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2007年5月28日 (月)

学力と競争――「匿名」さんのコメントに答えて

 ポチです。
 ドタバタしていて更新をまた怠っていました。
 今日はいろんなことが起こる日です。ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。「なんとか還元水」の松岡農水相が自殺をはかられて重態だそうです。・・・あ、今確認したら、亡くなられたようです。
 緑資源機構の官製談合問題の捜査がすすみ、いよいよ逃げられなくなったと思われたのでしょうか。「なんとか還元水」の時に罷免ないし辞任させてあげておいたら、自殺までしなくてよかったのかもしれませんねえ。
 いずれにしても、人の命は等しく重たいものです。心からお悔やみ申し上げます。

 

 さて本題です。
 以前に、義家氏のことを書いたもの(コチラ)に「匿名」さんからコメントをいただいていました。ご返事を書かねばと思っていたのですが、なかなか時間がありませんでした。遅くなりましたが、あらためて、「匿名」さんのコメントに対する私の意見を書いておこうと思います。

 まず、「匿名」さんのコメントを紹介しておきます。

         ―――引用―――

「しかし、教育を崩壊させているのは、自民党・公明党による今の政治ではないでしょうか。教育への権力の際限ない介入、免許更新制による教師の不安定化の促進、「いじめた子には処罰を」というような教育とは無縁の態度、「学校バウチャー制」や「学力テスト」導入による競争の激化と教育格差のいっそうの拡大。」

この意見には、反対です!
「教育への権力の際限ない介入」際限なく介入なんてしてないでしょう。教育というのは、自由にすればいいというものではありません。教育は明日の日本を担う国民を育てるためのものですから、国、政府による介入は当たり前です。むしろ、先生方が何の縛りもなく自由に教育する方がどれだけ危険であるか。考えてみてください。特に日教組なんかに任せていたらどんな国になることか。

学力テストの導入なんて、当たり前のことではないですか。
学校は勉強するところであり、勉強した結果、自分がどれくらいの成績か知りたい人もたくさんいるはずです。

順番をつけることや競争が悪いような感じですが、日本という国は、面積も狭く、資源も何もない国なんですよ。
現在のような豊かな生活を送ることが出来るのは、世界各国との競争に打ち勝ったからこそなのですよ。
日本は、頭で勝負しないで、何で勝負するのですか。頭で勝負するしかないのです。ゆとり教育なんて寝ぼけたことを言っていては、あっという間に韓国や中国に追い越されてしまいます。(もう手遅れかも知れないけど。)

学校を卒業して、社会に出れば、そこは紛れもない競争社会です。
社会に出ても適応できる人間を作ることも教育の一つではないでしょうか。
学力テストがダメだという考えは、一体どんな考えから来ているのでしょうか。生徒に順番をつけさせないためですか。徒競走もみんなで手を繋いでゴールするのですか。

そんなのは教育ではないと思います。
人間は、生まれながらにして、美人もいればブスもいます。頭のいい人もいれば悪い人もいます。スタイルのいい人もいれば、悪い人もいます。
人権は平等でなければなりませんが、能力や容姿は、平等ではないのです。生まれながらにして、不平等なのです。これは紛れもない現実です。

ですから、その人その人の能力にあった教育を受けるのが一番良いのではないでしょうか。それを教育の格差とみるか、個々人に最適の教育とみるか、です。

高度な学問になればなるほど、みんな一緒の教育なんて無理なんです。
一番ビリの人に合わせるような教育をしていたら、日本は世界から取り残されてしまうじゃないですか。

追伸:偶然立ち寄ったHPで、自分勝手な意見を述べさせていただきました。特に名乗るほどの者でもないので匿名とさせていただきます。

    
―――引用終わり―――

 論点としては、大きくいって二つのことだと思います。
 一つは、権力の教育への介入問題で、これについて「当然だ」とのご意見だと思います。もう一つは、「学力テスト」に関してで、「学力をつけるためには必要で、競争も必要だ」というお立場だと思います。

 最初に、権力の介入問題についてです。

 「教育への介入はおかしい」という私の意見について「匿名」さんは「教育内容は個々の教師の自由に任せるべきだ」という主張だと理解されているのかなと思います。
 何を教育するのかまったく自由だとは私も思いません。教える中身について学校や教師によって大きく異なってはいけないと思います。教育基本法が「教育の目的」として定める「人格の完成」のために必要な中身についての一定のガイドラインはあってしかるべきだと思います。

 しかし、私が「権力の教育への介入」といったのはそういうことではありません。

 改悪以前の教育基本法の第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と明記されていました。改悪された同法の16条は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と「国民全体に対し直接に責任を負って」が「この法律及び他の法律の定めるところにより」に取り替えられ、その意味するところはまるで変えられてしまいました。
 そもそも、教育基本法が「不当な支配に服することなく・・・・」と定めたのは、あの戦前の国家権力による介入によって教育が大きくゆがめられたことへの深い反省の上に立ったものでした。
 教育基本法制定時に文部省が中心になってまとめた『教育基本法の解説』は、次のように述べています。

 「国家を唯一の価値の基準とし、国家を超える普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきた」「このような教育は、わが国をして世界を相手とする戦争にまで追い込み、今日の敗戦の災いを招くに至った有力な一因をなした」

 そして、この10条が、先に紹介した改悪法16条の内容にすりかえられたのは、この規定が定められた逆の理由だろうと考えるのは不自然なことではないと思います。
 つまり、「国家を唯一の価値の基準とし」「自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想」を教育の中に侵入させるためだと・・・・。

 実際、04年2月、教育基本法改悪をめざして自民党と民主党の国会議員が結成した「教育基本法改正促進委員会」で、民主党の西村真悟衆院議員が何を言ったのかを紹介しておきます。

 「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって…祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」

 国家のために死ぬことを子どもたちに教え込もうというわけです。


 そして、今まさに、安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」をうたい、憲法9条改定を主張し、「集団的自衛権の行使はできる」として自衛隊の海外派兵をすすめようとしています。それをすすめる梃子になっているのが「教育」なのでしょう。


 では、具体的に、どう介入していこうとしているのかをみていきましょう。

 いま、国会で審議がおこなわれている「教育三法案(「学校教育法の一部を改正する法律案」)(「教員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」)(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案」)」でみてみましょう。

 「学校教育法」では、義務教育の目標に新たに「国と郷土を愛する態度」などを加えて、子どもたちに特定の価値観をおしつけようとしています。また、小中学校などに副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな職を置き、教職員のなかに上意下達の体制をつくろうというものです。

 「教員免許法・教育公務員特例法」では、教員の免許状に10年の有効期間を定め、講習修了を免許更新の条件にしようとするものです。他の専門職では考えられない不安定な身分に教員をおき、国の統制内に縛り付けようというものです。

 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は、教育委員会にたいする「是正・改善」の指示、「是正の要求」などを新たに盛りこみました。これは地方分権の流れにそむいて文部科学大臣の地方への権限をつよめるものです。さらに、私立学校にたいする教育委員会の「指導・助言」を新たに可能としたことは、私学の自主性を侵害するものです。

 これらは、教育への権力統制を具体化したものです。
 さらに、「学校評価制」の導入です。その狙いを隠すことなく、安倍さんは語っておられます。学校を上から徹底的に締め上げて、国家による監視と統制をおこなうというものです。

 「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」(安倍晋三『美しい国へ』)

 それから教育バウチャー制です。生徒数に応じて予算を配分しようとするものです。学校を予算で差別するという介入です。
 学校選択制で人気のない学校や、過疎地の学校は生徒が減った分だけ予算が減ることになります。学校格差は急速に拡大することになるでしょう。ある専門家は、「もはやこれは懲罰的な予算配分に近づく」だと告発しています。


 学校評価制とバウチャー制度については、以前のブログで書いていますので、コチラも見ていただければ幸いです。


 こんなことをして、今の教育が抱えている問題が解決するはずもありません。その狙いは、西村議員の発言で明らかなのではないでしょうか。

 「匿名」さん、私が「権力による介入」を危惧しているのは、こういうことです。そして、実際に、それは確実にすすめられてきています。教育基本法が制定当時定めたことの意味を今一度かみ締める必要があるのではないでしょうか。




 次に、「学力テスト」の問題についてです。
 長くなったので、簡潔に述べます。

 「匿名」さんは、「学力テスト」と「学力をつける」ということが同意語であるように書かれています。しかし、それは違うと思います。
 以前、尾木直樹さんの講演会に行ったとき、尾木さんは、「学力テストで学力はつかない。それは、学力テストが順番を競うもので、学力を伸ばすものではないからだ」という趣旨のことを話されていました。なるほどな、と思いました。

 そもそも、全国学力テストの復活を言い出したのは、04年、当時の中山成彬文部科学相です。彼は当時、「今までの教育に欠けていたものがあるとすれば競い合う心」、「全国学力テストをやって競い合う教育を」と主張し、「学力世界一をめざす」とされていました。

 しかし、日本の「競争主義」は、世界から見ると「克服の対象」になっているのが大きな特徴のようです。
 そもそも、日本が「世界一」になろうという国際学力調査はOECD(経済協力開発機構)がおこなっているPISAという学力調査なのですが、この調査自体が、競争的な学力への疑問を出発点にしているそうです。
 OECDは、PISAをはじめた経過説明でこう言っているそうです。

 「(日本や韓国等の学力の)成功は、他の重要な面、すなわち生徒の間における創造性、批判的思考、自信といったものの犠牲の上になされているのではないか」

 つまり、日本型の学力は21世紀には通用しないだろう、というわけです。

 競争では到達しづらい学力が世界で探究されているときに、競争復活というのは、まったくの方向違いということだと思います。

 「匿名」さんは、競争社会に適応していくためにも学力テストを、と言われます。しかし、今の子どもたちは、格差か平等か、暴力か平和か、多様性の拡大、ネット社会の光と影、そんな中で生きています。その子どもを支える学力の中身が真剣に語り合われるべき時ではないでしょうか。その模索すべき方向が「競争」だとはけっして思えません。
  「学力世界一」のフィンランドでは、学習は、「競争より共同を重視するもの」といわれているそうです。学ぶべきは、ここにあるのではないでしょうか。

 以上が私の考えです。「匿名」さんが再びこのブログに来ていただけるかどうかわかりませんが、一応、これをご返事としておきます。
 もちろん、これで「匿名」さんが納得していただけるとは思っていません。しかし、少なくとも、こういう立場からの見解もあるのだと知っていただければ幸いです。


 それでは、おあとがよろしいようで・・・・。ポチでした。

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コメント

パチパチパチ・・拍手、
もっともなご意見、賛同いたします。
フィンランドの学習方法は、参考になりそうですよね。
(これについての本を購入したまま、未読です^^;)


こういった、流れ者の”一見さん”て、
突然来て、よくも自説をトウトウと書けますね~
長たらしいのは、年長者の常なので(自分含め)
それなりに人生を送ってきた人のかな?
結構多いです、この手の主張の成人?は^^;

投稿: una | 2007年6月 7日 (木) 17時05分

unaさん
コメント、ありがとうございます。

え、そうですか?私は、てっきりこの“一見さん”は若い人なんじゃないかと思ってました。

現場の教師をやってる友人の話を聞いても、教育の破壊と荒廃はたいへんな段階に来ていると思います。
どうすればいいのかわからないのですが、危機感がつのるばかりです。

投稿: pochi | 2007年6月 7日 (木) 20時13分

「匿名」さんです。
私に対するコメントを読ませて頂きました。
私ごときの意見に、長々と、真剣に、コメントしていただき恐縮です。

真剣に考えていることは伝わりましたが、考え方の方向性が私には理解できませんでした。

改悪法?の16条「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」から

『つまり、「国家を唯一の価値の基準とし」「自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想」を教育の中に侵入させるためだと・・・・。』

という結論にたどり着くあたりは、あまりにも飛躍しすぎているのではないでしょうか。
一見、理論的に説明しているように見えますが、無理矢理「軍国主義に戻そうとしている。」という結論に持っていこうとしている・・・いや、持って行ってます。

改悪法なんて言っているのは、衰退著しい日教組と社民党くらいではないのですか?

あなたは、命を懸けて家族を守らないのですか。
国を守るということは、家族を守ることでもあるのですよ。
「命を懸けて国を守ること=軍国主義」ではないのですよ。
不正な侵略に対しては、命を懸けて国を守る、家族を守るのは当たり前のことと思うのですが・・・・あなた方は、このようにいうと、すぐに「戦前・戦中の軍国主義と同じだ!」ととるから困ったものです。

ポチさんは、ゴールデンを飼われているようですが、私もゴールデンを飼っています。
ゴールデンは、おおらかで、無邪気で、わんぱくで、お人好しで、人が大好きで、攻撃的でなく・・・・大好きです。
体が大きくて、じゃれはじめると手に負えないのが玉にキズですが・・・・。
たぶん、この意見には賛同してもらえるんじゃないかな。

そこで、牙を剥かないで、ちょっと視点を変えて、ゴールデンのような目で物事を見てみたらどうでしょう。

ポチさんは、心配症なのか、話が飛躍しすぎのような気がします。

投稿: 異議あり | 2007年6月14日 (木) 00時49分

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