スポーツ

2008年6月30日 (月)

EURO2008 スペイン優勝!

 ポチです。
 先ほど、EURO2008決勝が終わりました。

 スペイン優勝!!

Photo

(写真は、優勝トロフィーを掲げるキャプテン・イケル・カシージャス=SPORTSNAVI.COMからお借りしました)

 いいゲームでした。
 得点は1対0でしたが、両チームとも攻撃的で観ていて楽しいゲームでした。
 たしかに、勝負は紙一重で、どちらが勝ってもおかしくないゲームだったとは思いますが、今大会全体を通じて、やはり「CHANPION」にふさわしいのはスペインだったと思います。



 私の一押しはスペインだったのですが、実は、優勝はできないのではないかと大会前から思っていました。流れるような美しいサッカーを魅せてくれるスペインですが、けっして勝負づよいとはいえなかったからです。
 スペインの全試合を観ましたが、大会途中も、その美しさに感動しながら、「でも優勝できないだろうな~」と思っていました。でも、どういう結果になろうとも、「こんなサッカーができる国は他にどこにもない」という存在感を見せ付けてくれたスペインに満足しながら観ていました。
 セミファイナルのイタリア戦は、引き分けPK戦という勝っても負けてもおかしくない試合でした。でも、勝利に値するサッカーをしていたのはスペインでした。
 そして、今日の決勝戦。本当にすばらしい魅惑のパスサッカーをみせてくれました。そして、「これぞFW」としか言いようのないフェルナンド・トーレスのゴール。
 これだけでも満足なのに、そのうえに優勝。ホント、大満足な朝です。



 そして、表彰式。セルヒオ・ラモスが、昨年、試合中に倒れ亡くなったアントニオ・プエルタの名前と背番号の入ったTシャツを着て出てきたときは、思わず涙がこぼれてきました。



 そして、そして、悔しそうなバラック、シュバインシュタイガーの顔。
 実は、うちの長男はバラックの大ファンです。彼の誕生日にはいろんなものを買ってやりましたが、うれしそうな顔もしないことが多かったのです。でも、17歳の誕生日にドイツ代表のバラックのユニフォームを買ってやったときには、「これ、最高!」と本当に喜んでくれ、汗臭くなっても着続けていました。
 故障もあったようで、決勝戦のバラックはもう一つだったような気がします。もし、このゲームを観ていたら、今頃は苦やしがっているでしょう。




 ということで、大満足な結果でEURO2008は終わりました。これで、仕事中、睡眠不足に悩ませられることもなくなるでしょう。





 では、また。
 ポチでした。

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2008年6月22日 (日)

EURO2008 さあスペイン対イタリアだ

 ポチです。
 今朝までは土砂降りでしたが、午前中から天気が回復し、昼間は蒸し暑い一日でした。嫌な気候が続きますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか?



 さて、EURO2008も大詰めを迎えています。
 明日の午前3時半から準々決勝最後のカード、スペイン対イタリアです。
 準々決勝、ここまでの3試合、すべて各グループの2位通過のチームがベスト4に勝ち進むというへんなことになっています。
 ポルトガルもオランダも敗退してしまいました。
 今朝は、オランダ対ロシアを観ました。
 オランダは、グループリーグでみせた爆発的な攻撃が影を潜め、なんとも冴えなかったのですが、それ以上に凄かったのがロシア。実は、ロシアにはあまり注目してPhotoいなくて、これまで1試合も観ていませんでしたので、驚いてしまいました。
 とくに、アンドレイ・アルシャービンという選手。「なんだこれは!」というくらい凄いプレーを連発していました(写真の人です)。
 パスよし、ドリブルよし、シュートよしで、ちょっとタイプは違うかもしれないけど、バルサのメッシを観ているようでした。



 さあ、今晩(明日の未明)は、私の本命であるスペインとイタリアです。
 睡眠不足に耐えながら、がんばって観戦することにします。



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2008年6月 7日 (土)

泳ぐのは選手たちです

 ポチです。
 今日は、ホントに暑い一日でした。じっとしてても汗が流れてきました。
 みなさん、お変わりありませんでしょうか?
 でも、夏になったら、こんなものじゃないのでしょうねエ。


 さて、今朝の新聞の一面を飾っていたのは「水着」でしたね。
 昨日、おこなわれた水泳のジャパンオープンで、スピード社の水着を着た選手が5人も日本新を出した、ということでした。
 オリンピック前の泳ぎ込みの最中であり、選手の体調は万全ではなく、こんな記録の出る時期ではないそうです。

 ウ~~ン・・・・。

 ということは「水着の力」なの?

Tky200806060266  新聞記事にも「戸惑い」という見出しが躍っていました。
 また、北島選手は、「泳ぐのは僕だ」とかいたTシャツを着て登場しました。「水着が泳ぐわけじゃない」というわけです。(写真=「朝日」のHPからお借りしました)

 変な話です。
 仮に勝ったとしても、「水着の力」なんて言われたら、選手はどんな気持ちになるんでしょうか・・・。

 選手たちは、オリンピックに向けて、一生懸命努力されているのでしょう。その努力たるや、私たちには想像を絶するものだと思います。
 水着ばかりが話題になってしまっている今、その努力はどう正しく評価されるのでしょうか。まったく疑問です。

 で、日本水連が国内3メーカーと契約している関係で、今のままでは、日本選手は、この水着を着れない・・・・。それで、今回の結果を受けて、日本水連は、スピード社の水着も含めて、どの水着も着られるようにする措置をとる可能性が高いようです。
 しかし、ミズノやデサントなどのメーカーと直接契約している選手は、スピード社の水着はさすがに着られません。


 同じ条件で、能力を競い合う。それがスポーツではないでしょうか。
 スピード社の水着にどれほどの力があるのか、私にはわかりません。しかし、少なくとも、「水着の力で勝った」「水着のせいで負けた」と言われるようなオリンピックにしてはならないと強く思います。

 そういう点から考えると、「スピード社の水着はやっぱり速そうだから、日本選手の着れるようにしよう」などという日本水連の発想は、それでいいのかと思ってしまいます。
 だって、オリンピックに出る選手全員がスピード社の水着を着れるわけではないのですから。
 「日本人さえ速ければそれでいい」というその発想は、水泳という競技の日本での最高の機関が、スポーツの大原則である「同じ条件で競い合う」という原則を自ら踏みにじることにはならないでしょうか?

 今、日本水連に求められているのは、オリンピックに参加するすべての選手が、真に自らの能力を競い合うことのできる環境づくりのために、国際水泳連盟に働きかけることなのではないかと思います。


 いずれにしても、選手たちの気持ちを大切にし、選挙たちの努力が真に報われる方向をうち出してほしいと願っているポチでした。
 では、また。









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2007年10月27日 (土)

「子どもを守る」ということ

 ポチです。
 気がついたら、10月はまだ2回しか更新していません。「これはまずい」と思い、今朝は早起きしてがんばっています。
 すっかり秋も深まり、朝晩は寒いくらいです。でも、昨日の昼間は、台風が接近しているせいなのか、蒸し暑い一日でした。みなさん、変な気候ですがお変わりありませんでしょうか?

Photo  昨日、亀田興毅くんの「謝罪会見」の様子をTVで観ました。感想を一言でいうと「立派だった」でしょうか。二十歳の若者が、出てこない親父の替わりに「亀田家を代表して」1時間半にもわたって耐えていました。観ていて涙が出てきました。(写真は「毎日」からお借りしました)
 自らまいた種とはいえ、つらい時間だったでしょう。「強くなってほしい」と心から思いましたし、「こいつは必ず強くなる」とも思いました。

 それにしても、親父はいったい何を考えているのか、よくわかりません。
 あれほど「子どもを守る」と言っておきながら、穴倉に入り込んで出てこず、世間の冷たい対応から逃げ、それを子どもに背負わせる。これじゃあ、「子どもに守ってもらっている」としか思えません。

 もちろん、これまで、史郎さんはいろんな苦労をして、子どもたちを育ててきたのでしょう。それは私たちにはうかがい知れません。これまでも何度も修羅場があって、そのたびに、彼は子どもを守ってきたのかもしれません。なかには、今回以上の修羅場もあったのかもしれません。
 しかし、今回の出来事は、これまでの亀田家の価値観のほとんどすべてを覆すような大きな転換点であることは間違いありません。そのときに、逃げてしまって・・・。自分ならどうするだろうとも考えて、正直、腹立たしい思いがしました。
 出てこないのは、出てこないなりの私たちにはわからない深い理由があるのかもしれません。しかし、どんな理由があったとしても、昨日こそ、体を張って子どもたちを世間の冷たい仕打ちから守らなければいけないときだったような気がしてなりません。

 それでも、興毅くんから「世界一の親父です」って言ってもらって、どういう気分だったでしょうか。

 興毅くんも大毅くんも、ボクシングでも、そして人間としても、強くなってほしいと心から思いました。

 

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2007年5月 4日 (金)

高校野球について思うこと

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 ポチです。
 お姉さんに、無理やりチョッキを着せられ、ポーズを取らされています。
 まだかよ。
 もういいだろう?





 で、本題です。
 今日は、いま「特待生」問題でゆれる高校野球の話をしてみようと思っています。
 かなり、独善的な文章になるかとは思いますが、積年の思いですので、ご勘弁を。そして、「それは違う」というご意見がありましたら、お願いします。

 そもそも、高校野球は嫌いです。
 というか、野球一般も好きではありません。たしかに、野球をするのは楽しいです。体を動かすのは気持ちがいいという点で。でも、野球観戦しようとは思いません。
 率直に言って、野球を一生懸命観ている人に対して「何が面白くて観てるんだろう」って思ってしまいます。だって、あれほど退屈なスポーツはないんじゃないでしょうか。だって、両チームあわせて、18人のプレーヤーがゲームをしていますが、ピッチャーとキャッチャーを除けばほとんどの人は圧倒的な時間立っているだけでしょ。こんなチームスポーツって野球くらいじゃないでしょうか。
 もちろん、好みの問題ですから、野球が好きな人に文句を言うつもりはまったくありません。

 で、高校野球です。
 これは、「好みの問題」では済まされない問題があると思います。
 友人・知人の中には、「プロ野球はそう好きじゃないが、高校野球は好き」という人がたくさんいます。曰く、「純粋なところがいい」「さわやか」「汗と涙の青春群像」などなど・・・。
 ホントにそうでしょうか?
 もちろん、高校球児たちのほとんどが主観的には「純粋」に野球に取り組んでいるであろうことは否定しません。
 しかし、いまや、高校野球は、「純粋さ」の建前の中で、大人たちの金儲けだったり、名誉欲だったり、権威主義という大きな枠の中でしか存在できないものになっているのではないでしょうか。

 野球だけでなく、高校のスポーツ活動の原点は「学校教育の一環」です。当然、学校の正規の部活であるわけですから当然のことです。
 しかし、いまこれが建前になっていないでしょうか。

 ポチは、高校時代、野球以外のスポーツ部に所属していました。当時、けっこう強くて、中国大会2連覇などをしていました。いわゆる「進学校」だったのですが、たぶん、当時のその高校の運動部の中では、もっとも「結果」(勝ち負けという点で)を出していたと思います。

 甲子園の予選の地方大会を前に、全校生徒は体育館に集められ、応援の練習をさせられます。そして、華々しい壮行会がおこなわれ、半ば強制的に応援に行かされます。
 一方、ポチの所属していた部活を含めた他の運動部は・・・・。
 これは、明らかな「差別」です。「学校教育」に当たり前のように「差別」が持ち込まれていることに、なぜみんな気がつかないのでしょうか?

 甲子園に出たこともないポチの高校のようなところでさえそうです。いわゆる「強豪高」などと言われる高校では、もっと激しいことがおこなわれているに違いありません。

 さっきも言いましたが、球児たち一人一人は「純粋」に野球をしていたことを疑ってはいません。しかし、「高校野球」全体はやはり「純粋」ではないのです。

 それを助長しているのが、高校球児がめざしていると言われる「甲子園」という権威とそこから発生する利権です。
 どこの高校スポーツの全国大会に、1試合が2時間前後もかかるようなゲームをするのに、1つの会場だけでやる大会があるでしょうか。大会期間が長期化し、選手・スタッフの宿泊費や応援団の宿泊費の高騰化という弊害を生んでいます(全国大会で応援団が組織されるのは野球くらいのものでしょうが)。
 どこの高校スポーツの全国大会に、毎試合、勝った高校の校旗掲揚と校歌斉唱をおこなう大会があるでしょうか。文字通り、権威主義です。

 そして、その「甲子園」は、高校球児の思いとは無関係に、金儲けと名誉欲の渦の中に存在しています。
 「うちの高校を有名にするチャンス」「名監督としての地位を築く」「立派な大会にして高野連の権威を上げる」、そして、「新聞の拡販の絶好機」・・・・・・。
 甲子園は、この渦の中にズッポリとはまり込んで、もはや、「学校教育」のなかに、「差別」が持ち込まれていることすら気づこうとしません。
 卓球の高校の全国大会がいつ、どこでおこなわれているのか知っている人がいたら教えてほしい(卓球の関係者のみなさん、みすみません。いまや、愛ちゃんで多少メジャーにはなっているとは思いますが、やっぱりマイナースポーツの代表として、すぐに思い浮かぶもので・・・)。
 誰も注目していないかもしれないけれど、彼らも「純粋」に、高校球児となんら変わることなく、あるいはそれ以上に一生懸命がんばっているのです。なぜ、学校をあげて、社会をあげて、マスコミをあげて「差別」されなければならないのですか?





 以上のことが、ポチがこれまで思っていたことです。
 それに、今回の「特待生」問題が加わりました。

 「特待生」の問題について、これまで特別に意識をしたことがありませんでした。高野連が「特待生」を禁止していることすら知りませんでした。
 だって、「特待生」なんて当たり前だと思っていたから。
 たしか、ポチの小学校の時の友人がPL高校に「特待生」で入ったと記憶していますから、そんなもの大昔からあったに決まっているんです。それを、今回調査して「こんなにあるとは知らなかった。けしから」なんて高野連が記者会見していましたが、率直に言って「そんなバカな」っていう気分です。
 しかも、「高校も悪いが、高校生も悪い」みたいなことも言われていました。本当にそうでしょうか。
 「朝日」に、特待生で入った父母の声が紹介されていましたが、家計への心配で公立への転校も含めて考えざるを得ない実態が書かれていました。実感としては、「被害者だなあ」という思いです。

 で、この「特待生」問題ですが、あちこち見渡しても、「特待生のどこが悪いんだ」という主張が目に付きます。
 主な理由は、次のような点だと思います。
 「勉強ができる子には特待がある。野球ができるのも個性、才能ではないか」
 「他のスポーツでは特待が許されているのではないか」
 「能力はあるのに貧しくて高校に進学して野球ができない子どもを切り捨てていいのか」
 極端なのになると「きょうび、スポーツに賞金ができるのは当たり前」という意見もありました。

 本当にそうでしょうか。
 これらの意見のほとんどどれもが「行きすぎはよくないが」というコメントが入っていました。
 特待制度そのものの存在があるかぎり、様々な「行き過ぎ」が生まれるのは必然のような気がします。
 勉強ができる子への特待もどうかと思いますし、他のスポーツには特待が許されるというのもどうかと思います。「能力があるのに切り捨てていいのか」という意見に対しては、別に特待生になって強豪高に行かなくても野球はできると言わざるを得ません。
 さっき言ったポチの友人は、途中で体を壊して野球を断念。途中から授業料を払うようになったと聞いています。たまたま、親にお金があったから転校しなくてもよかったのですが・・・。
 特待制度は、「有名校になって生徒集めをやりやすくしたい」などの「学校教育」とは無縁の大人のエゴで、15歳から18歳の子どもたちの人生を弄んでいるのではないでしょうか。

 ついでに言っておきますと、勉強のできる子への特待制度についてです。
 この特待制度を、野球の特待を容認する理由とからめて、「貧しい子の進学を保障するもの」という意見がありましたが、まったくの誤りです。
 ポチの友人で私立高校の教員をしている人がいます。この高校は、いわゆる「底辺校」と言われています。それで、成績優秀な子を集めるために、授業料ゼロにする制度をつくっています。
 この友人は、「けっきょく、特待をうける成績のいい子の家庭はそれなりに豊かで、貧しい家の子どもは、高い授業料を払っている」と言っていました。

 で、「行き過ぎ」の問題ですが、今回の報道で知ったのですが、優秀な高校生を大学やプロのチームにより高く売るための「ブローカー的な存在」もあるとのこと。さらに、監督にお金が渡る、金銭を要求する監督や関係者もいるとのこと。
 驚きです。
 まさに行き過ぎ。

 結局、問題を助長している大きな問題として、やはり「甲子園」があります。「甲子園」が腐敗と利権と権威の重大な温床の一つであることは明らかでしょう。
 いまこそ、こんな大会はやめるべきだ、ということを声を大にして言いたいポチでした。

 読み直してみたら、きっと思い込みの強い一方的な文章になっているのだろうなあと思います。だから、読み直さずに、エイヤッと送信してしまえ!

 ということで、日頃の鬱憤を晴らしたポチでした。では、また。

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