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2007年5月

2007年5月31日 (木)

SHOGO's Words No.12 「I am a father」

 ポチです。
 昨日、ショッキングなことがおこりました。
 ほとんど完成していた更新が何の弾みか消え去って・・・。
 ・・・ガッカリ。そのまま寝てしまいました。


 ということで、気を取り直し、昨日書いたものを思い出しながら書きます。
 半月ぶりの浜田省吾カテゴリーです。
 これまでとりあげてきたのは、けっこう昔の曲ばかりなので、今回は新しい曲を取り上げることにします。
 2005年7月に出された25枚目のアルバム「MY FIRST LOVE」に収録された曲。昨年8月に出された26枚目の「THE BEST OF SHOGO HAMADA Vol.1」にも入っています。

 浜田さん自身にはお子さんはいません。コンサートの時にこう言われていました。「子どもがいないということで、自分の人生には欠けたところがあるんじゃないかと思った時期もある。でも、そうじゃなく、子どもたちはみんなの子どもなんだと思えるようになった(正確じゃありません。うろ覚えです)」。

 2005年のツアーの前に、公式サイトの中で、彼が日記を書いていました。コンサートの日を待ち遠しく思いながら読んでいました。その日記が2006年のツアーパンフに再掲されていました。この曲に関わる部分を紹介します。この曲を書いた彼の気持ちが少しはわかるかもしれません。


7月11日(月)
 7月9日の土曜日、FM東京の生番組を放送している「スペイン坂スタジオ」に、「I am a father」のイントロと間奏の英語の部分を歌ってくれた、“Justine”と“Sean Lisa”が遊びに来てくれた。彼女達はプロデューサーの鈴木さんの娘で、とっても可愛い14歳と11歳の女の子なんだ。
 「Work Out用にMD-MIXを作ってよ」と頼んだら、彼女達のお気に入りの最新サウンドで構成されたMD-MIXを、定期的に送ってくれるようになって、それを聴きながら走ったり、ストレッチをしたりしてるんだよね。
 “My Chemical Romance”なんて、もし彼女達に教えてもらわなかったら、聴かなかったと思うよ。
 鈴木さんにしても、新川君にしても、オレの周りの仕事仲間達は殆ど父親なんだよね。一緒に食事をしても、子どもの話になることが多くて、学校のことだったり、犯罪の話だったりする。
 オレ自身には子どもはいないんだけど、そんな仲間達、父親達のかわりに「I am a father」を書いた。
 例えばさ、家族でドライブに出掛けるとするじゃない、「オレは口下手で上手く言えないけど、こんな風に思ってるんだ・・・」ってな感じで、カーステレオでガーンと流して、一緒に歌ってくれたら嬉しいな。
  (後略)



 2006年のツアーの時のことです。この曲のイントロ(上の日記の“Justine”と“Sean Lisa”が歌っているところです)の最後の「♪yeah he is a father」というところで、浜田さんが、客席をスーッと指差したのです。会場にいるfatherたちに、「君達のための歌だぜ」って言うように。
 ゾクッときました。来ていたfatherたちみんながそう思ったのではないでしょうか。

 前置きが長くなりました。「I am a father」です。


      I am a father

He was so lonely in the days of youth
He never thought of fatherhood
But now his life is like a Merry-go-round
woh
yeah he is a father

額が床に付くくらい
頭を下げ 毎日働いてる
家族の 明日を案じて
子どもたちに 未来を託して
傷ついてる 暇なんかない 
前だけ見て進む

スーパーマンじゃない
ヒーローでもない
疲れ たどり着いた家
窓の明かり まるでダイアモンド
I am a father

TVニュース観るたびに
子どもたちが 巻き込まれた事件
ドアの外 すぐそこまで
近づいてること 感じて眠れない
嘆いてる 暇なんかない 
命がけで守る

チャンピオンじゃない
リーダーでもない
妻と今日一日を
無事に過ごせたことを 祈ってる
I am a father

子どもが幼く尋ねる
「なぜ人は殺しあうの?」
抱き寄せ 命の儚さに
熱くなる 胸の奥・・・


He was so lonely in the days of youth
He never thought of fatherhood
But now his life is like a Merry-go-round

迷ってる 暇なんかない 
選んだ道進む

ムービースターじゃない
ロックスターでもない
明日は今日よりも
いい日になることを信じてる
I am a father

かつて夢見る少年だったこのオレも
今では father





 「YouTube」にあった、この曲のプロモーションビデオを貼り付けておきます。このPVそのものも、一見の価値ありだと思います。
 もともと、このPVは、「Two Love」という短編映画がもとになっています。
 この短編映画は、浜田省吾の2つの楽曲をもとに製作されたものです。名前の通り、2つの愛を描いていて、この「I am a father」をもとに描かれた「キャッチボール」と「Thank You」(そのうち取り上げます)という曲をもとに描かれた「君と歩いた道」という二つのストーリーから成り立っています。
 このPVは、「キャッチボール」を短縮したものです。


 ということで、なんとか書き終えたポチでした。
 では、どうぞ。

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2007年5月29日 (火)

岩国新市庁舎募金の会“風”登場!

 ポチです。
 先日、仕事で岩国市に行ってきました。

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 錦帯橋です。
  錦帯橋の架かる錦川には幾度となく橋が架けられましたが、増水時の激しさのためことごとく流失していました。流れない橋を架けるのが歴代藩主の切なる願いだったそうです。
 初代の錦帯橋は、3代藩主「吉川広嘉」により、延宝元年(1673年)10月1日に竣工しました。中国の西湖に並んだ島から島へと渡された石橋の絵がヒントになったそうです。しかし、この橋は8ヶ月後の大洪水により流されてしました。
 その後5ヶ月を要して二代目の橋は再建されました。
 
1950年9月14日のキジア台風により逆巻く洪水が錦帯橋を直撃し、再び流失してしまいます。
 1953年、2年の歳月をかけて錦帯橋は再建されました。1本の釘も使っていない、「組み木」という技法を生かした名橋としてよみがえりました。橋の長さは橋面にそって210m、幅5m、橋脚の高さは6.6mです。

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 写りがよくないのですが、わかりますでしょうか。左の写真の上の方、小さく写っているのが岩国城の天守閣です。
 川原には、イカ焼きなどの出店が並んでいます。



 さて、本題です。
 この美しい橋がある岩国市は、今大変な問題に直面しています。
 沖縄から米軍岩国基地への空中給油機受け入れの代償として、安芸灘地震で大きな被害を受けた市の庁舎建て替えのための補助金をうけていた岩国市は、米艦載機受け入れを拒否したために、その補助金を途中でカットされてしまいました。
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 左が現在の庁舎、右側が建設中の新庁舎です。
 岩国市は、市役所の横に建っていた市立体育館を壊し、大金を投じてここまで建設しています。昨年度までは国からも14億円の補助金が出されています。
 ここまでやってきて、とても建設を中止するわけにはいきません。
 3月市議会では、艦載機受け入れ容認派議員によって、合併特例債を建設費に当てるという内容を含む今年度の予算を否決してしまいました。

 そして、住民が立ち上がりました。
 国からの前代未聞のイジメ、市議会の裏切りなど、苦境に陥りながら、市民の立場に立って艦載機受け入れを拒否する井原市長を助けようと、「岩国新市庁舎募金の会“風”」が立ち上がりました。

 以下は、会の趣旨です。

 最近の日本政府のやり方を考えると、「はらわた」が煮えくり返るのです。こうして皆様とお話し合いができると「ほっ!」とした気分になれます。
 今の私達に何ができるのでしょうか? 新庁舎建設補助金のことですから、やはり募金活動をするしか考えられません。しかし、これは表面は募金活動ですが、中身は抗議行動になるのです。
 「貧者の一灯」を結集して、岩国の「一隅を照らし」出し、さらに「光を高く高く掲げて」全国へ岩国市民の思いを照らし続けましょう!
 皆様のご支援をお願い申し上げます。

 井原市長からのメッセージも掲載されています。ぜひ一度、寄ってみてください。ポチもわずかですが募金しようと思っています。

 それでは、明日。ポチでした。

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2007年5月28日 (月)

学力と競争――「匿名」さんのコメントに答えて

 ポチです。
 ドタバタしていて更新をまた怠っていました。
 今日はいろんなことが起こる日です。ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました。「なんとか還元水」の松岡農水相が自殺をはかられて重態だそうです。・・・あ、今確認したら、亡くなられたようです。
 緑資源機構の官製談合問題の捜査がすすみ、いよいよ逃げられなくなったと思われたのでしょうか。「なんとか還元水」の時に罷免ないし辞任させてあげておいたら、自殺までしなくてよかったのかもしれませんねえ。
 いずれにしても、人の命は等しく重たいものです。心からお悔やみ申し上げます。

 

 さて本題です。
 以前に、義家氏のことを書いたもの(コチラ)に「匿名」さんからコメントをいただいていました。ご返事を書かねばと思っていたのですが、なかなか時間がありませんでした。遅くなりましたが、あらためて、「匿名」さんのコメントに対する私の意見を書いておこうと思います。

 まず、「匿名」さんのコメントを紹介しておきます。

         ―――引用―――

「しかし、教育を崩壊させているのは、自民党・公明党による今の政治ではないでしょうか。教育への権力の際限ない介入、免許更新制による教師の不安定化の促進、「いじめた子には処罰を」というような教育とは無縁の態度、「学校バウチャー制」や「学力テスト」導入による競争の激化と教育格差のいっそうの拡大。」

この意見には、反対です!
「教育への権力の際限ない介入」際限なく介入なんてしてないでしょう。教育というのは、自由にすればいいというものではありません。教育は明日の日本を担う国民を育てるためのものですから、国、政府による介入は当たり前です。むしろ、先生方が何の縛りもなく自由に教育する方がどれだけ危険であるか。考えてみてください。特に日教組なんかに任せていたらどんな国になることか。

学力テストの導入なんて、当たり前のことではないですか。
学校は勉強するところであり、勉強した結果、自分がどれくらいの成績か知りたい人もたくさんいるはずです。

順番をつけることや競争が悪いような感じですが、日本という国は、面積も狭く、資源も何もない国なんですよ。
現在のような豊かな生活を送ることが出来るのは、世界各国との競争に打ち勝ったからこそなのですよ。
日本は、頭で勝負しないで、何で勝負するのですか。頭で勝負するしかないのです。ゆとり教育なんて寝ぼけたことを言っていては、あっという間に韓国や中国に追い越されてしまいます。(もう手遅れかも知れないけど。)

学校を卒業して、社会に出れば、そこは紛れもない競争社会です。
社会に出ても適応できる人間を作ることも教育の一つではないでしょうか。
学力テストがダメだという考えは、一体どんな考えから来ているのでしょうか。生徒に順番をつけさせないためですか。徒競走もみんなで手を繋いでゴールするのですか。

そんなのは教育ではないと思います。
人間は、生まれながらにして、美人もいればブスもいます。頭のいい人もいれば悪い人もいます。スタイルのいい人もいれば、悪い人もいます。
人権は平等でなければなりませんが、能力や容姿は、平等ではないのです。生まれながらにして、不平等なのです。これは紛れもない現実です。

ですから、その人その人の能力にあった教育を受けるのが一番良いのではないでしょうか。それを教育の格差とみるか、個々人に最適の教育とみるか、です。

高度な学問になればなるほど、みんな一緒の教育なんて無理なんです。
一番ビリの人に合わせるような教育をしていたら、日本は世界から取り残されてしまうじゃないですか。

追伸:偶然立ち寄ったHPで、自分勝手な意見を述べさせていただきました。特に名乗るほどの者でもないので匿名とさせていただきます。

    
―――引用終わり―――

 論点としては、大きくいって二つのことだと思います。
 一つは、権力の教育への介入問題で、これについて「当然だ」とのご意見だと思います。もう一つは、「学力テスト」に関してで、「学力をつけるためには必要で、競争も必要だ」というお立場だと思います。

 最初に、権力の介入問題についてです。

 「教育への介入はおかしい」という私の意見について「匿名」さんは「教育内容は個々の教師の自由に任せるべきだ」という主張だと理解されているのかなと思います。
 何を教育するのかまったく自由だとは私も思いません。教える中身について学校や教師によって大きく異なってはいけないと思います。教育基本法が「教育の目的」として定める「人格の完成」のために必要な中身についての一定のガイドラインはあってしかるべきだと思います。

 しかし、私が「権力の教育への介入」といったのはそういうことではありません。

 改悪以前の教育基本法の第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と明記されていました。改悪された同法の16条は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と「国民全体に対し直接に責任を負って」が「この法律及び他の法律の定めるところにより」に取り替えられ、その意味するところはまるで変えられてしまいました。
 そもそも、教育基本法が「不当な支配に服することなく・・・・」と定めたのは、あの戦前の国家権力による介入によって教育が大きくゆがめられたことへの深い反省の上に立ったものでした。
 教育基本法制定時に文部省が中心になってまとめた『教育基本法の解説』は、次のように述べています。

 「国家を唯一の価値の基準とし、国家を超える普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきた」「このような教育は、わが国をして世界を相手とする戦争にまで追い込み、今日の敗戦の災いを招くに至った有力な一因をなした」

 そして、この10条が、先に紹介した改悪法16条の内容にすりかえられたのは、この規定が定められた逆の理由だろうと考えるのは不自然なことではないと思います。
 つまり、「国家を唯一の価値の基準とし」「自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想」を教育の中に侵入させるためだと・・・・。

 実際、04年2月、教育基本法改悪をめざして自民党と民主党の国会議員が結成した「教育基本法改正促進委員会」で、民主党の西村真悟衆院議員が何を言ったのかを紹介しておきます。

 「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって…祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」

 国家のために死ぬことを子どもたちに教え込もうというわけです。


 そして、今まさに、安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」をうたい、憲法9条改定を主張し、「集団的自衛権の行使はできる」として自衛隊の海外派兵をすすめようとしています。それをすすめる梃子になっているのが「教育」なのでしょう。


 では、具体的に、どう介入していこうとしているのかをみていきましょう。

 いま、国会で審議がおこなわれている「教育三法案(「学校教育法の一部を改正する法律案」)(「教員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」)(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案」)」でみてみましょう。

 「学校教育法」では、義務教育の目標に新たに「国と郷土を愛する態度」などを加えて、子どもたちに特定の価値観をおしつけようとしています。また、小中学校などに副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな職を置き、教職員のなかに上意下達の体制をつくろうというものです。

 「教員免許法・教育公務員特例法」では、教員の免許状に10年の有効期間を定め、講習修了を免許更新の条件にしようとするものです。他の専門職では考えられない不安定な身分に教員をおき、国の統制内に縛り付けようというものです。

 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は、教育委員会にたいする「是正・改善」の指示、「是正の要求」などを新たに盛りこみました。これは地方分権の流れにそむいて文部科学大臣の地方への権限をつよめるものです。さらに、私立学校にたいする教育委員会の「指導・助言」を新たに可能としたことは、私学の自主性を侵害するものです。

 これらは、教育への権力統制を具体化したものです。
 さらに、「学校評価制」の導入です。その狙いを隠すことなく、安倍さんは語っておられます。学校を上から徹底的に締め上げて、国家による監視と統制をおこなうというものです。

 「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査官が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」(安倍晋三『美しい国へ』)

 それから教育バウチャー制です。生徒数に応じて予算を配分しようとするものです。学校を予算で差別するという介入です。
 学校選択制で人気のない学校や、過疎地の学校は生徒が減った分だけ予算が減ることになります。学校格差は急速に拡大することになるでしょう。ある専門家は、「もはやこれは懲罰的な予算配分に近づく」だと告発しています。


 学校評価制とバウチャー制度については、以前のブログで書いていますので、コチラも見ていただければ幸いです。


 こんなことをして、今の教育が抱えている問題が解決するはずもありません。その狙いは、西村議員の発言で明らかなのではないでしょうか。

 「匿名」さん、私が「権力による介入」を危惧しているのは、こういうことです。そして、実際に、それは確実にすすめられてきています。教育基本法が制定当時定めたことの意味を今一度かみ締める必要があるのではないでしょうか。




 次に、「学力テスト」の問題についてです。
 長くなったので、簡潔に述べます。

 「匿名」さんは、「学力テスト」と「学力をつける」ということが同意語であるように書かれています。しかし、それは違うと思います。
 以前、尾木直樹さんの講演会に行ったとき、尾木さんは、「学力テストで学力はつかない。それは、学力テストが順番を競うもので、学力を伸ばすものではないからだ」という趣旨のことを話されていました。なるほどな、と思いました。

 そもそも、全国学力テストの復活を言い出したのは、04年、当時の中山成彬文部科学相です。彼は当時、「今までの教育に欠けていたものがあるとすれば競い合う心」、「全国学力テストをやって競い合う教育を」と主張し、「学力世界一をめざす」とされていました。

 しかし、日本の「競争主義」は、世界から見ると「克服の対象」になっているのが大きな特徴のようです。
 そもそも、日本が「世界一」になろうという国際学力調査はOECD(経済協力開発機構)がおこなっているPISAという学力調査なのですが、この調査自体が、競争的な学力への疑問を出発点にしているそうです。
 OECDは、PISAをはじめた経過説明でこう言っているそうです。

 「(日本や韓国等の学力の)成功は、他の重要な面、すなわち生徒の間における創造性、批判的思考、自信といったものの犠牲の上になされているのではないか」

 つまり、日本型の学力は21世紀には通用しないだろう、というわけです。

 競争では到達しづらい学力が世界で探究されているときに、競争復活というのは、まったくの方向違いということだと思います。

 「匿名」さんは、競争社会に適応していくためにも学力テストを、と言われます。しかし、今の子どもたちは、格差か平等か、暴力か平和か、多様性の拡大、ネット社会の光と影、そんな中で生きています。その子どもを支える学力の中身が真剣に語り合われるべき時ではないでしょうか。その模索すべき方向が「競争」だとはけっして思えません。
  「学力世界一」のフィンランドでは、学習は、「競争より共同を重視するもの」といわれているそうです。学ぶべきは、ここにあるのではないでしょうか。

 以上が私の考えです。「匿名」さんが再びこのブログに来ていただけるかどうかわかりませんが、一応、これをご返事としておきます。
 もちろん、これで「匿名」さんが納得していただけるとは思っていません。しかし、少なくとも、こういう立場からの見解もあるのだと知っていただければ幸いです。


 それでは、おあとがよろしいようで・・・・。ポチでした。

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2007年5月24日 (木)

新宿末広亭

 ポチです。
 先週、出張に出かけていて、帰った後もドタバタと仕事が入って、1週間以上も更新をサボっていました。

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   出張先で、時間があったものですから、新宿末広亭に寄席を観に行きました。生まれて初めての寄席でしたが、なかなか堪能しました。
 落語や漫才やマジックなど、一人(組)が15分程度で、次から次へと演じられます。出演者は知らない人ばかりですが、どなたのも面白かったです。お客さんの入りも8分程度というところで、まあまあだったのではないでしょうか。

 同じものをテレビで観ていたらどうだっただろうかと考えました。きっと、「ナンテつまらん漫才だ」なんていう声を上げていたのではないでしょうか。
 違いはどこにあるのでしょうか。やはり、「寄席」という場の持つ雰囲気といいますか、贔屓の芸人さんが出てきた時は「イヨッ、マッテました!」っていう声がかかります。芸人さんのほうも、そうしたお客さんの反応を楽しみながら、その反応に反応しながら演じられているのがよくわかります。だから、生で観た方がきっと豊かな、というか、あたたかな気持ちになれるのだと思います。この温度は、電波に乗ってやってくるテレビの画面ではけっして伝わらないのだろうなと思いました。
 次にも機会があれば行ってみようと思っているポチでした。



 大事なことが次々に起こっています。書きたいテーマもあとを断たないのですが、まずは中断明けの軽い記事でした。

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2007年5月16日 (水)

地方分権の正体

 ポチです。
 今日から出張。3~4日、留守をします。






 今日の「朝日」におかしな記事がありました。

「猪瀬氏『市議会議員は半分不要』/分権推進委そろって理解」

 15日に開かれた政府の地方分権改革推進委員会で委員の猪瀬直樹氏が「地方自治体は放漫経営」「(財政破たんした)夕張だって大阪市の放漫経営だって、チェックしなかったのは議会」「高い給料をもらって三流の存在。(委員会は)味方につけようなんて浅ましい考えをもっちゃいけない」と発言したとのこと。
 この発言に、委員長代理で前岩手県知事の増田寛也氏や委員長の丹羽宇一郎氏も同調しました。
 そして、記事はこう締めくくります。「権限委譲などで分権論者は『国に厳しく、地方に甘い」と見えがち。しかし、この日は地方側にも分権に向けての自覚、責任感を厳しく求める結果になった」。



 まず、「」なのは、「朝日」の言う「分権論者は国に厳しく地方に甘い」とはいったい何のことなのか、ということです。「地方分権をすすめる」ということは、「国にとっては不利、地方には有利なことをすすめる」ものだと理解さえているのでしょうか。

 たしかに、権限委譲をめぐっては、中央省庁が自分たちの権益を奪われるのはイヤだと綱の引っ張り合いをしていることはたしかです。しかし、国のすすめる「地方分権」なるものをそんな表面的で薄っぺらな理解しかしてないこの記者に無性に腹が立ってきます。

 そもそも「地方分権」なんて、国の支出を減らし、その負担を地方に押し付ける「方便」にすぎません。その代名詞は、なんといっても「三位一体の改革」です。権限委譲なんて、そのなかで派生的にうまれた事柄に過ぎません。

 「三位一体の改革」とは、国庫補助負担金の廃止・縮減、地方交付税の見直し、税源委譲の三つです。

 国庫補助負担金は年間約20兆円。国庫負担金と国庫補助金があります。
 国庫負担金は、国民健康保険や生活保護への負担金など法令にもとづいて国に支出を義務付けているもの。国庫補助金は、私立学校への補助金をはじめ、福祉、教育の制度など特定の事業を奨励するためのものです。
  20兆円のうち、老人医療、介護、保育所、生活保護などの社会保障関係が10兆7000億円(61.2%)、義務教育費などの教育関係が3兆1000億円(18.1%)を占めています。これらは、憲法にもとづく国民の福祉や教育の水準を保障するために、国が支出しなければならないものです。その廃止、削減なんてとんでもない話です。

 地方交付税とは、全国どこの自治体でも標準的な行政水準をおこなうことを財政的に保障する制度です。
 全国の地方自治体は、様々な条件の中で存在しています。都市部にあり、人口密集地で住民税がたくさん入る自治体もあれば、山間地で過疎が広がっている自治体もあります。企業立地がすすみ固定資産税がたくさん入ってくる自治体もあれば、そうでない自治体もあります。
 こうした物理的条件は自己努力ではどうしようもないことです。しかし、現実問題として、住んでいる自治体の財政状況によって受けることのできる行政サービスの水準が大きく異なることは憲法上許されないことです。こうしたことから、国が国民から徴収した税金の中から、それぞれの自治体が標準的な行政をおこなっていくのに必要な不足額を国が交付する、これが地方交付税です。
 これを削るということは、地方交付税の国民の生存権をまもり、地方自治体の財政的な保障をはかるという機能を壊していくということです。

 そして、税源委譲。しかし、委譲されるのは、削減された額の8割だけ。


 これが「地方分権」と称するものの正体です。
 どうして、これが「国に厳しく」「地方に甘い」ということになるのでしょう。「朝日」の見識を疑います。




 そして、そして、猪瀬氏の発言の「」です。

 自治体の財政破たんの原因に、自治体の放漫ぶりがあったことは事実です。大問題だと思います。それをチェックしなかった議会の責任。それもそのとおりです。
 しかし、ちょっと待ってください。問題はそれだけでしょうか。
 アメリカの要求に従い、膨大な公共事業の地方に押し付けてきた責任を無視することはできません。

 1990年3月、当時の海部内閣が日米首脳会談でアメリカに、10年間で総額430兆円もの公共事業をするを約束したことが始まりでした。この首脳会談は、ブッシュ大統領(現ブッシュ大統領のお父さん)が、海部首相を電話一本でよびつけたもので、“ブッシュホン”と皮肉られたことをおぼえていらっしゃる方もおられるのじゃないでしょうか。ちなみに、当時の自民党幹事長は小沢一郎民主党党首でした。
 さらに、94年、自民、社会、さきがけの三党連立の村山内閣は、クリントン米政権の要求にこたえ、430兆円の計画を200兆円も上積みして630兆円にしました。

 10年間で630兆円。年間平均63兆円。日本の国家予算にも匹敵するような金額です。これを国と地方でおこなっていく。
 「必要だからつくる」ではなくて、「とにかくつくる」です。全国に「船の来ない港」「工業団地という名の空地」が次々につくられました。

 このことが自治体財政を危機に追い込んだことは明らかです。
 1990年度には67兆円だった全国の自治体の借金額は、2001年度には190兆円にまでふくれあがりました。ほぼ3倍です。

 もちろん、だからといって地方自治体や地方議会の責任をあいまいにするわけにはいきません。国がいくら押し付けてきたからといって、キッパリと撥ねつければよかったのですから。
 しかし、地方の責任を言うのなら、その大元である国の責任を抜きにするのは、どう考えても片手落ちじゃないでしょうか。

 だいたい猪瀬氏が委員をつとめ、その成果を誇っている「道路公団改革」の結末はどうだったでしょうか。
 高速道路整備計画は温存し、ムダな高速道路建設にいっさい歯止めがかからないという点でも、40兆円もの債務返済の保証がなく国民に巨額の負担を残すおそれがあるという点でも、採算の合わない高速道路建設の建設費という形で、道路特定財源を温存し続けるという点でも、まったく「改革」の看板に値しません。



 たしかに「こんな人が議員なの?」という人がいることは事実です。しかし、だからといって、猪瀬氏のような人に、「放漫」だとか「三流」とか「半分にせよ」だとか言ってほしくないと思ったポチでした。

 ・・・では、また。

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2007年5月14日 (月)

SHOGO's Words No.11 「愛しい人へ」

 ポチです。
 もう5月も半ばになりました。一番いい季節ですネ。
 今週、カミさんのお父さんの13回忌で、16日から19日まで仕事を休んで実家の鹿児島に行く予定でした。久しぶりの遠出のドライブを楽しめるし、ブログに書く材料を入手できると思っていたのです。
 ところが突如として、東京への出張の仕事が入ってしまいました。それも日程はまったく同じ16日から19日まで。休みは返上です。・・・・残念。




 いよいよ、「国民投票法」が成立しました。施行は、2010年。国会に「憲法審査会」が設置され、実質的な改憲論議が始まるようです。
 身の引き締まる思います。
 日本という国の姿をめぐる重大な分岐点に差し掛かった今、将来の日本とそれを担う子どもたちの未来への重い責任が、国民一人一人に突きつけられていると思います。迷うことなく、9条が指し示す方向へ向かわせることが、私たちの使命です!





 ということで、10日ぶりの「浜田省吾カテゴリー」です。
 「SHOGO's words」でとりあげている曲は、浜田さんの歌で「歌詞がいい」と思っている曲だけです。それでも、まだまだ紹介したいと思っている曲はたくさん。

 今日の曲は、1982年の9枚目のアルバム「PROMISED LAND」のなかの一曲です。
 うろ覚えで正確ではないと思うんですけど、05年のツアーの時(だったと思うんですけど)この曲を歌う前に、「片思い」「もう一つの土曜日」などとともに、この曲が「人の評価ということじゃなくて、ソングライターとして自分自身がなかなかのものだと思える曲だ」と浜田さんが紹介していたのが印象的でした。
 やさしいラブバラードです。
 「PROMISED LAND」は、浜田さんのベストアルバムの一つ(本人がそう言っています)。お父さんが亡くなった時、浜田さんはお父さんの柩の中に、このアルバムを入れてあげたそうです。ちなみに、浜田さんのお父さんの出身地は山口県の周防大島。お墓もここにあるようです。


 それでは、どうぞ。


      「愛しい人へ」

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 視聴はこちら→ http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SMER/ShogoHamada/

 ちょっと工夫してみましたが、いかがでしたでしょうか。



 イラストレーターでつくって、JPEGで書き出して、ここに貼り付けようと思ったのですが、ココログは、なぜかこれを写真データとして認識してくれず、貼り付けられないのです。ちゃんと拡張子は「jpg」なんですが・・・。
 なぜなんでしょう。
 いろいろやってみたのですが、できません。それで、しょうがなく、一回プリントアウトして、それをスキャナーで読み込んで、貼り付けました。
 もっと簡単な方法を知っている方、教えてください。

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2007年5月13日 (日)

「付帯決議」って?

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Ts3a0132

 ポチです。
 あ~らよっと!
 ホントに、これっぽっちのビスケットをくれるだけなのに、イチイチ芸をさせるなよな!



 ということで、ワタシの芸を見たいただいた後は本題です。

 国民投票法案が特別委員会で可決されました。明日にも、参院本会議で可決成立するのでしょう。
 この法案に重大な問題点があることは言うまでもありません。最低投票率設けない、公務員の活動制限などです。これらの問題点については、多くの方が指摘をされているところなので、ここでは、特別委員会で法案の可決と同時に自公民の賛成であげられた「付帯決議」の問題に限って書いておきます。


 「付帯決議」は、 「最低投票率制度の意義・是非を検討する」など18項目にも及ぶものです。特別委員会の前日まで話題にもなっていなかったのに、なぜ、こんなものが突如出てきたのでしょう。
 「朝日」によると、こういうこと↓だそうです。

「付帯決議は、民主党が採決を受け入れやすいように与党が配慮し、採決直前に両者でにわかづくりしたものだ」

 なるほど。

 民主党は採決には反対したが、採決の日程には与党と合意しました。採決の日程に合意すれば、多数の与党によって可決されることは当然ですから、「付帯決議」というエサにつられて、可決に手を貸したというところでしょうか。
 でも、おかしいですよね、民主党も。そうなんだったら、採決でも法案に賛成すればいいのに、「付帯決議つけさせたッ」って言って。

 一方で、考えなきゃいけないのは、この付帯決議、ホントに「民主党が採決を受け入れやすいように与党が配慮」しただけの問題なのでしょうか?
 それだけとは思えません。
 だって、衆院では、強引にあっという間に採決しているんですから。

 一つは、そもそもこの法案が欠陥法案だからです。
 その典型例が、公務員や教育関係者の投票運動への規制の問題です。何をどう規制するのか、何を禁止し何を容認するのかまったく不透明な法案になっています。ですから、追加で決議しておく必要があったっていうことじゃないでしょうか。

 もう一つは、法案に対する国民から出されている(あるいは、これから出されるであろう)疑問の声への対応として必要だと考えたのではないでしょうか。
 これの典型例は、最低投票率の問題です。
 国会論戦を通じても、なぜ最低投票率を定めないのかについて与党は最後まで説明しませんでした。
 説明できないですよね。「有権者比で少ない賛成でも改憲できるようにするため」なんて答えられないですもん。
 で、まだまだ知られていない法案の中身が「法」になって、周知徹底をしなきゃいけなくなると、「おかしいじゃないか」って言う声が必ずドンドン出てきます。そのとき、「イヤ~、だから検討することにしてるんですよ」って答えてごまかす準備なんじゃないか、って思うんですね。

 だから、「付帯決議」っていうのは、法案に問題があるってことを示す証みたいなものでしょう。
 そんな国民投票法案がとおっても、なんていうことはありません(というと言い過ぎですね)。憲法守れ!っていう声をさらに豊かに広げ、堂々と改憲勢力を追い詰めていけばいいのではないでしょうか。
 何党支持かなんて問題じゃないです。自民党の支持者だって、公明党の支持者だって、きちんと説明すれば、この法案の欠陥はわかってもらえると思うし、多くの国民は憲法9条に誇りを持っていると信じています。


 ということで、ガッカリするのでなく、顔を上げて、がんばっていこうと思っているポチでした。

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2007年5月12日 (土)

裏切られた思い――義家弘介氏のこと

 ポチです。
 風邪を引いてしまって、寝込んでいました。
 どうも、仕事疲れが抜けないのか、最近、体調がよくありません。
 この何日か、更新しようと、書きかけてはみるのですが、薬のせいか、眠くなったりして途中で挫折してしまっていました。今日は、少し調子もいいので、がんばって更新してみようと思っています。

 昨日、参院憲法調査特別委員会で、「改憲手続法案」が強行可決されました。国会審議の内容も、国民の声も無視したとんでもないやり方です。
 これについては、明日書きます。




 さて、本題です。
 かつて「なかなかのものだな。この人は」って思い、半ばあこがれのようなものを抱いていた人が、実は、「なんだ、そんな人だったのか」と幻滅してしまうことは、裏切られたようで、結構悔しいものです。

 10日付の「朝日」の記事。

「携帯持つ前に道徳教育を/「ヤンキー先生」国会で持論強調/99年「教育の形 崩壊した年」。

 9日に、教育再生会議の義家弘介氏が国会内で講演した中身の紹介記事です。次のように書かれてありました。

 義家氏は携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった1999年を「日本が連綿と守ってきた教育の形が崩壊した年」と指摘。「大人が情報を分別して有害なものを子どもから遮断できた時代から、子どもが直接、携帯から『出会い系』『自殺幇助』などの有害サイトに触れられる時代になった」と説明した。
 そのうえで義家氏は「子どもが携帯を手にする前、0歳から10歳くらいまでに、道徳心をたたき込まなくてはならない。それ以後は、どんな道徳の教えも意味をなさない」と断言。幼児~小学校低学年での同等教育の重要性を強調するとともに、道徳の「教科化」の必要性も訴えた。





Photo_14   義家氏の本は2冊読みました。
 子どもたちに真剣に立ち向かう姿に強く惹かれました。そして、こんな高校もあるんだと感動しました。
 子どもたちを「自分の夢」だと言いきれる教師のいる高校にあこがれました。

(写真は「義家弘介Official Web Site」からお借りしました)

 ちょうどその頃、高校1年だった長男クンが冬休み明けの試験でカンニングをしたのが発覚しました。

 そのちょっと前、彼は、部活の部室でタバコを吸っているところを見つかり停学処分をうけていました。
 停学明けの時、カミさんは学校に呼び出され、「今度、問題を起こしたら、退学も覚悟してもらいます」と言われたそうです。

 それで、カンニングしたことが見つかったと聞いたとき、これは退学かなと思いました。

 その夜、先生が自宅に来るとのことで、「お前、退学になるかもしれんが、どうするんだ」と聞いても、「ウ~ン」と言うばかりです。

 そこで、思いついたのが北星余市高校のことでした。
 その高校がどうも気に入らなかったこともあって、「お前、こんなつまらん高校辞めて、北星余市に行くか?」と言うと、「行く」との返事。「ヨ~シッ」と腹を固めました。
 来られた先生に、話を聞く前にのっけから「高校やめますから」と言ったときのビックリされた顔に、痛快な思いをしました。

 仕事を休み、転入試験を受けに長男クンといっしょに余市に向かいました。
 仕事以外で北海道に行くことなんて初めてでした。
 彼が試験を受けている間に、まだ雪の残るグラウンドを歩きました。ワクワクした気分でした。
 転入試験をうける子どもたちの数は半端じゃありませんでした。「ヤンキー先生」が有名になったことから、すごく多くなったそうです。それで、少し不安だったのですが、まさか、転入試験に落ちることなど考えてもいませんでした。

 結果は「不合格」。
 目の前が真っ暗になりました。もうほとんどの学校の転入試験は終わっています。
 本を買ったり、ネットで調べたりして、途中からでも入れる高校を探しました。
 結局、愛知県のある高校に入ることができました。

 ドタバタしましたが、結果として、この高校を知ることができてたいへんよかったと思っています。長男クンもたぶん満足していると思います。

 この高校のことは、また機会があれば書くことにします。




 で、話をもとに戻すと。
 つまり、そこまで、北星余市と義家氏への思い入れがあったということです。
 「?」と思い始めたのは、彼が北星余市をやめて、横浜の教育委員になったという話を聞いたときからです。
 でも、そのときは、ホントに小さな「?」でした。

 その後は・・・・・。

 彼のサイトを見てみると、相変わらず「熱い」思いが書き綴られています。しかし、・・・。

 今の「教育の形が崩壊している」と彼は言います。たしかに、崩壊している面はあるでしょう。しかし、崩壊させたのは本当に携帯電話でしょうか。
 もちろん、彼の言うことを全面否定するつもりはありません。有害サイトが子どもたちに与える影響の深刻さはそのとおりでしょう。しかし、そのことをもって、日本の教育の形が崩壊したといえるのでしょうか。

 そして、そして・・・・、それへの対策として、なぜ「道徳」なのでしょうか?



 あくまでも「朝日」が書いた彼のコメントであり、彼の言い分を「朝日」が正しく表現していない可能性もあるとは思います(そう思って、教育再生会議のサイトを見てみましたが、確認できませんでした)。
 そのことを前提としてですが、「教育の崩壊」に関する彼のコメントのニュアンスは、「子どもたちが崩れた」というところに重点があるような気がしてなりません。対策に「道徳」がくるのも、そのことを示しています。

 しかし、教育を崩壊させているのは、自民党・公明党による今の政治ではないでしょうか。
 教育への権力の際限ない介入、免許更新制による教師の不安定化の促進、「いじめた子には処罰を」というような教育とは無縁の態度、「学校バウチャー制」や「学力テスト」導入による競争の激化と教育格差のいっそうの拡大。

 いま、崩れているのは子どもたちではなく、教育そのものです。そして、そのもとで子どもたちの成長と発展が著しく疎外されているのではないでしょうか。

 そして、教育を崩壊させているのは、いまの社会の実態、大人たちの実態です。
 「なんとか還元水」の某大臣の言ってることがメチャクチャだというのは、小学生だってわかります。それが国権の最高機関の中では、「メチャクチャではない」と堂々と発言できるし、内閣総理大臣がそれを追認するという今の社会で、どうして、子どもたちが納得できる教育を大人たちがおこなうことができるでしょうか。
 仮に「道徳」教育というのなら、子どもたちよりも、まず真っ先に、松岡さんや安倍さんこそが、その教育を受ける必要があるのではないでしょうか。




 義家氏のHPを読んでみると、「お前たちは、俺の夢だ」と今でも彼は語っています。
 この言葉は、子どもたちに勇気と希望を与えます。
 しかし、いまの義家氏の言動と彼の所属している教育再生会議がやっていることは、子どもたちから勇気と希望を奪っているとしか思えないと言ったら言いすぎでしょうか・・・。


 HPを見ても、彼を慕う子どもたちは全国に多数いることは間違いありません。
 この子どもたちをあなたの誤った夢の犠牲にしないでほしいと強く願うポチでした。

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2007年5月 7日 (月)

岩国市議会のオドロオドロしい決議

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 自分たちだけメシ食いやがって。
 あ~腹減った。
 オレのメシはどうすんだよ!

 


 あ、失礼しました。ポチです。
 今日は、久々に山口県の話題を書こうと思います。

 年度末の仕事に追われていた時に、いろんなことが起こりました。
 その一つが、岩国市の3月定例市議会であがった決議です。

 岩国をめぐる問題については、この間、何度か書いてきましたので、経過については、それを参照してください。
◆12月26日付「『美しき国』にはそぐわないイジメ」
 http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_caaf.html

◆12月28日付「岩国市議会のあきれた問責決議」
 http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_8451.html

 で、3月市議会であげられた決議というのは、次の2つです。
 一つは、「在日米軍再編に係る決議」というものです。全文を紹介します。少し長いですがご勘弁を。

      「在日米軍再編に係る決議」

Top_img  不安定の弧といわれる日本を含む東アジア地域の軍事バランスが崩れていこうとしていることから、在日米軍の再編が喫緊の課題となっているという今日、昨年5月の日米合意及び閣議決定の後、今年の2月9日には米軍再編特別措置法案が国会の提出され、大きな節目を迎えている。
 この間、国から岩国市の議会及び住民に対して、空母艦載機の移駐に伴う諸処の事項について説明が重ねられ、市民の理解が深まったとの声があることは確かである。しかし、一方国と市とのやり取りの中で相互の不信感がめばえてくるにつけ、それがまた市民の不安の種になるという悪循環も生じておるのは事実である。
 こうした状況を憂い、市民の間には「このままでは何も解決せず、将来の展望が開けない。何とかしなければ」という窮状打開の声が起こっている。
 もとより、基地周辺住民の生活環境には最大限の配慮が必要なことは言うまでもない。
 そこで、国からの説明で明確になったことは、岩国市議会として要望決議を出していた最大の懸案事項である「夜間離発着訓練」は、引き続き硫黄島で実施され、恒常的な訓練は岩国及びその周辺では行わないこと、艦載機移駐後の基地周辺の騒音や安全性については、十分な調査を行い万全を期すこと、等広範に渡っている。
 そもそも、国が進める「国民の安全保障政策」と自治体の役割である「住民福祉の増進」の取り組みは、総合的判断と相互関連性によって成立するものである。双方相容れない閉塞状況が続くことは、ともに不幸な道を進む事につながりかねない。
 今こそ、国と自治体のあり方の原点に立ち返り、これを契機にお互いに補い高め合う関係を構築する必要に迫られていると考える。
Top_img02  そこで、度重なる国の説明では、再編は地元の理解と協力の下是非とも実施しなければならないとの強い意志が示されるとともに、特別措置法案において円滑かつ迅速に実施する旨の規定がおかれた今、岩国市のなすべきことは、住民の不安を取り除くべく安心安全を具体的に確保する手立てを講じることと考える。
 さらに、現実の負担に対して、これを少しでも和らげ、さらなる理解と協力を得る不断の努力が払われる必要がある。その際、国民の安全に対する地元の貢献に報いる配慮として、国が用意する地域振興策を導入することも、その一助となりうると考える。
 これらが新たなまちづくりに役立てられ、住民の福祉の増進に資することができれば、基地の負担を補うのみならず、それ以上の成果も期待されるところである。
 苦渋の選択をしなければならない市民にとって納得にいくところにもなる。
 よって、市長におかれては、米軍岩国基地を抱える自治体として、現実の国際情勢の下、国が高度に判断された安全保障上の施策の重要性を理解し、現実的かつ効果ある取り組みをされるよう強く要望する。
 以上決議する。

 というものです。(文中の写真は「中国新聞」のHPからお借りしました)

 ようするに、こういうことでしょう。

◆国がきちんと説明して、市民の艦載機受け入れへの理解はすすんでいる。なのに、市長がかたくなな態度をとっているから市は混乱している
◆NLP(夜間離発着訓練)はしないなどの約束は得られているではないか
◆国の艦載機移転への決意は固い。そうであれば、どう受け入れるのかを市長は考えるべきだ
◆国が移転受け入れの代償として準備する振興策で住民の福祉を向上させればいいではないか。そうすれば、受け入れの負担以上のものが手に入る。

 国の決意が固いのはわかっています。だって、「なんでもアメリカの言うとおり」なんですから。一方で、市民の決意の固さも、住民投票や市長選挙で示されたじゃないですか。市議のみなさんは、どっちの決意を大切にするんですか?という問題です。
 いま、「国の安全保障政策」と「自治体の福祉の増進」が岩国の地で正面からぶつかり合っているのです。それを「お互いに不幸になるんじゃなくて、高めあいましょう」なんて、冗談じゃないです。
 国や米軍の約束なんて当てにならないことは、沖縄の実態が示していますし、なによりも岩国市民自身が肌身に感じているのです。岩国市民は、「心配しなくても大丈夫ですよ」っていわれて、次々に基地強化を受け入れてきました。そして、突然のNLP、多数の基地被害。「もうがまんならん!」って市民は立ち上がったのです。
 ようするに、「振興策」なんですよね。「振興策で福祉の増進を」なんて、ウソばっかり。土建屋さんがいい思いをするだけなんでしょ。
 こんな決議がいとも簡単にあげられることへの怒りがふつふつと湧き起こってきます。

 もう一つは、「国防協力都市宣言を求める決議」という、なんともオドロオドロしい名前の決議です。
 全文は、次の通りです。

       「国防協力都市宣言を求める決議」

 先の大戦以来、我が国は平和と自由のうちに経済や文化を発展させてきた。
 しかしながら、人類の強い平和への希求にもかかわらず、世界の各地で国際紛争が発生し、戦乱の悲劇に遭遇した多くの国々の不幸を私たちは知っている。
 過去の歴史の中で、予期せぬ形で突如として、平和への破壊と侵略が発生し、平和な生活が踏みにじられてしまう事がしばしば起こっている。
 近年、東西冷戦構造の崩壊以降、国際情勢は不安定化に向かい、9・11テロに代表される国際テロなどの新しい脅威の台頭や核兵器、生物、化学兵器など大量破壊兵器の拡散、弾道ミサイル攻撃の危険等々、安全保障環境も大きく変化しており、わが国の防衛問題についても新たな認識が求められている。
 幸いにして、今日、国民の各層に亘り、国の安全と防衛が、国民生活の根幹に関わる極めて重要な事として認識され、国防に対する理解が深まりつつある。
 国の安全なくして平和はなく、平和なくして国民の安穏な生活も反映もありえない。国を守るという事は、私たちの自由で平和な生活を守る事である。
 岩国市は永年に亘り、国防に理解を示し、協力してきたところであるが、わが国をとりまく国際情勢の不透明化に伴う安全保障体制の変化に対応して、新たな理解と協力の必要性を痛感している。
 議会は岩国市に「国防協力都市」を宣言することを求める。
 以上、決議する。



 これをはじめてみた時、一瞬、「戦前にあげられた決議かいな、これは」と絶句してしまいました。
 何か、「ほしがりません勝つまでは」っていう戦前の標語が思い浮かんでしまいました。

 ようするに、「だから艦載機を受け入れないといかん」ということなのでしょう(太字のところ)。
 米軍再編がどうして「国防」という話になってしまうのでしょうか。
 この「決議」のいうとおり、「人類の強い平和への希求にもかかわらず、世界の各地で国際紛争が発生し、戦乱の悲劇に遭遇した多くの国々」がうまれています。そのほとんどの場合、「国際紛争」を起こしてきたのは、誰あろう米軍ではないですか。これが事実です。「米軍再編」とは、より効果的にその「国際紛争」をおこしていくためのものでしょ。それに手を貸そうというわけで、それでは話が逆でしょう。
 岩国市議の方の多くは、そんなこともわからないのでしょうか。



 これらの決議は、34人の議員のうち、賛成が22人、反対11人で可決されました(議長を除く)。
 一番、許せないのは、市議選の前と後でがらりと態度を変えた市議の方がおられることです。
 市議選は、昨年の10月におこなわれました。「艦載機移転に反対」と主張して選挙をたたかった方が17人、「容認派」といわれる方が12人、態度を表明されなかった方が5人、当選されました。
 つまり、17人のうち6人の方が、選挙が終わったとばかりに「容認派」に乗り換えておられるわけです。
 その代表選手が公明党の4人の方です。選挙のときは「反対」を訴えられていたのですが、「民意は変わった」として、この決議案を提案されたのが、なんと公明党なのだそうです。


 ついでに言っておきますと、岩国市議会は、3月議会で今年度の予算案を反対多数で否決してしまいました。
 井原市長さんは、再度、次の議会で予算案を提案されることになると思いますが、そこでも否決されるようなことになったら、再度の市長選、もしくは市議選になるか、いずれにしても、もう一山大きなたたかいになっていくと思います。

 こんな理不尽なことは絶対に許されないという市民の声、県民の声を突きつけていくために、可能な限りはせ参じようと心に決めているポチでした。

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2007年5月 5日 (土)

SHOGO's Words No.10 「家路」(2回目)

   ポチです。
 エ~ッと、今日は、「SHOGO's Words」の10番目。再び、「家路」です。
 「家路」は、去年の12月20日に、このブログをつくって6番目の記事として、浜田省吾さんの歌詞をとりあげた2番目の記事として書きました。

 再び「家路」をとりあげたのは、先日、YouTubeに「ap bank fes 05」での浜田さんの「家路」がアップされているのを発見したからです。

 「ap bank(エーピーバンク」というのは、Mr.Cildrenの櫻井和寿、元My Little Loverのメンバーで音楽プロデューサーの小林武史、音楽家の坂本龍一の3人が出資した資金をもとに、自然エネルギー、省エネルギーなど環境に関するさまざまなプロジェクトに融資をする非営利組織です。

 その「ap bank」が、趣旨の普及と資金集めのために、初めてフェスティバルを開いたのが2005年。7月16日から18日の3日間、静岡県掛川市のつま恋多目的広場でおこなわれました。櫻井さんと小林さんを中心にしたbank bandの他、14人(組)のアーティストが趣旨に賛同して参加しました。

 浜田さんは、4年ぶりの全国ツアー「ON THE ROAD 2005 "My First Love"」の初日を直後に控えていましたが、呼びかけに答え参加し、3曲を歌いました。その1曲がこの「家路」です。

 櫻井さんは、「浜田省吾の歌ならなんでも歌える」と自慢するくらい浜田さんの大ファンで、今回の共演を楽しみにされていたそうです。

 では、再びどうぞ、浜田省吾「家路」です。

       「家路」

青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろしPhoto_10
この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ 迷いの中さまよう

そして孤独なエゴは愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている5039_2
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活(くらし)を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

どんなに遠くても たどり着いてみせるPhoto_11
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

青く沈んだ夕闇に 浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

 ということで、映像をどうぞ↓。埋め込みができなっていますので、下のURLからYouTubeへどうぞ。「ap bank fes 05」の浜田省吾「家路」です。

    http://jp.youtube.com/watch?v=daJFMOyLMjs

 普段のステージの「家路」とはちょっと違いますが、この1曲を聴くためだけに、ポチは、このDVDを購入してしまいました(さっき、「3曲を歌った」と書きましたが、DVDになったのはこの「家路」だけです)。
 ちなみに、この映像では切れていますが、浜田さんがステージから降りた後、櫻井さんが、満足そうに「言うことないや」って言っています。浜田ファンの櫻井さんらしいですね。

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「レジームチェンジに反対します」

 ポチです。
 GWもあと今日と明日だけ。みなさん、いかがおすごしでしょうか。
 今日は一日ゆっくりとして、明日は出勤して、たまっている仕事をしようかと思っています。



 さて、「私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します」というブログで、共同声明が出され、この声明への賛同署名が呼びかけられています。
 ポチのブログに紹介したところで、大きな影響力があるとは思えませんが、少しはお役に立つこともあるかもしれませんので、紹介しておきます。

http://kokumintouhyou.blog98.fc2.com/blog-entry-27.html

 ポチもさっそく署名をしておきました。よろしかったら、ここにお立ち寄りのみなさんももどうぞ。

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2007年5月 4日 (金)

高校野球について思うこと

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 ポチです。
 お姉さんに、無理やりチョッキを着せられ、ポーズを取らされています。
 まだかよ。
 もういいだろう?





 で、本題です。
 今日は、いま「特待生」問題でゆれる高校野球の話をしてみようと思っています。
 かなり、独善的な文章になるかとは思いますが、積年の思いですので、ご勘弁を。そして、「それは違う」というご意見がありましたら、お願いします。

 そもそも、高校野球は嫌いです。
 というか、野球一般も好きではありません。たしかに、野球をするのは楽しいです。体を動かすのは気持ちがいいという点で。でも、野球観戦しようとは思いません。
 率直に言って、野球を一生懸命観ている人に対して「何が面白くて観てるんだろう」って思ってしまいます。だって、あれほど退屈なスポーツはないんじゃないでしょうか。だって、両チームあわせて、18人のプレーヤーがゲームをしていますが、ピッチャーとキャッチャーを除けばほとんどの人は圧倒的な時間立っているだけでしょ。こんなチームスポーツって野球くらいじゃないでしょうか。
 もちろん、好みの問題ですから、野球が好きな人に文句を言うつもりはまったくありません。

 で、高校野球です。
 これは、「好みの問題」では済まされない問題があると思います。
 友人・知人の中には、「プロ野球はそう好きじゃないが、高校野球は好き」という人がたくさんいます。曰く、「純粋なところがいい」「さわやか」「汗と涙の青春群像」などなど・・・。
 ホントにそうでしょうか?
 もちろん、高校球児たちのほとんどが主観的には「純粋」に野球に取り組んでいるであろうことは否定しません。
 しかし、いまや、高校野球は、「純粋さ」の建前の中で、大人たちの金儲けだったり、名誉欲だったり、権威主義という大きな枠の中でしか存在できないものになっているのではないでしょうか。

 野球だけでなく、高校のスポーツ活動の原点は「学校教育の一環」です。当然、学校の正規の部活であるわけですから当然のことです。
 しかし、いまこれが建前になっていないでしょうか。

 ポチは、高校時代、野球以外のスポーツ部に所属していました。当時、けっこう強くて、中国大会2連覇などをしていました。いわゆる「進学校」だったのですが、たぶん、当時のその高校の運動部の中では、もっとも「結果」(勝ち負けという点で)を出していたと思います。

 甲子園の予選の地方大会を前に、全校生徒は体育館に集められ、応援の練習をさせられます。そして、華々しい壮行会がおこなわれ、半ば強制的に応援に行かされます。
 一方、ポチの所属していた部活を含めた他の運動部は・・・・。
 これは、明らかな「差別」です。「学校教育」に当たり前のように「差別」が持ち込まれていることに、なぜみんな気がつかないのでしょうか?

 甲子園に出たこともないポチの高校のようなところでさえそうです。いわゆる「強豪高」などと言われる高校では、もっと激しいことがおこなわれているに違いありません。

 さっきも言いましたが、球児たち一人一人は「純粋」に野球をしていたことを疑ってはいません。しかし、「高校野球」全体はやはり「純粋」ではないのです。

 それを助長しているのが、高校球児がめざしていると言われる「甲子園」という権威とそこから発生する利権です。
 どこの高校スポーツの全国大会に、1試合が2時間前後もかかるようなゲームをするのに、1つの会場だけでやる大会があるでしょうか。大会期間が長期化し、選手・スタッフの宿泊費や応援団の宿泊費の高騰化という弊害を生んでいます(全国大会で応援団が組織されるのは野球くらいのものでしょうが)。
 どこの高校スポーツの全国大会に、毎試合、勝った高校の校旗掲揚と校歌斉唱をおこなう大会があるでしょうか。文字通り、権威主義です。

 そして、その「甲子園」は、高校球児の思いとは無関係に、金儲けと名誉欲の渦の中に存在しています。
 「うちの高校を有名にするチャンス」「名監督としての地位を築く」「立派な大会にして高野連の権威を上げる」、そして、「新聞の拡販の絶好機」・・・・・・。
 甲子園は、この渦の中にズッポリとはまり込んで、もはや、「学校教育」のなかに、「差別」が持ち込まれていることすら気づこうとしません。
 卓球の高校の全国大会がいつ、どこでおこなわれているのか知っている人がいたら教えてほしい(卓球の関係者のみなさん、みすみません。いまや、愛ちゃんで多少メジャーにはなっているとは思いますが、やっぱりマイナースポーツの代表として、すぐに思い浮かぶもので・・・)。
 誰も注目していないかもしれないけれど、彼らも「純粋」に、高校球児となんら変わることなく、あるいはそれ以上に一生懸命がんばっているのです。なぜ、学校をあげて、社会をあげて、マスコミをあげて「差別」されなければならないのですか?





 以上のことが、ポチがこれまで思っていたことです。
 それに、今回の「特待生」問題が加わりました。

 「特待生」の問題について、これまで特別に意識をしたことがありませんでした。高野連が「特待生」を禁止していることすら知りませんでした。
 だって、「特待生」なんて当たり前だと思っていたから。
 たしか、ポチの小学校の時の友人がPL高校に「特待生」で入ったと記憶していますから、そんなもの大昔からあったに決まっているんです。それを、今回調査して「こんなにあるとは知らなかった。けしから」なんて高野連が記者会見していましたが、率直に言って「そんなバカな」っていう気分です。
 しかも、「高校も悪いが、高校生も悪い」みたいなことも言われていました。本当にそうでしょうか。
 「朝日」に、特待生で入った父母の声が紹介されていましたが、家計への心配で公立への転校も含めて考えざるを得ない実態が書かれていました。実感としては、「被害者だなあ」という思いです。

 で、この「特待生」問題ですが、あちこち見渡しても、「特待生のどこが悪いんだ」という主張が目に付きます。
 主な理由は、次のような点だと思います。
 「勉強ができる子には特待がある。野球ができるのも個性、才能ではないか」
 「他のスポーツでは特待が許されているのではないか」
 「能力はあるのに貧しくて高校に進学して野球ができない子どもを切り捨てていいのか」
 極端なのになると「きょうび、スポーツに賞金ができるのは当たり前」という意見もありました。

 本当にそうでしょうか。
 これらの意見のほとんどどれもが「行きすぎはよくないが」というコメントが入っていました。
 特待制度そのものの存在があるかぎり、様々な「行き過ぎ」が生まれるのは必然のような気がします。
 勉強ができる子への特待もどうかと思いますし、他のスポーツには特待が許されるというのもどうかと思います。「能力があるのに切り捨てていいのか」という意見に対しては、別に特待生になって強豪高に行かなくても野球はできると言わざるを得ません。
 さっき言ったポチの友人は、途中で体を壊して野球を断念。途中から授業料を払うようになったと聞いています。たまたま、親にお金があったから転校しなくてもよかったのですが・・・。
 特待制度は、「有名校になって生徒集めをやりやすくしたい」などの「学校教育」とは無縁の大人のエゴで、15歳から18歳の子どもたちの人生を弄んでいるのではないでしょうか。

 ついでに言っておきますと、勉強のできる子への特待制度についてです。
 この特待制度を、野球の特待を容認する理由とからめて、「貧しい子の進学を保障するもの」という意見がありましたが、まったくの誤りです。
 ポチの友人で私立高校の教員をしている人がいます。この高校は、いわゆる「底辺校」と言われています。それで、成績優秀な子を集めるために、授業料ゼロにする制度をつくっています。
 この友人は、「けっきょく、特待をうける成績のいい子の家庭はそれなりに豊かで、貧しい家の子どもは、高い授業料を払っている」と言っていました。

 で、「行き過ぎ」の問題ですが、今回の報道で知ったのですが、優秀な高校生を大学やプロのチームにより高く売るための「ブローカー的な存在」もあるとのこと。さらに、監督にお金が渡る、金銭を要求する監督や関係者もいるとのこと。
 驚きです。
 まさに行き過ぎ。

 結局、問題を助長している大きな問題として、やはり「甲子園」があります。「甲子園」が腐敗と利権と権威の重大な温床の一つであることは明らかでしょう。
 いまこそ、こんな大会はやめるべきだ、ということを声を大にして言いたいポチでした。

 読み直してみたら、きっと思い込みの強い一方的な文章になっているのだろうなあと思います。だから、読み直さずに、エイヤッと送信してしまえ!

 ということで、日頃の鬱憤を晴らしたポチでした。では、また。

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2007年5月 3日 (木)

「時代についていけてない」のか?

 ポチです。
 今日は、施行60年目の憲法記念日です。この節目の日を、私たちは「改憲」を公言する内閣のもとで迎えることになりました。二度と戦争はしないと世界に誓ってスタートした日本がいま、大きな曲がり角を迎えているといえます。

 新聞各紙も憲法に関する世論調査をおこなっています。すべてを取り上げると煩雑なので、「毎日」の世論調査を考えてみます。

 その前に、郷土のホコリ・アベシンゾーくんの憲法記念日に当たっての談話をみておきましょう。

 シンゾーくんは、「憲法制定時には想像もつかなった大きな変化」があり、「我が国を取り巻く国際社会の枠組みも大きく変化」しているとして、これに、憲法を頂点とした基本的枠組みが「ついていけなくなった」と強調します。
 では、「想像もつかなった変化」「国際社会の変化」とは何か?
 シンゾーくん曰く、「経済のめざましい発展やグローバル化」「科学技術の急速な変化」「国民意識の多様化」「など」だそうです。
 さらに、「また」として、「地球環境問題へのとりくみ」「若者が無責任になっている問題(と理解したのですが、たぶんあっていると思います)」などもあげていますが、これも「ついていけなくなっている」問題としてあげているのでしょう。

 けっきょく、いろいろあげていますが、これらの問題との関係で、憲法の「どこが」「どういう点」で、「ついていけなくなって」いるのか、(当然のことですが)論証はまったくされていません。

 結論的に言えば、「ついていけなくなった」という指摘とその例との間には、何の関係もないし、シンゾーくんも「関係がある」と思ってあげたわけでもないと思います。たんに、枕言葉として、今の社会をあらわすそれらしい言葉(経済発展とグローバル化、科学技術、意識の多様化)と国民に「そうだなあ」と思わせる問題(環境、若者)を並べただけです。

 ですから、「ついていけなくなった」。これが一人歩きしていっています。根拠もなく、「何となく」「そんな気がする」程度の話で。

 で、世論調査の結果がかぶってきます。

  ◆憲法を「改める方がよい」・・・51%
        「改めない方がよい」・・・19%
        「わからない」・・・22%
  ◆「改める方がよい」の理由は?
        「時代に合っていない」・・・49%
        「一度も改正されていない」・・・28%
        「米国に押し付けられた」・・・9%
        「自衛隊の活動と9条にかい離がある」・・・9%
        「個人の権利を尊重しすぎている」・・・4%
        「無回答」・・・2%
  ◆「改めない方がよい」の理由
        「9条改正につながる恐れがある」・・・46%
        「議論が尽くされていない」・・・24%
        「積極的理由がない」・・・16%
        「権利制限や義務規定の恐れがある」・・・10%
        「時代にあっている」・・・2%
        「無回答」・・・3%

 「改めない方がよい」と回答した人が、「改憲」策動の本質を見抜き、しっかりとした反対理由を挙げていることが大きな特徴の一つではないでしょうか。この点は、心強いものです。

 しかし、注目すべきは、「改める方がよい」の理由です。
 「改憲」派と言われる人と「護憲」派といわれる人の論争の中心点ともなっている「9条問題」「押し付け」問題は、それぞれ9%。その一方で、全体の8割を占める第一の理由「時代に合っていないから」、第二の理由「一度も改正されていないから」は、「なんとなくそう思う」という程度の理由でしょう。「反対」の根拠と大きな違いをみせています。

 そして、注目すべきは、理由の第一の「時代に合っていない」。その数、約半分。
 これすなわち、シンゾーくんの言う「ついていけなくなっている」です。
 たしかに、「何となく」という程度かもしれません。しかし、憲法誕生の背景や9条をめぐる問題など、あれこれの難しい理屈ではなく、まさに今、この「何となく」が改憲をすすめようとする勢力の後押しを確実にしているのです。

 そして、そして、調査の結果は、「改めた方がよい」が過半数を占めているのです。

 シンゾーくんの理屈を「フン、バカなことを」とけっして軽んじてはいけないと強く思いました。
 中身もない、本当に空虚な言葉ですが、「ついていけなくなっている」に対して、私たちは最大限に警戒していく必要があるのでしょう。
 「ついていけなくなっている」どころか、今も燦然と輝いているし、平和と暮らしを守る砦としての大切な役割を持っている憲法を大いに語っていかねばなりません。
 9条はどういう役割を果たしてきたのか、今も果たしているのか。自民党政府のもとで、暮らしや福祉がどれだけ削られてきたのか、それは憲法25条を踏みにじっておこなわれたもので、今こそ憲法を高く掲げることが大事であること。などなど・・・・。

 1日に、「日本の青空」という映画を観ました。

Photo_6

 憲法が誕生していく様子を、GHQ案のもとになった草案を作成した鈴木安蔵とその妻の生き様を通して描いた映画です。
 これまで、まったく知らなかった憲法ができるまでの様々な過程や問題がよくわかりました。とくに、女性の権利問題で、GHQ案が男女同権を書いたのに対し、「これは、日本の風土にはなじまん」と日本の代表が言い、大きな論争になった点、そこで大きな役割を果たしたベアテ・シロタ・ゴードンという女性の存在などは、たいへん勉強になりました。

 でも、映画としては「?」。率直に言って、なんか不自然で、なじめないところのある映画でした。こんなテーマって、やっぱり劇映画にするには無理があるのではないかと感じてしまったポチでした。

 あ、でも、これ読んで「観に行くのやめた」って言わないでね。勉強になる映画だから、絶対!

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