を一日だけでも再現(復活)させてみたら面白いでしょうに。夢のような話ですが、こっそり浜田さんにも来て頂いてですね♪ 「ほびっと」が解体されずに現存していたら、これはものすごい文化的(歴史的)価値のあるものになっていたのではないでしょうか。とっても残念です。

 Hitoming♪さんには、「次のSHOGO's Wordsは『いつかもうすぐ』にしますよ」とコメントを返したのはいいのですが、市長選挙も始まるし、体調もよくないし、仕事も山積みだしで、なかなかリクエストにお応えできませんでした。
 なんとか岩国市長選挙が終わるまでにはとあせっていましたが、もう今日しかないと思い、早起きして書いています。


 ということで、今日は、岩国市長選の大激戦に思いを馳せながら、浜田さんの「いつかもうすぐ」という歌を紹介します。


 1979年12月に出された5枚目のアルバム「君が人生のとき・・・」に収録された曲です。
 浜田さんの歌にはめずらしく、他の人の作曲です。
 作曲は、イアン・タイソンという人で、原曲はイアン&シルビアというグループが歌った「Someday Soon」という曲です。
 浜田さんは、ジュディ・コリンズが歌ったバージョンのこの曲が好きで、あるインタビューでは、「エンドレステープに録音して聞いていた」と話しているほどです。それで、自分で歌いたくて日本の詞を自分でつけたそうです。
 浜田さんがDJをやっていた番組では、この曲について次のように話しています。

 「ふとしたきっかけ、車の中でこの曲を聴いて、ずっと何という曲だろうと捜し続けてやっと誰の曲かわかって、レコードを捜しまくって、買って、一日に20回くらい聴いて、英語で歌詞を覚えて、それでも飽きたらず、自分で日本語の歌詞をつけて、ステージでも唄っている歌で、21の男の子がコロラドからやってきて、自分を・・・女の娘が歌う歌なんだけど・・・自分をカリフォルニアに連れてってくれ、一緒にいこう、パパやママが反対するけど・・・っていう、可愛い歌なんです」
 

 調べてみたら、最近のツアーでは、「ON THE ROAD 2006-2007」の昨年11月の横須賀芸術劇場でのコンサートで、浜田さんはこの歌を歌ったようです。
 最近のコンサートで、この歌はあまり聴かないと思うのですが、やはり、横須賀といえば米軍基地。同じ米軍基地のある岩国を歌ったこの歌を取り上げたのでしょう。
 そのときのコンサートで、浜田さんは概ね次のように話したそうです。

 「大学時代(神奈川大学)、横須賀に遊びに来たことがあります。予備校生の時は、岩国の米軍基地のそばに住んでいたから、横須賀は馴染みのある場所です。当時は、ベトナム戦争が終る少し前くらいで、岩国はすさんでいました。アメリカの若者は、当時はまだ徴兵制で、無理やり戦場に行かされていたんです。だから岩国には、脱走する若い兵隊もいて、そんな兵隊さんたちを匿ってくれるカフェがあったんです。そのカフェに知り合いの女の子が働いていました。俺が18歳で、その女の子が17歳でした。反戦デモにもいっしょに参加していました」

 そして、この曲を弾き語りで歌ったそうです。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾で、「いつかもうすぐ」です。



           いつかもうすぐ

Shogo18あの娘は
  米軍キャンプの傍にある
小さな店で働いてた
僕らは約束した
  この町出ようねと
いつか もうすぐ

あの頃は 僕はまだ18で
望めば すべてが叶うと信じてた
あの娘の あれた手を見る度 呟いた
いつか もうすぐ

どうして 僕を待ってくれなかったの
こうして 今 迎えに来たのに

あの娘は青い目の若い兵隊と
五月に行っちまった カリフォルニア
今でも この町で 一人呟いてる
いつか もうすぐ






 さあ、岩国市長選の投票日まで、今日を入れてもあと3日。
 今日から2日間、休みを取りました。
 これから、岩国に行きます。

 もし可能なら、現地の様子をまたお伝えします。
 では、また。




 

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2008年1月22日 (火)

「どんなに遠くてもたどり着いてみせる」井原さんへの応援歌--SHOGO's Words No.21 「家路」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりました。
 今日は冷たい雨も降りました。
 仕事に追われ、私の体調もすぐれません。みなさん、お元気でしょうか?


 さて、岩国は市長選挙の投票日まで20日を切りました。
 激しい選挙戦がたたかわれているようです。
 カギは、「市民騙し」の手法に徹する移転容認派が流す事実とはかけ離れた宣伝を打ち破れるのかどうかにかかっていると思います。

 私自身、これまで、何ができるのかと悩んでいました。
 そんな時、前回の記事に、現地でがんばっておられるわたしよりひろさんから次のようなコメントをいただきました。

ポチさまお世話になります。
今晩の井原のミニ集会で『移転容認派の「騙し」の戦術』
の内容からお話しさせていただきました。
無断借用ですが、井原前市長の応援弁士として頑張ってきましたので、どうかお許しを…

 きっと、わたりさんは、ご自分のお考えをお話しされたのであり、私の記事の内容と少しばかり共通点があっただけなのだとは思います。それでも、そんな風に言われると「自分も少しは岩国市長選挙のたたかいに参加している」という実感がわいてきます。
 わたりさん、ありがとうございました。



 さて、今年になって、「浜田省吾カテゴリー」を一つも書いていないことに気がつきました。しかし、岩国市長選挙も大詰めです。そこで、井原さんの応援歌として、浜田さんの歌を紹介することにしました。



 もちろん、井原さんには、彼を支える多くの仲間がいます。
 しかし、彼は、一人で国と対峙し、議会では容認派と対決しなければなりません。
 道標もない道に一人たたずんでいるかのような耐え難い孤独を感じられることもあるのではないでしょうか。引き裂かれるような思いをされることもあるかもしれません。
 これまで支えてくれた人が去っていったこともあるでしょう。
 そして、市民の安全と暮らしを一身に背負い、疲れ切っておられるかもしれません。
 だけど、井原さんには、それがどんなに困難でも、どんなに遠い道のりでも、たどり着いてほしいのです。「自らの知恵と勇気でまちを切り拓」く岩国、「民主主義と自治」が守られた明日の岩国に(括弧内は井原さんの「訴え」より)。

 そんな激励の思いを込め、1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でおこなわれた彼の野外コンサート「A PLACE IN THE SUN」の時の、浜田さんの言葉とともに、私の大好きなこの歌詞と歌を井原さんに贈ります。

 浜田省吾「家路」です。


 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
    (「A PLACE IN THE SUN・海ノ中道」でのMCより)




       「家路」

Shogo17_2青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を
    導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの
      やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ
      迷いの中さまよう


そして孤独なエゴは 愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

Shogo16_2どんなに遠くても
    たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ

青く沈んだ夕闇に
    浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ








 

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2007年12月31日 (月)

2007年のお別れに--SHOGO's Words No.20「ラストダンス」

 ポチです。
 いよいよ2007年も最後の一日です。
 昨日に引き続いて、今日も寒い一日になっています。北陸のほうは大雪だと伝えられています。ここ宇部市でも、朝、少しだけ雪が降っていました。



 今年は、大激動の年でした。参院選での自民党の大敗北や岩国での艦載機移転を許さない市民のたたかいなどなど・・・・。
 来年は、解散・総選挙があると言われています。そして、そして、2月には岩国市長選挙です。今年以上の大激動の年になるのではないかと予感させます。
 そして、本当に道理も正義もないめちゃくちゃなことがまかり通るような日本が終わりを告げる転機の年になった、あとで振り返って、そう言われるような一年にしたいものだと思います。




 一年の最後をどう締めくくるか悩んだのですが、やはり私らしく、浜田省吾でいきたいと思います。
 浜田さんが、コンサートの最後にうたう歌です。
 「ON THE ROAD 2006-2007」の時は、2度にわたるアンコールの最後がこの歌でした。「ON THE ROAD 2005」はアリーナツアー(1万人から2万人のコンサート)で2会場に行きました。広島グリーンアリーナの最後の曲は「MIDNIGHT BLUE TRAIN」でしたが、大阪城ホールの時はこの曲でした。1万人以上の大合唱でした。

 1977年にリリースされた2枚目のアルバム「LOVE TRAIN」に収録された曲です。そして、06年に出された27枚目のアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.2」の最後の曲です。
 「vol.1」も含めて、このベスト盤の他のすべての曲がスタジオ録音であるのに対して、この曲だけがライブ音源です。「ON THE ROAD 2005 My First Love」のツアー最終日、12月11日のさいたまスーパーアリーナでの公演を音源にしています。もちろん、アンコールの最後の曲、つまり、「ON THE ROAD 2005」の最後の曲でした。
 これを聞くと、大阪城ホールで生で聞いた浜田さんの歌声と集まった1万人の歌声が蘇ります。


 それでは、今年最後の「SHOGO's Words」。
 「ラストダンス」です。



        「ラストダンス」

Shogo13_2
キャンドル揺れる 横顔
グラスに落とす 
    かすかな ため息
二人で 靴が すりへる程
歩いた この都会 
      今夜は寂しそう

もう一度 踊っておくれ
          このままで
もう一度 口づけおくれ
          このままで

「もう一度 やり直せたら・・・」
馬鹿だぜ そんな話は
          もう止めよう
僕が 僕である限り
何度 やっても 同じことの繰り返し

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで

ライトに浮かぶ ふたつの影
悲しげな眼差し 苦しげな あえぎ声
言葉は もう何も 伝えない
寒い程の 寂しさも むなしさも

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで



         



 それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。




 

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2007年12月24日 (月)

SHOGO's Words No.19「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりましたが、みなさん、お変わりありませんでしょうか?
 今年もあと8日。今年も一年短かったなあ・・・・。


 今、午前5時です。クラシコが終わりました。
 バルサ 0-1 レアル・マドリー
 ・・・ガッカリ。
 まったくバルサらしくない試合でした。


 気を取り直して・・・・。
 
 ということで、今夜はクリスマスイブです。
 と言っても、私にはなんの変哲もないただの月曜日。振り替え休日であろうがなんであろうが関係ありません。まもなく仕事に出発します。
 カミさんが生協にケーキを頼んでいましたから、今夜はカミさんと子どもたちはクリスマスケーキを食べるのかもしれませんが、これも私には関係ありません。どうも甘いものが苦手で、ケーキだとか饅頭だとかは、見ただけで鳥肌がたって気分が悪くなります。
 でも、まあしかし、クリスマスイブなのだからして、それなりの更新をしておきます。

 浜田さんからクリスマスカードが届きました。

Card

 もちろん、私が浜田さんと個人的に親しくて、カードを送っていただいたということではありません。浜田さんのメールマガジンに登録しておけば、誰にでも自動的に送ってきてくれるものです。
 浜田さんのファンのブログには、今日はいっせいにこの写真が登場することでしょう。

 で、やはり今日の歌は、これしかないでしょう。
 浜田さんの13枚目のアルバム「CLUB SURF & SNOW BOUND」(87年6月)の1曲。その後、15枚目のアルバム「Wested Tears」(89年9月)にアレンジを変えて収められました。また、最新のアルバム「The Best of SHOGO HAMADA Vol.2」(06年8月)にも収められています。

 クリスマスソングというと、山下達郎の「クリスマス・イブ」が有名ですね。今年はスズキ自動車のCMで流れています。
 山下さんの歌も好きで、CDも持っていますが、浜田さんのこの歌も捨てがたいと思っているのですが・・・。

 ちなみに、私は、オリジナルより、「Wested Tears」に収録されたアレンジの方がお気に入りです(浜田さんのファンのブログなどを見ると、逆の意見のほうが多いようです)。
 で、今日は「Wested Tears」の方の曲をリンクしておきました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」です。

   

 MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ

あの娘乗せた翼 Shogo8
夜空へ消えてく

空港の駐車場 
もう人影もない
“行くな”と引き止めれば 
今頃二人
高速を都心へと 
走っていたはず

失くしたものが あまりに
大きすぎて 痛みを
感じることさえも 
出来ないままさ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

妹と暮らすつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きてゆけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ

形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会の灯りが遠ざかる

降り出した みぞれまじりの
雨が雪に変わってゆく
誰も皆 愛する人の
待つ場所へと 帰ってゆく

ポケットの中 あの娘に贈ろうとした Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない 何ひとつ




 それでは、すてきなクリスマスイブの夜をお過ごしください。



 

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2007年12月13日 (木)

祝!ブログ開設1周年

 ポチです。
 橋下さんのその後、マスゾエさんのトンデモ発言など、ウソみたいなホントの話が巷を騒がしていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。
 

 という問題は、後日書くことにします。というのも、今日は、このブログを始めてちょうど1年目の記念日なのです。

 「ブログと言うものがあるそうな」と聞いて、なんのことかよくわからずに、「まあ、とにかくやってみるべ」と始めたのが去年の12月13日です。
 最初のうちは、何を書いていいかわからず、無駄に紙面(?)を汚しているだけという感じでした(今もたいして変わらんけど)。
 当時から超有名だったきっこさんのブログを読んで、ああ、こんなふうに書くもんなんだと一人合点したりしていました。


 この1年に、今日のも含めて、120本の記事を書きました。仕事に追われて、ブログにまったく近づけない時期も何度かありましたが、平均するとほぼ3日に1つという割合なので、けっこうがんばったのかな、とも思います。

 自分で書くだけでなく、他の方のブログにも頻繁にお伺いするようになりました。温かい気持ちにさせていただけるブログ、鋭い問題提起をして考えさせていただけるブログ、読んでいて楽しくなるブログ。
 こうした多くの方々との交流もはじまりました。
 私は、自分がブログを開設していることを、友人・知人、家族にも話していません。この1年間に、多くのコメントやトラックバックをいただきましたが、すべて、このブログを通じての新しい友人のみなさんたちです。
 自分で書くこと以上に、こうしたみなさんとの交流がブログの楽しみなのだなあとあらためて実感しています。
 これからもよろしくお願いします。


 さて、なぜ、ブログのタイトルを「A PLACE IN THE SUN」としかたというと、浜田省吾のことを書きたいけど、それだけではなく、自分の考えていることや身の回りにある問題や日本の社会や政治の腹立たしいことについても書きたいから、「浜田省吾」と露骨にわかるタイトルにはしたくなかったのです。
 それで、「浜田省吾好き」の人にはわかるけど、そうではない人には普通の言葉であるようなタイトルにしたいと思いました。
 そして、この「A PLACE IN THE SUN」という曲の歌詞が、私が書こうとしていること、浜田省吾であったり、日常生活のことであったり、そして社会の矛盾であったりがすべて包括されているような気がしたのです。
 さらに、なにより、この曲は、社会の矛盾を乗り越え、一生懸命生きている多くの人への「応援歌」です。そう考えたときに、ブログタイトルを「A PLACE IN THE SUN」に決めました。


 浜田省吾と「A PLACE IN THE SUN」について少し書きます。
 これまでにも書いたことがありますが、浜田省吾の「Hello Rock and Roll City」という曲の歌詞の中に、こういう一節があります。

  「TICKET TO RIDE」、初めて買ったレコード
  「A PLACE IN THE SUN」、初めて歌ったRhythm and Blues


 「TICKET TO RIDE」というのは、もちろん、ビートルズのナンバーです。そして、「A PLACE IN THE SUN」は、スティービー・ワンダーが歌ってヒットした名曲です。
 本当に、浜田が初めて買ったレコードが「TICKET TO RIDE」で、初めて歌ったR&Bが「A PLACE IN THE SUN」だったのかどうかは知りませんが、そう歌うからには、かなりお気に入りの曲で、影響を受けた曲であることだけは確かだと思います。


 そして、浜田は、初めての野外コンサートに「A PLACE IN THE SUN」と名づけます。1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でそれはおこなわれました。おりしも、台風が接近し、鹿児島県は暴風雨圏内に入っていたそうです。

 その時の、浜田のMCを紹介します。

 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
                      (「Complete Shogo Hamada」より)


Shogo11
「A PLACE IN THE SUN“海ノ中道”」(83年8月)のコンサート風景です

 その後、「A PLACE IN THE SUN」と名づけられたコンサートは、84年4月29日の横浜スタジアム、88年8月20日の渚園(静岡県の浜名湖畔)の2度おこなわれます。
 その後も何度か浜田は野外コンサートをおこないますが、「A PLACE IN THE SUN」というタイトルはつけられていません。

 そして、1996年に出された19枚目のアルバム「ROAD OUT "TRACKS"」の1曲目でこの曲を歌っています。
 また、先日終了したコンサートツアー「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n'Roll」のオープニング曲も「A PLACE IN THE SUN」でした。


 それでは、「A PLACE IN THE SUN」の素晴らしい歌詞をどうぞ。




      A PLACE IN THE SUN

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on

Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run

There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

  太陽のあたる場所

一本の長くて孤独な川のように
僕は夢に向かって走りつづけている
立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように
僕は自由を求めて手を伸ばし続けている
もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように
僕は重荷にうんざりしている
でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように
生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ
ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって太陽のあたる場所はかならずあるから
そいつは誰にでも希望がある場所で
僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ
そうさ、太陽のあたる場所はかならずある
命がつきてしまう前に
太陽のあたる場所を見付けよう


 一周年を記念して、デザインを変えてみました。
 今までの写真は、出来合いのものを利用していたのですが、今回は、自分で撮った写真です。宇部市のお隣の山陽小野田市にある竜王山の山頂で撮りました。

 

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2007年11月28日 (水)

「ON THE ROAD 2006-2007」が終わって--SHOGO's Words No.18「路地裏の少年」

 ポチです。
 年末、年度末に向けて、仕事の増え方はさらに加速してきています。
 その忙しさを振り切って、母親の体調不良をダシにして、仕事をさぼり、先日、山口市で開かれた中村哲さんの講演会に行ってきました。そのすさまじい仕事振りと、そんなことは微塵も感じさせない素朴な風体に心底感動してきました。
 で、その報告を書いている時間は今日はないので、後日、書くことにします。


 で、今日のテーマは、浜田省吾です。
 昨日、山形県の酒田市でのコンサートがおこなわれ、「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n Roll」ツアーが終了しました。
 2006年9月15日、千葉から始まったこのツアーは、2006年に20会場28ステージ、2007年春には23会場35ステージ、2007年秋には14会場20ステージ、合計83回のコンサートがおこなわれました。

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 酒田でのコンサート終了後、まだ会場を出る準備はできていないけれど、「出待ち」をするファンに、浜田さんは、「外で待っている方に長く待たせるのは良くないよね」と、出てきて最後の挨拶をしたそうです。
 「今日は寒いし、ずっと待っていると風邪を引いてしまうので、ここでお別れにしましょう。本当にありがとう!おやすみ!」
(写真と文章は、ツアー公式ブログからお借りしました)



 浜田省吾は、「もっともチケットのとりにくい歌手の一人」だと言われています。半端じゃない数のコンサートをおこないますが、すべての会場は常にソールドアウト。
 一般発売に至っては、「午前10時から電話受付開始」などとなっていますが、10時ジャストからかけ始めても電話は話し中ばかり、30分後につながったと思ったら、「完売しました」。私は、一度、この一般発売に挑戦して以降、先行予約の抽選に外れたら、あきらめることにしました。
 今回のツアーも、私は、大阪から西の会場のコンサートほとんどすべてに先行予約を申し込みましたが、当たったのは、2006年10月の山口県周南市のコンサートだけ。あとはすべてはずれてしまいました。
 とくに、今回は、「ホールツアー」(2000人から3000人程度のホールばかりでのコンサート)だったので、とくにとりにくかったのだと思います。「ON THE ROAD 2005」は、「アリーナツアー」(1万人から2万人以上入るアリーナばかりでのコンサート)でしたが、大阪城ホールと広島グリーンアリーナの2会場で浜田さんのステージを満喫しました。

 マスコミにほとんど露出しないで、なぜこれだけの集客力をもつことができるのでしょうか。
 私もそうですが、ファンが一過性じゃない、ということは大きいと思います。ほんどのファンは浜田さんの歌を本当に好きなんじゃないかな。もちろん、メロディも彼の声も重要な要素ですが、やはり、彼の歌の歌詞です。
 前にも書いたのですが、彼のコンサートやレコーディングでサキソフォンを吹いている古村敏比古さんが、浜田さんの歌詞のことを話しています。以前、書いたときはうろ覚えだったのですが、サイトを見つけましたので紹介します。

http://www.moment.gr.jp/42/interview.html


 該当の部分を引用しておきます。


4243_furumura_still_1 古村:うん。それで、(中村)雅俊さんのツアーを首になって、ぼーっとしてるところに、浜田さんの話が来て、それが82年の終わりぐらいだったかな。

T:最初はどういう感じのアプローチだったんですか。

古村:いや、うーんと、(竹内)まりやさんのところで舞台監督やってた人が、浜田さんの舞台監督で。今もやってるんだけど、その人の紹介で、サックスのさし、「バンドはあるから、サックスだけちょっとセッションで来てくれない?」みたいな感じで。それがすごいんですよ、あの当時で倉敷と広島と島根、全部2デイズ。「えっ? なんでそんなところで2日も出来るの」って。お客さんもがんがん入って、ロックやって盛り上がってるから、「何でこんなに入ってるの、何?」ってびっくりしつつ、楽しんでやって。「ばっちりじゃん!」みたいな話で、それから翌年もやるようになるんですね。

T:じゃあ、その数日間が、浜田さんとの初めてのツアー?

古村:それもリハも何もなしで、テイクだけ送ってきて。「何?これ」って。

T:全曲?数曲?

古村:ううん。何曲か、5,6曲だったと思うけど、1ステージで。

T:最初、浜田さんとライブやってみた印象って、どんな感じだったんですか?

古村:面白かったし、っていうか、びっくりだよね。ロックやってこんなに客入るんだっていうかさ、僕は洋楽志向だったから、聞いてないですから、「歌詞って大事なんだ」って。音がかっこよきゃいいじゃんぐらいなところでいたんだけど、「そうなんだ、ちゃんと歌詞を聞かせると客はついてくるんだ」みたいな。



 浜田さんの歌には、世の中に反発したり、社会の矛盾の中で苦悩する若者や高校生の気持ちを描いたものがたくさんあります。「反抗期」「独立記念日」「マイホームタウン」などがその代表作でしょう。
 自分の気持ちにピタッとくるのです。
 というか、モヤモヤして自分でも自分の気持ちもよくわからなかったのですが、浜田さんの歌を聞いて、なるほど、自分の思いはそうだったんだって気づかされる。そんな感じでした。

 今日、紹介する歌もその一曲です。
 私が一番最初に聞いた浜田省吾の曲で、浜田省吾にのめりこむことになった曲です。

 頭を殴りつけられたような衝撃を受けました。「こんな歌があるんだ」「こんな歌手がいるんだ」という新鮮な驚きでした。

 1976年4月に出された、浜田省吾のソロになって初めてのアルバム「生まれたところを遠く離れて」の1曲目に収録された曲です。
 コンサートでも必ず歌われる曲です。ソロデビュー30周年ということで、「ON THE ROAD 2006-2007」では(といっても、さっきも言ったように2007年のコンサートには行けませんでしたから知りませんが)、30年前の雰囲気そのままに、生ギターだけで浜田は歌いました。

 「路地裏の少年」です。


          路地裏の少年

Shogo7 真夜中の校舎の白い壁に
訣別の詩 刻み込んだ
朝焼けのホームに
あいつの顔 探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き 机の上
ハーモニカ ポケットに少しの小銭
さよならの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ16
遠い空を憧れていた路地裏で

アルバイト 電車で横浜まで帰る頃は午前0時
古ぼけたフォークギター
窓にもたれ 覚えたての「風に吹かれて」
狭い部屋で仲間と夢描いた
いつかは この国 目を覚ますと
裏切りの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ18
肩すぼめて待ち続けた路地裏で

赤茶けた工場の高い壁に
倒れかけた帰り道
家を出て初めて故郷の母に
“元気です”と書いた手紙
恋に落ちて戸惑う熱の中で
いつしか二人で過ごす夜毎に
やさしさの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ21
細い肩を抱きしめてた路地裏で

口づさめば悲しい歌ばかり
届かぬ想いに胸を痛めて
今日もまた呼ぶ声に応えては
訳もなく砕かれて手のひらから落ちて
今は おれ22
初めて知る 行き止まりの路地裏で



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2007年10月 8日 (月)

アフガン報復戦争開始の日に――SHOGO's Words No.17「A NEW STYLE WAR」

 ポチです。
 なんとなく疲れてしまって、PCに向かう気力が起きませんでした(仕事では毎日向かっているのですが)。更新することはもちろん、他の方のブログにお邪魔することもほとんどありませんでした。
 まだ、気力が充実してきたというわけでもないのですが、とにかく更新してみることにします。


 ノリックが死んだ・・・・。
 交通ルールを無視してUターンしたトラックに巻き込まれて・・・。
 18才で全日本ロードレースにデビュー。いきなり史上最年少チャンピオンに。2年後から、ワールドグランプリ500ccにフル参戦。WGPでは通算3勝、表彰台17回。
 ショックだ・・・・。
 阿部典史、享年32歳。心からご冥福をお祈りします。



 さて、気を取り直して本題を。
 6年前の今日、米軍がアフガニスタンへの報復戦争を開始しました。9・11からほぼ1ヶ月後でした。そして、その1ヵ月後には、「テロ特措法」なる法律が成立、自衛隊がインド洋に派兵されました。
 今年に入ってからだけでも、アフガンの民間人の被害者は1000人をこえると言われています。日本の自衛隊の補給艦から給油を受けた艦船から飛び立った米軍機がアフガンの地を空爆し、無差別殺人を繰り広げています。


 そして、6年後の日本では、この報復戦争を憲法を踏みにじって支援してきた「法律」をめぐって論争がおこなわれています。
 自民党の福田さんは「日本が国際社会に果たすべき責任」と言われ、民主党の小沢さんは「国連決議があれば武力行使も」と言われているようです。
 どちらの言葉も、まったく現実感がなく、空疎です。アフガンでどれだけの罪もない人が苦しんでいるのか、ということをこの人たちは考えないのでしょうか。その苦しみを与えることに手を貸している国の総理大臣と野党第一党の党首としての発言の重みはなく、胸の痛みを感じさせるところはまったくありません。
 福田さん、小沢さん、あなた方の手はアフガンの人たちが流す血にまみれているのです。その自覚をこそ、もつべきです。外国がどう思おうが、国連がどんな決議を出そうが関係ありません。人々の死に手を下している(間接的ではあっても)ことを前提にしたあなた方の言葉を聞いてみたい。
 


 ということで、「A NEW STYLE WAR」です。
 1986年9月にリリースされたアルバム「J.BOY」の1曲目に収められた曲。衝撃の一曲でした。
 『ロッキング・オン・ジャパン』という雑誌の87年1月号で、アルバム「J.BOY」についての浜田省吾のインタビューが掲載されています。そこで、浜田はこの曲について、次のように話しました。

「日本は平和だし、世界も今は、ほら、ソ連とアメリカも一時の緊張感ってなくなってきてるでしょう? だけど、これからの戦場っていうのは国境で区切られる戦場ではなくてね、いきなり東京の丸の内のビルが爆破されるかもしれないし、病原菌や自然破壊やそういったことが新しい戦場になるわけで、ある意味では今まで以上に平和な時代ではないんじゃないかなって。あまりシリアスにならないように、書いたつもりですけどね」

 十分にシリアス、そして、時代を先取りしたリアルな曲です。

 浜田省吾、「A NEW STYLE WAR」。
 それではどうぞ。


      

             A NEW STYLE WAR 

地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It's A NEW STYLE WAR


飽食の北を支えてる

飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつか A NEW STYLE WAR

Shogo9_2

貧困は差別へと 怒りは暴力へと
受け入れるか 立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所はない
It's A NEW STYLE WAR

ひび割れた原子力
雨に溶け 風に乗って
受け止めるか 立ち止まるか
どこへも隠れる場所はない
It's A NEW STYLE
It's A NEW STYLE WAR

愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR




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2007年9月19日 (水)

SHOGO's Words No.16 「初秋」(2回目)

 ポチです。
 朝晩は本当に「秋」っていう感じがするのですが、昼間はどうみても「夏」です。今日も暑い一日でした。
 職場でも、話題になっていたのですが、「今年は秋がなくて、夏から一気に冬になってしまうんじゃないか」などと同僚がいっていました。



 そうすると困ったことがおきます。
 「SHOGO's Words」の16番目は、2度目の「初秋」にしようと決めていて、時期を見計らっていたのですが、その機会を逃してしまうことになるからです。

 そこで、まあ、昼間は暑くても、初秋は初秋だ、と割り切って、浜田省吾カテゴリーにいくことにします。


 ということで、「初秋」です。
 1990年6月に発売された18枚目のアルバム「その永遠の一秒に」の収録された曲で、2003年9月に出された24枚目のバラード集のアルバム「初秋」にアレンジを変えて収められました。

  アルバム「初秋」には、「死」や「別れ」を歌った曲がたくさん収められていて、この「初秋」もその一曲です。しかし、アルバムのテーマは、「死」や「別れ」ではない、と浜田は言います。
 アルバム「初秋」が発表された時のファンクラブの会報誌「Road&Sky」でのインタビューで浜田はこう話しています。

「最愛の人を愛する喜びの一方で、同時に切なさや痛みがあるじゃないですか。それはいったいなんだろうと考えると、『この喜びは永遠には続かないんだ』という思いなんじゃないかと。どんなに美しい瞬間も、どんな愛も永遠には続かないんだということを、みんなやっぱり知っている。だからこそ、その瞬間に感動するんだろうと思うんです。誰かを愛するということはそういうことだと思うんですね。だから、今回のアルバムのテーマは、“死”や“別れ”ではなくて、何十億という人がいるなかで偶然出会って、恋人になったり親子になったり夫婦になったりするということ。そしてそれは永遠に続かないということ。だから大切なんだということ。それがテーマなのかなと思います」


 「初秋」という曲は、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争をきっかけに、冬の旧ユーゴスラビアをイメージしてつくったと言われています。
 切なく、ひたすら切なく、本当に、この曲を聴くと、浜田省吾の詞の世界に入り込んでしまう自分を感じます。

 ツアーパンフに、こんな一文が載っていました。

「この曲(「初秋」)など典型だが、浜田の音楽は、音のついた文学詩心を歌心が奏でる“浜田文学”だともいえた。自分にとって曲を書くことは詞を書くことなのだ、と彼は明言する」


 それでは、浜田省吾の「音のついた文学」「詩心を歌心が奏でる“浜田文学”」をどうぞ。
 「初秋」です。


            初秋

Shogo10_2 戦火に倒れた恋人抱きしめて
泣き崩れる男映す TVニュース

誰かを愛したら
その喜びと同じ重さの哀しみも 
手にするのか

永遠の別れがいつか来ることに
人は皆 気付いているから
君と出逢って こんなにせつない
胸の奥が苦しい程

ふれあい いたわり
陽ざしの中で
短い時を共に過ごしたい

いつか君を見送る時が来たなら
笑顔で別れを告げよう
君が僕を見送る時は
この歌を思い出して

どんなに二人で過ごした人生が
幸せに満ちてたか

愛してる いつまでも
傍にいても 離れていても いつでも

僕の名を呼ぶ声も
僕の手にふれるぬくもりも
はかなくて 愛しい

約束も 誓いの言葉も 何もいらない
君がそこにいるだけで



 曲↓は、アルバム「初秋」に収録されたリアレンジされた「初秋」です。

   

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2007年9月 3日 (月)

SHOGO's Words No.15 「夏の終り」

 ポチです。
 この数日、風邪を引いて体調不良です。今日も仕事を休んでいます。
 え? だったら、ブログの更新なんかせずに寝てろって? 
 そのとおりです。でも、少しだけ。



 9月になりました。
 昼間はまだ暑い日が続きますが、朝晩は、秋の風の匂いがしてきてビックリします。

 ということで、ほぼ一ヶ月ぶりの浜田省吾カテゴリー。その15番目は、「夏の終り」です。


 この曲は、最新アルバム「THE BEST OF SHOGO HAMADA vol.1」にも収録されていますが、もともとは、1990年6月に発売された彼の16枚目のアルバム「誰がために鐘は鳴る」に収められていた曲です。

 1990年といえば、バブルが絶頂期をこえ、崩壊に向かい始めた時期です。このアルバムの中に収録されている「詩人の鐘」という曲では、「♪銀行と土地ブローカーに生涯を捧げる悪夢のようなこの国」とバブルの狂乱ぶりを歌っています。

 そして、バブル崩壊の大変な時代を予感したのか、このアルバムのテーマを浜田省吾は「救済」だと言います。
 アルバムタイトルの「誰がために鐘は鳴る」というのは、ご存知のようにヘミングウェイの小説のタイトルですが、この言葉は、ジョン・ダンというイギリスの詩人の詩の一節をヘミングウェイが引用したものだそうで、浜田省吾は、ヘミングウェイの小説ではなく、ジョン・ダンの詩に触発されて、このアルバムタイトルをつけたようです。アルバムに入っているブックレット(?)のなかに、ジョン・ダンの詩の一節が掲載されています。

誰も孤島ではなく
誰も自分ひとりで全てではない
ひとはみな大陸のひとかけら
本土のひとかけら
そのひと握りの土を波が来て洗えば
洗われただけの欧州の土は失われ
さながら岬が失われ
君の友人や君自身の土地が失われる
人の死もこれと同じで
自らが欠けてゆく
何故なら私もまた人類の一部だから
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
それは君のために鳴るなればと
(ジョン・ダン「死にのぞんでの祈り」、浜田省吾訳)


 浜田省吾が90年7月から始まるツアーを前にして話していた言葉がツアーパンフに載っていましたので紹介しておきます。

「90年代というのは、自分を自分で救ってやらねばならなくなる時代だと思うんです。自分で自分に祈りを捧げるというか。その祈りの部分が今後の日本に住む我々にとって大事なんじゃないかと。何か予言めいていますけどね」

 そして、90年代の10年間が「失われた10年」と呼ばれるようになったのはご存知の通りです。


 前置きが長くなりました。
 そのアルバムの最後に収められている曲「夏の終り」です。
 それでは、どうぞ。


夏の終り

Shogo8_2 サンディエゴフリーウェイを
        南に走ってる
国境線越えたら
      砂埃舞うメキシコ
夏の終りの
     乾いた風が窓から
おれの口笛吹き飛ばす
フロントガラスに
テキーラサンライズ
もう誰の心も
  引き裂くことなんてない
この車もギターも
     売り払い海辺の町
潮風と波の音を枕にひとり暮らそう

ギター抱き締めて眠ったあの頃
貧しさと憧れの中 夢見たR&R(ロックンロール) STAR
キャンパスを中退(ドロップアウト)して長い旅に出た
果てしなく続く“ON THE ROAD”
流星のような
幾千もの夜
愛してくれた人 打ちのめす程傷つけた
汚れた悲しいメロディー 身を切るように繰り返す
拍手とスポットライトと報われぬ涙の影で

もう誰の心も引き裂くことなんてない
手に入れたものみんな失ったって構わない
残されたわずかな時間 静かにひとり暮らそう

潮風と波の音を枕にひとり暮らそう






 浜田さんの今年のツアーも大詰めを迎えています。
 西日本の会場のコンサートすべてに先行予約の申し込みをしましたが、すべてはずれ。残されたのは、11月12、13日の広島厚生年金会館だけとなりました。今年はなんとなくだめなような気がするポチでした。
 では、また。

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2007年8月 6日 (月)

一瞬の閃光に――SHOGO's Word No.14「愛の世代の前に」

 ポチです。
 今朝、職場に来ると、関連会社の社長さんのお父さんが亡くなったという連絡。そろそろ危ないのでは、と言われていはいたのですが・・・。
 明日は、また葬儀です・・・。



 さて、今日は、広島に原爆が投下されて62年目の8月6日です。
 久間さん曰く、「しょうがなかった」日です。

 私と「ヒロシマ」の関係は、3日のブログで書いたとおりです。幸い、母はこの10日で80歳の誕生日を迎えますが、今も元気です。きっとあの日、少なからぬ放射能をあびたのでしょうが・・・。

 浜田省吾さんのお父さんも、警察官として、被爆者救護のために、焼け野原の広島市に入り、二次被爆されました。

 なぜ「愛の世代の前に」なのか?
 浜田さん自身がアルバム解説のなかで話しておられる言葉を紹介しておきます。

「“ラブ・ジェネレイション”という言葉が’60年代に流行りましたよね。あの頃はすごくヒッピー的なイメージとしてラブ・アンド・ピースの世代だと言っていたんだけど、ぼくは、そうじゃない、愛の世代というのは、もっともっとあとの世代なんだと思ったんです。1945年に原爆が投下されて、核融合というのが地球というもろい生命体の中に持ち込まれたわけでしょう。それまでの何億年とその後のわずか30年というのは、全く違う世代だなと思ったんです。それまでの戦争というのは、どんな戦争にしてもせいぜい知れてるわけだし、地球の生命体とかそれ自体や人類のヒューマン・レースにはなんの影響も持たないものだけど、1945年以降の世代というのは、一瞬にして全人類がいなくなってしまうという、とてつもない大きな危機感と虚無感に左右されてると思うんです。そういうものがこの地球上から消えない限り、本当のラブ・ジェネレイションとは言えないよね、というそんな気持ちでタイトルをつけたんです」

 1981年9月に発売された7枚目のアルバム「愛の世代の前に」の1曲目に収められたタイトルチューンです。

      愛の世代の前に

Shogo5 愛の世代の前の暴風の中
すりかえられた脆い夢など
崩れ落ちてく

ルーレットは回り続けてる
テーブルに積まれた
切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを
信じて 賭けを続ける

愛の世代の前の
一瞬の閃光(ひかり)に
すりかえられた
脆い希望(ゆめ)など
崩れ落ちてく

憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに
何故 気づかないのか

ミラー・ボールは回り続けてる
幾つもの孤独な腕に抱かれ
俺もまた慰安の中で
むなしく踊り続ける

愛の世代の前の暴風の中
すりかえられた脆い幻想(ゆめ)など
崩れ落ちてく

愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い夢など
崩れ落ちる
愛の世代の前に


 核兵器などというものに人類がおびえて生きることのない世の中をめざして!

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2007年8月 3日 (金)

62年目の夏――SHOGO'S Words No.13「八月の歌」

 ポチです。
 通り過ぎました。
 え、何がって? もちろん、台風5号です。
 停電したらかなわないなあと思っていたのですが、このコースだと直撃かもなあと心配していたのですが、思ったよりたいしたことなかったです。




 さて、8月になりました。
 広島、長崎に原爆が投下されて62年目の8月です。

 私の母の実家は、広島県に隣接する岩国市です。
 母の弟は、1945年8月6日、学徒動員で作業に駆り出されていた広島市で亡くなりました。いまの原爆ドームがある場所の近くだったそうです。

 翌7日、18歳だった母は、父親とともに弟を探しに広島に行きました。
 しかし、弟をみつけることなどできるはずもありません。
 彼は、たぶん、一瞬のうちに消え去ってしまったことでしょう。
 焼け爛れて横たわる無数の遺体とうめき声・・・・・。
 そこで見た光景を母は絶対に忘れないと言います。


 浜田省吾、「八月の歌」
 12枚目のアルバム「J-BOY」に収められた1曲です。


    八月の歌

Shogo4_2 砂浜で戯れてる
焼けた肌の女の子達
おれは修理車を工場へ
運んで渋滞の中
テレビじゃ この国 
豊かだと悩んでる
だけど おれの暮らしは
何も変わらない

今日も Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
意味もなく年老いてく
報われず 裏切られ
何ひとつ誇りをもてないまま

八月になるたびに
“ヒロシマ”の名のもとに
平和を唱えるこの国
アジアに何を償ってきた
おれ達が組み立てた車が
アジアのどこかの街角で
焼かれるニュースを見た

今日も Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
子どもらの肩をうつ
飢えてく すさんでく
明日への希望など もてないまま

満たされぬ思い
からまわりの怒り
満たされぬ思い
この からまわりの怒り
八月の朝は ひどく悲しすぎる

No winner No loser ゴールなき闘いに
疲れて あきらめて やがて痛みも麻痺して
Mad love Desire 狂気が発火する
暑さのせいさ
暑さのせいさ

Hard rain is fallin'
心に Hard rain is fallin'
意味もなく 年老いてく
報われず 裏切られ
何ひとつ誇りを もてないまま

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2007年6月13日 (水)

「A PLACE IN THE SUN」――開設半年の節目に

 ポチです。
 今日は、このブログをはじめて、ちょうど半年です。ブログをはじめたのが、去年の12月13日です。
 この半年で、74の文章を書き(この記事が75本目です)ました。仕事に追われたり、PCに向かう気力が出なかったりで、何度も長期休暇をしてしまいましたが、何とか半年間続きました。
 半年たった記念にデザインも一新してみました。




 始めた頃の記事を見てみると、思わず削除してしまいたくなるくらい恥ずかしい文章が並んでいます(最近のだってたいして変わりませんが、それでも少しはましになったのではないかと思っています)。まあ、自分の成長記録だと思って、さらしておきましょう。


 ということで、たかが半年ですが、一応「記念日」なので、原点に立ち返って、もう一度、このブログのタイトルをテーマにします。


 スティービー・ワンダーが歌った初期の名作。浜田さんは、1996年に出された19枚目のアルバム「ROAD OUT "TRACKS"」のなかで、60年代にスティービー・ワンダーが歌ったときとまったく同じアレンジでカヴァーしています。
 かつておこなった野外コンサートのタイトルを「A PLACE IN THE SUN」とするなど、彼のお気に入り(と思うのですが)のR&Bです。
 ちなみに、いまおこなっている彼のツアー「ON THE ROAD 2006-2007 "My First Love is Rock'n'Roll」の前半(2006年)のコンサートではオープニング曲でした(今年のコンサートには全部はずれで行けてないのでわかりません)。



 「太陽のあたる場所は必ずあるから、どんなに辛くても、そこに向かって歩いていこう!」
と呼びかけてくれる「人生への激励歌」です。
 「改憲」だとか、「貧困と格差」だとか、本当に曲がり角に来ている日本社会だけど、「太陽のあたる場所は必ずある」と信じてがんばっていこうと思います。




          A PLACE IN THE SUN

Shogo1_1Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun
Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Shogo2 Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun


太陽のあたる場所

一本の長くて孤独な川のように

僕は夢に向かって走りつづけている

立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように

僕は自由を求めて手を伸ばし続けている

もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように

僕は重荷にうんざりしている

でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように

生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ

ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって太陽のあたる場所はかならずあるから

そいつは誰にでも希望がある場所で

僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ

そうさ、太陽のあたる場所はかならずある

命がつきてしまう前に

太陽のあたる場所を見付けよう






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2007年5月31日 (木)

SHOGO's Words No.12 「I am a father」

 ポチです。
 昨日、ショッキングなことがおこりました。
 ほとんど完成していた更新が何の弾みか消え去って・・・。
 ・・・ガッカリ。そのまま寝てしまいました。


 ということで、気を取り直し、昨日書いたものを思い出しながら書きます。
 半月ぶりの浜田省吾カテゴリーです。
 これまでとりあげてきたのは、けっこう昔の曲ばかりなので、今回は新しい曲を取り上げることにします。
 2005年7月に出された25枚目のアルバム「MY FIRST LOVE」に収録された曲。昨年8月に出された26枚目の「THE BEST OF SHOGO HAMADA Vol.1」にも入っています。

 浜田さん自身にはお子さんはいません。コンサートの時にこう言われていました。「子どもがいないということで、自分の人生には欠けたところがあるんじゃないかと思った時期もある。でも、そうじゃなく、子どもたちはみんなの子どもなんだと思えるようになった(正確じゃありません。うろ覚えです)」。

 2005年のツアーの前に、公式サイトの中で、彼が日記を書いていました。コンサートの日を待ち遠しく思いながら読んでいました。その日記が2006年のツアーパンフに再掲されていました。この曲に関わる部分を紹介します。この曲を書いた彼の気持ちが少しはわかるかもしれません。


7月11日(月)
 7月9日の土曜日、FM東京の生番組を放送している「スペイン坂スタジオ」に、「I am a father」のイントロと間奏の英語の部分を歌ってくれた、“Justine”と“Sean Lisa”が遊びに来てくれた。彼女達はプロデューサーの鈴木さんの娘で、とっても可愛い14歳と11歳の女の子なんだ。
 「Work Out用にMD-MIXを作ってよ」と頼んだら、彼女達のお気に入りの最新サウンドで構成されたMD-MIXを、定期的に送ってくれるようになって、それを聴きながら走ったり、ストレッチをしたりしてるんだよね。
 “My Chemical Romance”なんて、もし彼女達に教えてもらわなかったら、聴かなかったと思うよ。
 鈴木さんにしても、新川君にしても、オレの周りの仕事仲間達は殆ど父親なんだよね。一緒に食事をしても、子どもの話になることが多くて、学校のことだったり、犯罪の話だったりする。
 オレ自身には子どもはいないんだけど、そんな仲間達、父親達のかわりに「I am a father」を書いた。
 例えばさ、家族でドライブに出掛けるとするじゃない、「オレは口下手で上手く言えないけど、こんな風に思ってるんだ・・・」ってな感じで、カーステレオでガーンと流して、一緒に歌ってくれたら嬉しいな。
  (後略)



 2006年のツアーの時のことです。この曲のイントロ(上の日記の“Justine”と“Sean Lisa”が歌っているところです)の最後の「♪yeah he is a father」というところで、浜田さんが、客席をスーッと指差したのです。会場にいるfatherたちに、「君達のための歌だぜ」って言うように。
 ゾクッときました。来ていたfatherたちみんながそう思ったのではないでしょうか。

 前置きが長くなりました。「I am a father」です。


      I am a father

He was so lonely in the days of youth
He never thought of fatherhood
But now his life is like a Merry-go-round
woh
yeah he is a father

額が床に付くくらい
頭を下げ 毎日働いてる
家族の 明日を案じて
子どもたちに 未来を託して
傷ついてる 暇なんかない 
前だけ見て進む

スーパーマンじゃない
ヒーローでもない
疲れ たどり着いた家
窓の明かり まるでダイアモンド
I am a father

TVニュース観るたびに
子どもたちが 巻き込まれた事件
ドアの外 すぐそこまで
近づいてること 感じて眠れない
嘆いてる 暇なんかない 
命がけで守る

チャンピオンじゃない
リーダーでもない
妻と今日一日を
無事に過ごせたことを 祈ってる
I am a father

子どもが幼く尋ねる
「なぜ人は殺しあうの?」
抱き寄せ 命の儚さに
熱くなる 胸の奥・・・


He was so lonely in the days of youth
He never thought of fatherhood
But now his life is like a Merry-go-round

迷ってる 暇なんかない 
選んだ道進む

ムービースターじゃない
ロックスターでもない
明日は今日よりも
いい日になることを信じてる
I am a father

かつて夢見る少年だったこのオレも
今では father





 「YouTube」にあった、この曲のプロモーションビデオを貼り付けておきます。このPVそのものも、一見の価値ありだと思います。
 もともと、このPVは、「Two Love」という短編映画がもとになっています。
 この短編映画は、浜田省吾の2つの楽曲をもとに製作されたものです。名前の通り、2つの愛を描いていて、この「I am a father」をもとに描かれた「キャッチボール」と「Thank You」(そのうち取り上げます)という曲をもとに描かれた「君と歩いた道」という二つのストーリーから成り立っています。
 このPVは、「キャッチボール」を短縮したものです。


 ということで、なんとか書き終えたポチでした。
 では、どうぞ。

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2007年5月14日 (月)

SHOGO's Words No.11 「愛しい人へ」

 ポチです。
 もう5月も半ばになりました。一番いい季節ですネ。
 今週、カミさんのお父さんの13回忌で、16日から19日まで仕事を休んで実家の鹿児島に行く予定でした。久しぶりの遠出のドライブを楽しめるし、ブログに書く材料を入手できると思っていたのです。
 ところが突如として、東京への出張の仕事が入ってしまいました。それも日程はまったく同じ16日から19日まで。休みは返上です。・・・・残念。




 いよいよ、「国民投票法」が成立しました。施行は、2010年。国会に「憲法審査会」が設置され、実質的な改憲論議が始まるようです。
 身の引き締まる思います。
 日本という国の姿をめぐる重大な分岐点に差し掛かった今、将来の日本とそれを担う子どもたちの未来への重い責任が、国民一人一人に突きつけられていると思います。迷うことなく、9条が指し示す方向へ向かわせることが、私たちの使命です!





 ということで、10日ぶりの「浜田省吾カテゴリー」です。
 「SHOGO's words」でとりあげている曲は、浜田さんの歌で「歌詞がいい」と思っている曲だけです。それでも、まだまだ紹介したいと思っている曲はたくさん。

 今日の曲は、1982年の9枚目のアルバム「PROMISED LAND」のなかの一曲です。
 うろ覚えで正確ではないと思うんですけど、05年のツアーの時(だったと思うんですけど)この曲を歌う前に、「片思い」「もう一つの土曜日」などとともに、この曲が「人の評価ということじゃなくて、ソングライターとして自分自身がなかなかのものだと思える曲だ」と浜田さんが紹介していたのが印象的でした。
 やさしいラブバラードです。
 「PROMISED LAND」は、浜田さんのベストアルバムの一つ(本人がそう言っています)。お父さんが亡くなった時、浜田さんはお父さんの柩の中に、このアルバムを入れてあげたそうです。ちなみに、浜田さんのお父さんの出身地は山口県の周防大島。お墓もここにあるようです。


 それでは、どうぞ。


      「愛しい人へ」

Photo_17
Photo_18

 視聴はこちら→ http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SMER/ShogoHamada/

 ちょっと工夫してみましたが、いかがでしたでしょうか。



 イラストレーターでつくって、JPEGで書き出して、ここに貼り付けようと思ったのですが、ココログは、なぜかこれを写真データとして認識してくれず、貼り付けられないのです。ちゃんと拡張子は「jpg」なんですが・・・。
 なぜなんでしょう。
 いろいろやってみたのですが、できません。それで、しょうがなく、一回プリントアウトして、それをスキャナーで読み込んで、貼り付けました。
 もっと簡単な方法を知っている方、教えてください。

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2007年5月 5日 (土)

SHOGO's Words No.10 「家路」(2回目)

   ポチです。
 エ~ッと、今日は、「SHOGO's Words」の10番目。再び、「家路」です。
 「家路」は、去年の12月20日に、このブログをつくって6番目の記事として、浜田省吾さんの歌詞をとりあげた2番目の記事として書きました。

 再び「家路」をとりあげたのは、先日、YouTubeに「ap bank fes 05」での浜田さんの「家路」がアップされているのを発見したからです。

 「ap bank(エーピーバンク」というのは、Mr.Cildrenの櫻井和寿、元My Little Loverのメンバーで音楽プロデューサーの小林武史、音楽家の坂本龍一の3人が出資した資金をもとに、自然エネルギー、省エネルギーなど環境に関するさまざまなプロジェクトに融資をする非営利組織です。

 その「ap bank」が、趣旨の普及と資金集めのために、初めてフェスティバルを開いたのが2005年。7月16日から18日の3日間、静岡県掛川市のつま恋多目的広場でおこなわれました。櫻井さんと小林さんを中心にしたbank bandの他、14人(組)のアーティストが趣旨に賛同して参加しました。

 浜田さんは、4年ぶりの全国ツアー「ON THE ROAD 2005 "My First Love"」の初日を直後に控えていましたが、呼びかけに答え参加し、3曲を歌いました。その1曲がこの「家路」です。

 櫻井さんは、「浜田省吾の歌ならなんでも歌える」と自慢するくらい浜田さんの大ファンで、今回の共演を楽しみにされていたそうです。

 では、再びどうぞ、浜田省吾「家路」です。

       「家路」

青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろしPhoto_10
この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ 迷いの中さまよう

そして孤独なエゴは愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている5039_2
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活(くらし)を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

どんなに遠くても たどり着いてみせるPhoto_11
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

青く沈んだ夕闇に 浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

 ということで、映像をどうぞ↓。埋め込みができなっていますので、下のURLからYouTubeへどうぞ。「ap bank fes 05」の浜田省吾「家路」です。

    http://jp.youtube.com/watch?v=daJFMOyLMjs

 普段のステージの「家路」とはちょっと違いますが、この1曲を聴くためだけに、ポチは、このDVDを購入してしまいました(さっき、「3曲を歌った」と書きましたが、DVDになったのはこの「家路」だけです)。
 ちなみに、この映像では切れていますが、浜田さんがステージから降りた後、櫻井さんが、満足そうに「言うことないや」って言っています。浜田ファンの櫻井さんらしいですね。

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2007年4月30日 (月)

SHOGO's Words No.9 「MIDNIGHT BLUE TRAIN」

 ポチです。
 この春から始まった浜田省吾のツアー「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n Roll」の207年春ツアーの先行予約はすべて外れました。
 昨日は徳島、明日は高知で浜田さんのステージがおこなわれています。3、4日は、申し込んでいた倉敷のステージが・・・。
 この2年は、毎年2ヶ所も当たっていたので、安易に考えていたのですが、やはり、甘くありませんでした。今年は、いけないのかなあ・・・。

 で、本題です。
 きょうこそ浜田省吾カテゴリーです。2ヶ月以上ぶりになります。

 ということで、「SHOGO's Words」、今日はその9。1978年9月にリリースされた3枚目のアルバム「Illumination」の最後の曲「MIDNIGHT BLUE TRAIN」です。05年4月に発売されたシングル「光と影の季節」に「MIDNIGHT BLUE TRAIN 2005」としてカップリングされてます。また、ライブバージョンは、1982年の8枚目のアルバム「ON THE ROAD」、2002年に発売されたDVD「ON THE ROAD 2001」のおまけCD(?)でも聴けます。

 「家路」と並んでポチの一番好きな歌の一つです。
 78年当時の自分の心のうちを、なんのてらいもなく、ごまかすこともなく、その悩みや苦悩をしぼり出すような詞。自分自身の仕事上の悩みや人間関係のつまずきなど、たくさんの苦悩と苛立ちを抱えた姿を投影したかのような詞。初めて聴いた時、かなりの衝撃をうけました。

 当時の浜田さんは、文字通りギターをかかえてステージをこなしていました。レコードもほとんど売れていなかったそうです。その苦悩を反映した歌なのでしょう。
 「Illumination」のアルバム解説の中で浜田さんはこう言っています。
 「『MIDNIGHT BLUE TRAIN』なんていうのは、その頃の気持ちが出てますよ。(「Illumination」の)ジャケット(写真)は京王プラザなんです。住んでるところは、環7のそばのちっちゃなアパートで、羽根木公園とか赤堤通りとかあのへんをウロウロ歩きながらメロディを作ったんです。大嘘だよねえ(笑)。ジャケットだけ京王プラザ。お前は矢沢永吉か、なんて(笑)。矢沢永吉のフィルム・コンサートの前座で歌ったりしてた時代ですよね。この途中で、ずっとやってくれていたディレクターの蔭山さんが人事異動で販促に変わって、僕はえらく怒りました。この頃からポップなメロディを書く浜田省吾、というのが求められていたわけです。でも、それをはね返して『いや、俺はこうだよ』と言うほどキャリアもなかったし。身近な人からそう言われて、そうなのかなあと思いながらやってたんだけど、だんだん出来なくなってきた」

 浜田さんのアリーナツアーのアンコールの最後の曲は、この曲と「ラストダンス」という曲がカワリバンコ(これって山口弁ですか?標準語ですか?)に歌われます(と思ってるんですが、違うのでしょうか?)。1万人以上の大合唱は大感動です。

 それではどうぞ。「MIDNIGHT BLUE TRAIN」です。

                 MIDNIGHT BLUE TRAIN

Shogo3_2カーテンコール
ステージライト
ざわめき 今でも 火照る身体
ギター抱えて 夜汽車に揺られ
次の町まで ただ眠るだけさ
どこへ行くのか 何をしてるのか
時々 わからなくなるよ

飛び去ってゆくレールの上で
時は過ぎてく瞬く間に
描いた夢と 叶った夢が
まるで違うのに やり直せもしない
もう帰ろう みんな投げ捨てて
でもどこへ
一体どこへ

                                                      Midnight Blue TrainPhoto_4
連れ去って
どこへでも行く
思いのまま
走り続けることだけが
生きることだと
迷わずに 答えて

人を傷つけ
嘘もついたよ
弱音を吐きながら ここまで来た
愛する人を引きとめようと
時には 自分を裏切りもしたよ
何をなくし
何を手にしたか
わからない
もう わからない

Midnight Blue Train
連れ去って
どこへでも行く
思いのまま
走り続けることだけが
生きることだと
迷わずに 答えて

 やっぱり、「歌は歌詞が大事だ」って実感させられる歌の一つです。

 エ~ッと、前回の「NEW STILE WAR」の時に、曲を聴けるようにしたんですけど、これってやっぱりまずいですよね、著作権上。
 それで、今回は、ソニーミュージックのHPから視聴できるようにしました。
 ↓からどうぞ。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SMER/ShogoHamada/SRBL-1998/index.html

 ということで、久々に浜田省吾カテゴリーを書いてホッとしているポチでした。

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2007年2月19日 (月)

SHOGO's Words No.8 「A NEW STYLE WAR」

Ts3a0109

 ポチです。
 こうやって、ペタッとお腹をつけて床に寝るとひんやりして気持ちいいんだ・・・・。どうでもいいけど、お尻だけ写すなよナ!

 で、今日は「浜田省吾」カテゴリーです。
 今回も、浜田さんの言葉から

 歌っていうのは、よく言うんですけど、メロディーがあって言葉があってサウンドがあって、これが全部一つになって歌になるわけですよね。だから、どれが一番重要ってことはないんですけど、やっぱり、歌をつくるってのは詞を書くことなんだね、最終的には。
 
で、当然そのなかに何を書こうかっていうテーマがあったとし、それは自ら何かしらを語ることにはなると思うんですよね。ラヴソングもそうだし。それが日常の中にある自分と気持ちが通じ合えるもの、っていう風には考えてますね。

 ということで、前回の「MONEY」につづいて、今回もストレートな曲です。アルバム「J.BOY」の1曲目です。

     A NEW STYLE WAR

地下から地下へ運ばれた爆発物(ボム)
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星(ミリタリーサテライト)
It's A NEW STYLE WAR

飽食の北を支えてる
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつか A NEW STYLE WAR

貧困は差別へと
怒りは暴力へと

受け入れるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所はない
It's A NEW STYLE WAR

ひび割れた原子力(ニュークリアパワー)
雨に溶け 風に乗って

受け止めるか
立ち止まるか
どこへも隠れる場所はない
It's A NEW STYLE
It's A NEW STYLE WAR

愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR

 コンサートの時は、いろんな色のスポットライトが会場中をグルグルと照らし出し、ヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてきて、それがだんだん大きくなり、いきなり、ステージの上で火薬が破裂。この爆発音とともに、曲がはじまります。ステージの上の巨大な画面には、真っ赤に燃える炎。浜田さんの怒りの色だと思いました。

「愛は時には脆く/自由はシステムに組み込まれ/正義はバランスで計られ」

 こんな世界にたいする怒りをこめて、眉間にしわを寄せ、拳を突き上げながら歌います。

        A NEW STYLE WAR (Real Playerをお持ちの方はどうぞ)

Real Playerをお持ちでない方は、こちらから↓
http://dl-real.jp.real.com/19464e0ea809741c0006/windows/RealPlayer10-5GOLD_ja.exe

 ということで、今回から曲が聴けるようにしようと思ったんだけど、こんなことはじめてやるんで・・・。これで聴けるのだろうか?ちょっと不安なポチでした。

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2007年2月14日 (水)

SHOGO's Words No.7 「MONEY」

Ts3a0094

 ポチです。
 そんな~、目の前に肉をぶらさげて、「待て!」だなんて・・・。は、早く肉食わせろ!

 ということで、本題です。久々に浜田省吾カテゴリー。

 浜田省吾は、「社会派シンガー」だとよく言われています。浜田さん自身は否定するけど。たしかに、浜田さんの歌には社会問題を描いた歌が少なくありません。でも、たぶん浜田さんは、「社会」ではなく「人間」を描いてるんだと思います。
 人間としての喜び、感動、挫折、怒り、悲しみ、揺れ動く心・・・。そして、それらの感情の発露を空想的に描くのではなく、実際に動いている社会の中の現実の「人間像」として描いています。だからこそ、「社会派シンガー」だと言われるのではないでしょうか。

 今回、紹介するのは、その典型的な歌です。11枚目のアルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」(1984年)の1曲目に入っている曲。22枚目にして始めて出されたベストアルバム「The History Of Shogo Hamada "Since1975"」にも収録されました。
 浜田さんのコンサートでは定番になっている歌で、ドラムスとベースの小気味よいリズムに乗って、「人間」の「怒り」を爆発させるように、激しく歌います。

Bg

          MONEY

この町のメインストリート わずか数百メートル
さびれた映画館とバーが5、6軒
ハイスクール出た奴等は 次の朝 バッグをかかえて出てゆく

兄貴は消えちまった親父のかわりに
油にまみれて 俺を育てた
奴は自分の夢 俺に背負わせて 心ごまかしているのさ

Money,Money makes him crazy
Money,Money changes everything
いつか奴等の 足元に BIG MONEY 叩きつけてやる

彼女は夢見てる 華やかな MOVIE STAR
湖の畔に車を止めて
俺たち楽しむのさシートを倒して 蒸し暑く長い夏の夜

あの時 彼女はこうあえぎ続ける
愛してる 愛してる もっと もっと
だけど ゆうべどこかの金持ちの男と 町を出て行った

Money,Money makes her crazy
Money,Money changes everything
いつかあいつの 足元に BIG MONEY 叩きつけてやる

俺は 何も信じない
俺は 誰も許さない
俺は 何も夢見ない
何もかもみんな 爆破したい

純白のメルセデス
プールつきのマンション
最高の女とベッドで ドン・ペリニヨン
欲しいものはすべてブラウン管の中 まるで悪夢のように

Money,Money makes me crazy
Money,Money changes everything
いつかこの手に つかむぜBIG MONEY
I've got nothing nothing to lose

 浜田さんのこの曲へのコメントを紹介します。

 僕が少年時代を過ごした町は、造船所や石油コンビナートが地場産業だった地方の中都市だった。だから、僕の中にある労働者のイメージはブルーワーカーたちで、僕の仲間の父親たちもそれらの工場労働者だった。
 80年代に入って、コンサート・ツアーで年間150回近くのステージをやっていた頃、今と変わらずメディアの情報は東京から全国に発信されていたのだけれど、僕は東京から地方を見るよりも、ツアーで回るいろんな地方に生きている若者たちに自分の姿を投影した。走ることや踊ることのほかに、この町で何ができるんだろう。自分もそういう地方都市に育ったし、地方に生きる若者たちを主人公にして、映画のサウンド・トラックのようなアルバムをつくろうと考えて「DOWN BY THE MAINSTREET」をつくった。その1曲目がこの曲。
 日本がバブルに入っていく最初の頃で、やけに周りが金の臭いに敏感になっていると感じていた。でも、日本のロック・ミュージシャンの中で、金をテーマに真正面から歌ったものはなかった。
 この歌でみんなの印象に残るのは、たとえば白いメルセデスベンツだったり、ドンペリニヨンという高級なシャンパンだったり、「いつかこの手につかむぜビッグマネー」という歌詞だったりするのだろう。でも、本当はそういったものはすべて幻想で、僕たちはTVコマーシャルや雑誌の広告やいろんなメディアを通じて、果たせることのない欲望を過剰に刺激され、それに振り回されて疲れ果てて傷ついている。ポイントはそこなんだ。

    (ON THE ROAD 2006-2007「My First Love is Rock'n'Roll」ツアーパンフレットより)

 ということで、浜田省吾の深さにため息をついているポチでした。

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2007年2月 2日 (金)

SHOGO's Words No.6 「ロマンス・ブルー」

 ポチです。
 「大暖冬」といわれる今年。先日、ワイドショーで「青森でも雪があまり積もっていない」と放送してました。
 では、問題です。ここはどこの雪国でしょう?

Ts3a0069

Ts3a0070

 答え。ここはまぎれもなく、本州の西の端っこ山口県のなかでも、瀬戸内海に面した温暖な地・宇部市(場所、わかりますか?)。ポチの家の近くです(山奥じゃないですよ。中心市街地まで車で10分くらいのところ)。今朝、起きてみてびっくり。あたり一面、マッシロでした。

 昨日は、仕事で萩市に行きました。帰りに、眠たくなったんで、萩市の山奥の道路脇に車を止めて寝ました。2時間くらい寝てしまって、起きてみて、「きっこ」さん流に言うとビックル一気飲み。雪がブワァーって降ってて、回りは雪景色。「コリャイカン」って、あわてて、車を走らせました。でも、美東町(萩市と宇部市の間にある自治体です)に入ったら雪もたいしたことなかったんで、「な~んだ」なんて思って、今日も大丈夫だろうと甘く見てました。

 宇部市では、ほとんどの人が冬用タイヤなんか着けていません。で、こんな雪になると大変です。ポチの家は、ちょっとした丘の上にあるんで、家の前の道は、けっこう急な坂になっています。今朝、出かけると、坂の途中、道の真ん中に、斜めになったりして、10台くらいの車が止まっています。坂を上れなかったり、坂を下るのが怖かったりして、乗り捨てていかれた車たちでした。
 「このくらいの雪で、なにやってんのッ!」って雪国の人に笑われそうですね。

 ということで本題です。
 以前、浜田省吾のステージでサキソフォンをやってる古村敏比古さんが、浜田さんとステージをいっしょにやって、「歌詞の大事さがわかった」って意味のことを言ったって話したけど、今度は、浜田さん自身の言葉を紹介します。

--言葉を埋め草ととして扱ってサウンドやメロディを先行させる曲作りの方法があって、それが成功している例も少なくない。一夜のエンタテインメントというのならその方法も決して悪くないと思うのだけど、それでも言葉にこだわっているのは?
浜田「それは・・・、バカげたことに虚しい汗を流したくないっていうことですね。お祭りとは言ってもお祭り騒ぎにはしたくない。コンサートをワッと楽しんで、帰って行くときにはバネになっているようなものにしたい。そのバネになるのが何かっていうと、送り手の底辺に流れているものだと思うんです。歌に何が盛り込まれているかだと思うんですよ。僕はエンタテイナーではないと思うんです。すごいエンタテイナーと言えば沢田研二さんとかいるし、僕の存在理由っていうのは基本的にはソングライターだと思うんですよ。だから歌っていうもの自体にはすごくこだわります」(「guitar life」1982年36号)

 で、今回の歌はこれ。1982年の9枚目のアルバム「PROMISED LAND~約束の地~」に収録された曲。その後、89年の15枚目のアルバム「Wasted Tears」、去年発売された27枚目のアルバム「The Best of Shogo Hamada Vol.2」にもアレンジを変えて収録されています。

ロマンス・ブルー

「さよなら」も言わず 出てゆく彼を
君はベッドの中で ぼんやり見てただけ
誰か他の男(ひと)を もう一度
はじめから愛せるかい 今も・・・

君はひとり街角に立ち 探してみる心もとなく
彼と出逢うまで気ままに 歩いていた道の続きを
君を失くした あの時の僕のように

新しい恋は 生まれて消えてく
気づいた時はいつも ひとりきりだったね
君の無邪気だった 笑顔は
消えたけど その眼差しは深くやさしい

君を許すことが出来ず 張り裂けそうな夜を過ごした
まるで炎を炎で消そうと 僕も何度か恋に落ちたけど
今も変わらず 君だけを愛している

今も変わらず 君だけを愛している
君だけを愛している

 ようするに、恋人に振られた元カノへの思いを歌ったラブバラードなんだけど、この曲が好きなのは、そのことを表現する詞の妙味。
 たとえば、恋人に振られた彼女の描き方。「君はひとり街角に立ち 探してみる心もとなく/彼と出逢うまで気ままに 歩いていた道の続きを/君を失くした あの時の僕のように」なんていう詞がなぜ書けるのかと思ってしまうのです。

 以前、紹介した「独立記念日」のように、社会を取り巻く現状を抉り取るような詞にしても、この歌のように、揺れ動く心を微妙なタッチで描く詞にしても、浜田さんの言う「送り手の底辺に流れているもの」がなせるわざなのか・・・。

 自分の車で流れる音楽は、1年365日「浜田省吾」のポチでした。では、また。

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2007年1月31日 (水)

SHOGO's Words No.5 「BIG BOY BLUES」

 ポチです。

 昨日書いたヤナギサワさんは、釈明の記者会見で、「うちの娘は男と同じ教育を受けさせた」って言ったそうですね。ア~ア~、言っちゃった。

 「ワシは、女性を蔑視する人間なんかじゃないんダー」って言いたかったんでしょうけど、オケツ・・・・じゃなくて、バケツ・・・・じゃなくて、ボケツを掘りましたネ(ちょっとだけ「きっこ」さんのマネ)。なんで、こんなこと言うのかっていうと、この人はそもそも「高等教育を受けるのは男だけでいい。女性はうける必要はない」って普段から考えてるんでしょう。だから、「ワシは、そういうなかで、娘を男と同じ教育を受けさせたリッパな男なのダ!」って言いたかったわけなんですが、スケテ見えちゃいましたネ~。

 本当にカワイソウな人。早く江戸時代に帰ったらいかが?

 ということで、本題です。

 久々に、「浜田省吾」です。ポチのblogは「政治blog」のつもりはまったくなくて、いろんなことを書きたいと思ってるし、浜田さんのことももっと書きたいと思ってるんですが、こうも毎日のように「ナンジャ!ソレハ」ってなことが起こるもんで、ついつい、そっちの方に流れていってしまいます。

 で、今回はこれ。

BIG BOY BLUES

どこへたどり着くのか
自分でわかっているのか?
ビッグ・サクセス 手にしても
You just dancin'on Big boy blues
踊れるか?
今でも 自由に
あの日のDancing shoes
ロッカーの中で泣いてら!

愛を失っても
それはただのゲームなんだと
Coolにきめてるけど
You're just dancin'on Big boy blues
彼女の涙が見えるか?
お前をむなしく愛して泣いてら!

Hey! Mr.Winner 気分はどうだい?
誰もがみんな振り向いてくれるのは

You're just dancin'on Big boy blues
眠れるか?
冷たい夢にうなされて
彼女も誰かのベッドの中で泣いてら!

Dancin'on Big boy blues

跳べるか? 今でもおびえずに
Dancin'on Big boy blues
踊れるか? 今でも自由に

 1986年のアルバム「J.BOY」に収録された曲。もちろん、作詞作曲・浜田省吾です。TBSのドラマ「華やかな誤算」の主題歌です。
 Rock'n Rollの
鋭いビートに乗って浜田省吾は、たたきつけるように歌います。

 この詩、どんな風に読めますか。

 貧しさの中、ダンスが大好きだった彼と彼女。その彼は、脚光を浴びていき、彼女のことなど忘れてしまい、町から出て行く。そんな彼に突きつける歌。
 
ヘッ!成功していい気分かい?

 彼女の気持ちなんてお前は考えもしないんだろう?

 でも、それでいいのか?本当にお前はそれでいいのか?

 って感じでしょうか?

 この歌について、省吾さんは、こう言っています。

「まだバブルははじまってなかったんだけど、日本はこれからバブルがはじまるっていう状況だったと思うのね、当時。で、そのドラマ(「華やかな誤算」)の内容が、学生たちがベンチャー・ビジネスをはじめるっていう話で。その脚本を読んで、当時自分が感じていたバブルに向かう空気みたいなものを、歌にしたんですね」

  

 これでは、よくわからないと思います。で、こんな風にも言ってることを紹介します。


「これは実は、『彼』というのは日本のことで、『彼女』というのは他のアジアの国々という意味もあるんです」「“BIG BOY”というのは、成り上がりの少年、日本の国のこと」

  

 この省吾さんの言葉を読んだあと、もう一度、歌詞に目を通してみてください。まったく違った歌に思えてきませんか?

 どんな風に読むかは、そえぞれってことで、これ以上は言いません。

  

 この歌をつくったあと、省吾さんは、この歌にインスピレーションを受けて、「J.BOY」っていう歌をつくります。ご存知ですよね「J.BOY」? 多くの人がが一度は耳にしたことがあるとは思います。
 「成り上がりの国」日本(J)のなかで、その矛盾に苦悩しながら生きていく若者を描いた省吾さんの代表作の一つです。

  

 浜田省吾の歌の世界にはまり込んでいるポチでした。ではまた。

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2007年1月21日 (日)

SHOGO's Words No.4 「初秋」

 ポチです。

 寒い日が続きますネ。数年前から冬になるとあちこちで「電飾」の花が咲きます。ポチの住んでいる田舎でも(田舎だからカナ?)、ひと頃ほどじゃないけどすごいです。で、宇部市でも名物になっているのがコレ。

Ts3a0042 


見にくいかもしれませんが、一軒の家とその家の木を電飾で飾って激しくカガヤイテいます。まあ、人のやることなんで、「ご自由にどうぞ」ってとこですが、どうもポチは好きになれません。たしかに、わずかの電気だとは思います。でも、自然と環境に負荷をかける形で働きかけてつくりだしている電力なんて、必要最小限の使用にとどめておくべきなんじゃないでしょうか。

 ということで本題です。

 浜田省吾の真骨頂の一つはなんと言ってもラブバラード。人が人を愛する時の一途な思いや強い意志、揺れ動く心、その愛を失ったときの虚ろな思いを言葉にし、柔らかで透明感あふれるメロディーにのせた浜田さんの歌の数々。そのなかでも、ポチが一番好きな歌の一つがこれ。

「初秋」

戦火に倒れた恋人を抱きしめて

泣き崩れる男を映すテレビニュース

誰かを愛したら

その喜びと同じ重さの哀しみも手にするのか

永遠の別れがいつか来ることに

人はみな気づいているから

君と出逢って こんなに切ない

胸の奥が苦しいほど

ふれあい いたわり

陽射しの中で短い時をともに過ごしたい

いつか君を見送る時が来たなら

笑顔で別れを告げよう

君が僕を見送る時は

この歌を思い出して

どんなに二人で過ごした人生が

幸せに満ちてたか

愛している いつまでも

傍にいても 離れていても いつでも

僕の名を呼ぶ声も

僕の手にふれるぬくもりも

はかなくて愛しい

約束も誓いの言葉も何もいらない

君がそこにいるだけで

 1993年に出たアルバム「その永遠の一秒に(「THE MOMENT OF THE MOMENT」)に収録された9分近い曲。その後、2003年には、この曲をタイトルにしたアルバム「初秋」も出された。
 すごくスケールの大きな、そして、遠い先にある「死別」を恐れながらも、与えられた時間に畏敬の念をこめ、あふれるような愛しい思いを唄った歌。

 この歌の最初のインスピレーションは、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争だそうだ。自分は安全な日本っていうところでテレビのニュースで戦闘シーンを見てる。しかし、その日本でも、友達の家庭や人生が崩壊したり、つらい目にあったりしてる。浜田さんは、この歌を「もう一つの土曜日」や「星の指輪」と同じような「救済の唄」って言ってる。

 「死」という暗い場面を描きながら、けっして暗くない、前向きの唄だと思う。

 ソングライターとしての浜田省吾のすごさを本当に感じさせる1曲だとつくづく思うポチでした。

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2007年1月12日 (金)

浜田省吾と新聞

 ポチです。
 いろんな人のblogを見てたら、「ぽち」っていう言葉が出てきて、「ハッ!」とさせられるんですが、実は、「アメリカのぽち」ってことで、コイズミさんのことだったり、日本の政治姿勢のことだったりするんですね。「アメリカに尻尾を振って、なんでも言うことを聞く」ってことですか。わかるんだけど、ポチとしては、あまり気持ちいいもんじゃないですね。「コイズミさんといっしょにしないでほしい!それはポチに失礼じゃないか!」って声を大にして言いたいです。

 ということで、本題です。久々に、「浜田省吾」カテゴリーです。
 ポチが浜田省吾さんを好きなのは、彼の歌がいいというだけではありません。浜田さんが、自分のポリシーっていうか、考え方っていうか、社会に対する視点っていうか、立脚点っていうか、・・・・ん~~、なんかわからんけど、とにかくそういうものをしっかりもっていると思うからです(もちろん、浜田さんだけでなく、そんな歌手の方少なくないとは思いますが)。
 一つだけ、例を挙げます。浜田さんが「愛の世代の前に」っていうアルバムについてこう語っています。

 “ラブ・ジェネレイション”という言葉が’60年代に流行りましたよね。あの頃はすごくヒッピー的なイメージとしてラブ・アンド・ピースの世代だと言っていたんだけど、ぼくは、そうじゃない、愛の世代というのは、もっともっとあとの世代なんだと思ったんです。
 1945年に原爆が投下されて、核融合というのが地球というもろい生命体の中に持ち込まれたわけでしょう。それまでの何億年とその後のわずか30年というのは、全く違う世代だなと思ったんです。それまでの戦争というのは、どんな戦争にしてもせいぜい知れてるわけだし、地球の生命体とかそれ自体や人類のヒューマン・レースにはなんの影響も持たないものだけど、1945年以降の世代というのは、一瞬にして全人類がいなくなってしまうという、とてつもない大きな危機感と虚無感に左右されてると思うんです。そういうものがこの地球上から消えない限り、本当のラブ・ジェネレイションとは言えないよね、というそんな気持ちでタイトルをつけたんです。

 浜田さんのコンサートでは、休憩時間とか、アンコールの前だとかに、映像が流れます。「ON THE ROAD 2001」の時は、そのコンサート会場に入る時の浜田さんの姿が流れました。
 楽屋の入口付近に車が止まって、浜田さんが降りて、「入り待ち」をしているファンの人に手を振って、そして、「今日は、○○年○月○日、○曜日。ここ○×会館は8年ぶりです」とか言いながら、楽屋に向かう浜田さんをカメラが追っかけていく(というか、前をカメラが行って、その後ろを浜田さんが歩いていかなきゃ映像は撮れないわナ)のです。で、最後に、楽屋の前だったり、楽屋の中で、「今日も元気でがんばります!君がこれを見ているということは、これからアンコールがはじまるってことだね。いっしょに盛り上がろうゼ!」とか言いながら映像は終わるのです。
 で、この「ON THE ROAD 2001」のDVDを買って観た時のことです。
 そのなかには、いろんな会場でのこの映像が納められていました。実際のコンサートの時は気がつかなかったのですが、それを見て気がついたんです。どの会場の映像でも、車から楽屋に向かう浜田さんの手には新聞が握られていたのです。あるいは、楽屋の中の映像が映ったときには、楽屋のテーブルには、数種類の新聞が置いてあったのです。

 「そんなことに関心したの?」「たかが新聞?」って言われれば見もフタもないんだけど、心底

 ヘ~~ッ!

って思ったのです。なんかゾクゾクしちゃって、それまでも大好きだったんだけど、ますます浜田さんにのめり込んでいってしまったのです。

 「お前、考えすぎだ!」って言われるかもしれないけど、なぜかそのときヒラメイタのです。

「あ~、だからこの人は、人に対してこんなにやさしい歌がつくれるんだ」
「だからこの人は、人の心を揺り動かせるんだ」
「だからこの人は、こんなに人の怒りといらだちを歌にできるんだ」
って。

 わかってイタダケマスでしょうか?この気持ち。
 ウ~ン、浜田さんの歌を知らない人には理解不能かもしれませんね。

 浜田さんも昨年12月で54歳になった。あと何年、彼のステージが見られるのかどうかわからないけど、いつまでも浜田省吾を見続けていたいと心から願うポチでした。

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2006年12月25日 (月)

SHOGO's Words No.3 「独立記念日」

 ポチです。クリスマスイブはいかがお過ごしだったでしょうか。何か楽しいことがあったでしょうか。ポチは、昼間の仕事で疲れ果て、夕食をとったあとは、ぐっすりと眠り込んでしまいました。
 それで、今日はクリスマス。クリスマスは、キリストの誕生日を祝うお祭りなんですよネ。ポチは、別にキリスト教徒ではないので、とくに感慨はありません。でも、誰であろうと人(じゃないのかナ?)が誕生するということは、喜ばしいものデス。多くのみなさんの気持ちがあたたかくなる一日でありますようにッ。

 ということで、本題デス。いままで「浜田省吾の歌詞」というタイトルにしていましたが、ちょっとカッコつけて、「SHOGO’s Words」というタイトルに変えます。マル数字もやめて、「No.」で書くことにします。

 いま、子どもたちや若者をめぐる事件があとを断ちません。「いじめ」や「自殺」、親の命を奪う、親から命を奪われる・・・・。
 先日は、愛知県岡崎市でのホームレスの人の連続襲撃事件に中学2年の子が関与していたという事件もおこりました。ほんとうに悲しい事件です。「いじめ」問題にしてもそうなんだけど、人にやさしくなれない子どもたちが育っていくのはなぜなんでしょうか。それは、「その子の問題」なのでしょうか。「その子の問題」なのなら、「その子」が少年院にでも行きさえすれば、問題はおこらなくなるのでしょう。でも、そんな問題?
 学校でも家庭でも、偏差値がいくつだとか、習熟度別クラス編成でどのクラスになっただとか、小さなときから競争を強いられ、けっして小さくないストレスを押し付けられてきてる子も少なくないんじゃないかと思う。そんななかで、よくわからないけど、親も含めて、どんな大人たちと出会うことができるのかっていうのは、大きいことのような気がする。
 幼児教育の専門家の先生の講演会に参加したとき、その先生がこう言ったのが深く印象に残っています。
 「ある幼稚園で、体が大きく力の強いイジメッコのAクンが、Bちゃんをいじめて泣かせた。Bちゃんは、泣きじゃくりながら先生のところに来る。もちろん、いじめられたBちゃんは、大きく傷ついている。しかし、一番傷ついているのはAクンなんだ。だから、担任の先生がBちゃんをしっかりと抱きしめてあげるとともに、大切なのは、園長先生が、いじめたAクンをしっかりと抱きしめてあげること」って。
 何かの理由でうまれた心の中の傷が、いじめ行動の背景にある。だからこそ、一番つらいのは、その子なんだって対応してくれるこんな大人がまわりにいれば・・・・。
 でも、多くの場合、子どもたちのイラダチを増殖することはあっても、癒してくれる大人はまわりにはいない。しかも、汚職や官製談合、やらせタウンミーティング、子どもたちのもっとも手本となるべき総理大臣や県知事がこんな調子じゃ・・・・。そして、自分たちの未来なんて、想像もできない社会。

 ということで、そんな子どもたちのイラダチを描いたのが、この歌「独立記念日」。

「独立記念日」 

教室じゃ俺いつも窓の外を見てるだけ
いかれたクラスの奴等の話など上の空
単車 ディスコ 喧嘩 煙草 街頭(まち)の女達
退屈で死にそうな授業
Highschool Jail Highschool Jail
今すぐ走り出したいのに
止まれと言われ 歩けと言われ
転んだだけで見捨てられて

夕食のテレビニュース 俺によく似た少年兵
ライフルを肩に砂漠を汗まみれ歩いてく
守るべきものは何?
戦う相手は誰?
誰に聞いても答えられない

Highschool Jail Highschool Jail
本当のことが知りたい
俺達に明日はあるの?
もしあるとしたらどんな明日!?

奴等 単車連ねて走る からっぽの頭で
独りじゃ何も出来ず
何処へ行くのかもわからずに

Highschool Jail Highschool Jail
教科書から削る文字は他にもあるぜ
例えば正義たとえば希望…
数え切れない

Highschool Jail Highschool Jail
サーチライトに照らし出され震えている
俺が見えるかい?
鈍く光るナイフ手にした

 「今すぐ走り出したいのに/歩けと言われ/止まれと言われ/転んだだけで見捨てられて」
 「本当のことが知りたい/俺たちに明日はあるの?/もしあるとすればどんな明日?」
 1981年に発表された浜田さんの7枚目のアルバム「愛の世代の前に」に入っている歌です。でも、子どもたちの置かれている現状や子どもたちのイラダチの叫びが、Rock'n Rollのビートにのって、25年後の今聞いてもリアルに響いてくる。

 浜田省吾という人をどう表現するかは、いろいろある。切ないラブバラードの名手という人もいれば、ロックンロールの音楽にしびれる人もいる。また、社会問題を鋭く描く彼に驚愕しその世界に吸いつけられる人もいるだろう。いろいろあって当然で、ポチも「どの浜田が好き」って言うこともなく、「どの浜田も好き」なんだけど、でも、間違いないのは、この「独立記念日」って曲で表現されている浜田省吾が、他のシンガーには絶対できない(と思ってるだけだけど)一番の魅力の一つ(あくまでも「一つ」)だとポチは思っている。

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2006年12月20日 (水)

浜田省吾の歌詞No.2「家路」

S05_1  ポチです。お元気ですか。
 ポチは、先週ひいた風邪が完全にはぬけ切らず、咳に悩まされています。咳が出て苦しいんだから、タバコをやめればいいんだけど、タバコを吸いながら、咳で苦しんで、そのうえさらに、タバコを吸って、というバカなことを繰り返しています。体調不良です。
 みなさんは、調子よくないとき、どうしますか。「リポD」とか「ユンケル」とか飲みますか? ポチは苦手です。気持ちを元気にしてくれる歌もあります。

 というわけで、今日は、「浜田省吾の歌詞」その2。浜田省吾の歌は、ポチの感性に染み入る歌が多くて、どの歌が好きってなかなかいえないんだけど、それでも、あえて「どの歌が一番好きか」って聞かれたら、やっぱり、この歌。ALBUM「Home Bound」に収録され、今年8月に出た「The Best Of Shogo Hamada Vol.2」に「remada in 2006」として収録されてる。元気がほしいとき、がんばる力がほしいとき、とくによく効く(聞く)歌だ。

「♪家路」

青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ 迷いの中さまよう

そして孤独なエゴは愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活(くらし)を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

青く沈んだ夕闇に 浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

 人として、人を愛すること、生きていくことに苦悩し、悲しみ、自分を見失ってしまいそうになることもある。自分の行く道を見失ってしまいそうになることもある。それでも、めざす夢を追って、たとえ一人っきりでも、必ずその夢を実現してみせよう って歌だと思う。

 「どんなに遠くても たどり着いてみせる/石のような孤独を道連れに/空とこの道 出会う場所に」。
 ポチも、仕事がうまくいかなくて、人間関係に悩んで、落ち込んだりもする。そんなときに勇気と元気をくれるのがこの歌。「しっかりしろ」「大丈夫だ。お前ならできる」って語りかけてくれてる気がする。

 そこの元気のない人! 勇気がほしい人! そして、この「♪家路」を一度も聞いたことのない人! この歌詞を読んで「いいな」と思ったそこのお兄さん! ぜひ一度聴いてみてチョーダイ! 歌を聴くと、この歌詞に曲がばっちりはまって、感動倍増間違いなし! ポチの絶対のオススメです。

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2006年12月17日 (日)

浜田省吾の歌詞No.1「もうひとつの土曜日」

 浜田省吾のステージに欠かせないサックスの古村敏比古さんが、何かのインタビューで、「浜田省吾といっしょにやりだして、歌詞が大事ってわかった」っていうようなことを言っていた(うろ覚え。正確じゃない)。

 浜田省吾の魅力は、やっぱり一番は歌詞だと思う。もちろん、メロディも、彼の声の魅力も、彼の音楽に対するアプローチの仕方も本当に魅力的だし、それらがなければ、歌詞の魅力も発揮されないことは当然なんだけど…。
 生まれてこの方、数限りなく「歌」というものを聴いてきたけど、歌詞に引き込まれた歌って、後にも先にも浜田省吾の歌だけ。「どうしてこんな詞が書けるんだろう」っていう曲がたくさんある。その一つがこれ。「もうひとつの土曜日」。

昨夜(ゆうべ) 眠れずに泣いていたんだろう?
彼からの電話 待ち続けて
テーブルの向こうで 君は笑うけど
瞳ふちどる 悲しみの影

息がつまる程 人波に押されて
夕暮れ 電車でアパートへ帰る
ただ週末の 僅かな彼との時を
つなぎ合わせて 君は生きてる

もう彼のことは 忘れてしまえよ
まだ君は若く その頬の涙
乾かせる誰かが この街のどこかで
君のことを 待ち続けてる

Woo 振り向いて Ha-Woo 探して 探して

君を想う時 喜びと悲しみ
ふたつの想いに 揺れ動いている
君を裁こうとする その心が
時におれを 傷つけてしまう

今夜 町に出よう 友達に借りた
オンボロ車で 海まで走ろう
この週末の夜は おれにくれないか?
たとえ最初で 最後の夜でも

Woo 真直ぐに Ha-Woo 見つめて 見つめて

子供の頃 君が夢見てたもの
叶えることなど 出来ないかもしれない
ただ いつも傍にいて 手をかしてあげよう
受け取って欲しい この指輪を
受け取って欲しい この心を


 この曲は泣ける。この曲で何度泣いたことか。

 ようするに、女の子がいて、その子には彼氏がいるんだけど、どうみてもその彼氏はけしからん奴だと思って、その子に横恋慕してる男の話だ。なんか、こんな風に書くと、この曲のイメージがまったく変わってきちゃうんだけど。しょせん、おいらだとこんな風にしか描けない。そのシチュエーションが、浜田省吾にかかると、なんでこうなるんだろう。
 やっぱ、描き方がリアルだってこと。女の子の日常、それを見つめる男の心の動き、そして、ほとばしる思い。「そうだよ!」って納得できちゃう。一本のドラマでも観ているような気になるのは、おいらだけかな。

 引き込まれてしまう浜田の歌詞はまだたくさんある。これからも、時々、浜田省吾の歌の歌詞について書くネ。

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2006年12月15日 (金)

A PLACE IN THE SUN

知ってるかい?(浜田省吾風に)

このブログのタイトル「A PLACE IN THE SUN」

スティービーワンダーが唄った曲で、浜田省吾が「初めて歌ったR&B」(「♪Hello Rock'n Roll City」)だそうだ。

今回のツアーでも・・・。おっとこの先はだめか。

いま、ポチの愛車LEGACYのCDチェンジャーの一番最初の曲もこの曲だ。

A PLACE IN THE SUN

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun
Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

一本の長くて孤独な川のように

僕は夢に向かって走りつづけている

立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように

僕は自由を求めて手を伸ばし続けている

もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように

僕は重荷にうんざりしている

でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように

生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ

ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって陽のあたる場所はかならずあるから

そいつは誰にでも希望がある場所で

僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ

そうさ、陽のあたる場所はかならずある

命がつきてしまう前に

陽のあたる場所を見付けなくてはいけないよ

でも、驚いた。今回「A Place In The Sun」で検索してみたら、なんと、このタイトルのHPやブログの多いこと。しかも、その少なくないものが「浜田省吾」がらみだ。自分としては、ブログを始める際に、「いいタイトルだなあ」と思いながらはじめたんだけど、二番煎じ・三番煎じみたくなっちゃったなあ。と、ショックを受けている今日この頃でした。

でも、いいよね。このなかで、どう自分らしさを出していくのか、それをがんばって追求していこう!

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