ポチです。
お姉さんに、無理やりチョッキを着せられ、ポーズを取らされています。
まだかよ。
もういいだろう?
で、本題です。
今日は、いま「特待生」問題でゆれる高校野球の話をしてみようと思っています。
かなり、独善的な文章になるかとは思いますが、積年の思いですので、ご勘弁を。そして、「それは違う」というご意見がありましたら、お願いします。
そもそも、高校野球は嫌いです。
というか、野球一般も好きではありません。たしかに、野球をするのは楽しいです。体を動かすのは気持ちがいいという点で。でも、野球観戦しようとは思いません。
率直に言って、野球を一生懸命観ている人に対して「何が面白くて観てるんだろう」って思ってしまいます。だって、あれほど退屈なスポーツはないんじゃないでしょうか。だって、両チームあわせて、18人のプレーヤーがゲームをしていますが、ピッチャーとキャッチャーを除けばほとんどの人は圧倒的な時間立っているだけでしょ。こんなチームスポーツって野球くらいじゃないでしょうか。
もちろん、好みの問題ですから、野球が好きな人に文句を言うつもりはまったくありません。
で、高校野球です。
これは、「好みの問題」では済まされない問題があると思います。
友人・知人の中には、「プロ野球はそう好きじゃないが、高校野球は好き」という人がたくさんいます。曰く、「純粋なところがいい」「さわやか」「汗と涙の青春群像」などなど・・・。
ホントにそうでしょうか?
もちろん、高校球児たちのほとんどが主観的には「純粋」に野球に取り組んでいるであろうことは否定しません。
しかし、いまや、高校野球は、「純粋さ」の建前の中で、大人たちの金儲けだったり、名誉欲だったり、権威主義という大きな枠の中でしか存在できないものになっているのではないでしょうか。
野球だけでなく、高校のスポーツ活動の原点は「学校教育の一環」です。当然、学校の正規の部活であるわけですから当然のことです。
しかし、いまこれが建前になっていないでしょうか。
ポチは、高校時代、野球以外のスポーツ部に所属していました。当時、けっこう強くて、中国大会2連覇などをしていました。いわゆる「進学校」だったのですが、たぶん、当時のその高校の運動部の中では、もっとも「結果」(勝ち負けという点で)を出していたと思います。
甲子園の予選の地方大会を前に、全校生徒は体育館に集められ、応援の練習をさせられます。そして、華々しい壮行会がおこなわれ、半ば強制的に応援に行かされます。
一方、ポチの所属していた部活を含めた他の運動部は・・・・。
これは、明らかな「差別」です。「学校教育」に当たり前のように「差別」が持ち込まれていることに、なぜみんな気がつかないのでしょうか?
甲子園に出たこともないポチの高校のようなところでさえそうです。いわゆる「強豪高」などと言われる高校では、もっと激しいことがおこなわれているに違いありません。
さっきも言いましたが、球児たち一人一人は「純粋」に野球をしていたことを疑ってはいません。しかし、「高校野球」全体はやはり「純粋」ではないのです。
それを助長しているのが、高校球児がめざしていると言われる「甲子園」という権威とそこから発生する利権です。
どこの高校スポーツの全国大会に、1試合が2時間前後もかかるようなゲームをするのに、1つの会場だけでやる大会があるでしょうか。大会期間が長期化し、選手・スタッフの宿泊費や応援団の宿泊費の高騰化という弊害を生んでいます(全国大会で応援団が組織されるのは野球くらいのものでしょうが)。
どこの高校スポーツの全国大会に、毎試合、勝った高校の校旗掲揚と校歌斉唱をおこなう大会があるでしょうか。文字通り、権威主義です。
そして、その「甲子園」は、高校球児の思いとは無関係に、金儲けと名誉欲の渦の中に存在しています。
「うちの高校を有名にするチャンス」「名監督としての地位を築く」「立派な大会にして高野連の権威を上げる」、そして、「新聞の拡販の絶好機」・・・・・・。
甲子園は、この渦の中にズッポリとはまり込んで、もはや、「学校教育」のなかに、「差別」が持ち込まれていることすら気づこうとしません。
卓球の高校の全国大会がいつ、どこでおこなわれているのか知っている人がいたら教えてほしい(卓球の関係者のみなさん、みすみません。いまや、愛ちゃんで多少メジャーにはなっているとは思いますが、やっぱりマイナースポーツの代表として、すぐに思い浮かぶもので・・・)。
誰も注目していないかもしれないけれど、彼らも「純粋」に、高校球児となんら変わることなく、あるいはそれ以上に一生懸命がんばっているのです。なぜ、学校をあげて、社会をあげて、マスコミをあげて「差別」されなければならないのですか?
以上のことが、ポチがこれまで思っていたことです。
それに、今回の「特待生」問題が加わりました。
「特待生」の問題について、これまで特別に意識をしたことがありませんでした。高野連が「特待生」を禁止していることすら知りませんでした。
だって、「特待生」なんて当たり前だと思っていたから。
たしか、ポチの小学校の時の友人がPL高校に「特待生」で入ったと記憶していますから、そんなもの大昔からあったに決まっているんです。それを、今回調査して「こんなにあるとは知らなかった。けしから」なんて高野連が記者会見していましたが、率直に言って「そんなバカな」っていう気分です。
しかも、「高校も悪いが、高校生も悪い」みたいなことも言われていました。本当にそうでしょうか。
「朝日」に、特待生で入った父母の声が紹介されていましたが、家計への心配で公立への転校も含めて考えざるを得ない実態が書かれていました。実感としては、「被害者だなあ」という思いです。
で、この「特待生」問題ですが、あちこち見渡しても、「特待生のどこが悪いんだ」という主張が目に付きます。
主な理由は、次のような点だと思います。
「勉強ができる子には特待がある。野球ができるのも個性、才能ではないか」
「他のスポーツでは特待が許されているのではないか」
「能力はあるのに貧しくて高校に進学して野球ができない子どもを切り捨てていいのか」
極端なのになると「きょうび、スポーツに賞金ができるのは当たり前」という意見もありました。
本当にそうでしょうか。
これらの意見のほとんどどれもが「行きすぎはよくないが」というコメントが入っていました。
特待制度そのものの存在があるかぎり、様々な「行き過ぎ」が生まれるのは必然のような気がします。
勉強ができる子への特待もどうかと思いますし、他のスポーツには特待が許されるというのもどうかと思います。「能力があるのに切り捨てていいのか」という意見に対しては、別に特待生になって強豪高に行かなくても野球はできると言わざるを得ません。
さっき言ったポチの友人は、途中で体を壊して野球を断念。途中から授業料を払うようになったと聞いています。たまたま、親にお金があったから転校しなくてもよかったのですが・・・。
特待制度は、「有名校になって生徒集めをやりやすくしたい」などの「学校教育」とは無縁の大人のエゴで、15歳から18歳の子どもたちの人生を弄んでいるのではないでしょうか。
ついでに言っておきますと、勉強のできる子への特待制度についてです。
この特待制度を、野球の特待を容認する理由とからめて、「貧しい子の進学を保障するもの」という意見がありましたが、まったくの誤りです。
ポチの友人で私立高校の教員をしている人がいます。この高校は、いわゆる「底辺校」と言われています。それで、成績優秀な子を集めるために、授業料ゼロにする制度をつくっています。
この友人は、「けっきょく、特待をうける成績のいい子の家庭はそれなりに豊かで、貧しい家の子どもは、高い授業料を払っている」と言っていました。
で、「行き過ぎ」の問題ですが、今回の報道で知ったのですが、優秀な高校生を大学やプロのチームにより高く売るための「ブローカー的な存在」もあるとのこと。さらに、監督にお金が渡る、金銭を要求する監督や関係者もいるとのこと。
驚きです。
まさに行き過ぎ。
結局、問題を助長している大きな問題として、やはり「甲子園」があります。「甲子園」が腐敗と利権と権威の重大な温床の一つであることは明らかでしょう。
いまこそ、こんな大会はやめるべきだ、ということを声を大にして言いたいポチでした。
読み直してみたら、きっと思い込みの強い一方的な文章になっているのだろうなあと思います。だから、読み直さずに、エイヤッと送信してしまえ!
ということで、日頃の鬱憤を晴らしたポチでした。では、また。


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