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2007年12月

2007年12月31日 (月)

2007年のお別れに--SHOGO's Words No.20「ラストダンス」

 ポチです。
 いよいよ2007年も最後の一日です。
 昨日に引き続いて、今日も寒い一日になっています。北陸のほうは大雪だと伝えられています。ここ宇部市でも、朝、少しだけ雪が降っていました。



 今年は、大激動の年でした。参院選での自民党の大敗北や岩国での艦載機移転を許さない市民のたたかいなどなど・・・・。
 来年は、解散・総選挙があると言われています。そして、そして、2月には岩国市長選挙です。今年以上の大激動の年になるのではないかと予感させます。
 そして、本当に道理も正義もないめちゃくちゃなことがまかり通るような日本が終わりを告げる転機の年になった、あとで振り返って、そう言われるような一年にしたいものだと思います。




 一年の最後をどう締めくくるか悩んだのですが、やはり私らしく、浜田省吾でいきたいと思います。
 浜田さんが、コンサートの最後にうたう歌です。
 「ON THE ROAD 2006-2007」の時は、2度にわたるアンコールの最後がこの歌でした。「ON THE ROAD 2005」はアリーナツアー(1万人から2万人のコンサート)で2会場に行きました。広島グリーンアリーナの最後の曲は「MIDNIGHT BLUE TRAIN」でしたが、大阪城ホールの時はこの曲でした。1万人以上の大合唱でした。

 1977年にリリースされた2枚目のアルバム「LOVE TRAIN」に収録された曲です。そして、06年に出された27枚目のアルバム「The Best of Shogo Hamada vol.2」の最後の曲です。
 「vol.1」も含めて、このベスト盤の他のすべての曲がスタジオ録音であるのに対して、この曲だけがライブ音源です。「ON THE ROAD 2005 My First Love」のツアー最終日、12月11日のさいたまスーパーアリーナでの公演を音源にしています。もちろん、アンコールの最後の曲、つまり、「ON THE ROAD 2005」の最後の曲でした。
 これを聞くと、大阪城ホールで生で聞いた浜田さんの歌声と集まった1万人の歌声が蘇ります。


 それでは、今年最後の「SHOGO's Words」。
 「ラストダンス」です。



        「ラストダンス」

Shogo13_2
キャンドル揺れる 横顔
グラスに落とす 
    かすかな ため息
二人で 靴が すりへる程
歩いた この都会 
      今夜は寂しそう

もう一度 踊っておくれ
          このままで
もう一度 口づけおくれ
          このままで

「もう一度 やり直せたら・・・」
馬鹿だぜ そんな話は
          もう止めよう
僕が 僕である限り
何度 やっても 同じことの繰り返し

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで

ライトに浮かぶ ふたつの影
悲しげな眼差し 苦しげな あえぎ声
言葉は もう何も 伝えない
寒い程の 寂しさも むなしさも

もう一度 踊っておくれ このままで
もう一度 口づけおくれ このままで



         



 それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
 そして、来年もよろしくお願いいたします。




 

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2007年12月30日 (日)

朝から飲んで食って、時々餅つき

 ポチです。
 寒い一日でした。
 朝から友人宅で餅つきです。

Ts3a0164

 みぞれが降り続くなかで、「寒い」「寒い」を連発しながらの餅つきでした。

 行きつけの居酒屋の親父が、馬刺しと牛タンの塊と牛肉の塊を届けてくれました。
 これが本物の馬刺しです。下の方にあるのは、しめ鯖です。

Ts3a0162

 で、大変おいしくいただきました。

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 さらに、もち米を蒸したかまどで、牛タンと牛肉を焼いて食べました。

Ts3a0166

 牛肉の塊は、塩と胡椒をすり込んで、焼けたところから包丁で削り取って食べます。うまかった。
 そして、そのまわりにある3つの物体が牛タンです。
 牛タンを輪切りにするのではなく、塊をざっくり切って、牛タンステーキにして焼きました。
 牛タンステーキです。これもうまかった。

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 もちろん、私がつくっていったローストビーフも「おいしい、おいしい」とみなさんが言ってくれました。



 ということで、朝から酔っ払って、おいしいものを食って、その合間に餅つきをしたポチでした。


 明日はいよいよ大晦日。
 私は、明日も仕事です。
 大掃除を手伝わないと、またカミさんに怒られそうです。
 早く帰って大掃除もがんばりたいと思います。

 では、また。





 

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2007年12月29日 (土)

井原市長の言葉と二井知事の言葉

 ポチです。
 昨夜、友人と、行きつけの居酒屋で、「今日、落としたばかり」という馬刺しを食べました。これがまたうまくて、2人で5人前も食べてしまいました。夢中になって食べたので、写真をとるのを忘れてしまいました。
 昨夜は、本当に温かくて、コートなしでもまったく寒くありませんでした。ホントにこれで年末なんだろうかと心配になります。今日の昼間も温かかったのですが、日が暮れるともに急に寒くなってきました。
 いよいよ、明日、明後日と、今年もあと2日です。「終わりよければ、すべてよし」といきたいものです。


Middle_1198859919 さて、今日、12月29日は、浜田省吾さんの55歳の誕生日です。
 浜田さんの公式ツアーブログを見たら、こんな写真が載っていました。
 なんで手を広げてるんだろう、小さく「万歳」してるのかなと最初は思ったのですが、どうやら、「5」「5」で、55歳だよ、という意味のようです。

 今、浜田さんは、2005年から3年間のツアーを納めたDVDを作成中ですが、そのスタジオの中で、スタッフから贈られたバースデーケーキだそうです。

 浜田さん。誕生日おめでとうございます。
 いつか、浜田さんのステージが見れなくなる時がくるのでしょうね。とても信じられないけど。しかし、その時までは、パワフルにシャウトし、ステージ狭しと走り回るカッコイイ浜田さんでいてください。



 さて、本題です。
 岩国市長選挙が2月3日告示、10日投票に決まりました。
 昨日、井原市長は、仕事納めで最後の訓示をおこなったそうです。
 山口新聞に、その時の訓示の内容が比較的長く載っていたので、紹介します。

 井原市長は事務納め式で、出席した約300人の職員に最後の訓示をおこなった。最初に新庁舎建設財源問題に触れ「補正予算が成立し、ひと安心した。修正され一部課題が残ったが、何もないことに比べればよかった。なんとか年が越せる」とし「再三にわたる予算否決で、皆さんには大変な苦労をかけた」と労をねぎらった。
 「私は市政を混乱させるためにやっている訳ではない。市民の声を大切にして、市民の利益のために政治をするという基本姿勢で貫いてきたつもりだ。それが国や県などと、さまざまなあつれきを生じたのも事実だ」と振り返った。
 そのうえで、「市民が主権者として目覚めて、市民が大切にされる民主主義が機能して行く大きな流れが岩国で始まっている。この流れはもう後戻りできない時代の流れ。私はこの試練に、皆さんや市民と一緒になって打ち勝っていかねばならない。その先には新しい岩国が待っている」と強調した。
 最後に「また、一緒に仕事ができればと考えています」と結んだ。
  (後略)
                             12月29日付「山口新聞」


 すばらしいあいさつだと思います。
 本当にそのとおりです。
 いま、大きな流れが岩国で始まっています。この流れを絶対にとめることがあってはならないと思います。



 しかし、この流れが「なんでもアメリカ言いなり」の日本の政治の根本を土台から突き崩しかねないものだけに、これを止めようとする連中も必死です。

 今日、例の「岩国の明るい未来を創る会」が集会を開き、市長選挙の候補者を決定するそうです。
 いまのところ、山口2区選出の福田良彦衆院議員が最有力だそうです。


Pic1_1_2007021127201937 そして、本当にけしからんのはこの人。
 二井関成(にい・せきなり)山口県知事です。
 昨日の定例記者会見で、岩国市長選挙について、

「米軍再編問題と関連する愛宕山地域開発と民間空港再開の問題を含め、私と一緒に国に対し行動できる方に市長になっていただければ大変ありがたい」

と述べたそうです。
 市民の願いを大切にするより、知事の意向に沿う人が市長になってほしいということでしょう。
 とんでもない話です。だいたい、岩国市の有権者でもないこの人が偉そうなことを言うべきではありません。市長を選ぶのは岩国市民です。あなたの思惑が入り込む余地はないのです。
 しかも、井原市長が辞任して「民意を問う」としていることについて聞かれて、

「選挙の結果ではなく、市長が市議会と協議し意見集約されたものを地元の意見として尊重する姿勢をこれからも貫く」

と言われたそうです(コメントは2つとも「山口新聞」)。
 つまり、市長選挙で井原さんが勝ったって、それが「地元の意見」だとは思わない。そんなことより、市長と議会が一致してあげてきた意見が「地元の意見」だ、というわけです。
 とんでもない話です。
 市長選は、井原市長と容認派の担ぐ候補の一騎打ちの選挙になるでしょう。艦載機移転問題が大きな争点の一つになることは当然です。その市長選挙で、有権者が示す結論こそが最もわかりやすい「地元の意見」じゃないですか。
 それを「そんなの関係ねー」っていうわけですから、この人の民主主義の感覚はどうなっているのでしょうか。

 本当に情けない知事を持ったものです。
 井原さんの何十分の一でもいいから、地方自治体の本来の役割に対する自覚をもってほしいと思ってしまいます。




 さて、明日は餅つきです。
 これから、ローストビーフをつくります。
 それでは、また。






 

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2007年12月26日 (水)

井原市長の「市民の暮らしを守る」との必死の訴えが容認派を追い詰めた--岩国市の補正予算は修正して可決

 ポチです。
 取り急ぎ報告だけ。

 TVのニュースや夕刊などで、井原勝介岩国市長が辞表を出されたことはご存知の方が多いと思います。

 本日、岩国市議会の最終日に、市庁舎建設費を合併特例債で当てるという補正予算が提出されました。その提案と一体に、市長は辞意を表明され、「これが最後の機会だ。これを逃したら、市民の暮らしは大変なことになる。なんとしても通してほしい」と訴えられたわけです。

 今日午後、その補正予算案を付託された総務常任委員会は、反対多数でこれを否決しました。
 その後、委員会での結論をうけて再開された本会議で審議されたわけですが、艦載機移転容認派の議員が、突然、修正案を出してきました。
 修正案の内容は、現時点で国からもらえる庁舎建設補助金の約5億円を国からの補助金として計上し、その分を合併特例債から減額するというものです。
 採決の結果、原案(市長が提案した補正予算案)は否決され、修正案が可決されました。

 この結果をどうみればいいのか、詳細にはよく検討してみなければならないと思いますが、予算に関しては、井原市長と岩国市民の勝利だと確信しています。
 これまで、合併特例債を活用するということをまったく拒否していた容認派が、約5億円を減額したとはいえ認めたのですから。
 「なんとしても市民の暮らしを守らねば」という市長の必死な訴えが、特例債活用に背を向け続けてきた容認派を追い詰めて、動かざるを得ない状況に追い込んだのではないでしょうか。

 当然、予算に計上された補助金の5億円は、艦載機を受け入れなければ出されないものです。これは、容認できるものではありません。
 しかし、この結果、35億円集めなければならなかったお金も、5億円集めればいいことになったわけです(もちろん、それも大変ですが・・・)。

 次は市長選挙です。
 今日の議会で、市長の辞職の申し出も受理され、正式に来年2月下旬に市長選挙がおこなわれることになりました。
 さあ、自分に何ができるのか、考えることにします。




 

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2007年12月24日 (月)

SHOGO's Words No.19「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」

 ポチです。
 寒さが一段と厳しくなりましたが、みなさん、お変わりありませんでしょうか?
 今年もあと8日。今年も一年短かったなあ・・・・。


 今、午前5時です。クラシコが終わりました。
 バルサ 0-1 レアル・マドリー
 ・・・ガッカリ。
 まったくバルサらしくない試合でした。


 気を取り直して・・・・。
 
 ということで、今夜はクリスマスイブです。
 と言っても、私にはなんの変哲もないただの月曜日。振り替え休日であろうがなんであろうが関係ありません。まもなく仕事に出発します。
 カミさんが生協にケーキを頼んでいましたから、今夜はカミさんと子どもたちはクリスマスケーキを食べるのかもしれませんが、これも私には関係ありません。どうも甘いものが苦手で、ケーキだとか饅頭だとかは、見ただけで鳥肌がたって気分が悪くなります。
 でも、まあしかし、クリスマスイブなのだからして、それなりの更新をしておきます。

 浜田さんからクリスマスカードが届きました。

Card

 もちろん、私が浜田さんと個人的に親しくて、カードを送っていただいたということではありません。浜田さんのメールマガジンに登録しておけば、誰にでも自動的に送ってきてくれるものです。
 浜田さんのファンのブログには、今日はいっせいにこの写真が登場することでしょう。

 で、やはり今日の歌は、これしかないでしょう。
 浜田さんの13枚目のアルバム「CLUB SURF & SNOW BOUND」(87年6月)の1曲。その後、15枚目のアルバム「Wested Tears」(89年9月)にアレンジを変えて収められました。また、最新のアルバム「The Best of SHOGO HAMADA Vol.2」(06年8月)にも収められています。

 クリスマスソングというと、山下達郎の「クリスマス・イブ」が有名ですね。今年はスズキ自動車のCMで流れています。
 山下さんの歌も好きで、CDも持っていますが、浜田さんのこの歌も捨てがたいと思っているのですが・・・。

 ちなみに、私は、オリジナルより、「Wested Tears」に収録されたアレンジの方がお気に入りです(浜田さんのファンのブログなどを見ると、逆の意見のほうが多いようです)。
 で、今日は「Wested Tears」の方の曲をリンクしておきました。

 それでは、どうぞ。
 浜田省吾「MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ」です。

   

 MIDNIGHT FLIGHT--ひとりぼっちのクリスマスイブ

あの娘乗せた翼 Shogo8
夜空へ消えてく

空港の駐車場 
もう人影もない
“行くな”と引き止めれば 
今頃二人
高速を都心へと 
走っていたはず

失くしたものが あまりに
大きすぎて 痛みを
感じることさえも 
出来ないままさ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
ここからどこへ行こう もう何も見えない空の下

妹と暮らすつもり しばらくニューヨークで
ひとりきり 東京で もう生きてゆけない
逢いたい時にだけ 電話かけてきて
食事して ドライブして ベッドに入るだけ

形の無い愛だけを 信じてきたあなたは
本気で愛すること 怖れてるだけ
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
二人で生きてきた 都会の灯りが遠ざかる

降り出した みぞれまじりの
雨が雪に変わってゆく
誰も皆 愛する人の
待つ場所へと 帰ってゆく

ポケットの中 あの娘に贈ろうとした Golden Ring
今でも 手のひらに 握りしめたまま
ひとりぼっちのクリスマス・イブ
凍えそうな サイレント・ナイト
もう守るものなんて見つけられない 何ひとつ




 それでは、すてきなクリスマスイブの夜をお過ごしください。



 

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2007年12月23日 (日)

来年度予算財務省原案と5度目の補正予算案--岩国を巡る2つの話題

 ポチです。
 雨の日が続いています。
 いやな雨ですが、水不足が懸念されているという話もあり、ここは喜ばなければならないんでしょう。



 さっき、ネットでニュースを読んでいたら、福田さんが薬害肝炎の被害者への一律救済のための法案を議員立法で今の臨時国会に提案することを表明したことがのっていました。
 どんな内容なのか、まだわからないので何ともいえませんが、文字通り「一律救済」ということであればいいことです。支持率急落という事態もあり、選挙目当てなのかもしれませんが、まったくかまいません。心がある人間として、立派な法案にしてほしいものだと思っています。



 さて、岩国です。
 最近の話題を2つほど書きます。
 もっと早く書ければよかったのですが・・・・。


 20日、来年度予算の財務省原案が内示されました。
 社会保障のための予算は自然増部分をばっさり削りながら、大型開発の事業のための予算は大幅増。失業対策費は大幅に削る一方で、軍事関連は、ミサイル防衛予算、インド洋への再派兵の費用などてんこ盛り。この原案そのものが大変な内容です。


 そして驚くのが、米軍岩国基地への空母艦載機部隊移転の関連事業費として58億4千万円が計上されたことです。
 その主な内容は、
  *滑走路に並行する2本目の誘導路増設のための費用 29億9千万円
  *滑走路両端に艦載機などの整備や機材を点検する区域の建設費 22億4千万円
  *艦載機による発着訓練施設を建設する場所を選定するための調査費 2千万円
  *米軍家族住宅の用地調査費 1億1千万円

だそうです。
 すべて艦載機移転を前提とした事業です。

 しかし、岩国市と岩国市民は、艦載機受け入れを認めていません。
 そして、口では「岩国市の理解を求める」と言いながら、「理解する必要なんかないよ。勝手にやるから」とばかりに、強引に移転をすすめようというわけです。

 しかも、「米軍住宅の用地調査」というのは、例の愛宕山です。
 防衛省は「具体的な場所は特定していない。候補地としてあがった際の地質調査費として計上した」と言っているようですが、白々しいにもほどがある。他には考えられません。間違いなく愛宕山です。
 付近の住民の大半が反対しています。住宅団地ができるからと土地を売った地域の人たちは詐欺にあったも同然です。すぐそばが巨大な米軍住宅になってしまうのですから。

 米軍が世界中どこにでも先制攻撃をかけることができる体制づくりには無条件で協力し、私たちの税金も湯水のように使う。そして、市民の願いには一顧だにしない。市民の暮らしや安全のことなど考えもしない。

 いったい「日本政府」というのは、どこの国の政府なのでしょうか?何のための政府なのでしょうか?こんな道理も正義もないことがまかり通っていいのでしょうか!




 もう一つの話題です。
 井原勝介岩国市長は21日に、市庁舎建設費に合併特例債をあてる5回目の補正予算案を市議会に提案することを発表しました。
 今開かれている12月市議会の最終日26日に提案されるそうです。

 岩国市は、11月に補正予算案が否決された後も、事務手続きだけはすすめて、特例債をもらえる権利だけは確保してきました。しかし、最終的に議会の議決がなければ特例債は使えません。
 22日付朝日新聞山口版によると、井原市長は「今後の手続きを考えると今回が最後の機会」だと表明されたそうです。
 そして、予算案が成立した際には、「移転問題で議会も私も民意を問う必要がある。私もそうした覚悟でこの議会に臨みたい」と話されたそうです。


 これに対する容認派の桑原という市議のコメントが出ていました。紹介します。腹立ちますよ、コレ。

(市長リコールを求める容認派の)集会でリコールへの協力を呼びかけた桑原敏幸市議は「今まで4度否決してきたものを認める考えはない。旧岩国市の住民投票から1年半以上が過ぎ、市民の意見も変わっており、我々が否決してきたのは市長に責任がある」と話す。この日の市長発言には「『議会も民意を』というのは余計なおせっかい。まず自分で辞めて、市民の信を問うべきだ」と批判した。
                         (朝日新聞22日付山口版)


 「市民の意見も変わってきており」ですって。
 なんでわかるんですか?
 だいたい真摯じゃないですよね。
 道理がどちらにあるかは置いておいたとしても、市長と議会多数派の対立であるわけだから、市長の言うように「議会も私も民意を問う必要がある」というのは当然のこと。なのに、「余計なおせっかい」とは何様のつもりでしょうか。
 「市民の意見も変わってきている」ということに自信があるのであれば、堂々と議会を自主解散して、民意を問うてみればいいじゃないですか?
 なのに、先日は、移転反対派の議員から出された自主解散の決議案に容認派の議員は全員が反対。
 言ってることおかしくありませんか?


 いずれにしても、本当に岩国の問題は大詰めを迎えています。
 「無理が通れば道理が引っ込む」というようなことは絶対に許してはなりません。山口県民の一人として、未来を担う子どもたちに自信を持って故郷を託すことができるよう、やれることをやっていきたいと思っています。






 

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2007年12月22日 (土)

命を削っての訴えに「駄々っ子」回答

 ポチです。
 一昨日は、強引に仕事を休んで、「薪割り」をしていました。
 30日に、友人の家で恒例の餅つきをするのですが、もち米を蒸すためのかまどの燃料づくりです。
 というのは、表向きで、実は、庭に転がっている壊れた木製のアーチやプランター、そして、使わなくなった犬小屋などを処分したくて、友人に頼み込んで薪として引き取ってもらう、という魂胆でした。
 知り合いから、電気のこぎりと鉈を借りてきて、朝からドタバタと働き、なんとか目的を達することができました。
 生垣にしていた植木を全部切っていたので、それも薪にと思ったのですが。太い木は、とても私が太刀打ちできるような代物ではありませんでした。これは、薪ストーブをもっていて、日頃から本当の「薪割り」をしている知り合いに引き取ってもらうことにしました。
 昨日の朝から体のあちこちが悲鳴を上げています。



 予想通り、薬害C型肝炎の原告団の声は国には届きませんでした。
 いろんな報道を読んでも、全員救済に踏み切れなかった理由として、福田さんやマスゾエさんはじめ政府関係者は「司法が示した和解案の枠組みを行政が変えることはできない」というものだけでした。そして、「裁判所から新たな和解案が出されれば、違う提案もできる」とも。
 私には、法律的なことはよくわかりません。
 しかし、あまりにも不謹慎!
 原告団の命懸け、体を削っての訴えに、まるで、駄々っ子が

  「ダッテェ~、〇〇ちゃんがこう言ったんだモン」

と言ってるとしか思えない態度に、言いようのない怒りを感じました。


 そして、この記事を読んで、あらためて涙を禁じえませんでした。

国の「線引き」外の女性患者、ビデオに告発遺言残し逝く
                       2007年12月21日 asahi.com

Osk200712210011 「命を返してください」。肝炎ウイルスに汚染された血液製剤を出産時に投与され、肝臓がんにむしばまれて57歳で逝った主婦が、国や製薬会社を病床から告発する「遺言」をビデオ映像に残していた。薬害C型肝炎訴訟の東京原告13番。原告を「線引き」する国の修正案が公表された20日、闘いを引き継いできた妹は無念の思いを代弁した。
 「この薬のために、いったい何人が亡くなったのか。線引きなど許されるわけがありません」
 20日の厚生労働省での記者会見で、原告患者らと並んだ泉祐子さん(59)=東京都大田区=は、時折声を詰まらせながら訴えた。原告13番の姉、玲子さんは4年前に肝臓がんで亡くなった。
 03年6月1日、静岡の県立病院。病室のベッドにパジャマ姿で腰をおろした玲子さんは、ビデオカメラのレンズを見つめて語り始めた。「健康と命をまず返してほしいんです。返してください」
 息も絶え絶えに、やせ細った体で声を振り絞る。「体がついていきません。裁判を早く終わらせてください。国は人の命の重さを見つめてください」「こんなふうになりたくなかった。平凡でいいから、これからも生活したかった」
 温厚な姉が、胸に秘めていた怒りを吐き出す姿に、祐子さんは驚いた。東京地裁の裁判官による病室での出張尋問を前に、「裁判の練習だから言いたいことを言って」とビデオを回していた。
 7分7秒。玲子さんの一礼で映像は終わる。
 東京生まれで静岡育ちの玲子さんは3姉妹の次女。祐子さんは3歳年下の末っ子だ。玲子さんは学校の成績がいつも上位で、音楽や花が大好き。祐子さんが大学を卒業すると、真珠のイヤリングを贈ってくれる「温かい人」だった。
 84年7月、次男出産時に止血用として血液製剤「フィブリノゲン」を投与された。まもなく慢性肝炎を発症し、00年に肝がんにまで悪化した。投薬時のカルテを入手して02年10月、東京地裁での最初の集団訴訟に加わった。その7カ月後、家族が囲んだ場で、医師から「治療方法はもうありません」と告げられた。
 玲子さんはうつむき、涙を流した。そしてビデオ撮影から11日後、息をひきとった。
 私の代わりに闘って――。訴訟は遺言書をもとに祐子さんらが継いだ。
 大阪高裁の和解勧告直前の今年11月、厚労省が5年間放置していた薬害肝炎患者「418人リスト」に、玲子さんが含まれていると被告企業の「田辺三菱製薬」(大阪市)が認めた。感染の疑いを知りながら隠していたことに、祐子さんの憤りは高まった。
 祐子さんは、和解協議に期待を寄せていた。実家にある遺骨も、和解を機に墓に納めるつもりでいた。そして、「ここまで来たよ」と報告しようと思っていた。
 しかし、国が提示した修正案は患者を「線引き」し、法的責任の範囲を85~88年としか認めない東京地裁判決基準にこだわっていた。玲子さんは「線」の外側に置かれる。「福田総理が原告の声を聞いていただけなかったことは非常に残念。この薬の恐ろしさと、被害の実態をもっともっと伝え続けていこうと思います」。会見で言葉をかみしめるように語った。
 一連の集団訴訟で亡くなった原告患者は、玲子さんを含め4人になる。
      ◇
 <片平洌(きよ)彦・東洋大教授(保健福祉学)の話> 国の製造承認時、製薬会社が国に出した治験報告には、海外で血液製剤を使用し肝炎に感染した複数の報告が含まれていた。時期や提訴の有無で「線引き」するのはおかしい。また「418人のリスト」を調べると、88年に国が製薬会社に緊急安全性情報を出させた後も、少なくとも75人が感染しており、安全性情報が有効でなかったことがわかる。国は加害責任を認めたうえで全被害者に償いをするべきだ。
(写真はビデオに撮影された東京訴訟「原告13番」玲子さん=静岡県内の病院で、家族提供)

 玲子さんに心からの哀悼をささげます。
 国は、自分たちの責任で国民を病に至らせ、そして命を奪っていることから目をそむけてはなりません。
 そして、あくまでも「線引き」をするというのであれば、駄々っ子のような態度をとるのでなく、正直に言えばいいのです。

「ミサイル防衛になら何兆円使っても惜しくはないが、薬害肝炎の方の全員救済は、どれだけ賠償額が増えるかどうかわからないので応じられません」

と。
 そして、国民の審判をきちんと仰いでください。
 お願いします。






 

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2007年12月20日 (木)

飾り立てた言葉の裏に隠した薄汚い本音

 ポチです。
 おはようございます。
 最初に、昨日の続報です。

「一律救済」見送りの公算 薬害C型肝炎訴訟 厚労省、きょう対応策発表
                       2007.12.20 01:52 産経ニュース

 薬害C型肝炎訴訟の和解協議をめぐり、20日午前にも舛添要一厚生労働相が対応策を発表する。厚労省は薬害被害者の全員一律救済は困難との考えを20日朝、首相官邸に伝える方針で、原告側が求める一律救済は見送られる公算が高まった。政治決断を求められた福田康夫首相の最終的な対応が注目されるが、官僚サイドの情報に頼り過ぎ、政界に相談できる議員が少ない「孤独の首相」の政治スタイルが足かせとなっているとの見方がある。
 首相は19日夜、和解協議への対応について、首相官邸で記者団に対し「専門家が検討している最中だ。結果をみて判断する」と述べた。その後も二橋正弘官房副長官らと断続的に協議するとともに、厚労省に対応策をまとめるよう指示した。
 首相は就任直後から薬害肝炎問題の解決に意欲的だった。官房長官時代の平成13年、政府はハンセン病訴訟の地裁判決で敗訴し控訴するとみられていたが、小泉純一郎首相(当時)に控訴断念を進言したとされている。
 11月1日には舛添氏に「人命を大事にするという原点を踏まえた」対処を検討するよう指示したが、厚労省から「一律救済」に数兆円かかるとの報告を受け落胆する。大阪高裁の和解案が出た後の14日、一律救済について「税金を預かっているから(国民に)説明できないといけない」と慎重な発言に終始した。



 だそうです。
 今日午前の閣議の後「政治決断」が発表されるようですが、この産経の記事が本当なら、なんとも腹立たしい限りです。
 産経らしく、福田さんをかばうような記事になっていますが、産経は、薬害肝炎被害者の救済に「数兆円」かければ、「国民に説明が出来ない」とでも思っているのでしょうか。

 そして、福田さん。
 産経が言うような理由で一律救済に背を向けるのですか?
 では、使い物になるかどうかわからない、憲法違反の疑義もあるミサイル防衛に当面8000億円から1兆円、どこまで増えるかどうかわからいような金額をつぎ込むことについては、「国民に説明」しましたっけ?

 本当にこの国の政治はオカシイ・・・・。



 で、今日の本題は、これです。

変わりゆくイワクニ 市長辞職求め1200人 移転容認派企画の集会 リコール準備本格化
                        12・20 朝日新聞山口版

 在日米軍再編に伴う岩国基地への空母艦載機部隊移転に反対する伊原勝介岩国市長に辞職を求めている市民団体「岩国の明るい未来を創る会」が企画した集会が19日夜、同市民会館であった。同会は解職請求(リコール)に必要な署名を集める受任者の引き受けを来場者に呼びかけるなど容認派による「市長降ろし」が本格化してきた。
 集会は「井原市長の辞職をもとめる6万人署名の集い」で、約1200人が集まった。地元選出の福田良彦衆院議員(自民)、同会世話人代表の一人の長野寿岩国商工会議所会頭をはじめ、地元県議や岩国市議、同市と合併した旧町の元首長らが姿を見せた。
 冒頭、柏原伸二同商工会議所元会頭が「我々が市政を変えないといけない」とあいさつ。同氏は、市長が議会の意見を無視していると指摘。「多数少数どちらの意見も聞きながら調整するのがリーダーシップ。今の市政は独裁だ」と訴えた。福田氏も「色々な問題があるのに再編問題のみの集中し、市民の混乱をあおっている」と批判した。
 この後、約10人が出席した市議を代表して桑原敏幸市議が予算案を4度否決したことを説明。市長不信任決議案可決には4分の3以上の賛成が必要なため「悲しいかな数が足りない」と述べ、「このままでは岩国は破綻の道をたどる。力を合わせ、井原さんに退陣してもらいましょう」と解職請求への協力を呼びかけた。
 同市の場合、リコールに必要な有権者の署名は約4万1千人分で、世話人代表の一人の原田俊一さんは「3千人の受任者が15人分ずつ署名をお願いすれば、リコールはできる」と強調した。同会は今後、リコール準備と並行して市長に辞職を求める署名も集めることにしている。



 率直に言って、実に不愉快!

 自分たちの考えにもとづいて何をやろうが自由です。
 しかし、
 しかし、
 事実にもとづかない詐欺的な手法で住民を欺くのは許されません。

 「市長が議会の意見を無視している」だって?
 あのね、容認派の一部の議員が議会を代表しているわけじゃないんですよ。それを言うなら「議員の意見」でしょ。
 そして、無視してるって言うのなら、問題はその議員の方々が市民の意見を無視していることじゃないですか。住民投票や市長選挙で市民が示した市民の意見を。

 「独裁」とはよく言ったものですね。
 あなたたちは、4度も井原市長の提案した補正予算案を否決したじゃないですか。こんな「独裁」ってあるのですか?冗談もいい加減にしなければいけませんね。

 「市民の混乱をあおってる」のはどなたですか?
 「岩国を破綻の道」に追い込んでいるのはどなたですか?

 「無視」だとか「独裁」だとか「混乱をあおる」だとか「破綻」だとか、事実とかけ離れた、それこそ「あおる」ような言葉を使って、自分たちの言い分を飾り立て、市民のことを考えているように見せかけながら、「市民のことよりお金」という薄汚い本音を覆い隠す、そんなやり方には本当に怒りを感じます。

 どうぞ、おやりなさい。
 そこまで岩国市民を馬鹿にするのなら。



 ク~~、岩国市民でないのが悔しい!
 と嘆くポチでした。




 

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2007年12月18日 (火)

賠償額は本当に大きいのか?

 ポチです。
 仕事は、相変わらず忙しいのだけど、仕事の合間を見て、どうでもいいような内容の短い記事でアリバイ的に更新しています。
 村野瀬さんから薬害肝炎に関するTBをいただいたのですが、最近2回続いた「馬刺し」の記事にTBするわけもいかず、TB先の適当な記事がなくてお困りになったんだろうなと思います。
 申し訳ありません。


 そこで、junさんのところのこの記事にコメントした内容をベースに薬害肝炎の問題を書いてみようと思います。


 いくつかのブログを見させていただきました。いろんな意見があるものだなあと感じました。


 薬害肝炎問題は、言うまでもなくウイルスに汚染された血液製剤を出産や手術の際に投与されたことによって生まれた問題です。

 まず、言わなければならないのは、どこをどう検討しようと国と製薬会社の責任は重大だということです。
 製薬会社は、血液製剤の使用によって、ウイルス性肝炎が発症することを承知の上で大量に製造・販売をしていました。
 そして、国は、その危険性を放置していました。アメリカでは、その危険性から、1977年にはすでにフィブリノゲンの製造承認を取り消していたにもかかわらずに、です。
 その結果、薬害肝炎は蔓延してしまうことになります。
 しかも、調査によって判明していた418人の薬害C型肝炎患者のリストも厚生省は隠し続けてきました。このうち、56人がすでに亡くなっていたといいます。もし、国が早く知らせていれば、助かった人もおられたかもしれないのに・・・・。

 この間、おこなわれている裁判でも、内容はともかくとして、仙台地裁以外では、国と製薬会社の責任を認める判決を下しています。

 また、福田首相も、国の責任を認める発言をおこない、「全員の救済を」とのべ、政治解決への姿勢を表明しているといわれます。

 政府が賠償の対象を「線引き」する理由として、一律救済をした場合、賠償額の膨大さを指摘するマスコミがすくなくありません。

 たとえば、下の産経の記事。

一律救済 賠償1800億円 薬害肝炎訴訟 国試算、原告は反論
                      12月18日8時0分配信産経新聞

 薬害肝炎訴訟の和解交渉で、国が、原告団が求める「一律救済」を受け入れた場合、約1万2000人が対象となり賠償額は約1800億円にのぼると試算していることが17日、分かった
 国が和解交渉の中で、一律救済を拒み、血液製剤の投与時期を限定して責任を認めようとする背景には、試算ではじかれた莫大な額がある。原告団の主張とは大きく離れたものになっており、和解交渉が難航する一因となっている。
 関係者によると、1万2000人という数字は、汚染製剤の出荷量や感染率などから割り出した感染者の推定人数。全員が救済を求めて訴えを起こす可能性を想定して試算をしたとみられる。
 また、国側は、汚染血液製剤と並行して、輸血を行ったことで肝炎に感染した患者まで和解対象とした場合も試算。対象者は3万8000人、賠償額は5700億円と計算しているという
 一方、肝炎訴訟の原告団は、「国側が想定しているような膨大な数の提訴者が出ることはありえないし、輸血が原因の肝炎患者が和解対象となることも考えていない」と反論している。
 原告団は17日、和解骨子案に対する「修正案」をまとめた。その中で、従来主張している一律救済を前提の上で、和解対象となる患者について、「原告被告双方の協議によって、カルテや母子手帳などを証拠に汚染製剤の投与を証明する」といった認定基準を盛り込んだ。
 原告団が、和解条件を文書にまとめるのは初めて。修正案を18日に大阪高裁に提出するとともに、福田康夫首相の政治決断を文書で官邸に要請する。
                   ◇
■肝炎和解交渉をめぐる主張の相違
 【国:時期を限った救済を主張】
  ・フィブリノゲンは投与時期によって感染リスクの高低がある
  ・5地裁判決に全員一律救済を認めたものはない
  ・一律救済すると1800億円、輸血による感染者も想定すると5700億円になる可能性がある
 【原告:一律の救済を主張】
  ・カルテなど、薬害被害者の認定基準をつくれば、和解対象が膨大な数になることはあり得ない。原告が金額を主張したことはない
  ・投与時期により救済に差をつけるのは命の重さに差をつけることになる



 このことに同意はしないまでも、賠償額の大きさの前に、「『線引き』もしかたないんじゃないか」という世論もあるそうです。本当にそうでしょうか?

 原告側は、12000人とか38000人とかになるはずがなく、1000人程度ではないかと言われているようです。
 しかし、私は、12000人であろうと38000人であろうと、それが10万人になろうと、当たり前のことですが賠償すべきだと思います。
 賠償すべき人数が多く、賠償額が高いということは、それだけ被害が深刻であり、国の責任が重大だということを表す以外のなにものでもありません。すなわち国は、金額が大きくなればなるほど、問題の大きさを深く自覚し、誠意をもって対処すべきなのであって、金額が大きくなるからといって、賠償に躊躇するというのは、まったくの本末転倒であり、不誠実の極みだと思います。


 では、1800億円だとか、5700億円だとかは大きい金額でしょうか?

 「大・小」あるいは「多・寡」というのは、まったくもって相対的なものです。
 それを、つくづく感じたのは、下の記事です。長くなりますが、まだお読みになっておられない方は、ぜひご一読ください。


クローズアップ2007:ミサイル防衛本格稼働 課題残し見切り「発射」

2007121800000022maipolthum000 ◇「技術」米頼み/「憲法」棚上げ
 米ハワイ沖で17日午前(日本時間18日未明)、海上自衛隊が初めて迎撃実験を実施する海上配備型ミサイルは、日本のミサイル防衛(MD)システムの要となるものだ。北朝鮮の弾道ミサイルに対抗するMDの現状と課題は何か。欧米など他国の取り組みも併せて探った。【田所柳子、ワシントン及川正也、ブリュッセル福原直樹】

 日本のMD計画は、北朝鮮が98年に日本上空を越える弾道ミサイルを発射したのを機に本格化した。それまでは「ピストルの弾をピストルで撃つようなもの。不可能に近い」と、当時の防衛庁内でも消極論が根強かったが、政府は03年12月にMD導入を閣議決定した
 MDの技術や運用は、米国に多くを依存する。今回使用するSM3は米国製。地上配備型のPAC3は三菱重工業がライセンス生産する。弾道ミサイルの発射探知は、米国の早期警戒衛星。装備も情報も米国に頼る。
 日米両国は、14年度完成を目指し、次世代型SM3の共同開発も進める。
改良を進めれば、多額の予算を投じた現在の兵器が近い将来、使いものにならなくなる可能性もある
 防衛省は、当面の整備費用として12年度までに8000億~1兆円を見込むが、予算が倍増する可能性も指摘される。弾道ミサイルの技術向上も確実なため、永遠にいたちごっこが続きそうだ
。「核や生物兵器を搭載した弾道ミサイルを爆破すれば、住民が被害を受ける」と、今夏の自民党の国防部会では、そもそもの有効性に疑問の声すら出た
 憲法上の問題もある。日本の周辺国が中距離弾道ミサイルを発射した直後は、標的が日本か、米国など第三国なのか分からない可能性がある。しかし、ミサイルは10分で首都圏に到達する。他国を狙ったミサイルを日本のMDで迎撃することは、憲法9条で禁じられている集団的自衛権の行使に当たるとされ、安倍前政権が憲法解釈見直しを検討したが、結論は出ていない
 ◇「優等生」米は高く評価
 日本は北朝鮮の弾道ミサイルを最大の脅威に据えるが、米国は、米本土を射程に入れる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発を進める中国の動きもにらむ。
 給油活動中断などで日米関係がギクシャクする中、日本のMD推進については「強固な同盟を示すシンボル」(国防総省当局者)と「優等生」扱いされている。
 ブッシュ政権が日本の初実験を高く評価する背景には、MDをめぐる「内憂外患」がある。国防予算に厳しい目を向ける民主党は、MD予算に削減圧力をかけ続けている。14日までに上下両院が可決した08会計年度国防予算で、MD関連は、政権の要望より約3億ドル削減され約100億ドル(1兆1000億円)となった。
 08年の大統領選でも、民主党は脅威の対象である北朝鮮やイランとの外交交渉を最優先する考えを強調。共和党でもMD推進を明確な公約に掲げるのはジュリアーニ前ニューヨーク市長ぐらいで、計画自体が先細りの可能性もある。
 米国は、イランに対抗するため、11年までに東欧にMD配備を進める。しかし、米政府は今月3日、イランが03年秋に核兵器開発を停止したとの情報機関の評価を公表。これにより東欧配備に強く反発するロシアとの調整は一段と難しくなる可能性が高まっている。
 ◇欧州は設計・研究段階
 東西冷戦時代に、米ソの中距離核ミサイルが配備されていた欧州でもMD研究が進む。北大西洋条約機構(NATO)は、旧ユーゴ紛争や中東情勢、北朝鮮の核疑惑などを教訓に90年代から計画検討に着手、(1)戦域ミサイル防衛(TMD)(2)加盟国全域防衛(3)ロシアとのTMD協力--の三つを柱に準備を進める。
 最も進んでいるのはTMD構想で、昨年、米・欧の企業連合体と契約を結び、システム設計に着手した。加盟国防衛は「技術的に可能」と、研究を継続している。
 これとは別に、米国が独自に東欧配備を進めるMD計画との協力も検討中だ。
                   毎日新聞 2007年12月17日 東京朝刊

 (写真は、日本時間の今朝7時ごろハワイ沖でおこなわれたSM3の発射実験。イージズ艦「こんごう」から発射されました=毎日新聞からお借りしました)


 上の二つの記事を比較してみてください。
 片や、5年後までに、8000億円から1兆円のお金をつぎ込む計画ですが、金額は倍増することも、さらにもっと増えることもある・・・・。そして、その結果は「使い物にならなくなる可能性」があるということだそうです・・・・・。フウ~(ため息です)。
 一方、1800億円や5700億円は、自分たちにはいっさい責任がないのに国と製薬会社のせいで被害にあわれた方に支払われるべきものです。

 あらためて、みなさんに問いかけたいのです。

 1800億円とか5700億円とかって、大きすぎますか?
 救済する人に「線引き」をする必要がありますか?

 被害者の一人、福田衣里子さんのブログを読みました。
 すべての被害者の救済を強く訴えられています。真実と誠意のこもった言葉に圧倒されています。

 では、また。







 

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2007年12月17日 (月)

馬刺しは「注入」されてなくてもウマイ!

 ポチです。
 政治家が公の場で自分のしゃべったことに責任を持とうとせず、「これは公約だ」とか「これは公約じゃない」などと使い分けるおかしな国に住んでおられるみなさん、寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?


 さて、前回の続き、馬刺しの話です。
 土曜日は、スーパーに行ったのですが、残念ながら馬刺しは売り切れていました。
 そこで、昨日、再び、買いに行きました。

 ありました!
 しかも、午後6時すぎに行ったため、半額セールになっていました。

 やった~!

Ts3a0156

 で、これは、「トロ」でも「霜降り」でもないので、「注入」品であるわけはないのですが、それでも一応、ラベルをジ~~ッとながめてみました。

Ts3a0157

 おお、国産の品でした。
 大丈夫ですよね、フジチクさん?

 以前、買ったときは、この赤身の横に、「霜降り」も売っていたのですが、昨日行ったときはありませんでした。
 もう売切れてしまったのか? それとも・・・・・・・。


 で、そんな話はともかく、芋焼酎を飲みながら、おいしくいただきました。
 ごちそうさまでした!


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2007年12月15日 (土)

機械で脂を注入し赤身がトロにヘンシ~ン

 ポチです。
 「偽」が今年を表す漢字になるほど、「偽」の食品や「偽」の働かせ方、「偽」の公約に騙されてきたみなさん、お変わりありませんでしょうか。

 で、「偽」の年も押し迫ってきた頃、こんなニュースが・・・・。

霜降り馬肉、実は馬脂注入 居酒屋チェーンに排除命令
                  asahi.com 2007年12月14日20時39分

Photo_2 人工的に馬の背脂を注入した馬肉を「霜降り馬刺」「とろ馬刺」などと表示して販売したとして、公正取引委員会は14日、居酒屋チェーン3社と食肉加工業者、業務用スーパーの計5社に対し、再発防止などを求める排除命令を出した。天然育成の霜降り馬肉であるかのように消費者に誤認させる不当な表示だとして、景品表示法違反(優良誤認)にあたると判断した。
 排除命令の対象となったのは、居酒屋「白木屋」などを展開する「モンテローザ」(東京)▽「村さ来」を展開する「村さ来本社」(同)▽「八剣伝」などを展開する「マルシェ」(大阪)▽全国のスーパーなどに販売していた肉加工販売業「ファンシー」(東京)▽業務用食品スーパー「A―プライス」を展開する「トーホー」(兵庫)の5社。
 調べでは、5社は、国産や中国、カナダ産の赤身の馬肉に、40~50本の針を機械で刺して脂を注入した加工馬肉を製造したり購入したりし、「霜降り」などと表示して販売していたという。
 モンテローザは04年10月~06年10月に系列577店で、村さ来本社は06年4月~今年3月に系列251店で、マルシェは05年5月~今年5月に系列265店で、メニューやチラシに「霜降り馬刺」や「とろ馬刺」などと表示。ファンシーも、自社ブランドの商品のパックに「霜降り」と印刷。トーホーは「霜降」と書かれたラベルを張って販売していた。
 公取委は、脂を注入したことを示さなければ、熊本などで飼育されている天然の霜降り馬肉だと消費者が誤解する、と判断。業者間の取引価格は、脂注入の加工肉が1キロあたり3000~4000円なのに対し、天然の霜降り馬肉は8000~1万円するという。注入馬肉は、加工肉であることを明記した取引なら問題なく、加工業者の売り上げは年間約16億円だという。
 居酒屋チェーン各社は、すでに加工馬肉の販売を中止し、赤身や天然の霜降り肉に変更。ファンシーとトーホーは「注入」と表示して販売しているという。各社は「真摯(しんし)に受けとめ、消費者の皆さまにおわびします」などとコメントしている。
                   (写真は時事通信からお借りしました)




 私は、馬刺しが大好きです。
 うちのカミさんは、「どうも生きている姿が想像されて、あまり好きになれない」と言いつつ食べています。
 私がちょくちょく行っている居酒屋では、年に2回、夏と年末に、馬刺しが出されます。当然、赤身です。これでやみつきになってしまいました。
 醤油ににんにくと生姜を摩り下ろしたものいれて食べますが、やわらかくて歯ごたえがあって、本当に美味です。


 で、今回の問題ですが、赤身が「霜降り」「トロ」にヘンシ~~ンですね。
 半分以下の値段で仕入れることが出来るわけですね。その居酒屋チェーンでは、きっと赤身の倍以上の値段で客に食べさせ、食べた客は、

  「さすがに霜降りは、うまいね~~。赤身とは違うヨ」

 などと言って食されたのでしょうね。


 それにしても、日本人っていうのは、どうしてこんなに「霜降り」とか「トロ」とかが好きなんでしょう。
 私は、マグロでもトロは脂っこくて、好きになれません。馬刺しにしても、赤身で十分においしいと思うのですが・・・・。

 で、この記事をみて、一番注目したのは、

  40~50本の針を機械で刺して脂を注入

 という部分
 これで、「霜降り馬刺し」「トロ馬刺し」ができるわけですか。

 恐るべし、日本の技術革新。などと感心してしまいました。

 これから、スーパーに買い物に行きますが、
「注入」と但し書きがしていない馬刺しがあったら買って帰ることにしましょう。


 では、また。



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2007年12月14日 (金)

「住民の安心や安全はどうでもいいから、ワシらに仕事寄こせ!」ってことですかね

 ポチです。
 選挙のときの公約は、「簡素化」されるものだということが明らかになった今日このごろ、みなさん、お元気でしょうか?

 ついにきました。
 岩国市長リコールの署名集めが始まるそうです。
 今朝の朝日新聞によると、例の「岩国の明るい未来を創る会」が、リコール署名に必要な受任者集めを19日から開始し、来年1月から手続きに入ることにしたそうです。

 昨日、記者会見した、代表世話人の原田俊一さん(75)は、

    「国の政策に協力して地域振興策を求めるべきだ」

と強調されたそうです。

 なんなんでしょう。この「地域振興策」とは。
 戦闘機の激しい爆音に苦しめられ、基地犯罪の恐怖に脅えて市民が暮らすことと引き換えに出来る「地域振興策」って?

 厚木の方や沖縄の方はよくご存知でしょうが、戦闘機の爆音のすさまじさは到底、文字で表現することは出来ません。
 以前、岩国基地でNLP(夜間離発着訓練)が実施されたときに、たまたま岩国にいたのですが、そこらじゅうのガラス窓がきしみ、天井が落ちてくるのでは、という恐怖を感じました(私の居たところがボロ屋だということもあるかもしれませんが)。会話などできたものではありません。

 この記事には、「岩国の明るい未来を創る会」の説明として、こう書いてありました。

「岩国の明るい未来を創る会」(会員約200名)、岩国商工会議所の会頭、元会頭、住民自治会の連合会長、岩国市と合併した旧玖珂町の元町長らが個人として参加

 「商工会議所の会頭、元会頭」ね~~。
 そういうことですか、「地域振興」って。
 翻訳すると、

 「市民の安全や安心はどうでもいいから、ワシらに仕事を寄こせっ!!」

っていうことですね。
 先日も、広島でありましたが、基地犯罪が絶えません。
 商工会議所の会頭さんは、自分の子どもや孫が被害者になっても、この「地域振興」を口にされるのでしょうか。
 それとも、「他人の子だから関係ない」とでも言うのでしょうか。

 それにしても、この原田さんってどういう人なのかな。
 検索してみると・・・。

  http://www2.tky.3web.ne.jp/~chiku39/newpage66.htm

 へー。県の教育委員会の委員長だったんですか。
 女性の横で、鼻の下が長くなってますよ、原田さんっ。

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2007年12月13日 (木)

祝!ブログ開設1周年

 ポチです。
 橋下さんのその後、マスゾエさんのトンデモ発言など、ウソみたいなホントの話が巷を騒がしていますが、みなさん、お変わりありませんでしょうか。
 

 という問題は、後日書くことにします。というのも、今日は、このブログを始めてちょうど1年目の記念日なのです。

 「ブログと言うものがあるそうな」と聞いて、なんのことかよくわからずに、「まあ、とにかくやってみるべ」と始めたのが去年の12月13日です。
 最初のうちは、何を書いていいかわからず、無駄に紙面(?)を汚しているだけという感じでした(今もたいして変わらんけど)。
 当時から超有名だったきっこさんのブログを読んで、ああ、こんなふうに書くもんなんだと一人合点したりしていました。


 この1年に、今日のも含めて、120本の記事を書きました。仕事に追われて、ブログにまったく近づけない時期も何度かありましたが、平均するとほぼ3日に1つという割合なので、けっこうがんばったのかな、とも思います。

 自分で書くだけでなく、他の方のブログにも頻繁にお伺いするようになりました。温かい気持ちにさせていただけるブログ、鋭い問題提起をして考えさせていただけるブログ、読んでいて楽しくなるブログ。
 こうした多くの方々との交流もはじまりました。
 私は、自分がブログを開設していることを、友人・知人、家族にも話していません。この1年間に、多くのコメントやトラックバックをいただきましたが、すべて、このブログを通じての新しい友人のみなさんたちです。
 自分で書くこと以上に、こうしたみなさんとの交流がブログの楽しみなのだなあとあらためて実感しています。
 これからもよろしくお願いします。


 さて、なぜ、ブログのタイトルを「A PLACE IN THE SUN」としかたというと、浜田省吾のことを書きたいけど、それだけではなく、自分の考えていることや身の回りにある問題や日本の社会や政治の腹立たしいことについても書きたいから、「浜田省吾」と露骨にわかるタイトルにはしたくなかったのです。
 それで、「浜田省吾好き」の人にはわかるけど、そうではない人には普通の言葉であるようなタイトルにしたいと思いました。
 そして、この「A PLACE IN THE SUN」という曲の歌詞が、私が書こうとしていること、浜田省吾であったり、日常生活のことであったり、そして社会の矛盾であったりがすべて包括されているような気がしたのです。
 さらに、なにより、この曲は、社会の矛盾を乗り越え、一生懸命生きている多くの人への「応援歌」です。そう考えたときに、ブログタイトルを「A PLACE IN THE SUN」に決めました。


 浜田省吾と「A PLACE IN THE SUN」について少し書きます。
 これまでにも書いたことがありますが、浜田省吾の「Hello Rock and Roll City」という曲の歌詞の中に、こういう一節があります。

  「TICKET TO RIDE」、初めて買ったレコード
  「A PLACE IN THE SUN」、初めて歌ったRhythm and Blues


 「TICKET TO RIDE」というのは、もちろん、ビートルズのナンバーです。そして、「A PLACE IN THE SUN」は、スティービー・ワンダーが歌ってヒットした名曲です。
 本当に、浜田が初めて買ったレコードが「TICKET TO RIDE」で、初めて歌ったR&Bが「A PLACE IN THE SUN」だったのかどうかは知りませんが、そう歌うからには、かなりお気に入りの曲で、影響を受けた曲であることだけは確かだと思います。


 そして、浜田は、初めての野外コンサートに「A PLACE IN THE SUN」と名づけます。1983年8月13日、福岡県の海ノ中道海浜公園でそれはおこなわれました。おりしも、台風が接近し、鹿児島県は暴風雨圏内に入っていたそうです。

 その時の、浜田のMCを紹介します。

 ひとつ話を聞いてくれる?この公園っていうのは(昭和)46年までは米軍のキャンプだったんだってね。僕も18の頃米軍のキャンプのそばにすんでいたことがあって・・・・。岩国っていうとこなんだけど。山口の人、今日来てるかな。僕が18の頃というのは、ベトナム戦争がすごく激しい頃で、ちょうどこの季節になると、長崎とか広島の、原爆記念日にデモに行ったりなんかして、おまわりさんにこずかれたりしてたんだけど。たぶんここからもいっぱい軍用機飛んでたんだと思います。僕が言いたいのはつまり、そういうキャンプがこんな素晴らしい公園になるなんて、なんてよかったんだと思うわけです。日本中の、そして世界中の軍事施設がこういうふうに、こんな素晴らしい公園になって、毎年こうやって、野外コンサートがいろんなところで出来たらいいなと思っています。
                      (「Complete Shogo Hamada」より)


Shogo11
「A PLACE IN THE SUN“海ノ中道”」(83年8月)のコンサート風景です

 その後、「A PLACE IN THE SUN」と名づけられたコンサートは、84年4月29日の横浜スタジアム、88年8月20日の渚園(静岡県の浜名湖畔)の2度おこなわれます。
 その後も何度か浜田は野外コンサートをおこないますが、「A PLACE IN THE SUN」というタイトルはつけられていません。

 そして、1996年に出された19枚目のアルバム「ROAD OUT "TRACKS"」の1曲目でこの曲を歌っています。
 また、先日終了したコンサートツアー「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n'Roll」のオープニング曲も「A PLACE IN THE SUN」でした。


 それでは、「A PLACE IN THE SUN」の素晴らしい歌詞をどうぞ。




      A PLACE IN THE SUN

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on

Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run

There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on

Like this tired troubled earth
I've been rollin' since my birth
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

  太陽のあたる場所

一本の長くて孤独な川のように
僕は夢に向かって走りつづけている
立ち止まらずに 先へと進んでいる

一本の樹の小さな枝のように
僕は自由を求めて手を伸ばし続けている
もっと先へと あきらめないで

古くて埃まみれの道のように
僕は重荷にうんざりしている
でもどんどん行くんだ もっと先まで

くたびれて問題だらけの、この地球のように
生まれてからずっと僕は転がりっぱなしさ
ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない

だって太陽のあたる場所はかならずあるから
そいつは誰にでも希望がある場所で
僕の貧しく不安な心も追っ掛けるべき場所なんだ
そうさ、太陽のあたる場所はかならずある
命がつきてしまう前に
太陽のあたる場所を見付けよう


 一周年を記念して、デザインを変えてみました。
 今までの写真は、出来合いのものを利用していたのですが、今回は、自分で撮った写真です。宇部市のお隣の山陽小野田市にある竜王山の山頂で撮りました。

 

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2007年12月11日 (火)

あなたには府知事は到底無理ですよ、橋下さん

 ポチです。

 ギャー!

 何だこれは!

大阪府知事選、橋下弁護士が出馬へ

 来年1月10日告示、27日投開票の大阪府知事選で、弁護士でタレントの橋下徹氏(38)が11日、出馬する意向を自民党側に伝えた。
 12日午前の記者会見で正式に表明する。
 自民、公明両党は、橋下氏を推薦する方向ですでに調整を始めており、民主党にも同調を呼びかける方針。「相乗り禁止」の原則を掲げる民主党がどう対応するかが今後の焦点となりそうだ。
 橋下氏を巡っては、自民党が水面下で出馬を打診。今月5日には橋下氏が同党側に不出馬の意向を伝え、タレント事務所を通じて「出馬しない」とのコメントを発表した。しかし、その後、橋下氏自身が出馬に傾き、出演が決まっているテレビ番組の調整がつき次第、出馬表明を行う意向を関係者に伝えていたという。
 これを受け、自民党大阪府連の中山太郎会長や、同党府議団の朝倉秀実幹事長らが11日午後、党本部で古賀誠選挙対策委員長と会談し、橋下氏の推薦を検討することを確認。さらに、同党は、知事選で歩調を合わせることを確認している公明党に橋下氏の推薦を打診した。
 橋下氏は東京都出身。府立北野高、早稲田大政経学部を卒業後、1994年に司法試験に合格。97年に大阪弁護士会に登録、大阪市内に弁護士事務所を開設する一方、芸能事務所にも所属し、テレビなどに出演している。
 同知事選には弁護士の梅田章二氏(57)が共産党推薦で立候補を表明。民主党も独自候補の擁立を進めている。
                    (2007年12月11日18時4分  読売新聞)



 あなた、「絶対出ない」って言ってたんじゃなかったですっけ。
 ホッとしてたのに。
 いつ心変わりしたのですか?
 それとも、最初から出るつもりだったのに、私たちを騙していたのですか?

 出勤前に、テレビでしばしばあなたをお見かけしますが、はっきり言ってあなたの考え方は「危険」です。
 テレビで、好き勝手なことをしゃべっている分には被害はあまりありません。
 また、弁護士活動にしても、あなたをテレビで観て、なおかつ、あなたの事務所にご相談に行かれる方は、どうなろうと、ご自分であなたを選択されたわけですから、文句をいう筋合いではありません。
 しかし、府知事というのは違います。
 すべての府民の暮らしに責任を負う立場です。

 当然、法律家ですから、地方自治法をご存知でしょう。
 第1条の2は、次のようにのべています。

 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。

 「住民の福祉の増進を図る」。あなたにこれができますか?

 Wikipediaによると、あなたはこうだそうです。

 競争の土俵に上がれる者は、徹底的に競争させるべきとの立場で、ニートにも厳しい立場。しかし、競争の土俵に上がれない人へのサポートは厚くすべきと主張。生活保護について「病気や障害・高齢者などでスタートラインにすら立てない人を『自己責任』として放置するのは健全な競争社会を破壊する」と発言している。

 社会保障は、「競争社会の維持のため」ですか・・・・。これでは、「福祉の増進」など図れないでしょうね。
 それから、Wikiにはこうも書かれています。

 教育問題に関しては、厳しいしつけや体罰を肯定する発言が多く見られる。テレビ朝日の特番「発足!芸能人PTA」では、子供を50分近くも投げ続けたことを告白

 また、こうも書かれています。

 日本の単独自衛を主張しており、『たかじんのそこまで言って委員会』では「日本の一番情けない所は、単独で戦争ができない事だ」と述べた。核兵器保有を肯定し、テロ特措法などを一方的に批判する意見には反発している。男子皆兵制の復活を主張することもある。

 とんでもない方ですね。


 明日、記者会見だそうですが、今からでも遅くありません。「立候補断念」を表明されるよう心からお勧めします。
 あなたには、とうてい府知事は無理です。お願いですから、テレビの中で好きなことをお話しになることにとどめておいてください。被害は最小限に食い止められますから。

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2007年12月 9日 (日)

よくわからん・・・山口県民

 ポチです。
 前日の記事で、大きな宿題を書き終えて、ほっとしています。
 これからは、短い記事を書くように努力します。



 さて、安倍さんがモゾモゾと動き出したようです。

安倍前首相おわび行脚、地元歓迎で目潤む
                                                  (nikkansports.com)
 安倍晋三前首相(53)が7日、昭恵夫人(45)とともに、突然の首相退陣に対するおわび行脚で、選挙区のある山口県に入った。有権者に、政治家“続投”への理解を求めるとともに、本格的な政治活動再開を宣言した。
 電撃辞任にもかかわらず、地元の安倍人気は相変わらず。会合を行った下関市内のショッピングセンターには、買い物客約500人が詰めかけ、安倍氏は握手攻めとカメラ付き携帯電話を手にした人でもみくちゃになった。昨年9月の首相就任以来初めてで、1年3カ月ぶりのお国入り。安倍氏は会合で開口一番、首相辞任を謝罪し「今後は一国会議員として、初心に戻って全力を尽くす」と出直しを誓った。のべ1300人の参加者に「感激で目が潤んだ」と笑顔をみせた。
 会合に先立ち、安倍氏は山口県庁を訪れ二井関成知事(64)らと会談、記者会見にも臨んだ。体調不良による首相退陣というダブルのダメージを受け、次期総選挙は比例転出の憶測も流れたが、安倍氏は、現在の山口4区から立候補すると表明。体調は「胃腸の機能も回復し、体重も首相就任時まで戻ってきた」といい、11月30日に東京都八王子市の高尾山に登ったことを明かし「頂上まで登れて体力に自信がついた」と、不安がないことを強調。首相再登板の可能性には「今はそんなこと全く考えていない」と慎重だった。
 安倍氏は今回のお国入りを機に本格的な活動を始めるが、政治家としての影響力をどこまで取り戻せるかはまだ未知数だ。


 そうですか。
 地元の安部人気は相変わらずなのですか。
 買い物客500人が詰めかけたのですか。
 のべ1300人が参加したのですか。

 ・・・・・よくわからん。我ながら山口県民って。


 そうですか。また出るのですか。
 もうやめればいいのに。


 でも、心配なのは、山口4区。民主党の候補者が決まってないのですよ。
 民主党県連は、4区での候補者擁立をあきらめたかのようなコメントをどこかの新聞で読みました。
 共産党は、1区にしか出さないというし・・・・・。

 まさか、無投票?ということはないでしょうね・・・・。

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2007年12月 8日 (土)

医者、用水路を拓くー-中村哲の生き様を学ぶ

 ポチです。
 年の瀬も迫り、あわただしい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は、依然として仕事の山と格闘しています。そのうえさらに、先日、上司から「年明けに大きな仕事が入る可能性があるので、いつでもとりかかれるように準備を始めよ」と言われ、へこんでいます。
 ホントにできるのだろうかと不安な日々を過ごしています。



 で、今日は、延び延びになっている中村哲さんの講演会のことを書きます。
 なぜ、延び延びになっていたかというと、もちろん、仕事に追われ、書きかけては中断、、また書いては中断を繰り返していたからなのですが、それだけではありません。

 講演会そのものは、中村さんが、写真を紹介しながら、淡々と、ときおりジョークをまじえつつ話されたのです。驚きと感動の連続でしたが、それは、彼が、彼らがやりとげてきたことの驚きと感動でした。そして、飄々と話す中村さんからは、それをやりとげるうえで彼が、彼らが乗り越えてきたとてつもない苦難や障害については思いを馳せることができませんでした。
 私は、ただ単に、話を聞いた驚きと感動をレポートしようと思ったのです。

 ところが、ところが・・・・。

 実は、私は、講演会の会場で、中村さんの近著「医者、用水路を拓く」を買い求めました。中村さんのサインも入っていました。

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 この本を読み始めて、愕然としたのです。講演会での飄々とした中村さんの姿はそこにはありませんでした。
 あるのは、激しい怒り、嘆き、悲しみ、そして、いらだち・・・・・。

 米軍の爆撃の恐怖とのたたかいはもちろん、何を言っても受けつけてもらえない報復戦争開始前後の冷静さを失い狂気と興奮に支配された日本の世論、憶測と事実誤認にもとづく「人道支援」、現地の常識や文化を無視し欧米の常識を振りかざしての「民主化」押し付け、カネにあかし事態をますます悪化させる各国NGOのやり方・・・・・、そして、ご家族の不幸。彼は、これらと壮絶なたたかいをしてきたのです。
 現地で、人の命を守ろうと死に物狂いになってがんばっている人から見た、アメリカ軍やブッシュ大統領、日本政府や自衛隊、日本人、欧米人、「反戦家」、NGOです。
 この本を読むまでは、思いもよらないことだらけでした。


 「安易に講演会のレポートを書いていいものだろうか」「講演会のレポートでは、けっして、彼の思いは伝わらない」。
 どうするかを悩みました。
 仕事のほかに、延び延びになっていたもう一つの理由がここにありました。


 しかし、私などが、中村さんの熱い思いの内を代弁することなどできるはずもありません。中村さんの思いを理解するには、中村さんの本を読み、話を聞くしかありません。私にできることは、できるだけ早く講演会のレポートを仕上げ、中村さんの本を読んでほしいとよびかけることではないかと思いました。


 以下の文章のほとんど(とくに前半部分)は、ここまでに書いたもの以前に書いたものです(部分的に書き加えています)。ですから、上の文章にそぐわないオチャラケたところがあることをお許しください。
 では、中村哲講演会のレポートです。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 実は、当日、ICレコーダーをもって行っていて、すべてを録音したつもりでした。これを書こうと思って聞いてみると・・・・・録音されていない・・・・・・。

 ショック!!

 録音があるからと思ってメモもとっていませんでした。
 ということで、記憶を頼りに書くことにします。


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 11月20日、山口市の県立大学でペシャワール会の中村哲さんの講演会がおこなわれました。
 新聞で、講演会のことを知った私は、「これはなんとしても行かなければ」と心に誓いました。しかし、講演会は平日の昼間。仕事を山のように抱えている身であり、悩みに悩んだのですが、体調の悪い母親をダシにして、「母を病院につれていくので、ちょっと仕事を抜けます」などと嘘をついて仕事をさぼって、無事行ってきました。行き、帰りとも、超法規的なスピードで運転したことは言うまでもありません。

 ヨレヨレのスーツ姿で登壇した中村さんは、その日の朝、タイから福岡空港について、会場に直行したそうで、「なんとか間に合いました」と話しておられました。この講演会の後、何日か日本にいて、各地で講演をされるそうで、しょっぱなが山口でした。


 講演は、スライドを使ってすすめられました。
 最初に、中村さんは、アフガニスタンというところはどういうところなのかについて話されました。
 アフガニスタンというのは山岳国家だそうです。7000メートル級の山々がつらなるヒンズクシー山脈の西の地域です。
 私たちが新聞やテレビなどで観るのは首都カーブル(一般的には「カブール」だと思うのですが、中村さんは講演の中で「カーブル」と言われており、著書でも「カーブル」と表記してありましたので、私もその方を使います)。

 で、驚くのは次の写真(写真はクリックすると大きくなりますので、よかったらどうぞ)。
 わかりますかね。山の急斜面にある集落です(写真が斜めになっているのは、私が会場の左寄りの席に座っていたからです。見にくくてすみません)。

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 これは特殊な集落ではありません。ほとんどの集落が、こんな風に、山の急斜面にできているそうです。

 ペシャワールのあるパキスタン北西辺境州とアフガニスタン東部の地図です。

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 中村さんは、このペシャワールに1984年に、ハンセン病コントロール計画のために赴任されました。最初に、行った時は、壊れかけた診療所に、使おうとすると耳を怪我してしまう壊れた聴診器しかない状態だったそうです。その時の写真も紹介されたのですが、撮り損ねてしまいました。
 そして、多数のハンセン病患者の治療に当たりつつ、ハンセン病だけ診ていたのではだめだということに気づかされます。ハンセン病は感染症です。ハンセン病が広がる地域には、同じ感染症であるマラリアや腸チフスなども広がっています。そして、ペシャワールを本部に、アフガニスタンでの僻地医療に乗り出します。首都カーブルはもちろん、北部山岳地域などに次々に診療所を開設していきました。

 以来、23年間、アフガン難民をはじめ、地域の方の医療に携わってこられました。「頭の方は自信はないが、体力には自信があったので、歩いて山岳地帯を歩き、集落を訪ねて診療をした」と言われていました。
 下は、その当時の写真です。真ん中が中村さん。

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 次の写真は、いま、ペシャワールにあるPMS(ペシャワール医療サービス)の病院です。中村さんが赴任した当時からは比べものにならないくらい立派な病院ですね。

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 2000年、アフガニスタン全土を大旱魃(かんばつ)が襲います。
 以下は、中村さんの著書からの引用です。長くなりますが、状況がリアルにわかると思いますので・・・・。

 2000年5月以来、PMSのダラエヌール診療所は多忙を極めていた。ダラエヌールは、アフガン東部最大の都市・ジャララバードから北東へ30キロメートルにある大渓谷で、約4万人が居住するといわれる。その年の春、かつて豊富な水で知られた渓谷は、異常な渇水で人々の生活を脅かした。
 渓谷の川の源流は、「ケシュマンド山系」と呼ばれるヒンズークッシュ山脈の支脈で、最高峰はクンド山(標高4300メートル)、いつもなら万年雪を戴き、春先に激しい雪解け水が押し寄せる。水は年間を通じて途切れなく流れ、農耕を支え、多くの人口を擁してきた。しかし、この年は雨季の冬に降雨・降雪がほとんど見られず、主食である冬小麦の収穫は大打撃を受けた。特に渓谷中流域のカライシャヒ村、下流域のアムラ村、ソリジ村、ブディアライ村は惨憺たる状態となった。
 緑の広大な田畑が土漠の原野に帰し、木々が立ち枯れ始めた。農民たちは一斉に村を退避し始め、ブディアライ村では、二軒を残して無人化した。診療所で多かったのは、赤痢などの下痢症で、不幸にして救命できぬことが稀ではなかった。時には数日かけて幼い児を胸に抱きしめてやってくる若い母親たちの姿があった。
 大旱魃である。同年6月、WHO(世界保健機構)の発表は私たちを震撼させた。
 「ユーラシア大陸中央部に進行する未曾有の大旱魃は、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタン、インド北部、中国など広範囲に及び、被災者は7000万人と見積もられる。最も激烈な被害を受けたのはアフガニスタンで、1200万人が被災し、飢餓線上の者400万人、餓死線上の者100万人と推測される(WHO・2000年5月)」
 アフガニスタンを襲った大旱魃は、診療所付近だけではなかったのだ。100万人が飢餓線上という数字は誇張ではないと思った。実際、診療所付近で落命する患者たちは、ほとんどが小児であった。栄養失調で弱っているところに汚水を口にし、赤痢にかかる。健康なら簡単に死ぬことはないが、背景に食糧不足と脱水があると致命的である。子どもだけではない。多くの病気は十分な食糧と清潔な飲み水さえあれば罹らぬものであった。
 流民化した村人たちが続々とジャララバードやペシャワールに難を逃れ、修羅場を現出した。2000年7月、ダラエヌール診療所は、残った村人を集め、飲料水源確保に全力が注がれた。これが我々の「水資源確保事業」の発端であった。
 その後の展開は、「激動」と呼ぶにふさわしい。大混乱の中にあっても、私たちの活動は休みなく継続された。



 下の写真は、当時のダラエヌール診療所のそばを写したものだそうです。

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 ちなみに、中村さんたちの水資源確保の努力で、その後、これと同じ場所がどうなったかというと、下の写真です。
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 今、アフガニスタンに求められているのは個別の医療活動ではない。医療以前の問題。「百の診療所より一つの井戸」。住民を救う道は水の確保だ、と思い定めた中村さんは、白衣を脱ぎ、井戸堀をはじめることになります。

 普通の井戸、アフガン式の横堀で地下水を掘り出すカレーズ(中村さんは、「カレーズという名前なんですが、これがしばしば枯れるんですヨ」と冗談を言って聴衆を笑わせました)、そして、水路から巨大な用水路にまで事業は発展していきます。
 その結果、今年8月時点で、井戸を1500本掘り、農業用水路は第一期13キロメートルを竣工、既に千数百万町歩を潤し、さらに数千町歩の灌漑が目前に迫っていると報告されています。



 そんな時、9・11が起こりました。
 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易ビルにアルカイダにハイジャックされた旅客機が突っ込みました。

 その直後に中村さんが書いた記録が著書に掲載されていました。これも長くなりますが、当時のリアルな状況と中村さんの思いを理解するうえで大切だと思ったので、引用することにします。


 大規模な軍事報復を予想して、車両・機材を安全地帯と思える場所に移動させ、薬剤はPMS診療所があるダラエヌール渓谷に移し、数ヶ月の篭城に耐えるように指示した。5ヶ所に診療所を持つカーブルには伝令を送り、ペシャワールに家族のある職員はペシャワールに戻らせ、カーブル市内に家族のある者はその意志に委ねた。
 旱魃対策の要であった水資源確保の事務所はジャララバードに置かれており、若い日本人ワーカーたちもここに寝起きしていた。「PMS・水対策事務所」の職員74名は、金曜日の休みであったにもかかわらず、同日午前7時に異例の招集をかけられ終結(原文のまま)していた。
 意外に町は平静であった。黙々と日々の営みがおこなわれていたが、それは事情を知らないからではない。相変わらずBBCはパシュットゥ語放送で米国の動きを伝えていたし、職員の誰もが日本人大衆よりは驚くほど正確に事態を判断していた。実際、ジャララバードには3年前にも米国の巡航ミサイル攻撃が集中した。今度は更に大規模な空爆が行われるだろうとは百も承知の上のことである。
 粛々と何かに備えるように--といっても、「米国憎し」と戦意をたぎらすわけでもなく、ただひたすらその日を生き、後は神に委ねると述べるのが正確であろう。緊迫した決意であっても、そこには騒々しい主張や狼狽はいささかも感じられなかった。
 私は、集まった職員たちに手短に事情を説明した。「日本人ワーカーを帰す言い訳を述べ(ポチ注=大使館から撤退を要求されていた。中村さんは、抵抗はしたものの大使館の立場も汲み「一時撤退」ということで引き上げることを受け入れた)、かつ士気を保つように」との水源事業担当の蓮岡の求めだったが、より感傷的になっていたのはおそらく私の方だったろう。
 「諸君、この一年、君たちの協力で、20数万名の人々が村を捨てず助かり、命をつなぎえたことを感謝します。すでにお聞きのように、米国による報復で、この町も危険にさらされています。しかし、私たちは帰ってきます。PMSが諸君を見捨てることはないでしょう。死を恐れてはなりません。しかし、私たちの死は他の人々のために意味を持つべきです。緊急時が去ったあかつきには、また共に汗を流して働きましょう。この一週間は休暇とし、家族退避の備えをしてください。9月23日に作業を再開します。プロジェクトに絶対変更はありません」
 長老格のタラフダールが立ち上がり、私たちへの感謝を述べた。
 「皆さん、世界には二種類の人間があるだけです。無欲に他人を思う人、そして己の利益のみを図ることで心がくもった人です。PMSはいずれか、お分かりでしょう。私たちはあなたたち日本人を永久に忘れません」
 これは既に決別の辞であった。
 家族をアフガン内に抱える者は、誰一人ペシャワールに逃れようとしなかった。その粛然たる落ち着いた笑顔に、内心忸怩たるものを感じぜずにはおれなかった。再会する可能性がないとお互いに知りつつ敢てカーブルへと旅立つ一人の医師を、「神のご加護を」と抱擁して見送った。

 帰国してから、日本中が沸き返る「米国対タリバーン」という対決の構図が、ひどく作為的な気がした。淡々と日常の生を刻む人々の姿が忘れられなかった。昼夜を問わずテレビが未知の国「アフガニスタン」を騒々しく報道する。ブッシュ大統領が「強いアメリカ」を叫んで報復の雄叫びを上げ、米国人が喝采する。湧き出した評論家がアフガン情勢を語る。これが芝居でなければ、みな何かにとり憑かれているように思えた。私たちの文明は大地から足が浮いてしまったのだ。
 全ては砂漠の彼方にゆらめく蜃気楼の如く、真実とは遠い出来事である。それが無性に悲しかった。アフガニスタン! 茶褐色の動かぬ大地、労苦を共に水を得て喜び合った村人、井戸掘りを手伝うタリバーン兵士たちの人懐っこい顔、憂いをたたえて逝った仏像--尽きぬ回顧の中で確かなのは、漠漠たる水なし地獄にもかかわらず、アフガニスタンが私に動かぬ「人間」を見せてくれたことである。「自由と民主主義」は今、テロ報復で大規模な殺戮を展開しようとしている。おそらく累々たる罪なき人々の屍の山を見たとき、夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、報復者その人であろう。瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である。
                                 (2001年9月22日)



 9月以降、ペシャワールに、各国のNGOなどの団体が集まってきます。「空爆が始まればペシャワールに難民が逃れてくる。その支援が必要だ」というのが、その理由でした。

 講演では一言も触れられませんでしたが、著書の中で中村さんはこれらの団体に対して厳しい批判をおこなっています。長くなるのでここでは割愛します。

 中村さんたちPMSは、これらの団体がまったく的外れのことをしていることがわかっていました。なぜなら、多少裕福な市民は、この時点では既にペシャワールに逃れており、カーブルに残っているのは、逃れることのできない飢餓避難民であること、空爆が始まったとしても彼らは逃れることは不可能であるからです。
 中村さんは、著書の中で、こう叫んでおられます。

 「本当に緊急に支援が必要なのは今!アフガン国内なのだ。米国の空爆を前提として国外で避難民を待つよりは、避難民を出さない努力、即ち暴力的な報復爆撃をやめる努力が必要だった」

 と。
 そして、中村さんという人間のすさまじさは、叫ぶだけではなかったことです。


 こうしたなかでも、井戸掘りは部分的には続行され、3つのアフガン東部の診療所、カーブルの5つの診療所は運営を続けられていたそうです。
 そして、9月下旬、中村さんは決断し、指示を出します。

 「残ったカネをはたいて食糧を買い、空爆前にカーブルで配給せよ。医療関係、水関係を問わず、PMS総力をあげて実行されたし」


 中村さんは著書でこのときのことをこう書かれています。

 やけくそと言うよりは、最前線の部隊が最後の吶喊を敢行、「せめて刺し違えてでも」という心情に近かった。世界中が寄ってたかって「アフガニスタン」を論じている間にも、飢えた人々が彷徨い、病人が死んでゆく、「国際世論の愚かな騒ぎに付き合っている暇はない」と思わざるを得なかったのである。
 だが、この「食糧緊急支援」の指示は、パキスタン・アフガニスタン両国籍の職員の心に灯をともした。それまで、テレビやラジオのスイッチを押せば、いつ空爆が始まるか、どこがやられるか、イスラムの非民主制や後進性、米国民の怒りなど、元気の出ないニュースばかりが流される。イスラム教徒であることがまるで罪人であるかのような錯覚さえ持たされる。自分たちはこれからどうなるのか、いったいどうしたらよいのか、不安と迷いが支配していた。反米義勇軍に志願したり、外国に逃亡したりする者も後を絶たない。--こんな中で、一つの明確な大義と指針を得た気がしたのである。
 正義・不正義とは明確な二分法で分けられるものではない。敢えて「変わらぬ大義」と呼べるものがあるとすれば、それは弱いものを助け、命を尊重することである。それなのに、世界中が何かに気兼ねして、当たり前のことが公言できない雰囲気である。あの状況下で、「院長命令で」、その大義を堂々と掲げて実施できる、そのことに皆の気持ちが束ねられたのである。
 こうしてペシャワールとジャララバード現地で、職員たちの猛烈な活動が始まった。
 私はと言えば、当面の全精力を資金調達に注ぐことが使命だと信じた。政治的と取られるスローガンを一切掲げず、ひたすら「命の尊さ」を訴えることである。「わしは犯罪以外なら、何でもやる。君らは送られるカネでひたすら食糧を買い込み、速やかにカーブルに送れ」と厳命して、再び日本へ発った。



 資金集めの当初の目標であった2億円は、10月末までに突破。翌年1月には6億円に迫ったそうです。
 なかには、同時多発テロ事件の犠牲者遺族からも募金が寄せられたそうです。その方は、戦中に青春を過ごされた方だそうで、添えられていたメッセージが著書の中で紹介されていました。

 「--犯人たちがただの殺人鬼でなかったことを願うばかりです。息子を亡くしたことは悲しいですけれども、自分も特攻隊の青年たちのことを思えば、いくばくかの同情を禁じえません。補償金の半分をテロ事件の犠牲者に,、半分を貴会に献じます。アフガニスタンで犠牲になる人命のため、お役立てください」


 もちろん、講演では、こんな話はまったくなく、食糧支援をおこなったという事実だけが話されました。


 10月9日、とうとう空爆が始まりました。「空爆前に」ということは果たせませんでした。しかし、中村さんたちは、空爆下のカーブルへの食糧配給を強行します。
 10月15日、20人の志願した有志職員によって、第一陣、小麦粉と食用油を満載した50トン積みダンプカー12台がカーブルに出発しました。
 3隊に分けて、空爆を受けて1隊が任務を遂行できなくなっても、他の隊が任務を果たせるようにしました。
 次の写真は、現地に到着し、配給するPMSのトラックと集まった民衆です。

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 さらに、第2陣、第3陣と続けられ、2ヶ月間に1800トンの小麦粉と20万リットルの食糧油が送られ、飢餓に直面した15万人が冬を越せることになりました。



 旱魃は収まりませんでした。井戸やカレーズの確保はすすんでいましたが、地下水位が低下し、井戸が枯れはじめ、維持作業も追いつきませんでした。
 その頃、アフガンは、砂漠化した各地から流民が大都市に集まり難民化していました。空爆も拡大の一途をたどっていました。もう一刻の猶予もなりません。
 そこで、中村さんは、「農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」という立場から、灌漑用の用水路の建設をすることを決意します。食糧配給用に寄せられた寄付の余りを全てつぎ込む第1期工事13キロ、総延長20キロの用水路です。

 2003年3月12日、中村さんは、ジャララバード事務所の職員一同を集め、計画を宣言します。

 「諸君、この2年間、飲料水確保、カレーズ再生、空爆下の食糧配給と、PMSの旗の下、多くの同胞たちが君たちの活動で救われてきた。今、米軍の進駐にともなって大きな変化がアフガニスタンに起きようとしている。多くの国際団体がやってくるだろう。
 しかし、我々の活動は変化しない。どんな政治勢力がやってこようと、人々の厄災が続く限り、私は君たちと居るだろう。我々はこれまで方針を変えなかったし、これからも変えることはない。混乱が続き、多くの外国人が出たり入ったりするだろう。君たちの中にも、辞める者があるかもしれない。
 しかし、勘違いしてはならない。これまでのPMSの仕事は手始めであった。今後、更に大きな挑戦に乗り出すだろう。今、周囲を見たまえ、どれだけのアフガン人が故郷で安心して暮らせるだろうか、食べ物はなし、緑はなし、カネはなし、水さえないのだ。
 アフガン復興は、外国人だけの手に委ねられるものではない。君たち自身の手によらねばならぬ。干からびた大地を緑に変え、本当に実のある支援を我々は目指す。その大きな挑戦として、用水路を建設して豊かな故郷を取り戻す。議論は無用である。一致して協力し、復興の範を示すことが我々の使命である。これは、我々の武器なき戦である」
                          (「医者、用水路を拓く」より)



 日本なら、大金を積んでゼネコンに依頼すれば、コンクリートに固められた用水路ができたかもしれません。
 しかし、そんなお金はありません。
 素人たちによる試行錯誤が始まりました。
 中村さんは、アフガニスタンはもとより、日本でも川を見てまわり研究します。「江戸時代の日本の土木事業が大変役に立った」と言われました。
 次の写真は、全長13キロに及ぶ用水路の見取り図です。

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 護岸は、コンクリートで築くことは不可能でした。もちろん、資金が足りませんし、巨大なコンクリートブロックを設置する重機がありません。
 しかも、コンクリート護岸は、何年かたつと壊れてしまい、現地での修復は不可能です。
 中村さんたちは、蛇籠工法と柳枝工を選びます。
 蛇籠とは、鉄線で籠をつくり、現地に無尽蔵にある石を入れてブロックにし、それを積んで護岸にするものです。それだと、何かの力が水路に加わっても、ブロック自体が変形して護岸を守ります。
 柳枝工とは、護岸の上に繁殖力旺盛な柳を植え、蛇籠の背面から水路の底に無数の細い根を張り出し、水路を守ります。また、蛇籠とその中の石の間にも根を張り巡らせ、蛇籠ブロックを守り、蛇籠の鉄が腐食したあとでも、柳の根がブロックを守ります。

 下の写真は、実際に、蛇籠工法と柳枝工でつくられた現地の用水路です。蛇籠の護岸がわかるでしょうか?

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 厚い岩盤の壁を乗り越え、様々な理由による地域住民などとの軋轢、枯渇する資金など、困難は山ほどあったようです。
 時には、米軍による機銃掃射の攻撃も。
 下の写真がわかるでしょうか?写真の中央あたりに飛んでいるのが米軍のヘリです。
 用水路建設中に、米軍のヘリコプターが突然機銃掃射をしてきたそうです。中村さんらは強く抗議しました。日本大使館の説明によると、抗議に対して米軍当局は、「我々は、疑わしきは攻撃してから、確認する」とこたえたそうです。

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 そして、第一期工事13キロがついに完成します。
 下の写真を見てください。一面、砂漠化した大地です。

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 次の写真は、用水路が完成した後の上の写真と同じ場所です。
 砂漠の大地が緑の大地に変貌してきている姿が目の当たりにされます。

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 住民たちは歓声を上げ、水路に飛び込む者、家畜をつれて水浴びをさせる者など、大変な騒ぎになったそうです。

 そして、この用水路から、分水路が張り巡らされ、農地に水が行き渡ります。中村さんたちは、試験農場をつくり、この地に適した農作物を見つけていきます。
 中村さんたちが現在、適した作物として奨励しているのは、サツマイモとソバだそうです。
 下の写真は、その試験農場の様子です。

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 「用水路がつくられている」と聞いた人々が、次々に故郷に帰ってきました。そして、用水路事業に加わってきます。
 何の宣伝もしていないのに、旱魃のため農地を捨てて都市に出て難民化していた住民が、「用水路ができた」といううわさを聞いて、大挙して戻ってきました。下は、その時の様子を写した写真です。

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 4つ前の砂漠化した大地の写真の真ん中下に2つの小屋が写っていると思います。この小屋には、当時、大きな看板が掲げてあって、「難民帰還計画・住居計画」と書いてあったそうです。国連のプロジェクトです。
 机の上で考えたどんな立派なプロジェクトがあっても、どれだけの大金がそのプロジェクトのためにつぎ込まれたとしても、水がなければ人々が戻ってくることは不可能です。
 中村さんは、「『用水路ができる』という噂話の方が、どんな立派な難民帰還プロジェクトよりもすぐれていたということです」と話されていました。



 中村さんは、PMSが現地で活動できたのは、アフガン人の「日本への親密度」があったからだと言います。
 大半のアフガン人は、アフガニスタンと日本の独立が同じ日だと信じているそうです。そして、どんな山奥に行っても、住民は日本のことを知っていました。アフガン人たちが日本について連想するのは、日露戦争とヒロシマ・ナガサキだそうです。
 日露戦争については、100年前のアジアは、ほとんどの国が欧米の列強の植民地ないしは半植民地とされ、かろうじて独立していたのは、日本とアフガニスタンでした。そこで、極東の小国・日本が、時の大国・ロシアを撃退した。「小国であっても大国に立ち向かって独立を守った日本」という強いイメージがあるそうです。
 ヒロシマ・ナガサキは、単に大量殺戮への同情ではなく、その後、あの廃墟から立ち直って繁栄していること、そして、「繁栄した国はたいてい戦争をするが、日本は半世紀にわたって他国に軍事干渉しなかった」という賞賛、「平和国家・日本」「戦争で儲けない国・日本」というイメージです。
 かなりの誤解は含んでいるとは思いますが、他国からの干渉を受け続けてきたアフガンの国民にとって、国としての理想の姿を求めた結果なのでしょう。

 中村さんは言います。「日本人であることが、最大の安全保障だった。しかし、昨今の『国際貢献』や「国際社会に伍して』という主張は、これらを自ら葬り去るものであった」と。




 中村さんは、講演の最後に、おおむね次のように言われました。うろ覚えなので、あしからず。
 「この間の活動を通じて感じるのは、『助けることは助かることだ』ということです。金さえあれば、武器さえあれば何でもできるという迷信から自由になり、人間が最後まで失ってはならない誇りということを学ぶことができました」



 いま、PMSは、大きな変化をすることを求められています。パキスタン政府の横槍により、ペシャワールでの医療活動を続けることが困難になり、ペシャワールを撤収し、基地病院をジャララバードに移す活動がすすめられています。
 用水路の第2期工事や農業、植樹の活動も旺盛におこなわれています。


 最後に、著書「医者、用水路を拓く」の「あとがき」の終わりの部分を引用しておきます。

 --日照りの夏には涙を流し、恵みの雨に感謝する。用水路が延びて砂漠に水が流れ、緑地が増える毎に皆と小躍りする。外国兵の横暴に憤り、親しいものが死ねば悲しみ、病で斃れる子に胸を痛め、収穫が多ければ共に感謝する。それだけのことだ。そして、それ以外に何ができるのだ。
 上空を軍用機がけたたましく飛び交い、私たちは地上で汗を流す。彼らは殺すために飛び、人々は生きるために働く。彼らは脅え、人々は楽天的だ。彼らは大げさに武装し、人々は埃まみれのオンボロ姿だ。彼らは何かを守るが、人々には失うものがない。
 「民主国家? テロ戦争? それがどうしたって言うんだい。外人とお偉方の言うことは、どうも解からねえ。俺たちは国際正義とやらにだまされ、殺されてきたのさ。ルース(ロシア=ソ連)もアングレーズ(英米人)も、まっぴらだ。世の中、とっくの昔に狂ってる。だから預言者も出てきたのさ。それでも、こうして生かせてもらってる。やつらのお陰じゃあない。神の御慈悲だよ。まっとうに生きてりゃ、怖いことがあるものか」
 これが、人々と共有できる私の心情でもある。

 最後になりましたが、本書は心ある日本の方々、その平和への願いから生まれた結実の報告だともいえます。私の現地活動が長いとはいえ、これほどの仕事は2万人の会員と支援者の支えがなければ出来なかったでしょう。私たちが募金だけで年間3億円に上る事業がこなせているのは、大きな意味がありました。「平和主義」という理念上の問題ではありません。平和が武力に勝る力であることを実証し、本当に現地の民衆に必要とされるものを自由に汲み取り、緩急自在、ある程度の試行錯誤が許され、実のある事業を継続できたのは、自分が参加するように献じられた良心的な募金に支えられていたからです。
 現地事業は、野心や利害、対立や矛盾を超え、日本と現地の人々との共通の良心の協力だと述べて、少しも誇張ではないと思います。紙面を借り、日本ペシャワール会と多くの支援者、日本人ワーカーたちの働きに心から感謝します。(後略)


 長い長いレポートは以上です。
 これを書くために、中村さんの著書を再読するたびに、流れそうになる涙をとめられませんでした。

 いままで、自分のブログに書いたものをみなさんに読んでほしいと思ったことは一度もありません。自分勝手な書きなぐりでしたから。
 でも、このエントリに関しては、できるだけ多くの人に読んでほしいと強く思っています。長く、そして稚拙な文章ですが、中村哲という男の生き様を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。


 長くて、読みづらい文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
 心から感謝しているポチでした。
 では、また。

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2007年12月 1日 (土)

国の仕打ちに怒りの一万人集会

 ポチです。
 12月になりました。いよいよ今年もあと30日。今年も忙しく過ぎていくなあ・・・。


 さきほど、岩国から帰ってきました。 さっそく、「国の仕打ちに怒りの一万人集会」のレポートを書きます。

 実は、今夜、車を運転して大阪まで行かねばなりません。先日のブログでも少し書いたのですが、大阪にいる下の娘が空き巣に入られまして、アパートを引っ越すことになりました。それで、引越しを手伝って、いらない荷物をうちに持って帰るためです。
 ということで、早く寝る必要があります。ですから、レポートといっても、写真集という感じになりますが、あしからず。


 「国の仕打ちに怒りの一万人集会」は、地元・岩国はもちろん、県下各地、全国から1万1千人が参加し成功しました。のぼりや旗などを私が見かけたものだけで、広島、岡山、福岡の近県はもとより、兵庫、大阪、京都、静岡、熊本、・・・・ん~、あと覚えていない。ごめん・・・・など、わずか1時間の集会に遠くから駆けつけていただいて、ありがとうございました。

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 主催者の方のあいさつのあと、登壇した井原市長は、最初に、「今、基地の問題で有名になっている岩国だが、本当は観光の街。今日もせっかくいらしたのだから、ぜひ錦帯橋を渡ってください」とのべられました。
 ということで、錦帯橋の写真をご堪能ください。本当に美しい橋です。

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 集会と錦帯橋という感じで、もう一枚。
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 そして、本題に入った井原市長は、「『艦載機の移転を受け入れて、お金をもらったらいいじゃないか』という人もいるが、そうは思わない。住民の安全と暮らしをお金に変えるわけにはいかない。けっして、むやみに国に逆らおうと思っているわけではない。しかし、納得できなければ前に進めない。最後まで住民を守る立場を貫きたい」と強く訴えられました。
 あいさつされる井原市長です。
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 もう一枚、別アングルで。
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 岩国城をバックにもう一枚。
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 集会で採択されたアピールを紹介しておきます。

         怒りの一万人集会アピール

 いま岩国市は4度にわたって予算案が否決され、財政は重大な局面を迎えています。このような混乱の原因は、約束を守らない国にあります。
 庁舎建設補助金は、KC-130空中給油機移駐のみかえりとして国が約束し、すでに2回にわたり14億円が交付されています。米軍再編はそのあとに出てきた話です。
 汚職疑惑で逮捕された守屋前防衛事務次官は「わが官僚生活に悔いなし」と題した寄稿文のなかで「厚木の艦載機部隊の移駐は自分が思いついた」と述べています。しかし、「厚木にいらないものは岩国にもいらない」のです。
 また、混乱を招いたもう一つの原因は、市の予算案を否決した議員にあります。艦載機受け入れ容認派の議員は「民意は変わった」といいますが、旧岩国市議会で「艦載機受け入れ反対」を全会一致で議決したことを忘れたのでしょうか。
 今回の市議会議員選挙で「反対」を表明しながら予算案を否決し容認を迫るなどをみても、変わったのは「民意」ではなく、そうした議員の方です。
 「現実的対応」とは言ったが、「受け入れ賛成とは一言も言っていない」と詭弁をろうする議員もいます。
 国や県の圧力に対して、市民の安全・安心を守ろうと立ち向かう井原市長をリコールするという動きにも負けられません。
 この清流錦川や錦帯橋のまち岩国を、極東一の米軍基地にしていいのでしょうか。愛宕山に米軍住宅などもってのほかです。
 米兵4人による女性暴行事件のように、日本の法律が適応されない治外法権の状態はゆるせません。日米地位協定の見直しを求めます。
 去る25日には、沖縄で基地を囲む人間の鎖行動が行われ、明日は神奈川の座間市で2万人の集会が開かれます。
 私たちは多くの市民と手を携えて、また全国の運動にも励まされて必ず35億円の庁舎建設補助金を国に出させるまで運動を強めていく決意です。
 同時に、国の仕打ちに怒りの一万人集会の名において、全国の皆さんに呼びかけ、庁舎建設資金を自らの力で作り出すために、全力を尽くすことを宣言します。
2007.12.1
             「国の仕打ちに怒りの1万人集会in錦帯橋」





 岩国市と市民が、「艦載機は来てほしくない」と当たり前のことを言っただけで、何の道理もなく、国の横暴で耐え難い苦難を強いられる。こんなバカなことが許されていいはずはありません。
 苦難を強いれば、言うことを聞くと思っている政府に、今日の集会は、一つの結論を示したと確信しています。
 道理のないことは絶対に通らないんだということを、国に思い知らせてやらねばなりません。

 岩国市民、山口県民をナメンナヨ!

 と声を大にして叫んでいるポチでした。
 では、また。

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