傷つけられる若者――SHOGO's Words No.24「独立記念日」
ポチです。
すみません。しばらくブログの世界から遠ざかっていました。
先日の連休も含めて、仕事・仕事のオンパレード。しかも、暑くて夜は眠れず、とてもブログに近づく気にはなりませんでした。
そのうえ、しばらくおさまっていた頭痛がぶり返してきて、どうにも我慢できずに病院に行ったら、血圧をはかられ、「下が120で上が170」と言われて少々ショックを受けています。医者からは「可能な限り早く精密検査に来るように」ときついお達しがありました。
もらった薬を飲んでいると頭痛は治まってきたのですが、それだけでは終わりませんでした。続いて、今度は歯が痛くなったのです。これもどうにも我慢ができず、歯医者さんに行くと、奥の「親知らず」がいたずらをしていて、化膿しているそうです。これももらった薬を飲むと楽になるのですが、切れ掛かると激痛が襲ってきます。しかも、薬が効いている間は眠いの何の。とても仕事にはなりません。
ということで、とてもブログに近寄ることはできませんでした。コメントをいただいた方、TBをいただいた方、ご返事が遅れてたいへん申し訳ありませんでした。取り急ぎ、ご返事いたします。
さて、上記の理由でブログに近づけなかった間に、いろんなことが起こっています。いま、山口県は県知事選挙の最中なので、それも含めて、アレも書きたいコレも書きたいと、その時は思うのですが、思うだけで時は過ぎてしまいました。
すでに「旧聞」になってしまいましたが、その中の一つに、最近、私の住む宇部市の名前が突如として新聞やTVに取り上げられた事件がありました。
宇部市の中学2年生が愛知県でバスジャックをおこなったという例のあの事件です。
この中学校は、私の住む中学校区の隣であり、私の実家は、この中学校と直線距離にして50メートルくらい。実家の母の話では、あちこちでご近所の人が集まっては話題になっていたそうです。
それにしても、怪我人などがでなかったことは、事件の関係者にとっても、何より当の中学生にとっても、本当に幸いだったと思います。
そして、その事件があっという間に過去のものになるかのように、次々と新たな事件がおこっています。
女子中学生が父親を・・・。そして、33歳の男が22歳の女子学生を・・・。
どうして、こんなことになるのでしょうか。
秋葉原の事件も含めて、本当に異様な感じがします。社会全体が歪んでしまっているような、そんな感じです。
もちろん、同じ境遇にあっても、事件を起こす若者とそうでない若者がいるわけで、問題をすべて社会の歪みに求めることはできないと思います。
しかし、これらの事件を考える時、やはり今、多くの若者が置かれている状況と無関係とはとても思えません。
私が高校生だった時代も、いろんなことにイラツキ、親をはじめ大人たちの理不尽な振る舞いにウツウツとした気分を持て余していました。しかし、私たちの時代は、そうした気分を発散させる仲間がいました。私が育ってきた環境とはまったく異なる環境の仲間からは多くのことを学びました。多くの仲間たちが自分よりずっと大きな存在に思えました。
そして、私たちには未来がありました。たんに頭の中で描いた荒唐無稽の「夢」にしか過ぎませんでしたが、それでも「未来はきっと明るい」と思うことができました。
しかし、今の若者たちはどうでしょうか?
非正規雇用の蔓延で、モノのように使われ、いらなくなったら使い捨て。アパートを借りるほどの収入も得られず、ネットカフェ暮らし。5年後、10年後はおろか、明日の身すら不確実な暮らし。「あたたかい家庭を築きたい」どころか、結婚する展望すらみつけることはできません。
学校でも、競争に追われ、卒業した先に展望は見えてきません。
そして、そうした「先の見えない状態に置かれていること」そのものよりもっと深刻なのは、そうした状態に置かれていることについて、「それはお前が努力していないからだろう?」「お前の能力がないのだからしょうがないじゃないか!」という攻撃が若者を傷つけていることです。
「そうか、こんなネットカフェ難民の暮らしをしなければならないのも、自分の努力が足りないからか」。そんな風に思い込まされれば、もう「先の見えない状態」から脱出する術はありません。あるのは自己嫌悪と自己否定だけです。
そして、そして、多くの若者たちは孤独です。
こんな今の若者に比べたら、きっと私の青年時代なんて牧歌的だったのかなあ、などと思ってしまいます。
今、若者たちが置かれている状況は、けっして彼らの「自己責任」ではありません。
彼らを傷つけている人たちはハッキリと存在します。
一つは、人間としての尊厳を無視した働かせ方を強いている「金儲けのためなら何でもする」という大企業の論理。そして、もう一つは、それを許している政治悪でしょう。
この政治を早く終わらせないと、この国は滅びてしまうのではないでしょうか。
ということで、この歌を紹介します。
1981年10月にリリースされた7枚目のアルバム「愛の世代の前に」に収録された曲です。
この曲は、さっき言ったようなまだ牧歌的だった時代の若者の姿を描いたものなのかもしれないけれど、それでもこの世代の「イラツキ」をみごとに描いた曲だと思います。何にでも楯突いていた私自身の高校時代を思い起こし、心の底から共感できた曲の一つです。
そして、最後のフレーズ
サーチライトに照らし出され
震えている俺が見えるかい?
鈍く光るナイフ手にした
浜田さんも当時、現在ほど、若者が社会から痛めつけられるようになるとは想像していなかったとは思うんだけど、それでも、この部分は何か象徴的だと思うのです。
この曲について浜田さんが雑誌のインタビューに答えて、言っていることを紹介しておきます。
「僕の行った高校というのは、丘の上にあるんですよね。そして、校舎が古くて暗い。で、窓の外がすごく明るかったっていう印象があるんです。向こうの方に山があって、青空がずっと続いていて。まだ高校生だから、街から出たことがないんですね。暗い教室に閉じ込められている感じ。それで、山の向こう空の彼方に行きたい、と。それがひとつと、もうひとつ、僕らが中学の頃からずっと問題になっていた、教科書の検定、改正の問題。たぶん歌詞で最初に出来たのは、『教科書から削る文字は 他にもあるぜ』っていうところだったと思う」
(「Complete Shogo Hamada」より)
さしづめ、今の若者たちは、「暗い教室に閉じ込められて」いて、しかも窓の外も真っ暗で、居場所もなければ行き場所もない、そんな感じなのでしょうか。
それではどうぞ。
浜田省吾、「独立記念日」です。
そろそろ、薬が切れて、シクシク痛くなってきました。
飯食って薬を飲むことにします。
それでは、また。
ポチでした。
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