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2007年11月

2007年11月28日 (水)

「ON THE ROAD 2006-2007」が終わって--SHOGO's Words No.18「路地裏の少年」

 ポチです。
 年末、年度末に向けて、仕事の増え方はさらに加速してきています。
 その忙しさを振り切って、母親の体調不良をダシにして、仕事をさぼり、先日、山口市で開かれた中村哲さんの講演会に行ってきました。そのすさまじい仕事振りと、そんなことは微塵も感じさせない素朴な風体に心底感動してきました。
 で、その報告を書いている時間は今日はないので、後日、書くことにします。


 で、今日のテーマは、浜田省吾です。
 昨日、山形県の酒田市でのコンサートがおこなわれ、「ON THE ROAD 2006-2007 My First Love Is Rock'n Roll」ツアーが終了しました。
 2006年9月15日、千葉から始まったこのツアーは、2006年に20会場28ステージ、2007年春には23会場35ステージ、2007年秋には14会場20ステージ、合計83回のコンサートがおこなわれました。

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 酒田でのコンサート終了後、まだ会場を出る準備はできていないけれど、「出待ち」をするファンに、浜田さんは、「外で待っている方に長く待たせるのは良くないよね」と、出てきて最後の挨拶をしたそうです。
 「今日は寒いし、ずっと待っていると風邪を引いてしまうので、ここでお別れにしましょう。本当にありがとう!おやすみ!」
(写真と文章は、ツアー公式ブログからお借りしました)



 浜田省吾は、「もっともチケットのとりにくい歌手の一人」だと言われています。半端じゃない数のコンサートをおこないますが、すべての会場は常にソールドアウト。
 一般発売に至っては、「午前10時から電話受付開始」などとなっていますが、10時ジャストからかけ始めても電話は話し中ばかり、30分後につながったと思ったら、「完売しました」。私は、一度、この一般発売に挑戦して以降、先行予約の抽選に外れたら、あきらめることにしました。
 今回のツアーも、私は、大阪から西の会場のコンサートほとんどすべてに先行予約を申し込みましたが、当たったのは、2006年10月の山口県周南市のコンサートだけ。あとはすべてはずれてしまいました。
 とくに、今回は、「ホールツアー」(2000人から3000人程度のホールばかりでのコンサート)だったので、とくにとりにくかったのだと思います。「ON THE ROAD 2005」は、「アリーナツアー」(1万人から2万人以上入るアリーナばかりでのコンサート)でしたが、大阪城ホールと広島グリーンアリーナの2会場で浜田さんのステージを満喫しました。

 マスコミにほとんど露出しないで、なぜこれだけの集客力をもつことができるのでしょうか。
 私もそうですが、ファンが一過性じゃない、ということは大きいと思います。ほんどのファンは浜田さんの歌を本当に好きなんじゃないかな。もちろん、メロディも彼の声も重要な要素ですが、やはり、彼の歌の歌詞です。
 前にも書いたのですが、彼のコンサートやレコーディングでサキソフォンを吹いている古村敏比古さんが、浜田さんの歌詞のことを話しています。以前、書いたときはうろ覚えだったのですが、サイトを見つけましたので紹介します。

http://www.moment.gr.jp/42/interview.html


 該当の部分を引用しておきます。


4243_furumura_still_1 古村:うん。それで、(中村)雅俊さんのツアーを首になって、ぼーっとしてるところに、浜田さんの話が来て、それが82年の終わりぐらいだったかな。

T:最初はどういう感じのアプローチだったんですか。

古村:いや、うーんと、(竹内)まりやさんのところで舞台監督やってた人が、浜田さんの舞台監督で。今もやってるんだけど、その人の紹介で、サックスのさし、「バンドはあるから、サックスだけちょっとセッションで来てくれない?」みたいな感じで。それがすごいんですよ、あの当時で倉敷と広島と島根、全部2デイズ。「えっ? なんでそんなところで2日も出来るの」って。お客さんもがんがん入って、ロックやって盛り上がってるから、「何でこんなに入ってるの、何?」ってびっくりしつつ、楽しんでやって。「ばっちりじゃん!」みたいな話で、それから翌年もやるようになるんですね。

T:じゃあ、その数日間が、浜田さんとの初めてのツアー?

古村:それもリハも何もなしで、テイクだけ送ってきて。「何?これ」って。

T:全曲?数曲?

古村:ううん。何曲か、5,6曲だったと思うけど、1ステージで。

T:最初、浜田さんとライブやってみた印象って、どんな感じだったんですか?

古村:面白かったし、っていうか、びっくりだよね。ロックやってこんなに客入るんだっていうかさ、僕は洋楽志向だったから、聞いてないですから、「歌詞って大事なんだ」って。音がかっこよきゃいいじゃんぐらいなところでいたんだけど、「そうなんだ、ちゃんと歌詞を聞かせると客はついてくるんだ」みたいな。



 浜田さんの歌には、世の中に反発したり、社会の矛盾の中で苦悩する若者や高校生の気持ちを描いたものがたくさんあります。「反抗期」「独立記念日」「マイホームタウン」などがその代表作でしょう。
 自分の気持ちにピタッとくるのです。
 というか、モヤモヤして自分でも自分の気持ちもよくわからなかったのですが、浜田さんの歌を聞いて、なるほど、自分の思いはそうだったんだって気づかされる。そんな感じでした。

 今日、紹介する歌もその一曲です。
 私が一番最初に聞いた浜田省吾の曲で、浜田省吾にのめりこむことになった曲です。

 頭を殴りつけられたような衝撃を受けました。「こんな歌があるんだ」「こんな歌手がいるんだ」という新鮮な驚きでした。

 1976年4月に出された、浜田省吾のソロになって初めてのアルバム「生まれたところを遠く離れて」の1曲目に収録された曲です。
 コンサートでも必ず歌われる曲です。ソロデビュー30周年ということで、「ON THE ROAD 2006-2007」では(といっても、さっきも言ったように2007年のコンサートには行けませんでしたから知りませんが)、30年前の雰囲気そのままに、生ギターだけで浜田は歌いました。

 「路地裏の少年」です。


          路地裏の少年

Shogo7 真夜中の校舎の白い壁に
訣別の詩 刻み込んだ
朝焼けのホームに
あいつの顔 探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き 机の上
ハーモニカ ポケットに少しの小銭
さよならの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ16
遠い空を憧れていた路地裏で

アルバイト 電車で横浜まで帰る頃は午前0時
古ぼけたフォークギター
窓にもたれ 覚えたての「風に吹かれて」
狭い部屋で仲間と夢描いた
いつかは この国 目を覚ますと
裏切りの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ18
肩すぼめて待ち続けた路地裏で

赤茶けた工場の高い壁に
倒れかけた帰り道
家を出て初めて故郷の母に
“元気です”と書いた手紙
恋に落ちて戸惑う熱の中で
いつしか二人で過ごす夜毎に
やさしさの意味さえも知らないで
訳もなく砕けては手のひらから落ちた
あれは おれ21
細い肩を抱きしめてた路地裏で

口づさめば悲しい歌ばかり
届かぬ想いに胸を痛めて
今日もまた呼ぶ声に応えては
訳もなく砕かれて手のひらから落ちて
今は おれ22
初めて知る 行き止まりの路地裏で



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2007年11月23日 (金)

国の暴挙に手を貸し、市民にとてつもない犠牲を押し付けた許しがたい岩国市議会

 ポチです。
 すっかり冬になってしまいました。各地で大雪の便りが聞かれます。
 


 前回のエントリで「岩国のことを書く」と予告をしていたのに、仕事に追われ、書けないままズルズルと時間だけがたってしまっています。
 この間、とくらさんや岩国の住民団体「風」さんなどから、TBをいただいていますが、返すエントリもなくつらい思いでいました。
 今回も旧聞になってしまいましたが、とにかく書きます。

071117_01 16日、岩国市の臨時市議会が開かれ、国から岩国米軍基地への厚木の空母艦載機移転を拒否していることを理由に補助金がカットされた庁舎建設費35億円に合併特例債をあてるという補正予算案が否決されました。3月、6月、9月に続いて4度目の否決です。合併特例債の申請期限がまもなく切れるので、残された手は基金の取り崩しだけだそうです。
 すべての基金を取り崩せば、当面、今年度はなんとかなるそうですが、来年度には、17億円もの歳入不足が発生するそうで、福祉サービスの削減など、市民生活への影響が心配されています。

 国のまったく道理のない暴挙から市民生活への影響を最低限にするただ一つの道が合併特例債の活用でした。しかし、その道も市議会での否決で閉ざされました。一番の被害者は市民です。そして、市の職員もそうかもしれません。
 国の暴挙に手を貸した市会議員は、どうしてこんなに簡単なことがわからないのでしょうか。

 市民に犠牲を押し付けてアメリカのための政治をおこなう政府。この政府をいただいている市民は、黙って苦痛に耐えているしかないのでしょうか?
 こんな話を聞いたことがあります。

 日本では、米軍機は我が物顔で住宅地のすぐ上を飛んでいく。しかし、アメリカ本国では、農村地でも低空での訓練は禁止。なぜか、それは家畜のためによくないから。

だそうです。日本の国民は家畜以下ってことですね。

 「そんなのはおかしい」って岩国市民が声を上げ、井原市長はその声を正面から受け止めて、体を張ってがんばっています。
 井原さんは、今回の否決で、瀬戸際まで追い込まれていますが、「移転は絶対に容認できない」とキッパリと言い切っています。もともと保守の方ですが、たいしたものです。日本一つらい目を負わされ、日本一がんばっている、日本一の市長さんだと思います(それに比べて宇部の市長の駄目さ加減は・・・・)。
 自治体や市民が反対すれば、米軍再編なんてできっこありません。山口県民の一人として私にも責任があります。移転を許さないたたかいを最後まで貫いていきたいと思います。

 
 「中国新聞」に、今回の否決に関しての各会派のコメントが載っていましたので、紹介します。これを読んでどう思われるでしょうか?
 (1)は「賛否の理由」で、(2)は「市長および議会が今後にとるべき対応」という設問です。
 ちなみに、私のコメントも書き添えておきました。

 補正予算案反対

 ●市政クラブ(四人)細見正行氏
 (1)国の補助金獲得ができなかった政治的責任も明確にしないまま、合併特例債を使わせよというのは言語道断。(2)市長は進退の決断や報酬カットなど責任の取り方を示すべきだ。


ポチ=「獲得できなかった」って、井原市長が怠慢でそうなったとでもおもってるの?約束を破って補助金を出さない国が悪いんじゃないの? なんで市長に政治責任があるのよ? 市長の「進退決断や報酬カット」だって? あんたの進退や報酬カットは?

 ●創政会(四人)宗政久明氏
 (1)これまでも「現実的対応」を求めたが、市長にその姿勢が見られない。(2)市長が判断の根拠に「民意」を言うのであれば、現時点でどうなのか辞職して問うべきだ。


ポチ=だから、市長は市民の立場に立って移転を拒否してるんじゃないの。「現時点でどうなのか辞職して問うべきだ」なんて、自信満々じゃないの。まあ、いいんだけど、それを言うなら、「現時点でどうなのか、議会は自主解散をして問うべきだ」といったらどうですか?

 ●公明党議員団(四人)井上昭治氏
 (1)補助金を獲得すると言いながら、市長は特例債ありきで行動している。(2)(移転容認へ)考え方を変えて補助金獲得の努力を続けるべきだ。


ポチ=だから、あんたらが特例債で組んだ予算を否決するから補助金で予算をつくってたんじゃないの。その補助金は国は出さないって言ってるんですよ。「考えを変えて」だって? よく言いますねえ、公明党さん。去年の10月の市議選のときは、あなたたちは、「移転反対」を公約に掲げて当選したんですよ。「移転に反対してくれる」あなたたちに投票したんですよ、有権者は。公明党のコメントが最悪。

 ●政和会(五人)高田和博会長
 (1)前回否決されたのとほぼ同じ内容。国の補助金獲得の努力がみられない。(2)四度の否決の重みを受け止める必要がある。


ポチ=「努力がみられない」なんてよく言うねえ。井原市長がこの間、どれだけ努力してきたことか。岩国市民でないポチだって、新聞読んでいればわかりますよ。あなたは何か努力したんですか?

 ●憲政クラブ(五人)味村憲征氏
 (1)特例債で急場をしのぐのではなく、市民の利益のために財政再建を推し進める必要がある。(2)市長は、(米空母艦載機の岩国移転への容認を求める)国と協議のテーブルにつかなければならない。


ポチ=急場なんですよ、いま。それをしのがなくて、どうして財政再建なんていえるの? ホントに意味不明。「協議のテーブル」に井原市長がついてないとでも言うの? 冗談でしょ?

 補正予算案賛成

 ●清風クラブ(四人)藤井哲史氏
 (1)特例債充当が、市民に影響を与えない最善の策。(2)圧力に屈し市議会が国と一緒に移転容認を迫るのはおかしい。現状を市長の責任とするなら容認派議員が不信任案を出すべきだ。

 ●共産党市議団(四人)大西明子氏
 (1)日米特別行動委員会(SACO)合意に基づく補助金を国がカットしたのが問題の根源。現実的には特例債を充てないと前に進まない。(2)国に約束通り補助金を出すよう市民レベルの運動を呼び掛ける。

 ●市民クラブ(三人)渡吉弘氏
 (1)艦載機を受け入れても補助金の一部しかもらえない。三十五億円の歳入欠陥が市民に与える影響を考えると合併特例債しかない。(2)手詰まり状態。議員報酬の半額カットぐらいしなければいけない。

 ●リベラル岩国(一人)田村順玄氏
 (1)市民に迷惑を掛けない策は特例債しかない。(2)市長は移転反対を貫き十二月の定例会で再度、同様の補正予算案を出すべき。特例債の申請期限が十一月末というのは国側の言い分にすぎない。



 12月1日(土)に岩国市で「国の仕打ちに怒りの1万人集会」が開かれます。多くの方のブログでも紹介されています。
 お近くの方でこられる方はぜひご参加ください。


「国の仕打ちに怒りの1万人集会」
    12月1日(土)午後2時~3時
    岩国市 錦帯橋の河原


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 宇部市からは、貸切バスが4台出るそうです。自分の車で行っても混雑しそうなので、私もこのバスを利用して行くことにします。
 集会の様子は、また、ブログで報告します。

 以上、国の仕打ちとそれに手を貸す市議会に怒りのポチでした。
 では、また。

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2007年11月15日 (木)

党首会談、辞任表明、そして撤回--小沢発言の考察

 ポチです。
 寒くなってきました。職場の中でも風邪をひいた人が多く、それでなくても忙しいのに、仕事が停滞しています。みなさん、お変わりありませんでしょうか。

 なかなか更新できない、というか、他の方への訪問も含めて、ブログに接しない日々が続いています。今日のテーマは、小沢さんの問題なのですが、書きかけては時間がなくて中断し、また少し書いては中断、ということの繰り返し。小沢さんが辞任表明をしたときから書き始めて、今日までかかってしまいました。


 本題に入る前に、一昨日おこった驚きの出来事を・・・。

 一昨日、友人の結婚式でこちらに帰っていた下の娘が大阪に戻りました。
 夜に彼女から泣きそうな声で電話。アパートに着いてみたら、部屋の鍵が開いていて灯りがついている。怖くて部屋に入れないとのこと。電話で励まして、なんとか勇気を振り絞って部屋に入ってみると、大型液晶のテレビと「命よりも大切」な宝塚の録画がハードディスクに満載のDVDデコーダーがなくなっているとのこと。窓ガラスが割られていたそうです。
 昨日、急遽、上の娘が大阪に旅立ちました。
 このくそ忙しいのに、いろんなことがおこるものです。


 さて、今、岩国で大変なことがおこっています。井原市長がいよいよ追い込まれています。で、そのことも書きたいのですが、その前に、もうすでに旧聞に属することになってしまいましたが、どうしても小沢さんの問題は書いておかねばならないと思っています。
 岩国の問題は、日を改めて書きます。
 

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 ということで、小沢さんをめぐる問題です。
 いろんな方のブログを拝見していると、「こんな見方もあるのか」と驚かされるものにも出くわします。
 小沢さんの深謀遠慮の作戦であるというような見方や民主党の分裂を回避した小沢さんの判断を高く評価する内容、「大連立」はどちらが言い出したのかなどの「真相」を探ろうとするもの、さらには、福田さんや小沢さんの言動そっちのけでのマスコミ批判。


 冷静になって今回の小沢さんの一連の言動について考えてみることが大事なのではないでしょうか。
 小沢さんの考えは、彼の辞任表明会見が一番わかりやすいので、この会見で彼が言ったことを振り返りながらみていきます。


 「大連立」の問題は、どちらが言い出したのか、誰の画策があったのかなどが話題になっていましたが、そんなことは重要ではありません。画策に乗ったにせよ、乗せられたにせよ、明らかに小沢さんは「大連立」に関して「合意」していました。記者会見でもはっきりとそのことをおっしゃられています。

「我々の生活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参院選を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に、政権運営の実績を示すことが、国民の理解を得て民主党政権を実現する近道と判断した」


 そして、なぜ、そう考えるに至ったのかについてですが、彼は、二つのことを言っていると思います。

 一つは、民主党が力量不足で、総選挙にも勝てないからだ、という点です。

「民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民からも『自民党もダメだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』と疑問が提起され続け、次期総選挙の勝利は大変厳しい情勢にあると考えている」

 「自分の党をこんな風に言うなんて」などという声もあったようですが、自分の党の力量を判断するということは大切なことです。問題は、そういうことではありません。

 小沢さんがこのことを口にした最大の理由は、「選挙に勝てない」、「力量がない」ということにしておかねば「大連立」に踏み込めないからなのでしょう。
 面白かったのは、「政権担当能力」について小沢さんが語ったことです。
 7日の辞任撤回の記者会見では、「力量不足といったのは、政権担当能力の話ではなく、選挙で自民党に絶対に勝てるというところまで至っていないということだ」と釈明され、「政権担当能力はない」と発言したことを否定されました。
 しかし、4日の会見では、はっきりと上記のように発言されています。たしかに、自らの言葉としてではなく、「国民」の言葉の引用として話されています。しかし、あえて、この言葉を選択して使われたからには、小沢さん自身に、この言葉を使う必然性があったことは明らかです。
 「大連立」をすすめるために一旦は、「選挙に勝てない」「政権担当能力がない」と言ってみたものの、その道が閉ざされたときに、困ってしまった。
 選挙は、勝つか負けるかはやってみないとわかりませんから、「やっぱり気を取り直してがんばる」と言えばすむわけですが、「政権担当能力がない」のでは話になりません。そもそも政権をめざす意味がなくなり、選挙の際に「民主党に任せてください」とは言えなくなるからです。それで、あわてて「そんなことは言ってない」と否定したというのが本当のところではないでしょうか。
 

 二つ目の理由は、「ねじれ」のままでは「国民のための法案も通らない」からという点です。この点が非常に重要です。

「民主党は、参院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生をはじめ「国民の生活が第一」の政策を法案化して参院で提出しているが、衆院では依然、自民党が圧倒的多数を占めている現状では、これらの法案をいま成立させることはできません。逆にここで政策協議をおこなえば、国民との約束を実行することが可能になる」

 ここに、小沢さんの本質が如実にあらわれていると思います。
 参院選で民主党が勝つということは衆参の「ねじれ」をつくるということに他なりません。そして、当然のことですが、民主党は「勝たしてくれ」と言って選挙をしたのですから、みずから率先して、そして、国民の意思を受けて、「ねじれ」、つまり、「法案がなかなか通らない」という状況をつくったのです。
 それを、「ねじれ」があることを問題であるかのように言うのはおかしなことです。

 そもそも、「法案が成立しない」ということはいけないことでしょうか。
 けっしてそうは思いません。自民・公明が出してくる悪法が成立しないということはいいことです。
 自民党の方は、「法案が一本も通らない」と国民を脅すわけですが、とんでもない話です。民主党が今の自公との対決姿勢を崩さない限り、国民のためになる法案であれば、次々に成立していくでしょう。
 で、小沢さんは、国民のために出している民主党の法案も成立しないじゃないか、と言うわけですが、すぐに成立しなくてもいっこうに構いません。
 参院を通過した国民のための法案が自公が多数を握る衆院で否決される、という構図が次々に展開されるからです。そして、誰が国民生活を苦しめているのかが白日の下にさらされます。それは自民党政権の終焉をもたらす道へと続くでしょう。だから、いっこうに構わないのです。
 小沢さんは、そんなことは百も承知のはずです。
 では、なぜ、そんなことを言い出したのか。
 そうなるのが都合が悪かったのだろうという結論を出すしかありません。つまり、自民党政権の終焉を望まなかったわけです。今の「民主党代表」というは、あくまでも「仮の姿」で、やはり政治的バックボーンはあくまで自民党なわけです。まあ、彼にとって自民党は故郷で、故郷がなくなるというのは困る。いつか故郷に錦を飾りたい。というところでしょうか。

 もうひとつ。小沢さんの、自民党と「大連立」ないしは「政策協議」をおこなえば国民のための法案が通る、国民との約束を果たすことができる、というもっともらしい「お説」について。
 なぜ、小沢さんは、「生活が第一」という公約を掲げて参院選をたたかわれたのか、そして、多くの国民がその民主党に一票を投じたのか。それは、自民・公明の「構造改革」路線のなかで、暮らしをズタズタにされ、将来の展望を見出せず疲弊しきった国民が見た「一筋の光明」だったからです(共産党も社民党も同じようなことを言っていたのですが、マスコミに登場しない両党の主張は国民には伝わりません)。
 つまり、「生活が第一」は、「国民から吸い上げるだけ吸い上げて、国民の生活を破壊し、アメリカや大企業のために一生懸命奉仕する」という自民党政治に対するアンチテーゼ、対決軸だったわけです。自民党には絶対にできない、その対決軸である「生活が第一」の公約が自民党と話し合って実現するはずがありません。実現するどころか、「生活が第一」は吹き飛んでしまいます。
 水と油をいっしょにし、どんなにかき回しても混ざらないのと同じです。
 このことも、小沢さんは百も承知です。
 では、なぜ、そんな「お説」をとなえられたのか。
 不可能であると認識していたにもかかわらず、「『A』ということをすれば『B』は可能だ」と嘘をついたわけですから、「B」を犠牲にしてでも「A」をしたいという意思の表明に他なりません。「A」とは、この場合、もちろん「大連立」ですし、「B」とは「生活が第一」です。


 私は、参院選挙のとき、小沢さんが「生活が第一」と言って、社会保障や農業を守る公約を前面に掲げ、自公の構造改革路線に対決する姿勢を打ち出したとき、「ああ、小沢さんは選挙に勝つために思い切ってハンドルを切ったなあ」と感じました。それまで、どちらかというと、自公と同じ「改革」路線を主張していた民主党からの大転換だったと思います。
 それは、「選挙に勝つ」という点では正しい選択であって、国民にとってはいいことなんですけど、小沢さんの政治心情からいうとまるで正反対になるわけで、「小沢さんは自分の首をグイグイ締め付けることになるなあ。いつまで続くのかなあ」と思っていました。「まあ、次の総選挙までは続くだろう」と考えていたわけですが、私の想像以上にこらえ性のない人だったわけです。


 とりあえず、辞任は撤回し、「総選挙勝利に向けてがんばる」と小沢さんはのべられました。しかし、先行きはまったく不透明だということでしょう。
 ただ、今回の騒動は、いろんな意味でよかったと思っています。
 ひとつは、虚像しか知らないで投票するというのは大変危険で、その点、今回の騒動で、小沢さんの実像の一端を見せてくれたことです。
 もうひとつは、結果として「大連立」が失敗したことです。小沢さんは、本人が好むと好まざるとにかかわらず、自民党と対決せざるを得なくなり、自民党の悪政をさらす役割を引き続き担うことになりました。この騒動が起こる前のように威勢のいい対決はできないのかもしれませんが、それでも、参院で多数を握る政党が自民党と対決してくれるというのは、国民にとっていいことだと思います。


 書いていくうちに、激しく長文になってしまいました。
 もっと短い文章で、間隔をあけずに更新したいものだなあと思っているポチでした。
 それでは、また。

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