子どもたちの未来のために

2008年12月 9日 (火)

「喫煙室問題」の背景――黄柳野のこと

 ポチです。
 今日も朝から雨模様で、寒さが一段とこたえました。
 とくに、うちの職場は、室内禁煙で、タバコをすう時は外に出なければなりません。こう寒いとタバコを吸うのにも覚悟が必要です。
 みなさんのところではいかがでしょうか?



 ということで、今日の話題は昨日の「毎日」に載っていたコレです。


社説:視点 喫煙室事件 社会の包容力も問われている

                      =論説委員・三木賢治

 社会のありようにかかわる難問を突き付けられた形だ。愛知県新城市の私立黄柳野(つげの)高が生徒寮に“喫煙室”を設けたため、県青少年保護育成条例に違反するとして県警の家宅捜索を受けた事件のことだ。
 言うまでもないが、20歳未満の高校生の喫煙は未成年者喫煙禁止法で禁じられている。それなのに教職員が喫煙を助長していたとすれば由々しき一大事だが、同高の場合は他校の中退者ら複雑な事情を抱える生徒を全国から受け入れていることもあって、話は単純ではない。
 13年前の開校以来、いくら指導しても、隠れてたばこを吸う生徒が後を絶たなかった。昨年1月、女子寮でボヤ騒ぎが起きたのを機に、教職員会議で激論の末に寮内の空室を禁煙指導室として在校生約230人の約3割を占める喫煙者に提供することにした。同室での喫煙を黙認する代わり、室外での喫煙を厳禁。喫煙者は毎月、専門家のカウンセリングを受け、10年までに禁煙するのが条件だった。「違法は承知だが、無理やりやめさせれば隠れて吸う。火事の危険もある。苦渋の選択だった」と辻田一成校長は説明する。
 “喫煙室”の存在は今年10月、警察の知るところとなり、未成年者に喫煙場所を提供したとして摘発されたわけだが、その評価は分かれよう。嫌煙が 世界の潮流となっている折、指導が手ぬるいと批判されてもおかしくない。一方で、教職員が生徒の事情をくんだ指導法ならば、相応に尊重されねばなるまい。
 大切なのは、建前では割り切れない問題があると知ることではないか。一筋縄でいくはずのない正邪、勝敗、損得などを二者択一式に判断する風潮が広がる。多数派の価値観に合わないと、規格外として排除する傾向も強まる。情理の理が強調され、情の影は薄れる。世の中がぎくしゃくしていると嘆く人が目立 つのも、無理からぬ話だ。
 刑罰に関しては、“大岡裁き”が通用しにくい時代になったのかもしれない。世論は厳罰化になびき、捜査機関は無用な批判を浴びたくないと考えがちだからだ。人々は自説を貫く自信を欠き、社会は包容力を失っているようにも映る。
 同高の“喫煙室”は捜索の後、閉鎖された。生徒たちは学校の将来を憂え、校長らが犯罪者にされることを心配している。全校で今年度中の禁煙を申し合わせたが、早々に禁煙に踏み切る生徒が相次ぎ、隠し持っていた30個近い灰皿が自主的に廃棄された。司直が結論を下すのは、生徒たちの禁煙の行方を見極めてからでも遅くはあるまい。
                  毎日新聞 2008年12月8日 東京朝刊

 

 この記事の視点には概ね同意します。

 実は、この黄柳野高校というのは、私の息子の母校です。彼が在学中は、何度も足を運びました。ですから、少しは学校のことも知っています。今回の問題がおこって世間を騒がせていますが、このことを聞いた私の感想は「黄柳野らしいなあ~」でした。


 黄柳野高校は、全国から不登校の子や問題があってそれまでの高校をやめざるを得なかった子どもたちが集まっている全寮制の高校です。

P21919452

 ↑黄柳野高校です。息子の卒業式の日に撮った写真です。
 右の方が正面玄関。右の方が写っていませんが、正面玄関の左右に教室が並んでいます。木造の非常にユニークな校舎です。


 息子が黄柳野に行くことになった経過は、この記事で書いています。よかったら読んでみてください。ここに書いた「愛知のある高校」というのが黄柳野です。


 そもそも、黄柳野高校のことはよく知らなかったのですが、黄柳野に息子を行かせようと思ったのは、学年途中からでも、とにかくうちの息子を入れてもらえそ うであることと、当時、若林繁太さんが名誉校長だったことを知ったからです。教育問題には疎い私でも、若林さんの著書「教育は死なず」は読んだことがあり、感銘を受けていました。
 ただ、それだけだったのです。
 それが、何度か、黄柳野に通ううちに、黄柳野の良さがわかってきました。


 全寮制の高校なので、長期休暇の間はもちろん、学期の中間にも休みがあって、自宅に戻れるようになっています。そして、その際には、迎えに来る父母との懇談会などが設定してあります。
 息子が、万が一にも「いらん子を家から排除した」なんて思ったら大変だと、夫婦で一生懸命通いました。愛知県の山の中。確か、静岡県との県境がかなり近かったと思います。片道、7~8時間だったと思いますが、車を飛ばして行っていました。ひどいときは、前の晩に出発し翌朝着いて、懇談会に出て、息子を乗せて午後に出発、夜中に宇部に帰ってくる、24時間で1万6千キロを走るという強行軍もありました。


 その懇談会では、父母からいろんな意見や要望が出されます。
 最初の頃は、「いったい何のこっちゃ」という気分でした。
 だって、出される要望が、たとえばこんなものだったからです。

 「子どもに授業に出るようにさせてください」
 「タバコをやめさせてください」


 はあ?
 っていう感じでした。

 で、スタッフ(「先生」とは言いません)のみなさんがそれに答えるのですが、それを聞いて、「あ、ひょっとしたらいい高校に来させたかな」と思ったものでした。

 スタッフの方の答えはこうです。

「無理やり授業に出させても、けっしてその子のためになりません。自分から授業に出ようと思うようになることが大事なのです」
「タバコを禁止だと言って取り上げ、子どもたちを監視し、吸った子どもを処罰するというのでは何の問題も解決しません。自分自身でタバコはやめるという意思を持たせることが大事なのです」


 教育には、「理想」と「現実」があります。
 ほとんどの教師の方は、高い理想をもち、がんばっておられます。
 しかし、「現実」の前に「理想」は霞みがちです。実際の教育現場の困難さから「理想」とかけ離れた実践をせざるを得ない場合が多いのではないでしょうか。
 黄柳野は、あくまでも「理想」から出発し、「現実」をそこに近づけていこうと努力している学校なのだと思いました。
 ただ、それは言うほどには簡単ではありません。
 子どもたちを取り巻く社会は矛盾だらけです。醜い大人たちを見て子どもたちは成長します。それが学校現場に深刻な影を落としています。数多くの矛盾の前に、私の目から見ても、けっしてうまくいっていたとは言えなかったと思います。
 それでも、「理想」を大事にする、「理想」を貫こうとする黄柳野の姿勢は好きでした。

 たとえば、こんなことがありました。
 息子の寮のスタッフの方が、危険物取扱いの資格を得る国家試験に挑戦してみないかと呼びかけました。「ガソリンスタンドのバイトをする際も、この資格を持っていれば自給が高くなるぞ」という呼びかけが効いたのかどうか、うちの息子をはじめ、たしか10名前後の子どもたちが勉強を始めました。授業にもろくすっぽでない子どもたちが、毎夜、一生懸命勉強をしたそうです。そして、ほとんどが合格しました。
 子どもたちの自主性を引き出せれば、真剣に努力するし、大きな力を発揮するということの実証だったと思います。

 それから、こんなことがありました。
 ちょうど、そのころ中越地震がおこりました。子どもたちの一人が「救援のボランティアに行きたい」と言ったそうです。
 学校は、その声に応え、希望者を募り、数名だったと思いますが、スタッフの方もついて、授業扱いで被災者救援のボランティアに行きました。うちの息子も志願して行くことを知った時は、ちょっぴり息子を自慢したくなったものです。



 黄柳野の矛盾は、教育実践の困難さとともに、経営の問題も抱えていたように思います。
 正確にはよく覚えていませんが、当時の黄柳野は一学年100人前後だったのではないでしょうか。友人の私立高校の教員に聞くと、「とても、その生徒数ではまともな経営はできないだろう」とのことでした。
 

 この矛盾は、学校の基本理念をも揺り動かしていました。息子が卒業する前あたりには、生徒数を増やすために、「理想」から離れて、「普通」の高校になろうとする動きもありました。

 現在の黄柳野がどうなっているかはわかりませんが、今回の「喫煙室問題」をみると、その基本は守られているのかなと思います。


 「理想」を大事にし、困難であってもそれに立ち向かっていく。そしてあるがままの子どもたちを受け入れ、その自主性を何よりも大事にし、成長を援助していく。いま、そんな高校がもっともっと必要なのではないかと強く思います。



 直接、「喫煙室問題」とは関係ない思い出話のような話になりました。でも、「喫煙室問題」の背景を考える上での参考になれば幸いです。


 では、また。





 

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2007年5月28日 (月)

学力と競争――「匿名」さんのコメントに答えて

 ポチです。
 ドタバタしていて更新をまた怠っていました。
 今日はいろんなことが起こる日です。ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。「なんとか還元水」の松岡農水相が自殺をはかられて重態だそうです。・・・あ、今確認したら、亡くなられたようです。
 緑資源機構の官製談合問題の捜査がすすみ、いよいよ逃げられなくなったと思われたのでしょうか。「なんとか還元水」の時に罷免ないし辞任させてあげておいたら、自殺までしなくてよかったのかもしれませんねえ。
 いずれにしても、人の命は等しく重たいものです。心からお悔やみ申し上げます。

 

 さて本題です。
 以前に、義家氏のことを書いたもの(コチラ)に「匿名」さんからコメントをいただいていました。ご返事を書かねばと思っていたのですが、なかなか時間がありませんでした。遅くなりましたが、あらためて、「匿名」さんのコメントに対する私の意見を書いておこうと思います。

 まず、「匿名」さんのコメントを紹介しておきます。

         ―――引用―――

「しかし、教育を崩壊させているのは、自民党・公明党による今の政治ではないでしょうか。教育への権力の際限ない介入、免許更新制による教師の不安定化の促進、「いじめた子には処罰を」というような教育とは無縁の態度、「学校バウチャー制」や「学力テスト」導入による競争の激化と教育格差のいっそうの拡大。」

この意見には、反対です!
「教育への権力の際限ない介入」際限なく介入なんてしてないでしょう。教育というのは、自由にすればいいというものではありません。教育は明日の日本を担う国民を育てるためのものですから、国、政府による介入は当たり前です。むしろ、先生方が何の縛りもなく自由に教育する方がどれだけ危険であるか。考えてみてください。特に日教組なんかに任せていたらどんな国になることか。

学力テストの導入なんて、当たり前のことではないですか。
学校は勉強するところであり、勉強した結果、自分がどれくらいの成績か知りたい人もたくさんいるはずです。

順番をつけることや競争が悪いような感じですが、日本という国は、面積も狭く、資源も何もない国なんですよ。
現在のような豊かな生活を送ることが出来るのは、世界各国との競争に打ち勝ったからこそなのですよ。
日本は、頭で勝負しないで、何で勝負するのですか。頭で勝負するしかないのです。ゆとり教育なんて寝ぼけたことを言っていては、あっという間に韓国や中国に追い越されてしまいます。(もう手遅れかも知れないけど。)

学校を卒業して、社会に出れば、そこは紛れもない競争社会です。
社会に出ても適応できる人間を作ることも教育の一つではないでしょうか。
学力テストがダメだという考えは、一体どんな考えから来ているのでしょうか。生徒に順番をつけさせないためですか。徒競走もみんなで手を繋いでゴールするのですか。

そんなのは教育ではないと思います。
人間は、生まれながらにして、美人もいればブスもいます。頭のいい人もいれば悪い人もいます。スタイルのいい人もいれば、悪い人もいます。
人権は平等でなければなりませんが、能力や容姿は、平等ではないのです。生まれながらにして、不平等なのです。これは紛れもない現実です。

ですから、その人その人の能力にあった教育を受けるのが一番良いのではないでしょうか。それを教育の格差とみるか、個々人に最適の教育とみるか、です。

高度な学問になればなるほど、みんな一緒の教育なんて無理なんです。
一番ビリの人に合わせるような教育をしていたら、日本は世界から取り残されてしまうじゃないですか。

追伸:偶然立ち寄ったHPで、自分勝手な意見を述べさせていただきました。特に名乗るほどの者でもないので匿名とさせていただきます。

    
―――引用終わり―――

 論点としては、大きくいって二つのことだと思います。
 一つは、権力の教育への介入問題で、これについて「当然だ」とのご意見だと思います。もう一つは、「学力テスト」に関してで、「学力をつけるためには必要で、競争も必要だ」というお立場だと思います。

 最初に、権力の介入問題についてです。

 「教育への介入はおかしい」という私の意見について「匿名」さんは「教育内容は個々の教師の自由に任せるべきだ」という主張だと理解されているのかなと思います。
 何を教育するのかまったく自由だとは私も思いません。教える中身について学校や教師によって大きく異なってはいけないと思います。教育基本法が「教育の目的」として定める「人格の完成」のために必要な中身についての一定のガイドラインはあってしかるべきだと思います。

 しかし、私が「権力の教育への介入」といったのはそういうことではありません。

 改悪以前の教育基本法の第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と明記されていました。改悪された同法の16条は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と「国民全体に対し直接に責任を負って」が「この法律及び他の法律の定めるところにより」に取り替えられ、その意味するところはまるで変えられてしまいました。
 そもそも、教育基本法が「不当な支配に服することなく・・・・」と定めたのは、あの戦前の国家権力による介入によって教育が大きくゆがめられたことへの深い反省の上に立ったものでした。
 教育基本法制定時に文部省が中心になってまとめた『教育基本法の解説』は、次のように述べています。

 「国家を唯一の価値の基準とし、国家を超える普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきた」「このような教育は、わが国をして世界を相手とする戦争にまで追い込み、今日の敗戦の災いを招くに至った有力な一因をなした」

 そして、この10条が、先に紹介した改悪法16条の内容にすりかえられたのは、この規定が定められた逆の理由だろうと考えるのは不自然なことではないと思います。
 つまり、「国家を唯一の価値の基準とし」「自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想」を教育の中に侵入させるためだと・・・・。

 実際、04年2月、教育基本法改悪をめざして自民党と民主党の国会議員が結成した「教育基本法改正促進委員会」で、民主党の西村真悟衆院議員が何を言ったのかを紹介しておきます。

 「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって…祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」

 国家のために死ぬことを子どもたちに教え込もうというわけです。


 そして、今まさに、安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」をうたい、憲法9条改定を主張し、「集団的自衛権の行使はできる」として自衛隊の海外派兵をすすめようとしています。それをすすめる梃子になっているのが「教育」なのでしょう。


 では、具体的に、どう介入していこうとしているのかをみていきましょう。

 いま、国会で審議がおこなわれている「教育三法案(「学校教育法の一部を改正する法律案」)(「教員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」)(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案」)」でみてみましょう。

 「学校教育法」では、義務教育の目標に新たに「国と郷土を愛する態度」などを加えて、子どもたちに特定の価値観をおしつけようとしています。また、小中学校などに副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな職を置き、教職員のなかに上意下達の体制をつくろうというものです。

 「教員免許法・教育公務員特例法」では、教員の免許状に10年の有効期間を定め、講習修了を免許更新の条件にしようとするものです。他の専門職では考えられない不安定な身分に教員をおき、国の統制内に縛り付けようというものです。

 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は、教育委員会にたいする「是正・改善」の指示、「是正の要求」などを新たに盛りこみました。これは地方分権の流れにそむいて文部科学大臣の地方への権限をつよめるものです。さらに、私立学校にたいする教育委員会の「指導・助言」を新たに可能としたことは、私学の自主性を侵害するものです。

 これらは、教育への権力統制を具体化したものです。
 さらに、「学校評価制」の導入です。その狙いを隠すことなく、安倍さんは語っておられます。学校を上から徹底的に締め上げて、国家による監視と統制をおこなうというものです。

 「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」(安倍晋三『美しい国へ』)

 それから教育バウチャー制です。生徒数に応じて予算を配分しようとするものです。学校を予算で差別するという介入です。
 学校選択制で人気のない学校や、過疎地の学校は生徒が減った分だけ予算が減ることになります。学校格差は急速に拡大することになるでしょう。ある専門家は、「もはやこれは懲罰的な予算配分に近づく」だと告発しています。


 学校評価制とバウチャー制度については、以前のブログで書いていますので、コチラも見ていただければ幸いです。


 こんなことをして、今の教育が抱えている問題が解決するはずもありません。その狙いは、西村議員の発言で明らかなのではないでしょうか。

 「匿名」さん、私が「権力による介入」を危惧しているのは、こういうことです。そして、実際に、それは確実にすすめられてきています。教育基本法が制定当時定めたことの意味を今一度かみ締める必要があるのではないでしょうか。




 次に、「学力テスト」の問題についてです。
 長くなったので、簡潔に述べます。

 「匿名」さんは、「学力テスト」と「学力をつける」ということが同意語であるように書かれています。しかし、それは違うと思います。
 以前、尾木直樹さんの講演会に行ったとき、尾木さんは、「学力テストで学力はつかない。それは、学力テストが順番を競うもので、学力を伸ばすものではないからだ」という趣旨のことを話されていました。なるほどな、と思いました。

 そもそも、全国学力テストの復活を言い出したのは、04年、当時の中山成彬文部科学相です。彼は当時、「今までの教育に欠けていたものがあるとすれば競い合う心」、「全国学力テストをやって競い合う教育を」と主張し、「学力世界一をめざす」とされていました。

 しかし、日本の「競争主義」は、世界から見ると「克服の対象」になっているのが大きな特徴のようです。
 そもそも、日本が「世界一」になろうという国際学力調査はOECD(経済協力開発機構)がおこなっているPISAという学力調査なのですが、この調査自体が、競争的な学力への疑問を出発点にしているそうです。
 OECDは、PISAをはじめた経過説明でこう言っているそうです。

 「(日本や韓国等の学力の)成功は、他の重要な面、すなわち生徒の間における創造性、批判的思考、自信といったものの犠牲の上になされているのではないか」

 つまり、日本型の学力は21世紀には通用しないだろう、というわけです。

 競争では到達しづらい学力が世界で探究されているときに、競争復活というのは、まったくの方向違いということだと思います。

 「匿名」さんは、競争社会に適応していくためにも学力テストを、と言われます。しかし、今の子どもたちは、格差か平等か、暴力か平和か、多様性の拡大、ネット社会の光と影、そんな中で生きています。その子どもを支える学力の中身が真剣に語り合われるべき時ではないでしょうか。その模索すべき方向が「競争」だとはけっして思えません。
  「学力世界一」のフィンランドでは、学習は、「競争より共同を重視するもの」といわれているそうです。学ぶべきは、ここにあるのではないでしょうか。

 以上が私の考えです。「匿名」さんが再びこのブログに来ていただけるかどうかわかりませんが、一応、これをご返事としておきます。
 もちろん、これで「匿名」さんが納得していただけるとは思っていません。しかし、少なくとも、こういう立場からの見解もあるのだと知っていただければ幸いです。


 それでは、おあとがよろしいようで・・・・。ポチでした。

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2007年5月12日 (土)

裏切られた思い――義家弘介氏のこと

 ポチです。
 風邪を引いてしまって、寝込んでいました。
 どうも、仕事疲れが抜けないのか、最近、体調がよくありません。
 この何日か、更新しようと、書きかけてはみるのですが、薬のせいか、眠くなったりして途中で挫折してしまっていました。今日は、少し調子もいいので、がんばって更新してみようと思っています。

 昨日、参院憲法調査特別委員会で、「改憲手続法案」が強行可決されました。国会審議の内容も、国民の声も無視したとんでもないやり方です。
 これについては、明日書きます。




 さて、本題です。
 かつて「なかなかのものだな。この人は」って思い、半ばあこがれのようなものを抱いていた人が、実は、「なんだ、そんな人だったのか」と幻滅してしまうことは、裏切られたようで、結構悔しいものです。

 10日付の「朝日」の記事。

「携帯持つ前に道徳教育を/「ヤンキー先生」国会で持論強調/99年「教育の形 崩壊した年」。

 9日に、教育再生会議の義家弘介氏が国会内で講演した中身の紹介記事です。次のように書かれてありました。

 義家氏は携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった1999年を「日本が連綿と守ってきた教育の形が崩壊した年」と指摘。「大人が情報を分別して有害なものを子どもから遮断できた時代から、子どもが直接、携帯から『出会い系』『自殺幇助』などの有害サイトに触れられる時代になった」と説明した。
 そのうえで義家氏は「子どもが携帯を手にする前、0歳から10歳くらいまでに、道徳心をたたき込まなくてはならない。それ以後は、どんな道徳の教えも意味をなさない」と断言。幼児~小学校低学年での同等教育の重要性を強調するとともに、道徳の「教科化」の必要性も訴えた。





Photo_14   義家氏の本は2冊読みました。
 子どもたちに真剣に立ち向かう姿に強く惹かれました。そして、こんな高校もあるんだと感動しました。
 子どもたちを「自分の夢」だと言いきれる教師のいる高校にあこがれました。

(写真は「義家弘介Official Web Site」からお借りしました)

 ちょうどその頃、高校1年だった長男クンが冬休み明けの試験でカンニングをしたのが発覚しました。

 そのちょっと前、彼は、部活の部室でタバコを吸っているところを見つかり停学処分をうけていました。
 停学明けの時、カミさんは学校に呼び出され、「今度、問題を起こしたら、退学も覚悟してもらいます」と言われたそうです。

 それで、カンニングしたことが見つかったと聞いたとき、これは退学かなと思いました。

 その夜、先生が自宅に来るとのことで、「お前、退学になるかもしれんが、どうするんだ」と聞いても、「ウ~ン」と言うばかりです。

 そこで、思いついたのが北星余市高校のことでした。
 その高校がどうも気に入らなかったこともあって、「お前、こんなつまらん高校辞めて、北星余市に行くか?」と言うと、「行く」との返事。「ヨ~シッ」と腹を固めました。
 来られた先生に、話を聞く前にのっけから「高校やめますから」と言ったときのビックリされた顔に、痛快な思いをしました。

 仕事を休み、転入試験を受けに長男クンといっしょに余市に向かいました。
 仕事以外で北海道に行くことなんて初めてでした。
 彼が試験を受けている間に、まだ雪の残るグラウンドを歩きました。ワクワクした気分でした。
 転入試験をうける子どもたちの数は半端じゃありませんでした。「ヤンキー先生」が有名になったことから、すごく多くなったそうです。それで、少し不安だったのですが、まさか、転入試験に落ちることなど考えてもいませんでした。

 結果は「不合格」。
 目の前が真っ暗になりました。もうほとんどの学校の転入試験は終わっています。
 本を買ったり、ネットで調べたりして、途中からでも入れる高校を探しました。
 結局、愛知県のある高校に入ることができました。

 ドタバタしましたが、結果として、この高校を知ることができてたいへんよかったと思っています。長男クンもたぶん満足していると思います。

 この高校のことは、また機会があれば書くことにします。




 で、話をもとに戻すと。
 つまり、そこまで、北星余市と義家氏への思い入れがあったということです。
 「?」と思い始めたのは、彼が北星余市をやめて、横浜の教育委員になったという話を聞いたときからです。
 でも、そのときは、ホントに小さな「?」でした。

 その後は・・・・・。

 彼のサイトを見てみると、相変わらず「熱い」思いが書き綴られています。しかし、・・・。

 今の「教育の形が崩壊している」と彼は言います。たしかに、崩壊している面はあるでしょう。しかし、崩壊させたのは本当に携帯電話でしょうか。
 もちろん、彼の言うことを全面否定するつもりはありません。有害サイトが子どもたちに与える影響の深刻さはそのとおりでしょう。しかし、そのことをもって、日本の教育の形が崩壊したといえるのでしょうか。

 そして、そして・・・・、それへの対策として、なぜ「道徳」なのでしょうか?



 あくまでも「朝日」が書いた彼のコメントであり、彼の言い分を「朝日」が正しく表現していない可能性もあるとは思います(そう思って、教育再生会議のサイトを見てみましたが、確認できませんでした)。
 そのことを前提としてですが、「教育の崩壊」に関する彼のコメントのニュアンスは、「子どもたちが崩れた」というところに重点があるような気がしてなりません。対策に「道徳」がくるのも、そのことを示しています。

 しかし、教育を崩壊させているのは、自民党・公明党による今の政治ではないでしょうか。
 教育への権力の際限ない介入、免許更新制による教師の不安定化の促進、「いじめた子には処罰を」というような教育とは無縁の態度、「学校バウチャー制」や「学力テスト」導入による競争の激化と教育格差のいっそうの拡大。

 いま、崩れているのは子どもたちではなく、教育そのものです。そして、そのもとで子どもたちの成長と発展が著しく疎外されているのではないでしょうか。

 そして、教育を崩壊させているのは、いまの社会の実態、大人たちの実態です。
 「なんとか還元水」の某大臣の言ってることがメチャクチャだというのは、小学生だってわかります。それが国権の最高機関の中では、「メチャクチャではない」と堂々と発言できるし、内閣総理大臣がそれを追認するという今の社会で、どうして、子どもたちが納得できる教育を大人たちがおこなうことができるでしょうか。
 仮に「道徳」教育というのなら、子どもたちよりも、まず真っ先に、松岡さんや安倍さんこそが、その教育を受ける必要があるのではないでしょうか。




 義家氏のHPを読んでみると、「お前たちは、俺の夢だ」と今でも彼は語っています。
 この言葉は、子どもたちに勇気と希望を与えます。
 しかし、いまの義家氏の言動と彼の所属している教育再生会議がやっていることは、子どもたちから勇気と希望を奪っているとしか思えないと言ったら言いすぎでしょうか・・・。


 HPを見ても、彼を慕う子どもたちは全国に多数いることは間違いありません。
 この子どもたちをあなたの誤った夢の犠牲にしないでほしいと強く願うポチでした。

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2007年2月 6日 (火)

背筋が寒くなる教育の破壊と荒廃

 ポチです。
 萩観光の最終回です。今日は、萩城址、またの名を指月公園。

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 萩城(別名指月城)は、慶長9年(1604)に毛利輝元が築城しました。明治7年(1874)に、建物は解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめています。600本のソメイヨシノがあり、春は桜の名所です。
 で、この城跡の周囲は、地名を「堀内」って言って、昔の武家屋敷があった地域です。それで、こんな感じになっていて、指月公園とあわせて観光の名所になっています。

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 ということで本題です。
 今日は、中断していた尾木直樹講演会の続きの話をします。

 いまの教育再生会議の提言は、イギリスで失敗したことを、その失敗から何も学ばずに繰り返そうとしているということを指摘されました。
 「ニート」という言葉をご存知だと思います。「NEET(Not in Education,Employment or Training)」。イギリスで生まれた言葉で、「教育機関に通っておらず、働いておらず、職業訓練も受けていない」若者のことを言うっていうことくらいはポチでも知っていました。
 で、「ヘ~ッ」って思ったのは、イギリスで「ニート」が生まれた背景です。「ニート」の対象年齢をご存知ですか?日本では、15歳から34歳までで、本家のイギリスでは16歳から18歳までです。イギリスのこの「16歳から18歳」ってとこに意味があったんですネ。

 イギリスの「ニート」対策っていうのは、教育の失敗の後始末だったんですネ。
 イギリスでは、サッチャー政権のもと、1988年に教育の大改革をおこないます。それまで、地方教育局が管轄し、権限が地方にゆだねられ、比較的ゆるやかなカリキュラムで、教師が自由に教育内容を考えられる教育制度でした。それが、一変します。
 全国統一学力テストの導入で生徒を成績順に振り分け、学校評価制度で、子どもたちの生活態度も評価の対象にします。そして、生徒が学校を自由に選べるようにし、生徒の数に応じて予算を学校に配分するという教育バウチャー制の導入がそれに追い討ちをかけます。

 どうなったかというと、
 成績が悪かったり、生活態度の悪い子どもがいる→学校の評価が下がる→新入生が入らなくなる→学校に来る予算が少なくなる→そういう子どもたちを追い出す→学校に行かない子どもたちがうまれる

 で、「ニート」が大量発生したわけです。これが社会問題になり、1999年、ブレア政権のもと、本格的な対策を講じはじめたのです。こうした背景があるから、イギリスの「ニート」対策は、16歳から18歳なんだそうです。で、ブレア政権で、この対策を提案したのが「社会的排除防止局」ってトコだそうで、いわば、「ニート」ってのは、「社会的に排除された若者たち」っていう認識だったんですネ。それにくらべて日本では、「ニート」って言えば、働いていない若者を「侮蔑」する言葉になってるんじゃないかと思うんです。
 ちなみに、「ニート」という言葉は、イギリスでも一般的には使われていないそうです。むしろ最近、欧米では、「ニート」っていうのは「日本における若年無業者問題を指す語」として認知されつつあるそうです。

 ということで、話を元に戻すと、だから、イギリスは、全国統一学力テスト、学校評価制度を廃止しました。破たんしたわけです。
 にもかかわらず、いま、郷土のホコリ・アベシンゾーさんは、日本にこれを導入するというわけです。しかも、教育バウチャー制度も合わせて!教育の破壊ですね。

 尾木さんは、学力テストの導入で学力が上がるわけがないと断言されていました。マラソンは順位を競う競技で、タイムがどうであろうと一番最初にゴールした人が1番。順位を競う学力テストも同じで、順番だけが問題にされるようになる。順位を上げるためだけの「教育」がはびこり、学力を上げることは置き去りにされるからだと言われていました。

 また、学力向上のために、授業時間を増やすということを教育再生会議は言っていますが、尾木さんは、「何か政策提言を思いつきでやってはダメです。世界的にみて、授業時間を増やしたところはこうだったとか、減らしたところはこうだったとか、根拠を示さなければ政策提言とはいえません」とキッパリとのべて、授業時間が日本より短いフィンランドが子どもの学力世界一で、日本より授業時間の長いアメリカの子どもたちの学力が日本よりずっと低いという事実を示し、学力と授業時間を短絡に結びつける再生会議の提言を批判されていました。

 いま、日本の教育は破壊と荒廃の一途をたどってるってことを尾木さんの話を聞いて実感し、背筋が寒くなりました。
 みんなで力をあわせて止めなければって強く思ったポチでした。

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2007年1月28日 (日)

教育ってナンダ-学校選択制

 ポチです。
 こっちも本格的に寒くなりました。北国の方にしてみれば、「当たり前だ」って怒られそうですが。昨日、仕事帰りに居酒屋にちょっとだけ行きましたが、とてもビールを飲む気にならず、最初から焼酎のお湯割でした。
 で、焼酎のお湯割り3杯とチャーシュー(ラーメンじゃないヨ)と鯖の南蛮漬けと豚キムチを食って2800円でした。大満足でした。で、「エ~~ッ!!」っていう話がtetsuさんのblogに。ドッカの知事のイシハラさんが税金使って飲んだ焼酎が1本28000円なんだって!1本28000円の焼酎ってどんな焼酎なの?かの有名な「魔・・」とか「森・・」とかなんでしょうか。昨日のポチの大満足だった居酒屋代の10倍の焼酎・・・・。

tetsuさんとこはコレ↓
http://orange.ap.teacup.com/tettyann2004/377.html

 ということで本題です。
 今朝の「朝日」に、「変わる中学受験地図」ってのが載ってました。私立、国立の中学受験者数が大幅に増えているという記事でした。この加熱に、中学選択制、中高一貫校の設立も大きな影響を与えているとのことでした。ポチの住んでる山口県ではちょっと想像できない話です。

 先日の講演会でも尾木直樹さんは、この中学選択制の弊害について話しておられました。
 「みなさん。東京の品川区立ナントカ(名前わすれた)中学校の今年度の新入生が何人だったかわかりますか?」と聞く尾木さん。ウ~ン、きっと少なかったんだろうな~、と思って聞いていると、なんと答えは「0」。東京では、新入生のいない中学校が5校(だったと思うんだけど)もあるそうです。
 で、どうなるかというと、下級生がいなくなるわけで、上級生たちも「そんなヘンな学校イヤだ」と転校していく。で、閉鎖される中学校も生まれているんですって。
 で、校長先生先頭に先生たちは、「ダメ学校」「ダメ教師」のレッテルを貼られないために、必死になって他の中学校と競争させられるってコトです。
 しかも、いま、郷土のホコリ・アベシンちゃんは、「バウチャー制」の導入ってことを言っています。生徒の数によって、学校への予算配分に差をつけるってヤツです。足立区では実際にはじめているそうです。区教委いわく「「子供の能力に序列をつけるのではなく、学校経営を評価するという趣旨。学校の経営改革として実施したい」ということだそうです。
 尾木さんは、友人の教師たちが「今年は●人入った」と喜んだり、「うちは●人だった」とガッカリしてたりすると嘆いていました。子どもたちも、どこの学校に行くかで萎縮してしまう。
 これが「評価」?。「序列」どころか「過酷な競争」であり、「差別」ジャン。

 で、生徒数が減って、学校が閉鎖されたりするとどうなるかというと、その地域全体が寂れていくんだそうです。学校というのは「教育の場」というだけでなく、その地域の避難所であったり、いろんな文化行事の会場になったり、地域の核になるもので、それがなくなると地域にポッカリと穴が開いてしまう。しかも、大きな廃屋が地域の真ん中にあるわけで、地域全体が不気味な雰囲気をかもし出すわけですネ。
 逆に、人気のある学校の近くは、地価がどんどん上がっているそうです。「知ってます?よくマンションなんかの販売の売り文句で『エキチカ』っていうのがあるじゃないですか。いまは、不動産屋さんの売り文句は『エキチカ』に加えて『ガッコウチカ』なんですよ」だそうです。つまり、あの学校に行かせたい」という親が学校の近くのマンションを早くから確保するんです。そうすると、どんどんマンションが建っていく。で、地価があがる。そうすると固定資産税があがって、それが払えない昔から住んでいる庶民がその地域を追い出されていくって話です。

 尾木さんは、「知ってます?学校ってのは今や商品なんです。親や生徒は消費者なんです。だって、『消費者のニーズに応えて』って校長なんかが言ってるんですもの」と言ってました。
 ウ~ン。なんかおかしいよ、コレ。って深く考えてしまうポチでした。

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2007年1月24日 (水)

子どもの危機は大人の危機、社会の危機

 ポチです。
 昨日、今日と出張に行ってました。下関です。で、関門海峡や唐戸市場(県内で最大規模の魚の卸売市場です)の写真なんか撮ってきてblogに載せようなんて思っていたのですが、残念ながら、超過酷な仕事で、まったくそんな余裕はありませんでした。
 関門海峡をみたことがありますか?たぶん、他では見られない光景を観ることができると思いますよ。海辺のまちには、どこにも港があるじゃないですか。でも、そのほとんどすべては(と思うんだけど)、船は、手前から向こうに行く(出航)、あるいは、向こうから手前方向に向かって来る(入港)でしょ。
 関門海峡は違います。右から左に、左から右に船はすすんでいきます。狭い海峡なんで、そこを通る船はすべて観ることができます。大きなタンカーや小さな漁船、大小の貨物船、そして、ときには潜水艦も通っていきます(もちろん、浮上して)。で、唐戸市場の海峡側には芝生のところがあって、そこに寝っ転がって、ボ~ッと観てると、全然飽きないんです。
 昔は、下関に出張に行った時はよく、唐戸市場のなかの食堂で昼ごはんを食べて、関門海峡をボ~ッって眺めていました。最近は、忙しくて、そんなこともできてないなァ。

 ということで本題です。
 今日、尾木直樹の講演会がありました。テーマは「子どもの危機をどうみるか」。コレに間に合わすために、トッピンで仕事をかたずけて、下関から会場に直行しました。
 期待通りというか期待以上というか、とにかく抜群に面白かった。1時間40分くらい話されたんだけど、まったく参加者を飽きさせず(たぶん全員だと思う)、テレビでの顔とはまったく違ってた。もっと理屈っぽく話をされるのかと思っていたら、ホント、まるで漫才師、しかも最近の「これ何がおかしいの?」っていうヤツじゃなく、上質な漫才師(もちろん、内容は違うけど)。実際、閉会のあいさつをしてた人が、「まるで吉本興業から来られた方のようで」って話してたほどなんです。

 で、肝心な話の中身。メモも取らずに聞いてたし(失敗した!)、話の中身を頭の中でまとめきれていないので、いままとまった話はできないんだけど、印象に残ったことだけ書いてみようと思うのです。で、まとまったら、別の機会に書くことにします。

 尾木さんは、「子どもの危機は、大人の危機であり、社会の危機だ」って言われた。それは、今の子どもたちの問題の根本に社会の問題、ゆがみがあるということ。
 子どもたちに向き合うという点で、本来やるべきこととまったく逆のことをいかに国がやっているのか、ということをいろんな面から繰り返し繰り返し指摘されたのが、一言で言って、今回の講演の中身だったんじゃないかなァ。
 その逆さまぶりたるや、尾木さんが「不思議ですね~」って言って、「安倍さんは専門家じゃないですよね、で、取り巻きの専門家が提言出すんだけど、安倍さんも気をつけた方がいいんじゃないでしょうか。ひょっとしたら、ブレーンっていわれてる人が実は、安倍さんを陥れるためにやってるのかもしれませんよ」って、郷土のホコリ・アベシンちゃんもそんな心配をされるくらい、教育再生会議の内容はメチャクチャだというわけです。

 そのメチャクチャな内容の具体例としてたくさんのことを尾木さんはあげたけど、一つだけ書いておくことにします。
 教育再生会議の提言で、「いじめをした子を登校停止」にすると言ってることについてです。
 イジメというのは、なぜ起きるのか。尾木さんがイジメをした子どもに、聞き取りをした結果を話していましたが、「どんな気持ちだったか?」という質問に、まず100%の子どもが「気持ちよかった」と答えるそうです。ちょっといたずらをしてみたら、弱い子が「嫌な顔をした」「従属するようになった」ってことで、「人をいじめると気持ちいいんだ」って思うようになる。イジメをする子どもはほとんどが心の中に鬱屈をもっている。それは家庭環境からであったり、自分が以前にイジメをうけていたからだったりと様々です。「嫌な顔をする」「従属する」弱い子ぼ姿は自分の投影で、その自分の投影をイジメることで快感を覚えるというわけです。
 だからも、問題の解決には、その子の中にある鬱屈をどうほぐしてあげることができるのかの一点にあります。で、「登校停止」にするとどうなるか。その子に寄り添い、心をほぐしてあげるどころか、逆に放置してしまうことになります。その子の心はますますすさんでしまうことになります。尾木さんは、「登校停止にしてイジメがなくなるとでも思っているのでしょうか。1週間、学校に来させないで、1週間後に、その子が、『すみませんでした。もうイジメはしません』って言うとでも思っているのでしょうか」って言われていたけど、本当にそう思いました。

 世界のイジメの件数は「右肩下がり」だそうです。つまり、小学校1年生から高校3年生までを調査したら、年齢が上がるに従って件数は減るんだそうです。で、それは、当然の結果だそうです。年齢が上がり、判断力がつけば、イジメは減っていくんだそうです。
 でも、日本の場合は、小学校1年生頃は少なかったイジメの件数が年齢とともに増えていき、ピークは中学1年生です。また、ある調査によると、6000人の高校生に「イジメをうけたか」と聞いたところ、38%の高校生が「うけた」と答えていて、これは異常な数字だと尾木さんは話していました。
 つまり、日本には、世界の他の国とは違い、子どもたちが通常に発展していくことを阻害するシステムがあるのだろうなァと感じました。そして、それが今の日本の教育政策にあるのだと実感されました。

 最後に尾木さんは、こんな話をしました。「怒るのは誰でもできる。簡単なんだ」と。いま大切なのは、すさんだ心に寄り添ってやれる大人がいることで、それは、親でもいい、教師でもいい、地域の人でもいい、親と教師と地域が協力して子どもたちに寄り添っていくことが今必要なんだと。
 そうさせないように、そうさせないようにって日本の政治はすすんでいるような気がします。子どもを敵視し、教師を敵視し、そんなことをして日本の教育は今、崩壊させられようとしているのかもしれません。そして、教育の崩壊は国の崩壊です。郷土のホコリ・アベシンちゃんは「美しい国」と口で言いながら、「美しい」どころか、「国」そのものを壊しているのでしょう。

 尾木さんが言った「子どもの問題は、大人の問題、社会の問題」って言葉ををかみしめているポチでした。では、また。

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