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2007年3月

2007年3月19日 (月)

孤独な介護の果てに・・・

 ポチです。
 今日もがんばって更新してみよう!
 というか。仕事の合間に新聞を読んでて、胸が詰まるような記事があって、これを紹介したくなったんだけど・・・。

 18日付の「山口新聞」の社会面に、「孤独な介護の末に/夫放置死の妻、来月公判/働きづめもお金なく」という記事が載っていました。
 「山口新聞」の記事だけど、大阪の話なので、きっと通信社からの配信記事だと思うので、他の新聞にも載っていたかもしれません。

 紹介した見出しを見てもわかるとおり、妻が夫を放置して、その結果、夫が亡くなったという話です。どんな話かというと・・・・。




 大阪の淀川区で2月に、庄司忠さん(63)という方が亡くなりました。寝たきりで、食事も満足に与えられず、床擦れから肺炎を起こしたことが死亡原因でした。川沿いのマンションに警察が駆けつけたとき、ゴミが散乱し異臭がただよう部屋のなかで、痩せこけた忠さんの遺体が横たわっていたそうです。

 妻の庄司聖子被告(50)が逮捕され、保護責任者遺棄致死罪で起訴されました。公判は4月から始まります。

  聖子被告は、仙台市出身で、人間関係のトラブルで仙台を離れ、95年に忠さんと結婚して大阪に転居してきました。忠さんは、当時、会社を経営していたそうです。
 しかし、まもなく、その会社が倒産。忠さんは病気になり、2年前からは寝たきり状態になりました。
 聖子被告は、近所の工場でパートで働きました。空気清浄機の部品交換や洗浄を担当するグループのリーダー格だったそうです。このパート以外にも、夜は、焼肉店、週末の深夜はお好み焼き店でもパートとして働きました。
 パート先では、地味だが清潔感のある服装をしていて、店長は、「悪臭なんて信じられない」と言っているといいます。
 働きづめに働いて、月収は約23万円。家賃に7万2千円、消費者金融の返済で5万円が消え、週2回はパチンコに行って、毎月の収入は5万円程度だったそうです。

 聖子被告は、「お金がない」と忠さんを病院にもつれていかず、「散らかっている部屋を見られたくない」と救急車も呼びませんでした。亡くなる直前は、添い寝してジュースを口移しで飲ませていたそうです。

 聖子被告は、「去年の12月に淀川区役所に生活保護のことで相談に行った」と供述しているそうですが、生活保護はうけていません。

 逮捕された後、聖子被告は、遺体を前に「ごめんなさい」と号泣したそうです。

 パート仲間の女性は、「『主人が働けなくて私が世帯主なの』と笑っていた。もう一歩踏み込んで話してくれればよかったのに、弱さを見せない性格で殻を破れなかったのかな」とつぶやいたそうです。

 記事は、家庭での高齢者虐待に関する調査結果を紹介しています。虐待した介護者のうち17.7%が相談相手が不在だったそうです。
 そして、締めくくりに、大学の教授の話を紹介しています。こんな話です。
 「高齢化と核家族化が進み、相談相手がいないケースが増えるだろう。介護者は独りで抱え込まずSOSを出してほしい」





 記事の概要は以上です。
 感想はいかがでしょうか?
 いろんな意見があると思います。
 「なんで7万円もの家賃のマンションに住まなきゃいけないんだ」
 「パチンコに行っていて、お金がないとはおかしい」
 「散らかっている部屋を見られたくないなんて。そんな見栄で夫を殺したのか」
 ・・・・・・・・・・・。
 もちろん、ポチもそう思わないかと言われれば、けっして否定できない部分もあります。彼女の性格や浪費癖。やり方一つ、考え方一つで、夫を死に至らしめるような事態を回避することは十分可能だったでしょう。忠さんの死に直接責任を負うのが聖子被告であることは言うまでもありません。

 でも、「それだけでいいのか」と問いかける自分がいます。
 また、この記事を書いた記者は、介護している人が相談することの大事さを結論としているようですが、ホントにそういう問題なのだろうかと考えてしまうのです。


 収入金額の多寡はともかく、働いても働いても満足に暮らしていくに必要な収入が得られない方(世帯)が急速に増えていると言われています。そして、高齢世帯も増え続けています。高齢者が高齢者を介護する「老老介護」も大きな社会問題です。

 その一方、国は、所得税の老年者控除や扶養控除、定率減税をなくしました。所得税に連動する住民税も大幅に上がります。住民税に連動している各種負担も増えました。増税の嵐が吹き荒れています。「前年と所得の額はまったくかわらないのに、住民税が5倍にもなった」という方がものすごい規模でうまれています。消費税の引き上げも間の前に来ているといわざるを得ないのではないでしょうか。

 また、国や地方自治体は、医療や介護などの社会保険料負担を次々に引き上げています。いわゆる「受益者負担」原則というヤツです。
 ポチは、この「受益者負担」って言葉を聞くと吐き気がします。
 「買い物をしたんだから代金を払うのは当然だ」っていう理屈でしょ、これ?
 もちろん、買い物をすれば代金は払わなけりゃなりません。でも、医療や介護って「買い物」ですか?スーパーで売っているダイコンや豆腐と同じものですか?

 じゃあ、「社会保障」って言葉はいったい何なんでしょう?
 富める者もいれば貧しい者もいます。でも、憲法25条に掲げられた「国民は最低限の文化的生活を営む権利を持つ」という定めに従って、社会みんなでこの国民の権利を支えていこうっていうのが「社会保障」の制度です。そして、それを実際に担うのが国や地方の行政じゃないですか。
 その行政が、「代金払え」なんて、口が裂けても言うべきではないって思うのです。

 紹介した事件もそうですけど、一つひとつの事件には、様々な要素があって、それが複雑に絡み合って出来事を構成しています。「これが原因だ」なんて一言でかたづけられるものではないでしょう。
 しかし、こうした政治のひずみ、ゆがみが大きな背景としてあるような気がしてならないのです。
 もちろん、相談相手がいるにこしたことはありません。でも・・・・・・・。

 あ~、今日も午前様になってしまった。
 この記事を読んでから、いろんなことが頭の中を駆け巡って、仕事に熱が入らずに過ごしてしまったポチでした。
 おやすみなさい。

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2007年3月18日 (日)

米軍基地と住宅開発、不可思議な関係(その2)

 ポチです。
 仕事が終わりました。明日・・・・・もう「今日」になったか・・・・の日曜日も仕事です。寝る前に、続きを書いておくことにします。でないと、いつ続きを書けるかわからなくなるので。



 昨日は、米軍岩国基地が「沖合移設」で在外米軍で世界一の基地になったところまで書きました。
 以上が前振りで、ここからが主題の話になります。

 昨日の地図でもわかるように、「沖合移設」事業のためには、広大な埋め立てを必要とします。山口県は考えました。「よし、住宅団地を造成することにしよう。それで山を削ると、土の捨て場が必要になる。その土を基地の埋め立てに使えば一石二鳥だ」って。
 それで、急きょ、住宅需要の見通しを立てます。そもそも、住宅が必要だから造成するのではなく、基地拡張工事のための埋め立て土砂をとることが第一目的ですから、当然、甘い見通しの需要見通しになるのは当然です。
 埋め立てに必要な土砂の量ほど、山を削るわけで、削られた広さ分の需要があることにしなければ計算が成り立ちません。まさに、無理やりつくられた住宅需要になりました。

 当然、当時から、「過大な見通しだ」との批判はありました。しかし、そんなことはおくびにも出さず、計画はすすみます。

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 点線のところが本来の愛宕山です。それを削って緑色の線の段々の形状にするまで削っていきます。 

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 で、愛宕山から、トンネルを掘り、住宅地をこえ、国道をまたぎ、JRの線路をこえ、ハス田(「岩国レンコン」って言ってハスは岩国の名産です)の上を通って海まで続く、巨大なベルトコンベアーがつくられました。山を削りとった土が、このベルトコンベアーで運ばれていきます。

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 で、この土は、船に積まれ、埋め立て地まで運ばれていくのです。

Dosya7

 こんなふうに↑ベルトコンベアは海まで続いています。
 そして、こんなふうに↓船に積まれます。茶色が運ばれてきた土です。

Dosya8

 (以上の図と写真は山口県住宅供給公社のHPからお借りしました)

 ここまで読まれた方は、「そうか、米軍基地と住宅開発との関係っていうのは、“土砂繋がり”か」と思われたでしょう。
 もちろん、それもあるのですが、実はそれだけではないのが「摩訶不思議」なところなんです。
 続きをどうぞ。




 着々と埋め立てはすすみます。
 そうこうしているうちに、空母艦載機の移転問題が持ち上がります。昨年春には、住民投票がおこなわれ、市長選挙がおこなわれ、どちらでも艦載機受け入れ反対派が圧勝します。
 そして、昨年末です。「愛宕山開発」の破たんが表面化します。最悪の場合、500億円の損失が出ることが判明したのです。

 実は、2002年には、岩国市の持ち家の着工戸数が300戸を割り、周辺の地価も、計画ができた当時から3割も下落。膨大な分譲地が売れる見通しはまったくなくなったのです。損失の負担割合は、県が328億円、市が164億円というとんでもない額でした。

 そんなとき、ある情報が浮上してきました。
 なんと、山口県が防衛施設庁に対し、この愛宕山開発した宅地を空母艦載機部隊の米軍住宅に転用したいとの意向を伝えていたというのです。

 それ以前にも、「愛宕山を米軍住宅に」という話はあったのですが、井原市長さんも周辺住民もきっぱりと反対の意向を表明していた、そんなさなかの出来事でした。

 二井関成山口県知事は、すでに愛宕山開発の中止を表明しています。明言はしていませんが、計画の中止ということは、米軍住宅に転用することを意味しています。これに対して、井原岩国市長は、厳しさに直面しつつも、きっぱり反対しています。
 空母艦載機の移転そのものに市長も市民も反対しているのに、米軍住宅への転用なんてとんでもない話です。

 実は、この愛宕山開発計画は、一戸建て、集合住宅合わせて1500戸、計画人口5600人です。
 それに対して、艦載機移転となれば、厚木基地から移ってくる米兵とその家族は4600人。ただし、これは、今、横須賀に配備されている空母キティホークの場合です。キティホークとの交替で、原子力空母ジョージワシントンが配備されると言われており、そうなると艦載機の数も増え、米兵とその家族の数も5700人になるそうです。
 計画人口が5600人で、移ってくる米兵の数が5700人・・・・・。ぴったり符合すると思いませんか?
 最初から仕組まれていたというのは考えすぎだとは思うのですが・・・・、それでもやっぱり不可思議です。



 いずれにしても、あってはならない話であることは確かです。無責任な計画のあげく破たんして、市民の強い反対を押し切って、基地被害と騒音を撒き散らす米軍基地の強化を手助けすることで、その破たんの穴埋めをしようなんて、けっして許されません。

 地方自治体っていったい何なんでしょうか?今回のような事態に直面するたびに、頭の中が混乱していきます。
 本来、地方自治法では、地方自治体の役割として「住民の安全と福祉を守る」と定めています。しかし、現実は、住民の安全よりも福祉よりも、国言いなり、米軍言いなりの政治が堂々とまかり通って、住民は泣きを見なけりゃいけなくなる・・・・・・。

 山口県でも、まもなく県会議員選挙がおこなわれ、宇部市では市会議員選挙もおこなわれます。一人の有権者として、正しい判断を下したいと思っています。

 ということで、半分寝ながら、なんとか書き終えたポチでした。おやすみなさい。

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2007年3月17日 (土)

米軍基地と住宅開発、不可思議な関係(その1)

 ポチです。
 10日以上も更新できていませんでした。なんとかしなければと思いつつも、年度末の仕事に追われて、自分のブログに向き合うことができず、仕事の合間に、他の方のブログをちょっとだけ訪問するという毎日を過ごしていました。4月いっぱいまではこんな状態が続きそうです。「仕事があることはいいことだ」とプラス思考でいきたいと思っています。
 今朝は、奮起して、睡眠不足も省みず、早起きしてPCに向かっています。出勤までに書き終えることができるかどうか・・・・。

 ポチがよく訪問するブログでは、都知事選のことが様々な立場から論議されていて、「なるほど」とか「?」とか思いながら読んでいます。非常に共感できるものもあるのですが、どうしても理解不能なものもあります。
 で、山口県民ながら、都知事選問題になんとかとりくもうと思ってはいるのですが、これは、書く時間だけじゃなくて考える時間もずいぶん必要なので、今日は書けそうもありません。告示までには、なんとかものにしたいと思っています。




 ということで本題です。
 いま、山口県で大きな問題になっているのが、岩国市の「愛宕山(あたごやま)開発」問題です。岩国市っていうことで、当然ながら「米軍岩国基地」がらみの問題です。
 「愛宕山開発」っていうのは、山口県住宅供給公社が主体になってすすめてきた団地開発です。米軍基地からそう遠くない愛宕山っていう山(といっても「丘」程度のものですが)を削り、団地を造成し、一戸建て850戸と集合住宅を分譲するということで1994年に始まりました。

 「米軍基地と住宅開発とどういう関係なの?」って思われるでしょう。ホント、不思議な関係ですが、これが密接に結びついて、地域の住民と岩国市民、山口県民を巻き込む大問題になっているのです。

 ジャジャ~ン。ミステリーみたいダ。

 そもそも、この「愛宕山開発」の出発点はなんだったかというと、けっして「宅地不足」「住宅不足」ということではなく、米軍岩国基地の「沖合移設」だったのです。

 ご存知でしょうか?いま、米軍岩国基地は、国民の税金2400億円というとんでもない大金がつぎ込まれて、「沖合移設」工事がおこなわれています。「米軍岩国基地の騒音で付近の住民に迷惑をかけている。よって、沖合に基地を移設することで、騒音被害から住民を救う」っていう名目で、この工事が始まったのです。
 ところが、これがとんでもない曲者でした。当初から、住民の中には、「基地強化が狙いでは」という指摘があったのですが、この指摘は的中しました。基地の滑走路を1キロメートル沖に「移す」ということで「沖合移設」といわれていたのですが、なんのことはない、沖合にもう一本の滑走路を「増やす」ということだったのです。
 結果として、基地の面積は1.4倍になります。これは、東京ドームの168倍の面積です。常駐部隊が配備されている米軍の海外の基地でいえば、沖縄の嘉手納基地を抜いて世界最大の基地になるそうです。

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↑「沖合移設」工事前の岩国基地です。錦川(あの有名な錦帯橋が架かっている川です。錦帯橋、知ってますよね?)の三角州、今津川(右)と門前川(左)にはさまれたもっとも肥沃で岩国市のなかでもっともいいところの大半を占める形で米軍岩国基地は存在します。
 で、「沖合移設」工事は、↓このようにおこなわれています。

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 黄色のところが現在の基地。緑の部分が拡大される部分です。左下に昆虫の触覚のように伸びている部分がありますが、この触覚に囲まれた部分が米軍用の港で、水深13メートル。原子力空母など巨大艦船も停泊できる港になっています。(上の写真と地図は山口県のホームページからお借りしました)

 そして、案の定、そこに、厚木基地の空母艦載機の移転問題が浮上してきます。移転するといわれている米軍機は57機。現在いる米軍機と合わせて、120機近くも常駐する米軍基地となります。この規模も、嘉手納を抜いて世界一です。





 ということろで、やっぱり時間切れです。
 結局、前振りの「沖合移設」のところしか書けませんで、愛宕山開発については、まったく触れることができませんでした。これでは、なぜ、基地と住宅開発かが全然わかりませんよネ。すみません。次回に続きます。



 ということで、睡眠不足覚悟で更新に挑戦したポチでした。続きをお楽しみに!(「続きはいつ書くのか」って?・・・・・わかりません。でも、できるだけ早くとだけ言っておきます。そんな人がいるとも思わないけど、もし続きが読みたい方がおられたら、ポチを催促してくださいマセ)

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2007年3月 5日 (月)

野火の祭典

 ポチです。仕事の手抜きをしながら、がんばって今日も更新してみます。

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    ↑「秋吉台の自然」さんよりお借りしました

 ↑秋吉台。ご存知でしょうか? 山口県秋芳町と美東町にまたがって存在する日本最大のカルスト台地です。
 そして、この大地の地下に「秋芳洞」があります。↓

Gallery_photo
   ↑秋芳町のHPからお借りしました

 秋吉台は、戦後、アメリカ軍の射爆場として摂取されようとしていました。住民が、豊かな自然と貴重な財産を守れと秋吉台に集まり、一大抗議運動をおこなったそうです。当時の小沢県知事も、こうした住民の運動に賛同し、政府に直接談判し、その結果、摂取を免れたという話を昔聞いたことがあります。
 その後、ナウマンゾウの化石など貴重なものが次々に見つかっていますが、あの時、米軍の射爆場になっていたら、爆弾でボコボコにされて、今の秋吉台と秋芳洞は存在していなかったでしょう。
 政府に果敢に挑んでいった当時の小沢県知事ってなかなかカッコイイと思います。今は、なんでも「お上の言うとおり」って感じの人が多く、こんな国や米軍にたてつく県知事ってなかなかいませんよね。

 で、なぜ、この話題にしたかというと、昨日、「野火の祭典」っていうのが秋吉台でおこなわれたのです。

Todaysphoto_zoom
    ↑「山口新聞」さんからお借りしました

 秋吉台は、冬に「山焼き」というのをやります。そうすると、台地は5月の連休の頃には、緑一面の草原に生まれ変わるそうです。「山焼き」は今年は2月24日におこなわれました。これは昼間おこなわれます。そして、99年からは、夜の山焼きとして、3月にこの「野火の祭典」がおこなわれるようになりました。それが昨日でした。

 以前、地域の住民の方に聞いたのですが、この山焼きをする準備として、一定の範囲以上に火が燃え広がらないように、火をつける周囲を一定の幅で草を刈っていく(これを「火道を切る」って言うそうです)のですが、これが大変な作業で、最近では、若い人が少なくなって困っていると言われていました。

 写真の左奥の方に、「火」の字が見えるでしょうか?この火文字、一辺が50メートルもあるそうです。




 ちなみに、最初の写真をお借りした「Natur Fhoto Gallarey 秋吉台の自然」さんのHPはhttp://ww5.tiki.ne.jp/~akiyoshidai/index.htmlです。
 美しい写真が満載です。ぜひ、見てみてください。うっとりしますよ。2月の山焼きや3月の「野火の祭典」もバッチリ紹介されています。



 秋吉台と秋芳洞は、数少ない山口県で自慢できるものですね。
 郷土のホコリ・アベシンゾーさんが山口県の評価をどん底まで落としていますけど、これで少しは山口県を見直してほしいなあと思っているポチでした。

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2007年3月 3日 (土)

国旗国歌への「敬意」について考えてみた

 ポチです。
 時間がなくて、なかなか更新できません。ちょっとの空き時間を利用し、いろんな方のブログを訪問し、コメントを書くことで紛らわしていました。
 今朝、何とか更新をと思って早起きしたのですが、つい他の方のブログをあちこち訪問してたら時間がなくなって、更新をあきらめました。
 いまは、入っていた仕事が思ったより早く終わったので、空き時間に急いで書いています。



 ということで本題です。
 最近、あちこちのブログで話題になっているのが、最高裁による「君が代」ピアノ伴奏職務命令は合憲との判決が出た問題です。様々なブログでいろんな立場から論じられて、コメントも多数入れられています。
 ある方のブログにこんな内容のコメントがありました。

「国旗国歌に敬意を示すのは万国共通の国民のマナーだ」

それからこんなのも・・・

「どこの国にも国旗や国歌があり、国があり国家が有る限りこれを、尊ぶのが当たり前だ。歌詞が気に入らないとか好き勝手に言い出したら国はなりたたない。自らの信念で国歌を歌いたくなければ学校を辞職をすればすむ。どこに行っても、すべての自由は与えられない」(要約してます)

 共通した面をもっているコメントだと思います。

 たぶん、超一般論から言えば、これらの意見は大筋では間違っていないのだと思います。国旗国歌に敬意を示せるし、尊べるのならそれに越したことはないという点で。

 そのうえで、これらのコメントに対して思うのは、3つくらいの点です。

 一つは、敬意を示せない「根拠」があるということです。
 さっきも書いたとおり、国旗国歌に敬意を示せるのならそれに越したことはありません。しかし、残念ながら、今の「日の丸」と「君が代」には、自分は敬意を示せないし、かなりの数(それを多いと見るのか少ないと見るのかは立場によって変わるでしょうが)の国民が敬意を表せずにいると思います。それは、根拠があるからです。

 「君が代」の歌詞のもとは、「古今和歌集」に「詠み人知らず」として収録されている古歌の一つだそうです。もともとは、自分の家の長老の長寿を祝った歌だったということです。
 それが、明治時代になって、「オッ、いいのが古今和歌集にあった。これを使おう」って言ったかどうかは知りませんが、いつのまにか「天皇の統治をたたえる歌」にされてしまったわけです。
 自分もそうですが、歌詞の意味もわからずに子どもたちは歌うものです。何かで読んだんですが、ある調査で、「『いわおとなりて』の意味は?」って聞いたら、かなりの人が「岩の音がうるさいという意味だ」と答えたそうです。ですから、なにげなく意味もわからず、「君が代は千代に八千代に」って歌うわけですが、それはつまり「天皇統治は永久であれ」という意味なわけですから、当然、いまの憲法の国民主権の原則とは相反することになります。
 そして、最大の問題は、この「君が代」、つまり「天皇統治」のために、日本が中国をはじめアジア諸国を侵略していったことです。
 もちろん、「あれは正義の戦争だった」という人もいます。その人は、この点には同意できないでしょう。でも、そういう人も、「あれは、侵略戦争だった」と思っている人がかなりいることは認めざるを得ないでしょう。で、そういう人は、やはり「君が代」には敬意は払えないのです。

 二つ目は、「敬意の押し付けはゴメンダ」ということです。
 「敬意」というのは、辞書を引くと「相手を尊敬する気持ち」とあります。つまり、自分の気持ちであり、自分の意思であり、自分の心の中の問題です。そして、自分がその相手に対して「敬意」を持つことができるとしたら、それは、その相手が、自分が「敬意」をもつにふさわしい人物だと思えたからに他なりません。
 「ウワ~、ヤなヤツ!」としかどうしても思えない人物なのに、その人物について、他者から「敬意を持つべきだ」などと言われても困ってしまいます。けっして、「敬意」をもつことを押し付けたからといって、尊敬を集める存在にはなりえないでしょう。「敬意」ということは、あくまでも「示す」側の意志であって、「示される」側の存在ではないということです。

 ですから、各国の学校現場での国旗国歌の扱いも、けっして「敬意」をおしつけるものにはなっていないようです。
◆アメリカ=連邦政府として公立学校での国旗掲揚、国歌斉唱などについていっさい関与していません。合衆国法典第36編第10章第174条「掲示の時と機会」の中に「授業の期間、学校に掲揚すべし」とありますが、罰則などの強制力はないそうです。
◆イギリス=国旗国歌にかんする法律はありません。ですから、政府には学校行事で国歌斉唱、国旗掲揚を指導する権限はありません。一般に入学式や卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱をおこなわないのではないかとも言われています。
◆カナダ=教育についての権限は州にあるため、連邦政府には学校での国旗国歌の扱いを指導する権限はないようです。
◆ドイツ=学校行事で国旗掲揚、国歌斉唱の義務はないそうです。ましてや、拒否して罰せられることもありません。
◆フランス=学校行事でも音楽の授業でも国歌を歌うことを強制することはなく、音楽教師の自由意思に任されているそうです。

 1942年、米国ウェストバージニア州で「バーネット事件」というのがおきました。
 州の教育委員会が、公立学校で生徒に国旗敬礼行事への参加を義務づける実施規則を決めたのです。違反者には退学処分を含む罰が加えられるというものでした。
 これにたいしバーネット家の子どもたちが宗教上の理由から敬礼行事に参加せず、罰を受けました。バーネットさんは、「個人の自由を侵すもの」として提訴しました。
 連邦最高裁は翌年、言論の自由を保障した合衆国憲法に、教育委員会の規則が違反しているとの判決を下しました。
 判決は、結論部分で次のようにのべています。
 「もし憲法の星座に恒星があるとすれば、地位の高低を問わずいかなる公務員も政治、民族主義、宗教その他の意見においてなにが正統であるかを規定したり、市民にみずからの信条を言葉や行動で告白するよう強制することはできないということである。
 星条旗に敬礼や忠誠を強制するという地方当局の行為は、憲法で定められた地方当局の権限の限度を超えており、あらゆる公的な統制から留保されるべき合衆国憲法修正第一条の目的である知性と精神の領域を侵している」

 そして、三つ目に、一点目と二点目の結論になるんですが、やはり守るべきは人権だということです。
 どこかの国の文部科学大臣に言わせると、人権っていうのはバターのようなものだそうですが、この思想、つまり、「人権というものは時の政府の思惑によって制限されるべきだ」という思想が、先に紹介したコメントの方たちの底辺にも流れているような気がするのです。
 問題は、天皇が好きか嫌いかでも、「君が代」や「日の丸」が好きか嫌いかということでもありません。社会的規範に反しない限り、自分の信条・信念に従って生きていく権利を人間はもっています。
 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」というブログの「これは成功なのでしょうか、失敗なのでしょうか?(君が代伴奏命令裁判の最高裁判決に思うこと)」という記事に寄せられた「耕太郎」さんという方のコメントに、こういうのがありました。(村野瀬さん、耕太郎さん、すみません。勝手に引用させていただきます。村野瀬さんには、あとで連絡を入れます)

 自分が音楽教師だったら、「君が代斉唱時に、それを妨げることなく静かに着席している自由が教員にも生徒にも認められている状況」でピアノ伴奏をすることと、そうではなくて、「君が代斉唱時に監視され、歌わない者も起立しない者も、たった一人たりとも居てはならないとされる状況」で伴奏をすることの間には大きな違いがあると思います。
 前者なら「君が代を斉唱したい人々の権利のために」伴奏することができても、後者ならその苦痛は、それこそ教員を辞めざるを得ないような、堪え難いものとなる。そんな感覚を持つ人もいると思います。
(もちろん、日の丸君が代そのものに反対する人も。)
 その意味では、上の藤田裁判官の意見は非常にもっともであると思います。
 私は日の丸・君が代に違和感を覚えずに育ってきたのですが、一切の例外を認めない東京都のやり方を知るにつれて(初めて知った時はかなりのショックでした、「憲法違反」の一言でお終いにならないことが不思議でならなかったです)、国旗国歌そのものに嫌悪感を抱くようになってしまいました。
 どんなに素晴らしい結婚相手でも、予め結婚することが親等によって決められていたならば、なかなか真に愛することができないのと同じことだと思っています。
 この問題は単に「日の丸君が代の強制に賛成か、反対か」というだけではなく、人間存在そのものに関わるような問題だと感じています。

(*「藤田裁判官」というのは、ピアノ伴奏強制裁判の際、5人の裁判官のうち、ただ一人強制に批判的意見をのべた裁判官です=ポチ)

 「なるほどな~」っと深く感動してしまいました。本当にそういうことだと思います。

 ということで、仕事を犠牲にして、久しぶりに真剣に書いてみたポチでした。

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